8,ご挨拶
「まあまあ、いらっしゃい。本社の仕事も忙しいでしょうに、皆さんお揃いで来てくださって本当に嬉しいわぁ」
香空リゾートの一号店にして本店「煌」の女将である佐々木志保は、車寄せに着いた海の車を自ら出迎えて笑顔でそう言った。
実際に「煌」を利用したことがなくても、店舗の公式サイトに顔出しでインタビュー記事が載っているのでアリスも志保の顔は見知っている。今日も直前に予習として目を通していたが、写真で見るよりも実物はやはり迫力があった。
(さすが着物の着付けに隙がない! 髪型もお化粧も完璧! 貫禄がすごい)
車を下りて向かい合ってみると、アリスより小柄なのが意外だった。しかし小さいという印象はまったくない。
「突然の連絡になってすみません。一香姉さんが帰国しまして、来週から国内での勤務になるかと思うのですが、せっかくの機会ですので何はともあれご挨拶をと」
海は三人を下ろして駐車場に向かうと言っていたものの、女将の出迎えを受けて窓越しの会話というわけにもいかず運転席から下りてそつのない笑顔で応じている。一香も「お久しぶりでーす」と爽やかに言っていた。その顔が、ほんのわずかにくもった。
志保の後ろから三十代と思しき男性が近づいてきて、愛想良く声をかけてきたのだ。
「海くん、久しぶり。車は俺が駐車場に入れてくるよ、鍵だけ貸してくれれば」
「お久しぶりです、店長。駐車場の位置はわかりますから自分でやります」
「いやいや、海くんはお客さんだからね? ゆっくりしていってよ。まさか日帰りなんて言わないよね! 部屋も用意してあるから寛いで、まずは風呂でも浴びてさ」
明るい笑い声を立てながら、男性は一香に視線を流してきた。
絶対に目を合わせたくない様子で一香がすうっと目を逸らしているのを見て、アリスはその人物こそ「煌」の店長佐々木陽光だと確信する。
サービス業に従事するひとらしく、髪型や法被姿に清潔感があり、話しぶりは洒脱で気さくな印象だ。海に対してもまるで友達のように親しげに接している。
しかし、海が非の打ち所のない笑みで応じているのを見るにつけ、決して心を許せる相手ではないのだろうというのがひしひしと伝わってきた。
「一香ちゃんも久しぶり。いやぁ、もう日本に帰って来ないつもりかと思っていたよ」
「……どうも。ちょっと忙しくてそれどころではなくて」
「それだよ、ときどき連絡入れていたんだけどさっぱり音沙汰なかったもんね。相当忙しいんだろうなって思っていたけど、これを機に国内事業に力を入れたら? 宙子おばさんみたいに海外に行ったきりで旦那さんとは一生別居っていうのもどうかと俺は思うんだよね」
「うちの事情は佐々木家には関係ありませんから」
にこっと一香が笑う。最小限の会話で済ませたいというのが露骨に態度に出ていた。横で見ているアリスにもそれはひしひしと伝わってくるのに、陽光は空気を読むつもりはないらしくなおも絡んでくる。
「何言ってんだよ、親戚だろ? しかも宙子おばさんは社内結婚だからね。若輩者ながら別居婚に関しては心配しているんだよ。夫婦で海外事業部だからもし別れたら仕事もやりにくいだろうし。定年までは事を荒立てないでほしいな。あはははは」
アリスは口を挟まないで聞いていたが「うわぁ、余計なお世話!」という思いは顔に出てしまったかもしれない。少なくとも「少し黙ればいいのに」という思念は送ってしまった。「あれ?」と陽光の注意がアリスに向き、いまにも何か言いたげに口を開きかけたが、城戸が前に身を滑り込ませてきて視界がふさがれた。
「佐々木店長、急な連絡にもかかわらず丁寧なお出迎えありがとうございます。こちら少ないですが、従業員の皆さんでお召し上がりください」
少ないという割に、城戸が陽光へ差し出したのは大きな紙袋四袋分の菓子折りである。
たとえ宿泊の利用ではなくとも、社員が営業所を仕事外で訪ねるときには従業員に行き渡る分の手土産を持参するというのが、業界内では不文律のマナーなのであった。
(今朝、海さんが「煌に顔を出す」と言っただけで、出発前にこれだけ準備できるのはさすが城戸さん。秘書の鑑……!)
アリスが車中で聞いたところによると、知り合いの和菓子屋に急遽お願いしたとのことだった。お願いを聞いてもらえるのは、日頃の付き合いあってのことなのだろう。
ずっしりとした手土産を前に、陽光は大仰に「これはこれは」と言う。
「そんなにいいのに、わざわざのお気遣いどうもありがとうございます。従業員の休憩室に置かせてもらいますね」
手を出して受け取ろうとするものの、城戸は「重いので運びます」と笑顔で断っていた。そこからは「いやいやでも城戸くんは今日はお客さんで」と「店長に持たせるわけにはいきません」という攻防になり、女将の志保が「他のお客さんの前で、城戸さんに荷物持ちさせるわけにはいかないから」と陽光に受け取らせることで決着をつけていた。
「この車も、いつまでもここにあると他のお客様のご迷惑になりますので駐車場に停めておきます。館内を少し見せていただきたかったんですが、女将もこれからの時間帯忙しいでしょうからこのあとは特に誰かつけていただく必要もないですよ」
海が絶妙のタイミングですかさず話に区切りをつけつつ、アリスの隣に立って志保をまっすぐに見て言った。
「秘書課の白築さんです。もしかして名前は聞いているかもしれませんが、現在は副社長の秘書として頑張ってくれています」
あら、と志保が目を大きく見開く。アリスはまっすぐ目を見てすぐさま名乗った。
「白築アリスと申します! 入社以来本社勤務で、秘書課には最近異動になりました。今日はありがとうございます、よろしくお願いします!」
志保はにこにこと笑ったままおっとりとした口ぶりで答える。
「可愛いお嬢さん連れているけど、紹介してくれるのかしらと思っていたところなのよ。あなたが白築さんね、お噂はかねがね。どんなひとかと思っていたのよね~、会えて嬉しいわ。もう一度どこかですれ違ってもわからないような顔だけど、よろしくね」
……ん!? とアリスは笑顔のまま動きを止めた。
(「どこかですれ違ってもわからないような顔だけど」っていまの、なんか一言多かった?)
絶対に言う必要のないことを言われたような気がする。
すうっと、横に立つ海の周りの温度が下がるのを感じた。




