第三十話 残酷な運命
ルベリエが深層心理に沈んでからどのくらい経ったのだろうか。薄暗い部屋の中、ココは椅子に座りながら待ち続けていた。
縋りたくもない相手に祈るような気持ちで待ち続けていたが、ふと部屋の中の淀んだ空気が変わったのに気づいた。
つられるように顔を上げれば、里愛の手を握り締めたまま停止していたルベリエの指がゆっくり動き出す。
薄く開いた唇から息が零れ落ちた。それはまるで人形に魂が吹き込まれる瞬間のようにも見えた。
「あー……しんどかったぁ。こんなにしんどい思いしたの久しぶりだよ」
間延びした声と共に寝台から降りたルベリエは硬直した身体を解すように首を回す。ポキポキと骨の鳴る音が聞こえた。
しかし里愛は眠ったまま動かない。嫌な予感を覚えつつ、ココは震える唇を噛み締め、出来る限り冷静な声を発するように心がけながらルベリエに問いかけた。
これで失敗したなど口にしたらその首を切り落としてやるつもりだった。
殺気立ったまま睨みつけるココなど気にもならないのか、首の次は肩を回していたルベリエが首を傾げたまま停止した。
「リディア様は大丈夫なの?」
「リディア?……ああ、あの子のことか。ちゃんと救出したよ。もうじき目を覚ますだろう」
「そう……」
一瞬不思議そうな表情をしたものの、ココの質問に答えてくれた。それだけで安堵するのが分かる。
思わずその場に崩れ落ちそうになるが、ルベリエの前では弱みを見せたくなかったため何とか気丈に振る舞う。
そんなココの態度に気づいているのか、相変わらず薄い笑みを浮かべながら思い出したように辺りを見渡した。
「そういえばアルヴィドの坊やは何処にいったんだい?」
「今、リディア様に呪術をかけた者を探している所です」
「手伝ってあげようか?」
「結構ですわ。大罪人などの手を借りずとも、犯人は簡単に見つけられますから。……ただでさえ貴方の姿を見るだけで不愉快ですのに」
「ひどい嫌われようだ。まあ、君にはそれだけのことをした自覚はあるけどね」
「でしたら尚更お解りでしょ?私が本当は殺したいくらい貴方のこと嫌いなのが」
ふつふつと沸きあがってくる怒りがココの身を焼き尽くしそうになるが、里愛がいる場所でそんな暴挙に出るつもりは無かったし、既にそれは終わった事だ。
終わった事をいつまでもぐちぐち言うつもりもなく、ココは言葉少なく口を閉ざした。
不機嫌そうにそっぽを向くココにルベリエは更に問いかけてくる。本来ならば答えてやる義理もないのだが、里愛を助けてもらった手前、無下にすることも出来なかった。
「じゃあシリウスは?」
「あんな奴何処にいようが私の知った事ではありません」
「これまたひどい嫌われようだねぇ、シリウスも。まあ、別に如何でもいいんだけどさ……じゃあ、ココ。君でもいいや」
じゃあって何だ。じゃあ、って。失礼にも程がある言葉にココは眉をつり上げる。殺気のこもった視線で睨みつけた。
相手が怯むとは思っていないが、少しでもそうしていないと気が済まなかったのだ。
そんなココの態度を嘲笑うように唇をつり上げながらルベリエは意外な質問をしてきた。
「君はリディアが何処から連れてこられたか知っているかい?」
「リディア様が何処から連れてこられたか?」
「そう」
確かに最初に出会った時、それは思った。だが、シリウスは言葉巧みにココを言いくるめたのを今でも覚えている。
今時親のいない子供など珍しくはない。いたとしても育児放棄する母親は多くいるのだ。
だからココはてっきりシリウスのいう通り屋敷から外の世界に出た事のない深層の令嬢として紹介された。
無知なのは里愛自身分かっている様子だったし、特にこれと言って反発することもなかった。
だから特にそれ以上疑問に思うことなく、シリウスの連れてきた里愛の面倒を見ていたのだ。
最初は何て無知で無垢な子供なのだろうと思っていた。だが、その心に抱える闇は大きく、今でも時折悪夢にうなされていることがあるほどだ。
その度に心の不安を拭い去ってやると、里愛は気持ちよさそうに瞳を閉じながら静かに眠りにつくためとても可愛らしかった。
正直他の花嫁候補など目じゃないほどの可愛らしさだ。まあ、自分が世話をしている主だからという理由を除いても可愛らしかった。
そんなリディア様が何処の出身かなど考えた事もなく、怪訝そうな表情をしながらルベリエを見据えた。
「特に知らないけど……それが何か関係あるの?」
「大有りだとも。本当はシリウスに問い詰めたいところだけど、いないのならしょうがない。ココ、君にだけ特別に教えて上げるよ」
何を?とルベリエに問いかける前に、既に彼は言葉を紡いでいた。それはココですら考えもしなかった言葉だった。
「彼女は異世界の娘だ」
「何を言っているの貴方。そんな莫迦な話を信じられるわけがないでしょ。そもそも召喚術なんて、召喚士じゃなければ使えないのよ?召喚士といえば呪術士と並ぶほど数が少ないことは貴方だって知っているじゃない」
そもそも、召喚士は天使や悪魔、精霊などといった存在と契約を結び、召喚することの出来る特殊な存在だ。
だが、召喚士が異世界から何かを召喚することは固く禁じられており、ほとんどの召喚士が召喚しても失敗に終わるだろう。
そんなことルベリエだったら当然知っていて当たり前の事実だが、彼の表情は何処となく固く、険しい。
少なくとも嘘をいっている様子ではなかった。
「召喚士じゃないさ。彼女を召喚したのは」
「じゃあ誰よ」
「ルチアーノの弟子」
「ルチアーノの弟子って……まさか……エルステディアのこと?」
古くから生きている自分達ですら知らぬ者も多く、ごく一部にしか知られていない存在。それがエルステディアであった。
自由奔放、気紛れの象徴である彼女は風のような女性だ。気侭に悪戯をしては姿をくらまし、逃げることに関しては大天才といってもいいだろう。
世にも珍しい虹色の瞳を持つ彼女のことを知っているのは多分、両手で数えるほどしかいないに違いない。
その両手で数えるうちに入っているココだが、その表情は何時も以上に厳しかった。
「……まさかとは思うけど、エルステディアが異世界からリディア様を連れて来たということなの?」
「だろうね。詳しいことは分からないけど、深層心理を潜っている最中に見えたんだよ」
「何が?」
「彼女がこっちの世界に連れてこられて来た時の光景。可哀想に何かの手違いでこの城の噴水に落ちちゃってさ……侵入者としてアルヴィドに殺されかけたんだ」
「なっ……」
「本当だよ。聞いて見るといい。姿が違っているからアルヴィドも気づいていないようだけど、一番可哀相なのは彼女だよね。何せ問答無用で自分を殺そうとした相手と結婚しなくちゃならないんだから」
珍しくルベリエが同情していると思ったらそういう理由らしい。確かに里愛はアルヴィドのことを毛嫌いしている節があったが、それが原因だとしたら……確かに可哀相だ。
「……だとしても異世界からの召喚は大罪の一つよ。何の為にシリウスがそこまでして――まさか……」
そこまで口にしたココは思いきり顔をしかめた。シリウスが里愛を召喚した理由が何となくだが、分かってしまったのだ。
そしてその理由が本当だとしたら外道としか言いようがなかった。あくまでもココの推測だ。
そこの所はシリウスに確認しなければ分からないだろうが、何となくそれが理由ではないのではないかと思ってしまう。
だが、逆にそれだからこそシリウスらしいともいえた。
考えた結論はルベリエも同じだったのだろう。薄っぺらな笑みがひどく重苦しい雰囲気の中、異質に見えた。
「僕の推測だと、シリウスはリディアが花嫁になることを前提で異世界から連れてきている。人一人いなくなっても捜索願を出されない都合のいい存在。親族も居らず、一人で生きてきた彼女ほど都合のいい存在はなかっただろうね。更には人付き合いも悪く、親しい人もいない」
思わず耳を塞ぎたくなるような言葉が続く。
「彼女のいた世界はこちらとは全く異なる世界だったよ。魔法なんて存在しない平和な世界だ。でも、彼女は小さな頃に母親に捨てられ、餓死寸前の所を保健所に発見された。可哀相に……それ以来孤独の中で生きて来た彼女は笑うことはおろか、人を信じることも出来ない。きっと不器用な性格をしているのはそのせいだろうね」
「では、リディア様が特殊な魔力を持っているのは」
「異世界の娘だからだよ。だから見た事もない透明な魔力を持っているんだ。何色にも染まることのない無色透明の魔力を」
ああ、と思わずその場で顔を覆い隠すココ。里愛に会ってからもうじき一ヶ月近く経つが、ルベリエが指摘するように笑っている所を一度も見た事がなかった。
それは感情が枯渇しているからだけではなく、常に緊張していたからではないのだろうか。
周りなど全く知らぬものばかりでさぞかし困惑したことだろう。誰にも心を許すことなく、常に里愛は気丈に振舞っていたのだ。
わけも分からぬ世界でそんな理不尽な目にあっても嘆く事もなく、立派に立ち向かうことが出来た理由など決まっている。
元の世界に戻るためだ。
きっとシリウスは花嫁に選ばれなければ元の世界に戻してあげると里愛と約束したのだろう。
そして里愛は花嫁としてアルヴィドに選ばれてしまった。
一ヶ月経てば元の世界に戻れると健気に信じている里愛にどうして告げられようか。
里愛を助けるためとはいえ、アルヴィドの花嫁として決定してしまった事など。
確かに花嫁と決定する前ならば何とか元の世界に戻すことも出来ただろう。だが、もう無理だ。
花嫁として選んでしまったからには一生元の世界には戻ることが出来ない。そう、けして里愛は元の世界に戻る事ができないのだ。




