第三一話 絶望は甘く、現実は苦い
世界は何時だって無慈悲だ。助けを求める者の手を跳ね除け、救いもせず、更にどん底へと叩き落とすだけ。
地を這うような思いを何度だって味わって来た。その度に怒りを糧にどれだけ生きてきた事だろう。
人を憎むということはそれだけで体力を使うものだ。それを嫌というほど知っているココは顔をしかめながら考える。
どうしたら里愛を助けることが出来るのかを。だが、考えた所で結論は既に出ており、ココ一人の力ではどうしようもなかった。
里愛はこの世界でリディア・ルキフェルとして生きるしか道は残されていないのだ。
それとももっと早くにその事実を知っていたらどうにか出来たのだろうか。
少なくともこの怒りをシリウスにぶつけなければ気が済まなかった。
怒り立つココを尻目にルベリエは微かに首を傾げながら伺う。
「で、君はどうするんだい?」
「どうするも何も……決定してしまった結果は覆せないわ。仮に真実を告げたりしたら今度はリディア様の命が危うくなる」
「そうだろうねぇ。魔術師ではなく、ただの人間を花嫁なんかにする気はないだろう。少なくとも純潔を重んじるオリフィエル家は特にね」
そこが厄介だった。オリフィエル家は由緒正しき家柄だ。特に魔術師を尊び、人間を嫌う血族。だからこそシリウスは強気でいたのだと今更ながらに思う。
仮にココにばれたとしても、ココが絶対告げられないのを知っていたからだ。
……この調子ではぶん殴る所の話では済まなくなりそうだ。確実に殺す勢いで殴ってしまいそうな気がする。
「とにかく、このことは絶対知られてはいけないわ。少なくとも、リディア様を抹殺されないようにするには確実に結婚まで漕ぎつけなければならない。アルヴィドの妻となればそう簡単に暗殺は出来なくなるでしょうからね」
でも、里愛はそれを何よりも嫌がっているのを知っているため、ココの表情は苦しそうな物に変わった。
だが、そうするしか何も知らない里愛を守る方法が思いつかなかったのだ。
里愛の命を救うためとはいえ、払った代償はあまりにも高かった。本当ならば他の花嫁候補にいい人がいればいいのだが、元々アルヴィドはこの花嫁選びに乗り気ではなかった。
そのアルヴィドが助ける為とはいえ自分で里愛を選んだのだ。周りは何が何でも里愛を花嫁にしようとするだろう。
「……そういえば、何でそんな所に突っ立っているのよ」
ふと、思い出したようにココは寝台の脇で突っ立っているルベリエを見る。その目つきは不審者を見るような視線だった。
近くにある椅子にでも座れば良いのに、そうしないのは何かに困っているようにも見えた。
ココの言葉にルベリエは困ったように自身の外套を持ち上げ、指差した。
「捕獲された」
「きゃあああっ!リディア様、そんな奴の外套なんて掴んだら汚いですわっ!」
「本当、君って失礼な奴だね」
あろうことかルベリエの外套を里愛の小さな手が掴んでいたのだ。まだ気を失っているのにルベリエが離れないように必死の様にも見える。
本来ならそのまま部屋を出て行きかねないのに、里愛が外套を掴んでいるから座ることも出来ず莫迦みたいに突っ立っていたようだ。
しかし、見ている側としては信じられない光景に目を引ん剥きながらココは怒鳴る。
「ちょっと、何リディア様を誑かしてんのよ!この万年根暗男」
「別に誑かした覚えは無いし。むしろ被害者でしょ、僕は」
「何が被害者よっ!弱りきったリディア様に付け込むなんてサイテーよ!」
「どう見たってこの状況は完全に被害者でしょ。椅子にも座れないし、あー足疲れた」
「一生立ったまま過ごせ!」
今日一日で色々なことがあったせいか、心に余裕がないココは思わずそう叫ぶ。無理難題言っている自覚はあったが、この男なら出来ない事もないような気がした。
一方のルベリエは里愛の手を無理やり外すことも出来ず、完全に呆れた様子でココを見つめていた。
喧しいと言わんばかりの表情にココが更に言おうとした時だった。ふいに寝台で寝ていた里愛が目を覚ますのが分かった。
薄っすらと瞳を開け、ゆっくりと視線を動かす。近くにいたルベリエを見つけると何故か瞳を瞬いた。
「おや。お姫様がお目覚めのようだよ、ココ」
「リディア様!体の加減はどうですか?だるいところはありませんか?ああ、食事を用意しましょうか」
今にも泣きそうなほど顔を歪ませながらルベリエを押しのけ里愛の顔を覗きこむココ。まだ青白いが、動いている里愛を見つめ安堵したように口元をほころばせた。
「食べたい物何でも申してください。料理長に頼んで何でも作ってもらいますわ」
「何でも……?」
本当に?と円らなその瞳が物語っており、ココは深く頷きながら「ええ」と答える。里愛はまどろむ様に瞳を細めると小さな声で「おかゆが食べたい」と呟いた。
おかゆという料理など聞いたことがなかったが、料理長なら何か知っているかもしれない。それが駄目なら食への執念だけは凄まじいグラやルチアーノに聞いて見てもいいだろう。
何としても里愛の頼みを叶えたかったココはルベリエに釘を差すのを忘れることもなく「何かしたら殺すから」と脅し文句を告げると部屋を出ていった。
部屋に残されたルベリエは盛大に溜息を零すと、椅子ではなく、寝台に腰を下ろした。
そしてそのまま里愛を見下ろせば何故か嬉しそうに瞳が細められるのが分かった。
「ちゃんと戻ってこられたようで何よりだよ」
「貴方のお陰よ。ありがとう、ルベリエ」
小さな掌がそっとルベリエの手を触る。幾多もの罪によって穢れてきた手に触れたら汚れるといいたかったが、里愛の視線を前にするとどうしても振り解くことが出来なかった。
久しぶりに穏やかな気持ちになるのを感じながらぽつぽつと語る里愛の言葉に耳を傾ける。
やはりまだ目覚めたばかりで本調子ではないのか、声がかすれていた。
「凄く長い夢みたいだったけど、あれは全て夢じゃなかったんだね」
「そうだね。あれを『夢』という言葉で片付けるには難しいかな」
本当に、夢よりも残酷で儚いものだった。嫌な幻を見せてくれるものだと何度思った事か。
まだ力が入らないのか寝台に寝そべったまま里愛は遠くを見つめるような視線で天井を見つめる。
それは悲しみも、絶望も、ない交ぜになった視線だった。
そんな里愛を見ていると、彼女のことを思い出すのだから凄く不思議だ。
似ているのに、似てない。矛盾した存在。でも、並行世界が存在するのならきっと里愛は彼女の魂の方割れなのかもしれない。
だとしたら自分が惹かれるのも納得は出来た。
「昔さ、好きな子がいたんだ」
「ん?」
「凄く好きでね、どうしても手に入れたいほど、好きだったんだ。でも、彼女には既に好きな人がいて……僕なんか入りこむ隙もなかった。だから嫉妬して、嫉妬に狂って、彼女が一番大切にしている物を壊してしまった。それ以来僕は彼女から心底憎まれているんだ。
多分今でも殺したいと思っているんじゃないかな?」
「……何でそんなことを私に話したの?」
「多分君は限りなく本質は僕に似ていて、魂のある場所は彼女に似ているから」
だから、きっと君は真実を知った時、憎しみに心が覆い尽くされるだろう。
でも、僕のように狂うことはないに違いない。何故なら彼女に似ているから。彼女に似ているのなら――大丈夫。
きっと乗り越えることが出来るだろう。
「君はとても強いね」
「何それ。貴方現実でも変なこと言うのね」
「ひどいなぁ。助けてあげた命の恩人に対してその態度は何なのさ」
「そうね……私の真名を知っているから他の人よりは幾分か心を許せるわ」
ココには絶対見せないような何とも言えぬ表情を浮かべながら呟く里愛。だから、そんな彼女に最大級の感謝を込めてそっと囁いた。
「じゃあ、代わりに僕の真名も教えて上げるよリア」
それは秘密の言葉。
永遠に誰にも告げることはないと思っていた。
でも、君は……君だけは特別だ。
特別に教えて上げる。
孤独を抱く小さなお姫様。




