第15話 動き出す記憶のかけら
世界は――静かだった。
あまりにも、静かすぎた。
風は止み、音は消え、人々のざわめきすら、どこか遠くに押しやられている。
「……」
リリーは、ゆっくりと目を細めた。
違う。
これは――“静寂”ではない。
「止まっている……」
ぽつりと、言葉が落ちる。
「何がじゃ?」
ターニャんは、きょとんとした顔で首をかしげた。
「全部です」
リリーは答える。
「風も、音も、人の気配も……」
一歩、踏み出す。
「そして――選択も」
その言葉に、わずかな沈黙が生まれた。
「選択?」
ターニャんは眉をひそめる。
「なんじゃそれは。食べ物の話か?」
「違います」
即否定。
「人は、選びながら生きています」
視線はまっすぐ、ターニャんへ。
「間違えることもある」
「後悔することもある」
「それでも、自分で決めるから――」
「“生きている”と言えるのです」
ターニャんは、少しだけ考え込む。
「……よくわからんのう」
正直な感想だった。
「じゃが…ひとつだけ確かなことがある」
偉そうに腕を組み、ターニャんはこう言い放った。
「余が苦しめる前に勝手に幸せになるな!支配の意味がなくなるだろうが!」
聖女リリーは一瞬、言葉を失い――
「やはり魔王は魔王ですか……」
静かに杖を構えた。
「いいでしょう。決着をつけましょう、魔王ターニャん!」
静かに、激突。
音は、ない。
だが確かに、世界は軋んでいた。
光と闇がぶつかり合い、空間そのものが歪む。
「ほれほれ!どうした聖女よ!」
ターニャんは笑う。
その動きは軽やかで、どこか――
楽しんでいるようだった。
「楽しいのぉ」
ぽつりと、漏れる。
その言葉に――
リリーの動きが、わずかに止まった。
「……楽しい?」
その言葉はリリーを捕え、
世界が、二重に重なった。
――剣を振るう少女。
――隣で笑う誰か。
――夕焼けの中、他愛のない会話。
知らない。
そんな記憶は、ない。
それなのに。
胸の奥が、ひどく――
懐かしい。
「……っ」
思考が、乱れる。
「今の……」
視線が、ターニャんへと向く。
その姿が、一瞬だけ――
“別の誰か”に見えた気がした。
「……今の、何なのですか……?」
問いは、誰に向けたものでもなかった。
ターニャんは首をかしげる。
「なんじゃ急に。変な顔をしておるぞ?」
「……」
リリーは、ゆっくりと杖を下ろした。
戦意が、霧のようにほどけていく。
「……確かめる必要があります」
小さく、呟く。
「何をじゃ?」
「――あなたのことを」
一歩、距離を取る。
「そして……私のことも」
風が、戻る。
止まっていた世界が、わずかに動き出す。
「今回は退きます」
静かに、告げる。
「次に会うとき――」
一瞬だけ、言葉が途切れた。
「……その時には」
何かを言いかけて、
やめた。
「では」
光が、消える。
聖女の姿は、そこから消えていた。
「……なんじゃあやつ」
ターニャんは、ぽつりと呟く。
「戦いの最中にぼーっとしおって……」
腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。
「まあよい!次こそは完全に支配してやるわ!」
その宣言は、どこか的外れで――
そして、ひどくいつも通りだった。
だが。
ほんのわずかだけ。
胸の奥に、引っかかるものがあった。
「……?」
首をかしげる。
だが、その正体に気づくことはなく――
ターニャんは、すぐにそれを忘れた。




