8:お巡りさん、こっちです
どうにかこうにかイリアステルの追及から逃げたエリック。
よろよろと家に帰ってから、作り置きしていたシチューを食べ、ほっと一息ついた。思い出しても魔王より恐ろしいあのイリアステルの迫力はとんでもない、と体を震わせる。
「なぁお袋……結構俺、平和に暮らしてたつもりだったんだけど、何かよく分かんないうちに勇者になっちゃったんだよね……」
ちょっとやそっとじゃ動じたりしないエリックの母は、きっと笑いながら『頑張りなさいな!』と言ってくれたかもしれないのだが、ことがことなだけにさすがのエリックも疲労困憊状態らしい。
「……あの福引も、何かよく分かんない力が働いてた、とかだったらいっそ笑える」
あはは〜、と気の抜けたように呟いて、洗い物をすませ、保存食兼自分の小腹満たしも兼ねて買ってきた野菜でピクルスを作る。
野菜はあれこれ買ってきたし、そういえば作ってみたい料理があったんだった、と色んな意味で主婦真っ青なことを平然とやってのける男、それがエリックである。
小さい頃から料理を仕込んでくれた母親には感謝しかできないが、ついでに鋼のメンタルも仕込んでくれてありがとう、という気持ちもちゃんと持っている。
「てか俺、勇者になったけど何するんだ? そもそも魔王がうちに強襲してくりゃ話はまた別なんだろうけど……でも毎回うちに来られても困る、っていうか」
仮に家を直すにしても、昨日のイリアステルがやってくるのであればごめん被りたいところでもあるのだ。
美人だし、家柄も申し分ないし、黙っていれば完璧な経歴だって持っているのだから、それを全面的に出せば良いのにそれをしないどころか、己の趣味やら欲望に忠実だなんて一体何の物語の主人公なんだ、と思わずエリックは笑う。
が、しかし。
彼は気づいているのかいないのか。
これがフラグである、ということに。
平和な日々を過ごし、勇者だとか何だとかいう単語とは無縁になっていくのでは、とうっかり期待をしてしまったエリック。
今日は畑仕事をしてから、午後から近所のばーちゃんの手伝いだったなー、と思いつつ午前の畑仕事を終えて、ご近所のおばあちゃんの家に歩いて行っている最中のこと。
「ん?」
嫌な予感がしたが、気のせいだと思いたい。
そう、気のせいなんだ。
彼は必死に自分に言い聞かせながら歩いて、その人の前を通りすごようとした、瞬間のことだった。
「無視ってよくないと思うの、勇者」
小さな手が伸びてきて、くん、とエリックの服の裾が引っ張られる。
あーやっぱりそうですよねー、とエリックがゆっくり振り向いて、視線を下げた先にいたのは魔王。可愛らしく微笑んでいるものの、服は絶対に離さないからな、と言わんばかりにギチ、とつまんでいた。
「魔王、おはよう」
「うふふ、おはよう勇者」
「俺の服、離しなさい」
「逃げないなら離してあげる、でも逃げるなら村燃やしちゃう」
「逃げないので離しなさい、めっ」
めちゃくちゃテンポよく会話をして、魔王は大変ご満悦な表情でエリックの服を離した。約束もしているから、エリックも逃げることなく魔王の前によっこいせ、と膝をついた。
「今日はどうした?」
「会いたくなったのよ、あたくし」
「ふーん?」
「ねぇ、遊んで?」
「遊んでやりたいんだけど、俺、用事あるの」
「用事終わってから、遊んで」
まぁ、それなら良いか?と思うエリックだが、もうすでに彼の感覚はズレている。
遊ぶ=殺し合いなのだが、それをもう当たり前のこととして受け入れているのだから、彼のメンタルの強さとか諸々はどうなっているんだ、とここに常識人がいれば盛大に突っ込んだだろう。
「用事終わるまで、良い子にできるか? 人も殺しちゃダメだぞ?」
「できる!」
「あと、お前の見た目って擬態とかできる? ほら、宰相みたいな感じで」
「勇者、そうした方がいいの?」
「これから行くばーちゃんが、びっくりしちゃいけないだろ」
「……そっか、分かったわ」
この魔王、話せば大体はきちんと理解はしてくれるのだ。
母親を殺して己が魔王になっているとはいえ、人間界との戦争はしていないことも理解している。最初こそ、エリックに対して失言をしてしまったものの、それを理解してからは無闇に人と攻撃してはいけない、と己が一番きちんと理解もし、行動している。
こうした下地がある、とエリックが気づいているのかは定かではないが、この二人の関係性は大変良好なのであった。
「ねぇ、見た目ってどんな感じがいいの?」
「目と耳くらいでいいだろ。後、お前は最近俺のところによく遊びにきてる知り合いの子供、っていうことにするから、それでいいな?」
「遊んでるのは事実だから、よくってよ」
にこ、とまたもや機嫌よく微笑んだ魔王は、言われた通りに姿を変えた。
見た目だけ見れば、ちょっと良いお家のお嬢様、という感じだろうか。これならば問題ないな、と判断したエリックは魔王に対して手を差し出した。
「なぁに?」
「迷子にならないようにな」
「失礼しちゃう、あたくしのこといくつだと思ってるのかしら! 失礼だわ!」
プンスコしながらもしっかりとエリックの手を握った魔王は、並んで歩いていく。
エリックも魔王の歩調に合わせてくれているのか、同じような歩幅にしてくれているあたり、彼もまた大変気の利く男なのだ。
彼女がいないことくらいが玉に瑕、なのかもしれない。
「ばーちゃーん、きたぞー!」
「あらあらエリック、ありがとうねぇ。……あら可愛い!」
「最近、よく俺んとこ来てる知り合いの子。ほら、挨拶して?」
「ごきげんよう、おばあさま」
にこ、と可愛らしく微笑んだ魔王に、すっかり骨抜きになってしまったらしいおばあちゃんは、でれ、と表情を崩していそいそと歩いてきて、魔王の前にしゃがんだ。
「まぁまぁ可愛い! はい、お菓子あげましょうねぇ」
「毎回思うけど、どこに入れてんのばーちゃん」
「孫が来た時の感じで、こう、色んなところに」
ほっほっほ、と笑いながら魔王に苺の飴を差し出すおばあちゃん。
魔王はどうしよう、とエリックを見上げる。
「もらっておけ、お礼はちゃんと言うんだぞ」
「……うん。おばあさま、ありがとう」
ぺこ、と頭を下げて受け取った魔王は、嬉しそうに包みを開けてから口の中へ飴を放り込んだ。
「……美味しい!」
「良かった。さぁエリック、ちょっとあっちの畑仕事を手伝ってほしくて」
「はいよ。……ちょっとだけ待っててな、ばーちゃんと一緒に」
「分かったわ」
飴をコロコロと口の中で転がしつつ味わっている魔王は、擬態していることもあってかどう見ても普通の人間の女の子でしかない。
おばあちゃんも魔王ということには気づいておらず、エリックは言われた通りに畑仕事を開始した。
「ねぇ、おばあさま。ゆ……、エリックお兄ちゃんに頼んでるお仕事、おばあさまにとってはお辛いことなの?」
「そうなのよねぇ……この前、腰をやっちゃって……。長時間の畑仕事や、ああやって農具を使う仕事が辛くて……」
「そうなのね……」
日陰に二人で座って会話をしている姿は、どこからどう見てもおばあちゃんと孫。
大変ほのぼのしている光景を横目で見ていたエリックは、半分ほど耕してからうーん、と大きく体を伸ばした。
「(あっちはあっちで平和そうだし……おお、ばーちゃんすげぇ。あの魔王にあやとり教えてる!)」
ああでもない、こうでもない、とあやとりには大変苦戦しているらしい魔王だが、人間への擬態は申し分なさそうだ。
このまま畑仕事が終わるまで、平和に過ごしてくれれば、あとはエリックが魔王の相手を思い切りしてやればいい。そう思っていたところに、招かれざる客というものは来るもので。
「見つけましたわよエリック氏!!」
「……げ」
「あら」
「どなたかしらねぇ」
エリック、魔王、おばあちゃんの順に、次々出てくる言葉。
うっかりエンカウントしてしまったイリアステルに、エリックはしぶーーい顔をしている。
「……エリック氏、逃げられると思わないでいただきたいわ!いいこと、貴方に色々聞かないと、私が魔王ちゃんに会った時に自己紹介できないでしょう!?」
「いやだからな、アンタの勢いが怖すぎて近付けらんねぇんだって」
「保護者か!!」
「ある意味保護者的な」
「はぁ!?羨ましすぎるんですがぁー!?」
一体何の会話なんだ、と魔王は首を傾げ、念の為に……と、おばあちゃんを守れるように結界を張っておく。
防音しているから、外であれやこれや騒いでも問題にはならないだろう。おばあちゃんには。そう、あくまでおばあちゃんには、である。
「勇者」
こつ、こつ、とゆっくりした歩調で歩いていき、エリックの服の裾をくい、と引いた魔王に視線を落とし、嫌な予感がしたのでしゅば、とイリアステルに視線を戻せばギラついた目で魔王を見ている。
「ちょっと待て、イリアステル嬢」
「勇者、何があったのかあたくしにも教えなさい」
そんな会話をしている後ろから聞こえる、イリアステルの声。ある意味恐怖の声でしかない。
「つまりそういうことね、把握」
「把握すな」
魔王は何のことだ、と首を傾げていたが、ふとイリアステルの方を見てしまった。
これがきっと、魔王にとって運の尽き、だったかもしれない。
「こんにちは魔王陛下。すこぉし……ええとその、おててを握らせていただいてもぉ……?」
普段のイリアステルからは想像できないであろう、変質者のおっさんも真っ青になるほどの大変気持ちの悪い微笑みをにちゃり、と浮かべて魔王に手を差し出している。
え、こっわ!とエリックが叫ぶ前に、魔王が毛を逆立てた子猫のようにびゃっと反応し、エリックにびょん、と飛び付いてガタガタ震えながら叫んだ。
「ゆゆゆゆゆゆゆゆ勇者なにこいつ!殺したい!!あたくしにこいつ殺す許可ちょうだい!!」
「落ち着け魔王!俺の首がもげる!!何でそこに飛び付いたんだ!!」
「羨ましいことしてんじゃねぇですわよ!!オラそこかわれや!!」
お前本当に令嬢か、と言わんばかりの雄叫びを上げながらエリックに掴みかかるイリアステル。
エリックに強制肩車をお願いしてびーびー泣いている魔王(めっちゃ貴重)。
そして、二人から詰め寄られているような状態のエリック。
何ともカオスな状況ながら、おばあちゃんはそれを見てにこにこと笑っていた。
「あらまぁ、皆仲良しさんだこと。ほほほ」
ある意味、動じないおばあちゃんが一番何よりも強いのかも、しれない。エリックは後にそう語ったとか、何とか。




