4,Princessは推しのSSRです!!
「私はソシャゲの類はあまり嗜んでいないんですが、わかります。このヴィジュアルこそまさに『推しのSSR』です……!」
ラウンジに戻るなり、アリスは一香について力説した。
一香は本社へ顔を出したとは言うものの、スーツではなく長時間フライトの飛行機から降りてきたばかりといったラフなシャツにダメージデニムの私服姿であった。弟である海と血の繋がりを感じさせる端麗な面差しは飾り気がなくとも華やかで、体つきはスレンダーで無駄なく引き締まった印象だ。
それでいて、男性である海とはまた違ったほっそりとした首筋や指先に女性的な華奢さがあり、危険な色香が増している。
「なんということでしょう……! 私は今まで海さんの造形こそ神の作り給うた奇跡だと思っていたんですが、まさかこんなSSRバージョンが存在していたなんて。ありがとうございますありがとうございます……」
鼻血が出るなど現実にはそうそう起こらないこととわかってはいても、アリスは顔面を手で押さえつつ、一香を讃え続けてしまう。
一香はハハっと軽やかに笑いながら、城戸に向かって「この子なんで私のこと拝んでるの? 私、御神体にでもなったのかな?」と声をかけた。
一方、海は笑顔のまま「え?」と首を傾げている。
「姉さんがSSRということは、普段の俺はノーマルっていうこと?」
すかさず、城戸がフォローを入れた。
「推しですよ。キャラクター選択があれば迷わず選ぶという意味です」
「うん。それはわかった。でも俺はすでにアリスのデッキに入っているわけだよね。その上で『新規に実装されたSSRは重課金してでも手に入れたい。なぜなら推しの貴重なショットだから』っていうのがアリスの言い分だ。俺のこの理解は合ってるよね?」
海の疑問に対して、城戸はやはり落ち着き払った表情のまま答える。
「推しはいくらあっても困らないということですよ」
その言葉に、アリスはうんうんと腕組しながら頷き「なんぼあってもいいですね」と合いの手を入れた。
あはははははっと、一香がお腹を抱えて気持ちが良いくらい爆笑する。
海は城戸に向かって固い声で言った。
「なんか良い感じにまとめようとしているみたいだけど、俺はアリスが仲良さそうにしている相手は、男だろうが自分の姉だろうが普通に嫉妬するんだ。いま心の中真っ黒」
いまだに笑い続けている一香が、それを聞きつけて実に爽やかな口ぶりで言う。
「あっはっはっは、海おもしろ。べつに私の下位互換って言われたわけじゃないんだから気にしなくていいのに」
「姉さん、言葉のチョイス気をつけよう? 下位互換って日常会話で使う言葉じゃないよ」
あはは、ふふふ、と姉弟は笑顔で会話をしていた。
その様子を見て、城戸がとても良い笑顔でアリスに向かって言った。
「ご覧の通り、仲良いですよこの二人」
あっ、ハイ、とアリスは笑顔で返事をしつつ心の中で思わず呟く。
(今のが城戸さんお得意の、強引にでも「良い感じにまとめようとする」荒業ですね……!)
食えないひとだなぁ、と思う。
それでも、城戸がいつもより心なしか嬉しそうな顔をしていることに、アリスは気づいていた。
* * *
「出待ちのファンに熱中症で倒れられるのが心配? そんなの簡単だよ。『この暑い中に出待ちなんて、命を危険に晒すようなことやめて欲しいな。君たちのことが心配なんだ。もっと自分のこと大切にして!』って言えば良いだけでしょ。海が言えないなら私が言っておくよ。ファンサしたところで減るものも何もないし」
弓倉家の実家ではなく、横浜のマンションまで全員で帰宅し、シャワーを浴びてすっきりした一香がすぱっと言い切った。「これもらうね」と言いながら、冷蔵庫からクラフトビールの缶を取り出し、ぷしっと開けて嬉しそうに口をつける。
「ファンサ……! 神対応……!」
先にシャワーを浴びてキッチンに立っていたアリスは、目の前でCMのように美味しそうにビールを飲む一香に見惚れてしまっていた。
一香は「あははははは」と笑い、缶ビールにもう一度口をつけてごくごく飲んでから、やはりどの角度から見ても絵になる美形ぶりで笑う。
「アリスちゃん、おもしろ~~! 熱中症はやばいよって当たり前のこと言うだけで神対応になるんだ? いくらでも言うよ~! 会社周りでバタバタ人に死なれるよりよほどいいから。せっかくだから、ファンが出歩かなくてもいつでも見られるように、公式チャンネルでも開設しておこうかな。どうしよう、スパチャ飛んでくるかな」
朗らかに言われて、アリスは「貢ぎたい、この笑顔」と本気で呟いてしまった。
一香は、ちらりとアリスの隣で同じくキッチンに立っていた海へと視線を流す。
「困ったなぁ。私、この顔で海のファンを残らず破産させちゃうかも。海は罪作りな男だね」
料理を作る役割分担上、一番にシャワーを浴びて作業を初めていた海は、嫌そうな顔で「姉さん」と声を低めて応じた。
「なんだそれ。いちいち俺の顔をいじるなよ。元々この世にその顔で生まれたのは姉さんが先で、俺より長くその顔で生きているわけだろう。俺はオリジナルだけどそっちもれっきとしたオリジナルなんだから、自分の顔に責任を持て! 少なくとも俺の名前騙ってろくでもないことするのだけはやめろ」
一香はわざとらしく目を瞬き「あれぇ?」と首を傾げた。
「でも今回バズったのは海の顔であって、私はただのもらい事故だよ。その顔でファンを推し活の沼に落として熱中症の危険にさらしているのは海だろ? 私はね、その解決策が必要だと言うから提示したまでだ。『いつでも会える御曹司*チャンネル』だよ。香空リゾート極上宿泊プランを添えて」
「コンセプトはわかるけど、すごく悪い金のまき上げ方をしそうなネーミングはやめろ……なんだ御曹司チャンネルって」
だいたいもうあるだろそんなの、と海はうんざりした顔でぼやいている。
普段アリスには絶対見せないような不機嫌な顔とぞんざいな口調だ。
(新鮮……! こういう王子様キャラじゃない海さんもなんか良いかも……!)
百年の恋がさめるどころか、アリスは逆に胸が痛いほどのときめきを覚えてしまった。
もちろんそれが本当の不機嫌だったり、何らかの修羅場で自分に向けられたものだったら魂が凍えるほど怖いのかもしれないが、今はそうではないと見ていてわかる。
つまり、海は一香に甘えているのだ。
「海は往生際が悪いな。本社離れて地方の営業所をSNSでアピールするなら写真だけじゃなくて動画出しても全然良いだろうに。顔しか見てもらえないかもしれないけど」
「べつに動画が悪いとは言ってない。ネーミングがおかしいって言っているんだ」
手際よくキャベツを刻みながら、海が一香に言う。
あっさりとビールを一缶空にした一香は、冷蔵庫からさらに二缶取り出し、ひとつをアリスに差し出してきた。
「まだ時間かかりそうだし、座って飲んでよう。家主に働かせて私だけのんびりするのも気が引けるから、ぜひ付き合って。料理は全部海に任せておこう」
立板に水の如く言われて、アリスには断る隙も与えてくれない。
横で聞いていた海も「姉さんいるとうるさいから、こっちはいいよ。アリスには申し訳ないけど、絡み酒に付き合ってあげて」と言い添えてきた。
普段から、料理は趣味と公言する海は、あまり手伝いを必要としないのを知っているだけに、アリスは「了解です! 先にお酒頂いてます!」と答えてカウンターに一香と並んで座った。
灯りはキッチンだけで、背にしたリビングは暗い。
「良いねえ、この部屋。お店みたい。お酒が進むわぁ~」
缶ビールをグラスに注ぐこともなく、一香は二本目も直に口をつけて美味しそうに飲んでいる。アリスもそれにならって一口飲んで、思わずほわっと笑顔になった。
カウンターの向こう側で海がにこりと笑い「お通し出すよ。もう始めてもらったほうが良さそうだ」と声をかけてくる。
ありがとうございます、と言いながらアリスは冷蔵庫にちらっと目を向けた。
「クルーズ船に乗る予定だったから、作り置き何もないんですよね。普段はマリネとか冷蔵庫にあるのに、全部食べて出ましたから」
「それなんだよ。今頃芦屋自慢のレストランで美味しい海鮮を食べていたはずなんだけどな」
言いながら、海が小鉢を二つ出してくる。アリスもすぐに席を立って、箸を用意して戻った。
「ホタテとキャベツとわかめの自家製ドレッシング和え」
「わ~~~~、和食いいねえ。そうそう、こういうの食べたかったんだ」
幸せそのものの顔で一香が箸を伸ばし、一口食べて笑い出す。
「めっちゃくちゃ美味しい。最高。ビールが進む。は~美味しい」
「姉さん、褒めすぎ。食材ろくにないから適当だって」
照れたらしく、どことなくぶっきらぼうに言うと、海は背を向けて冷蔵庫に何かを取りに行った。
かぶりつきで見ていたアリスは、またもや拝みそうになる。
「……うっわぁ……。姉弟の会話が私には最高のご馳走です。美味しすぎます。画面越しではなくライブで見させて頂いて良いんですか? 課金します」
「あははははは、アリスちゃんっていつもそういう感じなの? 海嬉しいだろうねえ」
「あっ、いえ、いつもはもう少し遠慮してますよ! 思っても胸に秘めています! あんまり尊いって身近なひとに言われても怖いかなって。むしろ海さんは私に言ってくれるんですけど……恐れ多いので……」
お酒が入っているせいか、アリスは思った以上に本音で答えてしまう。
「恐れ多いって、何が?」
面白そうに目を輝かせた一香に聞かれて、アリスは「ええと」と真剣に考え込んだ。
「そういう扱いを受けることが? 自分はそういう恋愛に縁が無いと思っていたので」
「どういうこと?」
一香は聞き上手なのだろう。真摯に向き合おうとしたアリスは、その場に海本人がいることも忘れて、どうにか自分の気持ちを説明しようと言葉を探す。
「一対一で、すごく大切にされる関係です」
「それがアリスちゃんには、予想外の恋愛関係なの?」
さらに踏み込んで聞かれて、アリスは深呼吸をしてから答えた。
「例えが仕事の話になって恐縮なんですが、私は香空リゾートという会社でサービス業に従事している身で『気が利く人間であること』って外せない条件だと思っているんです。だから日常的にいろんな場面で先回りして、ひとに気を遣うって当たり前にすることで、そこに不満は全然なくて自分がしたいからしているだけなんですけど、ずっとそうしていると……日常生活の中でも『自分が気を遣われる側になる』イメージがつかなくなると言いますか」
「あ~、わかるかも。すべてにおいて『自分がしたいからしているだけ』って精神状態になるよね。見返り求められることじゃないだけに」
「そ、そうなんです。思えば会社に入る前からすでに性格的に『見返りを求めない』で、尽くすのが当たり前、与えられるなんて贅沢って思いが染み付いてしまっていたかもしれなくて」
そのせいで、結婚詐欺師にお金をまきあげられたこともあったと、アリスは苦い経験を思い出して噛み締める。
嫌な記憶で終わらないで済んだのは、海がいてくれたからだ。
「でも海さんは常に、与える側に立とうとしてくれているのを感じます。金銭的な余裕があるというだけではなく、気持ちの面で私を……包みこんでくれるといいますか。だから私も最近、軽口叩く余裕もなくなっていて。こんなすごい愛をくれるひとに生意気なこと言えないって、好き過ぎて萎縮してしまっていました」
人生相談の様相を呈してきたが、一香は興味津々といった顔のまま「わかる~!」とカウンターをばしばし叩いて相槌を打っていた。
「アリスちゃんいい子だな~~。そこで調子に乗ったりマウント取ろうと思ったりしないで、彼氏を尊重するあまりに萎縮するって。は~、大和撫子!」
「大和撫子……!?」
まさかの言葉が飛び出し、アリスは動揺して「私がですか?」と聞いてしまう。
一香はうんうんと頷き、ホタテを食べてビールをぷはーっと飲み、もう一度うんうんと頷いていからカウンターの向こうへと顔を向けた。
「だってさ、海聞いてる?」
はわっとアリスは息を呑んだ。
(本人いたんだった……!)
恐る恐る視線を向けると、料理の手を止めてしまっていたらしい海は耳まで真っ赤にして俯いていた。
「聞こえたけど……なんで姉さんが一緒にこの場でそれを聞いているのか」
かすれたような声で呟き、鍋をかき回し始める。
アリスもいまさらながらに羞恥心が込み上げてきて真っ赤になってしまい、一香もさすがにからかうどころではなくなった様子で、申し訳なさそうに眉を下げた。
「そうだよねえ。五年ぶりに帰国した姉さんでも、これはお邪魔虫だよね、ごめん。実家誰もいないし積もる話もあるしタクシー乗るなら行き先同じところがいいかなってここまで来ちゃったけど、私やっぱりどっかホテル泊まったほうが良さそうだね」
「いや、それには及びません!」
気を遣って出ていかれては困ると、アリスは焦って言う。
ちょうどそのとき、最後にシャワーを使った城戸がリビングに姿を見せた。函館からの強行軍で一日過ごした後、ここでこのまま全員で夕食という話になったとき、遠慮せず使うという話になったのである。
さっぱりとした私服姿の城戸を目にした一香は、これ幸いといった様子で「城戸!」と名前を呼んだ。
「城戸もこの近所に住んでいるんだよね? いま結婚したり彼女がいたりする?」
再びアリスは息を呑む。
(豪速球投げた! 微妙な関係だという芦屋さん情報はどうなってるの!?)
ハラハラするアリスの前で、城戸はいつもと変わらぬ無表情で一香を見つめた。
「いません。気を遣うような相手は誰も。一人暮らしです」
一香が、ひそやかにほっと小さく息を吐いたことに、近くにいたアリスは気づいてしまう。
(うわ~~~~~~~自分の恋愛話より、こっちが気になる~~~~~!)
これこそ聞いてはいけないのでは? この場にいてはいけないのでは? という思いからアリスは壁紙に擬態しようと息を殺した。
「何のために聞きました?」
城戸が、落ち着いた声で一香に尋ねる。
ハッと短く息を呑んでから、一香はへらっと笑った。
「そっか。それなら今日は城戸の家にお世話になろうかなって。弟の愛の巣にお邪魔するのは一晩でもまずいような気がしてきて」
ハハハ、という一香の笑い声がだんだん小さくなって消える。
しん……と場が静まり返り、鍋がぐつぐつと煮え立つ音だけが響いた。
最初に動いたのは城戸で、すたすたと近づいてくると、カウンターのバーチェアに腰掛けていた一香に手を伸ばし「えっ?」という声に構わずあっさりと肩に担ぎ上げた。
「ええええっ」
一香よりも大きな声で、アリスまで叫んでしまう。壁紙になるには修行が足りなすぎた。
「え、なに? 城戸、なんで人さらいみたいなことしてるのっ?」
ここにきて一香も焦った声で騒ぎ出したので、まったく想定外のことであったらしい。
まさしく人さらいのように軽々と一香を抱えた城戸は、なんでもない口ぶりで答えた。
「気が変わらないうちに持ち帰ろうかと。後からぐずぐず、やっぱりやだとかあれは冗談だとか言わせるつもりはないので」
きゃ~~~~~~とアリスは声にならない悲鳴を上げる。
先ほどの海よりもさらに顔を真っ赤にした一香は、わめきながら城戸に「はなせ~! 降ろせ~!」とわめいてもがいていた。
その抵抗をびくともせずにやり過ごしている城戸は、アリスがこれまで見たこともない機嫌の良さそうな笑みを浮かべていた。




