3,一難去る前に多難の気配
(海さんのお姉さんといえば、海外支社に行ったまま数年帰国していないという、大空一族の一香姫ですよね)
海の姉と城戸は、何かしら関係があるらしいと、芦屋から聞いてしまっている。
アリスは、席についたままの城戸のほうへ思わず目を向けた。
すぐに気づかれて、バチッと目が合う。アリスは黙っていられずに「あのっ」と口火を切った。
「私、海さんと一緒に暮らしているんですが、海さんのご家族のことあまり知らなくてですねっ。家族である海さんの危機にお父様とお姉様がご連絡くださるとは、思った以上に密といいますか、仲が良さそうだと思ったのですがっ」
今回、最初に企業アカウントの異変に気づいたのが海の父だというのが、アリスには少し意外だったのだ。それを真っ先に会社に伝え、海本人にも直接電話をくれる対応にも少なからず驚きがあった。
しかも、今度は姉まで電話をくれているらしい。
(海さんの気遣いや優しさを思えば、とても素敵な育ちであると感じていたのですが……ひとくちに家族仲が良いといっても、グラデーションやバリエーションがありますよね。本人は一人暮らしだし、ご家族皆様海外メインなので、過保護や過干渉ではないにしても)
これまであまりにも忙しかったこともあり、二人でしっかり話し合ったことはなかった。それだけに、今回の一件はアリスが海の家族を強く意識するきっかけとなったのだ。
城戸に対して探りを入れるつもりではなかったが、率直に「避けずに話題にしていきたい」との思いで、あえて口にした。城戸は、怪訝そうな顔をすることもなく「弓倉部長のご家族ですか」と話に乗ってくれる。
「実際のところ、自由奔放なところのあるお母様が社に残っているのは、お父様の存在が大きいかと思います。そのお父様ですが、大空家に入ることはなく本社にも用がなければ決して近づかず、一定の距離を保っていますので、一筋縄ではいかないところがあるかと」
城戸の冷静な解説に耳を傾け、アリスはやはりという思いを強くする。
「そうですよね。安易に親族経営に迎合しないというか……とはいえ、転職することなく会社に残っているということは、会社のことは好きなんでしょうね」
なぜか、城戸が目尻を下げてくすっと笑った。特に面白いことを言ったつもりのないアリスは不思議に思って目を瞬く。
城戸は優しいまなざしを向けてきて、やや砕けた調子で言った。
「白築さんのそういう発想、俺は個人的に好きですよ。『会社のことが好き』って無防備に言えるところが、良いです」
無防備というのは、隙があるという意味だ。城戸の言葉のチョイスに警戒心を煽られつつ、アリスは慎重に返す。
「好きではないと、会社に長く残らないと思うんです。普通の発想ですよ」
「それは白築さん自身が、社員として香空リゾートを『好き』になれる会社だと思っていてこその発言です。参考までに、この会社のどこが好きですか?」
どこ? と呟いてから、アリスは視線を泳がせて、考え込む。
「どこというか、馴染みすぎて自分の一部みたいな感覚かもしれません。それも、毎日鏡越しに目にしてチャームポイントかどうか考える眉毛とか目とか口ではなく、体の内側にある臓器みたいなものです。自分の心臓が好きとか、肺は可愛いと思うとか、そういうことは普段考えないので、改めて『どこが?』って聞かれると難しいんですが」
他の会社に入る可能性はあったし、これから転職することもあるかもしれない。だから、会社はやはり自分の一部などではないはずなのだ。だが、社員である間は好き嫌いや愛着とは別の次元で「自分を構成する要素」のように受け入れている部分はある。
アリスの拙い説明を受けて、城戸は「わかります」と頷いた。
「変にさめているより、そういう捉え方でいるほうが結局はなんでもうまくいくと、俺も思います。たとえば会社とプライベートの自分に線を引き『飲みニケーションなんて前時代の異物、会社にプライベートを拘束する権利はない』という考え方を賢さやライフハックみたいに言うひともいますが、全員が全員それだと、世の中はまわらないです。面と向かってそれを口にするひとは、黙ってそういうコストを払っている人間の努力にただ乗りしているだけです」
意外なほど素直に城戸自身の考えを聞くことになり、アリスは嬉しくなる。
「私も城戸さんのそういう、仕事に対して覚悟決まっている感じすごく好きです。会社仕事って、あれはやりたくないとか、自分がやる必要はないとか避けるほうで考えはじめると、どんどん面白くなくなっていくと思うんです。人生の一時期とはいえ一日の大部分を過ごす場所で、そういう考えでいるとなんか勿体ないって。私はその意味でも、仕事を自分から切り離しすぎず、好きでやっていきたいと……あれ?」
海の家族の話を聞こうとしていたのに、いつの間にか仕事の話になっていた。アリスが気づいたタイミングで、城戸も気づいたらしい。ふっと思わずのように笑い出す。
「いまの白築さんの立場からすると、一社員としてではなく創業者一族のプリンスの婚約者という立場の比重が大きくなりそうなものなんですが。この会話で、一度も弓倉部長のことを考慮に入れてないですよね」
「……? はい、そうですね。会社員として会社が好きか嫌いかに、海さんの存在は入っていませんでしたね……? そこはあまり関係ないといいますか」
「白築さんのその考え方は、おそらく弓倉部長のご家族とは相性が良いと思います」
言われて初めて、アリスはそういうものかと意識した。
(海さんのお父様のように「創業者一族と距離を置きつつも、会社員として会社に尽くしている」立場も、こうして考えてみるとべつに変わり者というわけでもないのかな。ちょっと親近感が湧くかも? いや、油断は禁物。あの海さんのご家族なわけで!)
どんなスーパーエリートが出てくるかわかったものではない、とアリスは気を引き締める。その一方で、城戸が一切触れない海の姉のことがやはり気にかかった。
アリスからつっこんで尋ねる前に、城戸は「それにしても」と話を変えてしまう。
「今回の件、SNS担当者に対して弓倉部長は『バズらなかっただけで、人物写真投稿を過去にしたこともあるのでは?』と追及していましたが、幸いこれが初めてとのことです。自分としては、いまの状況の良し悪しは判断に迷うところですね。弓倉部長のように、気を遣う相手がいなかったのは幸いかと思います。白築さんのことです」
アリスは話の雲行きの怪しさを警戒しつつ「私に海さんが気を遣うとは?」と聞き返す。城戸は、無表情のままさらっと言ってきた。
「今後弓倉部長は、出先で注目を浴びる恐れがあります。隣にいる白築さんも素性を探られることはあるかと」
うぐっと、アリスは固まった。
現在の海は「ほとんど情報の出回っていない、謎のイケメン一般人。香空リゾートの社員らしい」と、一部で有名な人となりつつあるのだ。
外に出ただけですぐに誰かに指をさされるようなことはないにしても、これからは「あの人どこかで見たことある」「ほら、あのバズってた人だよ」と言われる可能性が出てきたわけである。
今回は隣にいたのが城戸ということもあり、イケメン二人で好意的な意味でバズっているが、実生活で異性のアリスが隣に立っていることに関して、どのような反応になるかは想像すると少し怖い。
「そ、そうですね! よくある『隣の女何よ、全然美人じゃない。釣り合ってない』という聞こえよがしの悪口がすれ違いざまに投げかけられ、SNSで私の情報まで駆け巡る恐れもあると!」
普段あまりSNSを見ていないアリスとしては、噂話を自分からのぞくことはない。だが、誹謗中傷の類が自分にふりかかることもあるのだと、想像することはできる。
(海さんは情報が少ない分、沈静化も早いかもしれませんが、逆にコアなファンが現れて隠し撮り含め目撃情報が出回る恐れもあるということで……。推しにガチ恋、リアコ……)
城戸が何を懸念しているか、アリスにもここでようやく理解できた。
「今までが平穏過ぎたというのは、私自身感じています。海さんの女性関係がとてもクリーンでしたので」
「そうですね、私の知る限り、つまりオンオフすべてにおいて弓倉部長は何もなかったです」
すぱっと城戸に言われる。それはそれで身も蓋もないが、海のハイスペ御曹司の境遇を思えば、厚く信頼のおける潔癖さだ。
「そもそも私が突然海さんを捕まえて婚約者宣言をした……ところからいまの関係性も始まっていまして、社内で隠すも何もないんですが。海さんは社員や親族にあたる副社長の前でも、取引先である芦屋専務の前でも変に私のことを隠したり誤魔化さないで堂々としてくれています。庶民が御曹司をイメージするときにありがちな、親同士が決めた婚約者云々とか政略結婚の相手が現れて宣戦布告してくるイベントもなく……ないですよね? あれ? 起きないですよね?」
話しているうちに不安になってきて、アリスはついつい自問自答を始めてしまった。
(今まで潔癖で通してきたハイスペ御曹司、いきなりの婚約者います宣言……。「すでにどこかのご令嬢と縁談があったわけではなく、あんな一般人と恋愛からの婚約なら自分でもアリなんじゃ」と考えるライバルの出現も、ありえる……!?)
アリスの感覚として、恋人のいる男性に対して「自分にもワンチャン」と考えるのは「なぜ?」というレベルでわからない。
その一方で、古来より「別れた直後になぐさめれば後釜に収まりやすい」という手段もよく知られている通り「強引にでも別れさせてしまえば自分にも可能性はある」と策を練る人がいる線も否定できない。
城戸は興味深そうにアリスをまじまじと見つめて言った。
「いずれにせよ、弓倉部長が誘惑の多い立場であることはこの先ずっと変わりません」
「わ、わかりました。今後に関わることですから、本人と話し合いの機会を持ちたいと思います!」
力強く宣言しつつ、アリスは自分の今までの行動を思い起こして、改めて危機感を覚えていた。
(そもそも、私は海さんと二人で行動をすることが少なすぎる! デートの機会すらなかったから、すれ違った相手に「いまの彼女? ダサッ」てお決まりの悪口言われるような場面すらない……。豪華客船クルーズには秘書同伴、悪友の王子様がいて四人で行動しちゃっていたようなもので)
誕生日祝いも兼ねたお泊り旅行は、さながら社員旅行であった。取引先からの招待であったので、それ自体は承知のことだがこのままではいけない。
反省していたところで、背後から声がかかった。
「なに……? アリスはまた何を思いついて俺と話し合いの機会を持とうと?」
通話を終えて戻った海である。アリスの宣言が聞こえていたらしく、笑顔で「何について俺と話したいの?」と聞いてきた。
「海さんと私の今後のことです! あと、海さんの女性関係について今一度!」
「……へぇ? 何か気になることでもあったのかな。いいよ。納得いくまで話し合おう。どこにする? 家で? それとも今日はこのホテルに泊まっていく? 会議室おさえるのもいいかな。緊急会議だ」
「弓倉部長、最終的に仕事の話になってますよ。だいぶ旅行と広報の対応でお疲れかもしれませんが、一度横浜に戻りましょう」
呆れたように言って城戸が立ち上がり、アリスもそれにならった。
海は城戸の顔を見ると、すぐに真面目な表情になって口を開く。
「姉の一香が帰国している。よく事情を知らないまま、空港から直接本社に顔を出しに行ったそうだけど、出待ちしていた女性たちに囲まれたそうで」
「弓倉部長と間違われたんですか」
平然と返す城戸に海が「そうらしい」と答える声を聞きながら、アリスは「?」と思わずにはいられなかった。
(帰国早々本社に行って、海さんと間違われたって……。ものすごくお顔が似ていらっしゃるということですか……!?)
海のような美しい顔立ちは二人といないと素朴に信じていたアリスであるが、弓倉一家と会ったことはなく、写真を見たこともない。芦屋からは、アリスと海の姉のタイプが似ていると聞いていたものの、こうなっては恐れ多いとしか言えない。
「姉はその場は切り抜けたけど、一度会社を離れたそうで『なんのこと? 何したの?』って電話だった。このホテルのラウンジにいることを伝えたら、近いから行くって」
言い終えてから、海はアリスを見て笑顔で続けた。
「姉が来ます」
「はいっ!」
元気に返事をしつつ、何か見落としているような気がして不安になってくる。これまでの経緯をざっと頭の中で振り返り、思わず「あっ」と声が出た。
「お姉様が海さんと間違われるほど似ていて、現在日本国内にいらっしゃるということは……。海さんを地方支社巡業に出しても海さんらしき方が本社に出入りするということになる……なりますか?」
海もまた「それだ」と呻きながら額を手で押さえた。
「一難去る前に一難だ。姉さん、連絡が急だし電話は突然切れるからまだろくに話していないけど、なんの用事で帰国しているんだろう。俺と同じような顔で、明日以降会社に出入りされたら、出待ち組解散作戦が全部水の泡になる」
「そんなに? そんなに似ているんですか?」
アリスの質問には、城戸が真面目くさった顔で答える。
「かなり似ています。あちらのほうが女性である分、なお重症者を出す恐れがありますね」
「わぁ……。ファンの性癖をボロボロにするタイプですね……」
城戸の言わんとするところは、アリスにも伝わってきた。女性的な外見というわけではない海に姉が似ているということは、男装の麗人の類である。それこそ舞台俳優のような見目麗しさであろうと思うと、ミーハー心が疼きそわそわしてしまう。
「あ、あの、私、お化粧直しとかしてきます! ちょっと口紅だけでも塗り直してきます!」
「うん、わかった。俺の家族だから気を遣わなくてもいいけど、気にしてもらえるのも嬉しいな。いってらっしゃい」
快く送り出されて、アリスは化粧室に向かうべくラウンジを後にした。
(いきなりの家族イベント! 避けては通れない、避ける気もなかったですが心の準備が。しかも海さん似のお姉様とお会いできるなんて!)
期待と緊張でドキドキしながら化粧室で化粧直しをし、鏡を確認してから出る。
ラウンジは待ち合わせにも使われるようなホテルの一階で、さほどわかりにくい位置にあるわけでもないのに、出た瞬間自分がどちらから来たのかわからなくなってしまった。
「あれ? どこ? 迷子になっている場合では」
ぐるっと辺りを見回していたところで、大きなキャリーケースを引いて歩いてくる人物に気づく。
(海さん……に、似てる!)
まさか、と思いながら見つめていると、視線に気づいたらしく相手が顔を向けてきた。
一度も会ったことがなく、写真を見たこともなかった相手であるが、アリスはそれが誰かわかってしまった。
なぜか、相手にもアリスが「わかった」ことがわかった気配があった。
にこっと、旧知の友人であるかのように微笑まれる。形の良い唇が開かれ、かすれたようなハスキーボイスが響いた。
「こんにちは。私の会いたかったひとだ。可愛いね」
……性癖をぼろぼろにするタイプだ! とアリスは確信した。
★前回お知らせしました通り、この作品のコミカライズ連載が開始しています!
各ストアでの応援、まことにありがとうございます!!




