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6 海

 リヤド・アル・ヌールに近づくにつれ、街灯の数が増え、整備された道路が現れ始めた。バハルからそれほど離れていないはずなのに、雰囲気がまるで違う。


 後部座席で眠っていたリゲルが、目をこすりながら体を起こした。

「あれ? もうお昼になっちゃったの?」

「いいえ、まだ午前3時です。この地方の今の季節は日の入りがとても早いんですよ」

 ジスの説明にリゲルは意味がわからず、ぽかんとしていた。「町の中心までは行かず、そこを曲がって2号線へ。そのまま進めば『シーラヴェ』という海沿いのエリアに出るわ」

 トラックがゆるやかな坂道を登りきったとき、リゲルが窓を開けた。

「うわぁ……すごい!! これって本物?」

 柔らかな朝日に照らされた海が眼下に広がる。潮風が一気に車内に流れ込み、リゲルの顔を撫《な》でた。「ん? 何この変な匂《にお》い……」「これは磯(いそ)の香りよ? 海は初めてなのね」

 リゲルは窓から顔を半分出して、遠くの水平線をじっと見つめた。初めて見る本物の海。本物の風。金属の臭いのしない、それは生命を運ぶような自然の息吹《いぶき》だった。

「リゲル、危ないからもう少し窓を閉めてください」

「あ、ごめんなさい」リゲルはボタンを押して窓を半分まで上げた。


 エイカが指差した先、そこには小高《こだか》い岩場の先に、白い小さな古い家が見えた。トラックは草の生い茂《しげ》る道を進み、家屋の前に停まった。エイカが真っ先に降り、続いてジスとリゲルが後に続いた。

「ボロいあのスクーターがあるから中に居るわね、彼」

 エイカは階段を上がり、ドアの前でジスに目で合図した。ジスは軽くため息をつき、ドアに触《ふ》れる。電子音とともにロックが外《はず》れた。

「それじゃレディファーストね」エイカはわざとらしく微笑《ほほえ》み、部屋の奥へと入っていく。

「ここ、誰のお家だろう……」リゲルが小声で呟《つぶや》くと、ジスは「さあ?」と肩をすくめて答えた。

「私たちも入りましょう」ボロボロの玄関マットで靴《くつ》を軽く払《はら》い、家の中に入った。

「もう、相変わらず散《ち》らかってるわね。二人とも遠慮《えんりょ》せずソファに座ってて。あの人まだ寝てると思うから」エイカは床に散らばった衣類を拾い、慣れた手つきで洗濯《せんたく》籠《かご》に放り込んだ。そのまま奥の寝室のドアを開ける。

「う~ん? 誰かいるのか?」男はそう言ってベッドから、むくっと起き上がる。

 浅黒い肌にカールした黒髪、短い顎髭《あごひげ》の男が、眠気眼《ねむけまなこ》をこすりながらこちらを見た。その目がエイカを捉《とら》えると、彼は一瞬で目が覚めた。「うわっ!!」

「……久しぶりね、カーマイン・ウェン」



 その4時間ほど前──


 10年落ちのMISHIMAスクーターは、所々サビや傷があるものの、整備の行き届いたエンジンが心地よい音を奏でていた。ハーフフェイスのヘルメットの下で、カーマイン・ウェンは鼻歌を歌いながら夜の海岸線を走っていた。まくり上げた作業用ツナギから覗《のぞ》く浅黒い肌が、ロードライトに照らされて健康的に光る。左上腕には軍隊時代のタトゥー——「Brave」の文字とハートマーク、そして「E.S」のイニシャルが浮かび上がっていた。

 雑草の生い茂《しげ》った脇道《わきみち》を降り、トタン屋根の小さなガレージにスクーターを停める。まるで子供の秘密基地のようなその場所で、ウェンはボロボロのリュックを背中から降ろした。

「ただいまー……」

 誰もいない家に小さく声をかけ、白いペンキの剥《は》げた玄関ドアを開ける。冷蔵庫から冷えた缶ビールと、三日前に買った中華の残りを取り出し、リビングの低いテーブルに並べた。テーブルの端に置いてあった8インチの薄型UNIをどかし、巨大な焦《こ》げ茶色のソファーにどっしりと腰を下ろすと、一気に疲れが押し寄せてきた。

「いただきます」誰もいない部屋に向かって小さく呟き《つぶや》、まずはビールをあける。

 テーブルのUNIが淡《あわ》く光り、通知が表示された。

《カーマイン・ウェン様。以下の支払額の入金の確認ができませんでした。近日中に……》

「はいはい、また今度……」カーマインは顔をしかめ、手をひらひらと振って通知を消した。


 短いシャワーを浴び、濡《ぬ》れた髪を適当に拭くと、体はもう鉛《なまり》のようだった。一人では大きすぎるダブルベッドの右端にうつ伏《ぶ》せになると、遠くから聞こえる波の音が優しく耳を包んだ。

 このとき彼はまだ思いもしなかった。ずっと続くと信じていた『平凡で気楽な日常』が、今日をもって終止符を打たれることになろうとは……




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