第11話 聖女とニアミスする大魔王
ちょっといつもと違う魔王さま。
市場は、穏やかだった。 いや——穏やかすぎた。
人の往来は多い。声もある。笑顔もある。
それなのに、そこには“ざらつき”が存在しない。
争う声がない。 値切る声もない。 怒号も、焦燥もない。
「ありがとうございます!」
弾むような声が響く。
「おまけしておきますよ」
柔らかな笑顔が返る。
そのやり取りは、あまりにも自然で—— 同時に、あまりにも整いすぎていた。
リリーは足を止める。
巡礼者の装い。深くかぶったフードの奥で、静かに周囲を観察する。
視線を巡らせる。
誰もが満ち足りている。 誰もが穏やかに笑っている。
——出来すぎている。
「なんじゃ、難しい顔をしておるのう」
不意に、背後から声がした。
リリーは振り返る。
そこにいたのは——ただの少女だった。
頭に、二本の角。
年の頃はリリーと同じほど。
小柄で、どこにでもいそうな、あまりにも普通の少女。
屈託のない笑顔で、こちらを見上げている。
「……この国を見ているのです」
リリーは静かに答えた。
「観光か?」
「ええ、そんなところです」
少女は、ふむ、と頷く。
「どうじゃ? 絶望したか?」
リリーは一瞬、言葉を選ぶ。
ほんのわずかな沈黙。
「……逆です」
「ほう?」
「人が、満たされすぎています」
少女の眉がわずかに動く。
「それの何が悪い?」
「悪いとは言っていません」
リリーは視線を外す。
市場へ。
「ですが……不自然です」
その瞬間だった。
「ターニャん様のおかげです!」
「この国は本当に幸せです!」
「何も不満はありません!」
同じ言葉。
同じ笑顔。
同じ声の調子。
(全員が、同じ答えを口にする)
(まるで——“正解”をなぞっているような)
「なぜ誰も不満を言わないのですか?」
問いは静かに落ちた。
少女は、きょとんとする。
「不満?」
本気で理解していない顔だった。
「ええ。不満です。疑問でも、怒りでもいい」
リリーは続ける。
「人は、必ず揺らぐものです」
「揺らぐ?」
少女は首をかしげる。
「人は嫉妬し、怒り、欲を持つ」
リリーの声は、わずかに熱を帯びる。
「それがあるからこそ、人は人でいられる」
一歩、踏み込む。
「それがない世界は……」
言葉が、一瞬止まる。
「本当に人の世界なのでしょうか?」
少女はしばらく考え込むように、顎に手を当てる。
「ふむ……」
そして——
「余は魔王じゃぞ?」
あっけらかんと、そう言った。
リリーはわずかに目を細める。
「人間がどうなろうと知ったことではない」
少女は笑う。
無邪気で、曇りのない笑み。
だがその言葉と世界の整合は、どこか決定的に噛み合っていない。
そのときだった。
「リリー殿」
低い声。
フードの男が立っていた。
勇者だった。
顔は隠している。剣も隠している。
だがその存在だけが、空気のわずかな歪みとしてそこにあった。
勇者は一歩、踏み出しかける。
その瞬間。
「今はやめてください」
リリーの声は静かだった。
それだけで、勇者の動きは止まる。
「………」
勇者の視線が少女へ向く。
(魔王……ターニャん)
「ふむ?」
少女は首をかしげる。
「どこかで会ったことあるかの?」
勇者は一瞬だけ迷い——
「……知らない」
短く言った。
リリーは小さく息を吐く。
「……ありがとうございました」
戦う理由は、ここにはない。
そう判断する。
踵を返し、歩き出す。
背後に少女の気配を感じながら。
数歩進んで——
リリーは、ふと足を止めた。
「あなたは……」
振り返る。
「この国をどう思いますか?」
再び、同じ問い。
少女は少しだけ考え——
「問題ないのう」
そう答えたが、ほんのわずかに“間”があった。
「今、少し揺れましたね」
「揺れておらん!」
即座の否定。
だがリリーの中で、何かがわずかにずれる。
(……“今のは何だ?”)
言語化できない違和。
しかし確かにそこにあった“微細な歪み”。
リリーは、それ以上追わない。
「……ありがとうございました」
そう言って、歩き出す。
人混みの中へ溶けていく。
少女はその背中を見送る。
しばらく、動かない。
そして——
「……あれ?」
小さく呟く。
ほんの一瞬の“ずれ”。
理由にならない違和感。
だが次の瞬間、それは消える。
「まあよいか!」
世界は、元に戻る。
―物陰―
一人の女が、静かに立っていた。
「……ついに接触しましたね」
声は低く、誰にも届かない。
だがリリーは、確かに“視線”だけを感じる。
振り返らない。
追えない。
どこにもいない。
(誰かが、見ている)
それだけが残る。
市場は今日も穏やかだった。
誰もが笑い、誰もが満たされ、誰もが感謝している。
——整いすぎている。
リリーは歩きながら、静かに思考する。
(この国は、正しい)
(でも……)
その“正しさ”には、どこか決定的に欠けているものがある。
(理解できるはずなのに)
(理解に触れた瞬間、何かがずれる)
リリーは、無意識に足を止めかける。
(あの一瞬の“間”は、何だった?)
そう思った瞬間。
(違う)
(“間”など——)
(最初から——)
(存在していたのか?)
その問いだけが、答えのないまま残る。
そして世界は、何事もなかったように続いていく。
ちょっとシリアス入れてきてます。




