10:めちゃくちゃまともなお姉様
「おや魔王様、今日は人間界に行かないのですか?」
「怖いニンゲンいるから、や」
ぷい、と魔王がそっぽを向いたのを見た宰相は、はて、と首を傾げた。
次はいつエリックのところに行こうか、とうきうきしていたのに、ある日魔界に帰ってきた魔王はげっそりして、よろよろしていたのだ。足取りも覚束無い様子だったし、何かあったのかを聞いてみたがどうしても教えてくれなかった。
「怖いニンゲン……」
だが、ある意味それは宰相にとっては好都合かもしれない、と考える。
(……ニンゲンの中にも役に立つ者がいるようだ)
に、とほくそ笑んだ宰相は、書類仕事をしている魔王に近付いて、とても良い笑顔を浮かべて口を開き提案した。
「では魔王陛下、我らと『遊び』ませんか?」
「……お前たちと?」
む、と訝しげな顔になった魔王は、どうせ宰相の企など大したことはないだろうと考えて、小さく溜め息を吐いた。
……だが、それ以上にイラッとしたのも事実。
(……ムカつくわ、とっても)
声に出さないまま、魔王は処理していた書類をとんとん、と整えつつ、髪を手に変形させてからちりり、と呼び鈴を鳴らす。
そうすると、城の役人が走ってきて魔王の部屋へと入ってきた。
「これ、決裁終わったわ。あとはそちらで処理なさい」
「かしこまりました!」
頭を下げ、部屋を出て行った役人を見送った魔王は、くるりと宰相を振り返った。
「……あたくし、色々あって虫の居所が悪いかもしれないわ」
「構いません、最初から我らはそのつもりではありませんか」
にこにこと微笑みあっている両者だが、一度は殺し合いをした仲でもある。
宰相がギリギリのところで生き残り、魔王が『お前割と強いから、あたくしのお仕事手伝いなさい!』と宰相に指名した、といういきさつがあるが、それはあくまで魔王になったばかりの頃の話なのだ。
「ささ、魔王様。……たまには」
ずずず、と宰相の雰囲気が変貌していく。
「我らとも遊んでいただかねば」
「……そう」
何故、こいつと遊ばねばならないのか。それは勇者だけの特権だ。
そもそも、相手がいなかったから。母親を未だに慕う輩が襲いかかってきていたから、対応策としてしらみ潰しに叩きのめしていただけのことなのに。
「執務室を破壊する訳には参りませんので、さぁ外へ」
宰相らしくエスコートをする彼は、決して悪くない。
だが、本当に虫の居所が悪くなってしまっている魔王の逆鱗に触れるには十分すぎるほどだった。
執務室の窓からふわりと外に出れば、そこに集まっていた複数体の魔族たち。魔王が降りてきたのを見て、何やらニヤニヤしているではないか。
あぁ、もしかして宰相が合図をして己をどうにかしようと企んでいたのか。あるいは、少し苦手なニンゲンがいる、と話したあの瞬間に一斉共有でもされたというのか。
だが、たかがそれだけで魔王をどうにかしようなどと、思わないでいただきたいと考えると同時に、どうしようもない怒りが込み上げる。
「……問うわ、死んでも文句は言わないわね?」
「勿論。ここにいる皆がそうです」
「ははっ、違いない!」
「それとも簡単にこちらを圧倒できると」
「五月蝿い」
ひと言、呟いたかと思えば魔王の髪がぶわりと逆立ち、巨大な手へと変化した。
足に力を込め、ぐっと高く跳躍したかと思えば、魔王を揶揄していた面々目掛け、勢いよく、容赦も何もなく、手を叩きつける。
ぐじゃり、と鈍い感触があったが、そんなもの気にしない。だがこの一撃で雑魚はほぼ一掃されたから、あとは宰相たちか。
「……次」
静かに呟いて、魔王はしゅるりと髪を元通りにした。かと思えばまた地面を蹴って飛び、己の手の爪をとてつもない長さにして、宰相に飛びかかった。
「っ!」
「反応が遅い、駄目よ宰相。お前、あの頃からなぁんにも変わっていないわ。そんなの、だーめ」
可愛い口調なのに、温度は絶対零度。
爪を一閃させれば、胸元が大きく切り裂かれ、ぶしゃりと黒い血が吹き出た。
「ぐ、」
「ちょっと浅かったかしら、イライラしてて手元が狂っちゃった」
言いながら、とん、と軽く地面に降りてから、すっと手を掲げる。掲げた手のひらの上に、物凄い勢いで魔力が収縮されていき、見た面々はへたり込んでしまった。
「……これくらいのことで、怯えないで?駄目よ、そんなのじゃ。あたくしのこと、殺せないじゃない」
無邪気に微笑み、にこりと口端を上げている魔王から感じるのは、途方もない威圧感。
喧嘩を売る相手を完全に間違えた、と彼らが気が付いたのはほんの少しだけあとの話。
まるでゴミをぽい、と捨てるようにその圧縮された魔力の塊は、掃除機のように周囲を吸い込んでいく。
どこかに繋がっているわけではないが、ある程度吸い込み終わると魔王がぱちん、と指を鳴らし、とんでもない爆発が起こった。
だがしかし、うっかり城の庭を破壊されては魔王のお気に入りの花壇やガセぽまで吹き飛んでしまう。それは嫌だ。
なので、しっかり爆発寸前のところで結界を展開し、展開した結界の中で爆発をさせる、という器用な芸当を披露してみせた。
(これのどこが……虫の居所が悪い、だ……)
大体の魔族は虫の居所が悪ければ、手当たり次第に暴れ回る。
理性を失ったのではないか、というくらいに、辺り一面を焼け野原にしてしまうこともあるくらい激しかったりするのが一般的だ。
だが、魔王は違っていた。
(……手加減、している、ではないか……)
ごぷ、と口から溢れる血を見た魔王は、困ったように肩を竦めた。
「お休みあげるから、ちゃーんと治療なさい。貴方を生かしているの、お仕事するのに便利だから、なんですからね」
「……ご配慮、いたみ、いります……」
ようやくそれだけ答えれば、魔王は少し考えてからしゅっと転移してしまった。一体どこに、と考えながら宰相は止血をせねば、と魔力を練り上げていく。
と、その時。
何とも情けない鳴き声が聞こえてきた。恐らく方向はペット小屋だから、魔王がいちばん可愛がっているケルちゃんだろう。
「……あーあ」
げほ、と血をもう一度吐き出してからよろよろと宰相は立ち上がる。
簡易的に止血や手当を済ませてから、意識を集中して本格的に傷を直し始めた。
「敵わん……」
ボヤいた宰相の言葉はするりと空気に溶けていったのである。
可哀想に……と思うメイドさんはいるものの、圧倒的に魔王が強いので人気は魔王が勝っているから、そのまま放置されてしまう不幸な宰相なのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「――というわけで、ペットのケルちゃん。可愛いでしょ」
ずい、と何やら三つ首のわんこらしきものをずい、と差し出してくる魔王に、エリックはこめかみを押さえた。
「どういうわけだ」
「宰相が生意気なんだもの。ちょっとだけ、めっ、ってしてきたのよ、あたくし」
ぷくー、と頬を膨らませながらボヤく魔王は、物騒でなければ可愛いのだが、魔王の腕の中でがたがた震えているわんこっぽいものを、エリックはじぃ、と見下ろした。
「んで……それ……が、ペット?」
「ペット!」
恐らく、連れてこられる前に魔王に殴られでもしたらしい、見た目子犬のそれはエリックに助けを求めている、ように見える。
「どうやって連れてきた?」
「ケルちゃん、ちょっと駄々こねたからゲンコツしたの」
それはゲンコツという名の暴力では、と喉まで出かかったエリックだったが、ここ最近でとんでもなく鍛え上げられたメンタルで言葉を飲み込んだ。
「……そうか」
「今日、あの変態いる?」
「イリアステル嬢はいないけど、別のお客さんがいる。……まぁ、勇者絡みなんだが」
「エリック様、お客様かしらぁ?」
ゆったりとしていて間延びした声が聞こえ、魔王は思わずびくりと体を震わせる。
人間はいきなり豹変するものだ、という謎の学習をした魔王は、そそっとエリックの陰に隠れた。
「……あの人は大丈夫だと思うけど」
「それは勇者の考えだわ」
「入口で何を……って、あらぁ」
明るい声が聞こえ、思わず魔王はエリックの背後から顔を覗かせてみた。
「初めまして、魔王陛下。わたくし、僧侶……というか、神子……?というか、色々なことをさせていただいております、アルメラ、と申しますのぉ。よろしくお願いいたしますね」
魔王の姿を見つけたアルメラは、色々と察したらしく(エリックがあらかた事情を説明していたこともあるが)、柔らかく微笑んで魔王のところに歩いてきて、すっと膝をついた。
「大変お可愛らしい……ええと……わんちゃん?をお連れになっていらっしゃるのね。わたくし、動物が大好きだから……少し撫でてもよろしくて?」
イリアステルとは正反対の、間違いなく万人受けをするであろうキラキラした笑顔でアルメラは魔王に問いかける。
エリックは、『さすがに、会わせない方が良かったかも……』と思いつつ、ちらりと魔王を見た。
「……ん?」
ぽーっとした表情で、恐らくアルメラ以上に目を輝かせながら彼女のことを見上げている魔王を見て、エリックはぎょっとする。
「お、おーい……魔王?」
「すごい……理想的なお姉様だわ……!素敵な御方ね!!」
魔王が比較対象にしているのは、間違いなくイリアステルだろう。
比べるのが酷だと言えるほどに天地の差の二人だったが、先に変態を見ておいて良かったと思えることだけが、エリックにとってある意味救いだった、のかもしれない。




