11:このお姉様は大丈夫
アルメラ。
苗字はない。
神殿で生まれ、育ち、神に愛された存在として生ける伝説のような女性。
勇者が現れる年に、一人だけ生まれると言われ続け、生を受けたのだ。
「魔王陛下のお名前は……あぁいけない、真名を聞いてしまえば、そして明かしてしまえば双方鎖にて雁字搦めになってしまいますわね。うふふ、わたくしとしたことが、大変失礼いたしました」
「いいえ大丈夫だわ、お姉様。貴女はとっても素敵なお方だから、あたくし平気みたい」
「イリアステルは?」
「あれは嫌よ」
間髪入れずに拒否した様子を見る限り、余程ハァハァされたのが嫌だったんだろうなぁ……と、エリックは思う。
実際、エリック自身もがっつかれるようなあんな感じで来られると、逃げたくなるというものだ。
「んで、今日はペット?も一緒なのか」
「そうよ。はいケルちゃんご挨拶して?」
挨拶を促し、ふとエリックと視線があったケルちゃん……もといケルベロスは、歯を剥き出しにして威嚇をしてきた。
ほんの一瞬だけ。
「めっ」
ごず、と鈍い音がしたかと思えば、まるで子犬のようにきゅーんきゅーんと鳴き始めている。
「あのな、魔王」
「勇者にはちゃんとこんにちは、ってさせたかったの。あたくし自慢のペットなのに。むぅ」
「魔王様、無理強いはいけませんわ」
にこにこと柔らかな笑顔を浮かべたまま、とてもとても優しく注意をするアルメラ。
その様子に魔王は目を輝かせ、『はぁい』と機嫌よく返事をする。イリアステルの時とは大違いだが、あれはどう考えてもイリアステルのせい。
アルメラは神殿のみしか知らないが、日常生活における常識はしっかりと叩き込まれている。
それはもう、どこに行ってもすぐにやっていけるように。
「魔王様、その……」
だが、そんなアルメラも、魔王がかるーく『めっ』としていたケルちゃんを見て、冷や汗をたらりと流していた。
「その、ケルちゃん、って……」
「正式名称、ケルベロス。地獄の門番、とかって言われてるけど、あたくしから見れば単なる可愛いわんちゃんよ」
「首3つあるのに?」
「うん」
にこにこと機嫌よく返事をしてくる魔王は、もう一度ケルベロスをじとぉ、と見てから凄む。
「ご挨拶、きちんとできる?」
鳴き声をあげることも忘れ、ひたすらブンブンと首を縦に振っているケルベロスがちょっと可哀想に見えてきた。というか可哀想。
「……」
「あの……エリック様……」
「と、とりあえず、あの、挨拶は出来ているんだし!」
ぷるぷると震えながらエリックに頭を下げたケルベロスをきちんと確認したので、エリックは何の気なしに手を伸ばしてケルベロスの頭を撫でようとした。
――がぶ
「あ」
「いてぇ」
「……」
反射的にエリックの手を噛んでしまったケルベロスは、はっと我に返ったらしい。
そぉっと手を離してから、自分を抱っこしている魔王を見上げれば、きっとこれが般若の形相なんだろうな、というものでじぃぃ、とケルベロスを見下ろしている。
生憎、エリックやアルメラからはその顔が見えていないが、顔面蒼白で魔王を見上げてバイブレーション機能搭載してんのか、という勢いで震えている様子を見れば、何というかもう駄目だな、と思えるくらいには怯え捲っていた。
「……ケルちゃん、駄目でしょう……? あたくしの勇者に噛みついたりしちゃ……ねぇ?」
「誰がお前のだ、誰が」
「勇者」
ぱっと顔を上げればいつも通りの可愛い魔王、そしてふっとケルベロスを見下ろす魔王は般若。
何とも器用なことをしているなぁ、とエリックが色々な意味で感心していると、アルメラが立ち上がっていそいそと魔王のところに歩いていき、魔王の背にそっと触れた。
「魔王陛下、落ち着いてくださいませ。ケルちゃんが困っておりますわ」
「お姉さま」
ハッと我に返った魔王は、視線を上げていつもの顔でアルメラを見上げる。
「きっと、エリック様とじゃれ合っていたと思うんです。ね、どうかしらケルちゃん」
何を言っているんだこのニンゲンは、地獄の門番たるケルベロスになんたることを、と思ったケルベロスが唸り声を上げてアルメラを見たが、全くひるんでいない。
むしろ、あっけらかんとした様子で見ており、にこー、と微笑んで更に言葉で追い打ちをかけていく。
「別に良いんですよ、わたくしのフォローがいらないっていうのであれば、それで良いんですのよ?」
「ぐるる……」
「そうなれば、魔王陛下に怒られてしまうだけですしぃ」
(あーあ)
アルメラは一見おっとりしているようにしか見えないが、基本はとんでもなくきっちりしており『駄目なものは駄目』と線を引くのだ。
だから、魔王にお仕置きをされて大人しくなるのであればよし、と思っていたアルメラだったが、所詮は魔物だな、とさくっと割り切った。
「……ケルちゃん、反省してなかったのねぇ……そっかぁ……」
正に絶対零度の声音で呟いて、魔王はよっこいしょ、と立ち上がった。
「お、おい魔王?」
「勇者、ちょーーーっと待ってくれる?」
「あら魔王陛下、どうさなるのです?」
にこにこと笑いながら魔王に問いかけたアルメラに、にっこりと笑顔を返してから魔王はよっこいしょ、とケルベロスを抱き締め直した。
「……!?」
そのついでに、わし、とケルベロスが吠えないように口当たりを掴んだかと思えば、ふっと口輪が現れる。
どれだけ叫ぼうとしてもケルベロスの口は開かないし、今更まずい、と思っても魔王の機嫌は氷点下。
「悪いの、だーれだ?」
にたぁ、と笑った魔王は、ケルベロスを抱き締めたままでしゅっと消える。
「……あれって」
「まぁ、間違いなく魔王陛下にお仕置きされていらっしゃるでしょうねぇ……」
おほほ、と笑うアルメラを見て、エリックはちょっとだけ背筋が冷える。
基本的に己の仲間や、大事にしたいと思う人に対しては無害なアルメラだが、魔物に関しては別。
「所詮……ケルベロス風情がこのわたくしに楯突こうだなんて……甘いんですのよ。うふふ……魔王陛下がとぉっても懐いているのはエリック様ですしぃ?」
「あの、アルメラさん?」
「そのエリック様に噛みついた=魔王陛下のお気に入りに楯突いた、ということじゃございませんか。であれば、ケルちゃんとやらがエリック様にヘイトを向ければ向けるほど、魔王陛下のお怒りは……」
「まぁ……ケルちゃんとやらに向くわな」
それはそうだ、とエリックは頷きながら、あはは、と笑う。
だがしかし、同時にぞわっとした悪寒が背中を大運動会している。
(この人……マジで怒らせると怖いんだよ……。あのイリアステル嬢ですらビビってるくらいなのに……俺は絶対この人には逆らわんって決めてるし)
顔合わせして早々に決めたエリック。
なお、これは誰にも零していない。
壁に耳あり障子に目あり、とも言うし、何があろうとも絶対にこれだけは曲げないと勝手に心に決めていることだから、誰にも言うつもりはないのだが。まぁ一旦それはそれ、というやつである。
「エリック様、先ほどの可愛らしい子が魔王様、という認識で相違ございませんわよね」
「ああ」
「イリアステルちゃんにとっては、まぁ確かに『めっちゃ可愛い幼女』ですわねぇ……あ、このまま魔王ちゃんを懐かせておいていただけますぅ?」
「何で」
「人間界の平和のためですわ」
にっこり、と擬音がつきそうなほどアルメラが綺麗に微笑んだところで、魔王がしゅっと空間転移を使って戻って来た。
「おう、お帰り」
「うふふ、ただいま勇者!」
「魔王陛下、先ほどお伝え忘れておりましたが……わたくしがここにいる間は、イリアステルちゃんは来ませんのでご安心くださいまし」
「?」
何で?と首を傾げる魔王に対し、アルメラはそっと膝をついてから手を取って、にこにこと微笑んだままで言葉を続ける。
「イリアステルちゃんの天敵、わたくしですものぉ」
「!?」
慌てて魔王がエリックを見れば、エリックはうんうん、と頷いている。
「……すごいわお姉さま……! どうかそのまま勇者と結婚なさって!! そうすれば、あたくし遊びに来放題だわ!」
「落ち着いてくださいまし魔王陛下」
「この人聖女だから、今のところ結婚できねぇし」
冷静な人間×2の言葉に、しょんぼりとした魔王の頭をエリックが慰めるために撫でようと手を伸ばしたところで、イリアステルがしゅばっと転移魔法でやってきた……かと思えば『いやあああああああああああああああお化け!!』と叫んで瞬間的に消える。
「何今の」
「言ったでしょう? イリアステルちゃんの天敵だ、って」
「本当に……すごい……」
おめめきらっきらの魔王は、イリアステル避けにはこのアルメラが最適解だと改めて感じたらしい。
この日ばかりは勇者に感謝しつつ、普通に人間の遊びを堪能して帰っていったとか何とか。




