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幽霊だけど異世界転生してもいいですか?  作者: 針鼠堂 夏目颯真


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6/7

探される側、見つける側

6話目、父のところにお客さんが来ます。

生後三ヶ月になった。

背が伸びた。


素振りは一万回のうち、四千回くらい振った。 半分には届いていない。

挨拶は続いている。

井戸、荷車、木、石、鍬、父の剣。

三ヶ月も続けると、分かるようになることがある。

井戸の水位は雨の二日後にいちばん上がる。

草は刈っても十日で戻る。鍬は父が使った日だけ土がついている。

誰も応えない。 それは変わらない。

          ─────

その日、村の外から人が来た。

馬ではなく歩きで、荷も少なかった。遠くから見ても分かるくらい、歩き方が村の人と違った。足の置き方が静かで、速い。

父が畑から戻ってきて、その人を見て、鍬を取り落とした。

「……ガース」

「よう」

          ─────

ガースという人は、父より年上に見えた。

髪は短くて、黄金に灰色が混ざっている。

顔の左に古い傷があって、目尻までかかっている。

背は父より低いのに、立っているだけで場所を取っているように見えた。

「生きてたか」と父が言った。 「生きてるさ」とガースさんが言った。

父は落とした鍬を拾って、土を払った。

「何年だ」 「六年」 「六年か」

ガースさんは数字をすぐ出した。父は出さなかった。 父は数が苦手だ。六年のあいだ、何年経ったか数えていなかったのだと思う。

それで済んでしまった。 男の人の挨拶は短いことがある。父とこの人のあいだには、特に短い。

母が出てきて、ガースさんに頭を下げた。 ガースさんも下げた。母に対してだけ、やや丁寧だった。

「まあ、上がってくれ」と父が言った。

          ─────

私は、その横に立っていた。

ガースさんは家に入って、土間で靴を脱いで、部屋を見回した。

見回して、父に向かって言った。

「この前生まれた子供は、寝てるのか」

「……は?」

父が止まった。

「3ヶ月前に生まれたと聞いた。見せろとは言わんが、起きてるなら挨拶くらいする」

父は何も言わず、私を指した。

ガースさんが、私を見た。

          ─────

見た、というより、見つけた、という顔だった。

目が合ってから、ガースさんは一度まばたきをした。 それから、もう一度私を見た。確かめるように見た。

「……すまん」

ガースさんは膝を折って、私と目の高さを合わせた。

「見えていなかった」

          ─────

「こんにちは。僕、カイルです」

「ガースだ」

ガースさんは、手を出してきた。大人が大人にするときの出し方だった。 握った。手が硬かった。

それからガースさんは立ち上がって、父に向き直った。

「紋は、入れたか」

「入れた。二ヶ月前だ」

「誰が」

「この村に来る助産師だ。エレナという」

「腕がいいな」

ガースさんは、そう言った。 褒めているようには聞こえなかった。

          ─────

「効きすぎてる」

ガースさんは土間に腰を下ろした。

「紋は、魂の匂いを隠す。隠れりゃ魔物に見つからん。それはいい。そのための紋だ」

「ああ」

「だが効きすぎると、人にも見つからん」

父が黙った。

「俺は、暗いところで頭数を数える癖がついてる。洞窟でも森でも、何人いるかは数えなくても分かる。」

ガースさんは私を見た。

「この子は、自然とは見つけられん」

          ─────

「目で見りゃ見える。声を出せば聞こえる。そこにいると分かってから見れば、ちゃんといる」

ガースさんは指を一本立てた。

「ただ、探すときにはいない」

父が座り込んだ。

「……そういうもんか」

「たまにある。紋が強く出すぎる子だ。親はそれに気づかんことが多い。親は探さんからな。いつもそこにいるんだから」

ガースさんは土間の床を指で叩いた。

「迷子になったら、見つからんぞ」

「……心当たりがあるのか」

「ある」

ガースさんは椀を置いた。

「昔、同じような子がいた。村の子だ。山で見失って、村ごと出て三日探した。声は届いてたはずだ。あんな狭い山だ」

「見つかったのか」

「四日目にな。洞穴で寝てた。元気だった。魔物には一匹も会わなかったそうだ」

父が息を吐いた。

「よかったじゃねえか」

「よかった」ガースさんは頷いた。「だが次も元気とは限らん」

          ─────

私は、話を聞いていた。

聞きながら、別のことを考えていた。

——また、戻ったのか。

誰にも見えなかったころ、私はずっとこうだった。 声をかけても振り向かれない。すれ違っても目が合わない。いるのに、見てもらえない。

あのころは、体がなかったからだと思っていた。

いまは体がある。走れる。喋れる。手を握ってもらえた。 名前もある。呼ばれる。それでも、探されると、いない。

          ─────

紋を入れたからだ、とガースさんは言った。

紋は、私を守るために入れたものだ。 エレナさんが、仕事として、きちんと入れてくれたものだ。

守られると、見つけてもらえなくなる。

そういうものらしい。

          ─────

夕食になった。

母が鍋を出して、父が酒を出した。ガースさんは酒を半分だけ飲んで、あとは水にしていた。旅の途中なのだという。

話は昔のことばかりだった。 私の知らない人の名前がいくつも出てきた。出てきて、そのうちの何人かは「あれは死んだ」で終わった。

「こいつはな」

ガースさんが私に向かって言った。私に話しかけるとは思っていなかったので、少し遅れて顔を上げた。

「魔法が使えんから、前に出るしかなかった。うちで一番前にいたのが、こいつだ」

「ガース」

「毎日剣を振ってたからな。宿でも振ってた。壁を叩いて主人に怒られてたこともある」

毎日、一万回振った。 父がそう言ったのは、嘘ではなかったのだ。

「三日、眠らずに歩いたこともある。あのときは――」

「ガース」

「分かった分かった」

ガースさんは笑って、水ではなく酒をまた少し飲んだ。 父は耳のあたりが赤くなっていた。酒のせいかもしれない。

「お前、なんで辞めた」

ガースさんが、酒の椀を置いて訊いた。

父は答えなかった。

答えずに、母のほうを見た。

母は鍋をかき混ぜていて、こちらを見なかった。かき混ぜる手は止まっていた。

「……ああ」

ガースさんは、それだけ言って、椀を取った。

それ以上は訊かなかった。

          ─────

「で、この子は魔法はどうなんだ」

話が変わったのは、鍋が半分になったころだった。

母の手が、少し遅れた。

「……魔力の量は、多いの」

「ほう」

「多いのに、出せないの」

ガースさんは私を見た。

「見せてみろ」

          ─────

やった。

集めるのはできる。指の先にマナの粒が集まって、渦を巻く。 母が息を呑むのも、もう聞き慣れた。

火よ。

——燃えるものが、ない。

散った。

「もう一度」

やった。散った。

三回やって、三回散った。

          ─────

ガースさんは、腕を組んで見ていた。

それから言った。

「押し出しが足りんな」

「押し出し」

「魔力は外に出すもんだ。腹から声を出すのと同じだ。中で捏ねてても出てこん」

母が首を振った。

「それは試したわ。何十回も」

「そうか」

ガースさんは、あっさり引いた。

引いたあと、肩をすくめて、こう言った。

「まあ、使えなくても死なねえよ」

          ─────

母の手が止まった。

鍋の木じゃくしを握ったまま、止まった。

「俺の知ってるやつで、魔法が使えんのは三人いた」ガースさんは指を折った。「ひとりは槍で食ってた。ひとりは罠を作るのがうまかった。ひとりは何もできんかったが、酒を注ぐのがうまくてな。みんな、俺より長生きしてる」

「……そう」

「ローグも魔法を使えん」

「そうだ、俺は使えん」父が言った。「一回も出たことがない」

知らなかった。

父は、魔法が使えないというより、そもそもマナとして一回も出たことがないのだった。 前に父は「俺も魔法なんて使えねえぞ」と言っていた。あれは励ましのための嘘ではなかったのだ。

          ─────

「あの」

母が口を開いた。

「魔法が使えない人は、魔力をどうしているんですか」

ガースさんが母を見た。

「どう、とは」

「体の中に魔力はあるはずです。集められないわけではないのなら、溜まっているはずで。溜まったものは、どこかへ行くはずです。使わないなら、どこへ」

ガースさんは、しばらく黙った。

「……どこへ、は考えたことがねえな」

「考えたことがない」

母が繰り返した。失礼な言い方になっていたが、母は気づいていなかった。学者が驚くときの言い方だ。

「魔力が体内から排出されずに溜まったら邪魔にならんのか、とは思ったことがある」ガースさんは腕を組んだ。「だが冒険しない間に魔法を使わなくても、体内の魔力が邪魔になったことはねえ。ローグも魔法は使えんが、魔力が全くのゼロという訳じゃないはずだ。それでもこうして生きている。」


母は口を閉じた。閉じてから、小さく「そうですね。すみません」と言った。 謝られたほうは、何を謝られたのか分かっていない顔をしていた。

          ─────

母の訊き方は、本を読んでいるときと同じだった。

溜まったものはどこへ行くのか。 母はいつも、そういう訊き方をする。何に変わるか、どこへ行くか、何が残るか。

ガースさんの答えは「考えたことがねえ」だった。 二十年近く魔物と戦ってきた人が、自分の中の魔力がどこへ行くかを一度も考えていない。

考えなくても、生きていけるのだ。 考えないほうが、たぶん生きやすい。

          ─────

鍋が空になったあと、ガースさんが椀を置いた。

「ローグ」

「なんだ」

「戻る気はないか」

父は、すぐには答えなかった。 母も何も言わなかった。母は、空になった鍋を見ていた。

「東で人が足りてない」ガースさんは続けた。「稼ぎはいい。今はな。前より悪くはない」

「……ガース」

「分かってる。断られると思って言ってるんだ」

「なら訊くな」

「訊かんと、来た意味がねえ」

ガースさんは笑った。笑ってから、真面目な顔に戻った。

「お前が辞めたとき、俺は止めなかった。止めるのは筋じゃねえと思った。だが六年経って、一度くらいは訊いておこうと思った。それだけだ」

父は、酒を飲んだ。

「悪いな」

「いいさ」

それで終わりだった。 ガースさんは、本当にそれ以上言わなかった。

用があって来たのだと、私はそこで初めて知った。 通りがかりではなかったのだ。そして用は、一回訊いて断られて、それで済むものだった。

済むようなことのために、この人は何日も歩いてきたらしい。

          ─────

母だけが、黙っていた。

ガースさんは落胆していない。父も落胆していない。 ふたりは、魔法が使えない人間が生きている世界を知っている。

母は知らない。

母の世界では、魔法は分かるものだ。 分かるものが分からないままになっているから、母は苦しい。

ガースさんの言い方は、母には届かなかったと思う。

          ─────

その夜、水を飲みに起きた。

土間でガースさんが荷をまとめていて、母がその前に立っていた。

「——この子のことは、誰にも言わないでください」

母の声だった。

「どこまでだ」

「全部です。走ることも、喋ることも、魔力の量も」

ガースさんは紐を結ぶ手を止めなかった。

「言わん」

「ありがとうございます」

「言わんが」

ガースさんは荷を置いた。

「隠しても仕方ねえぞ」

母が黙った。

「あと何年隠す。十年か。十年で足りるか。この村の外に一歩出た日に、誰かが気づく。気づかんのは、気づかん奴ばかりの村にいるからだ」

「……分かっています」

「分かってるなら、いいさ」

ガースさんは紐を結び直した。

「俺は言わん。俺が言わんだけだ」

          ─────

私は、水を飲まずに戻った。

母は、エレナさんにも同じことを頼んでいる。 これで二人目だ。

母は隠している。 たぶん、これからも誰かに頼み続ける。

ガースさんの言ったことは、正しいのだと思う。 母も正しいと分かっている。分かっていて、それでも頼んだ。

          ─────

翌朝、ガースさんは早く出ていった。

父が道のところまで送って、私もついていった。

母が、布に包んだものをガースさんに渡した。

「持っていって」

「すまんな」

「それと」

母は少しためらった。

「……ありがとう」

ガースさんは、何に対する礼かを訊かなかった。頷いて、荷に入れた。

母は、昨日の言葉に慰められてはいない。鍋の前で手が止まったままだったし、夜も本を読んでいた。 それでも、礼を言った。

「世話になった」 「またな」

「お前、まだその剣か」

父の腰を見て、ガースさんが言った。

「まだだ」

「十年以上だろう」

「十二年だ」

「打ち直せよ」

「打ち直した。三回」

「三回で足りるか」

「足りてる」

ガースさんは自分の腰を叩いた。父のものより新しい鞘だった。 それから、少し笑った。

「お前は、物を捨てんな」

「捨てる理由がない」

「そうだな」

          ─────

それだけで終わりそうになってから、ガースさんが振り返った。

「ローグ」

「なんだ」

「この子を、森に近づけるなよ」

父の顔が変わった。

「紋が強い子は、魔物に見つからん。だから森でも平気だと思うだろう。思うんだ、親は」

ガースさんは、私を見た。

「平気だ。魔物には見つからん。だが、はぐれたら、こっちも見つけられん」

          ─────

「誰も見つけられないなら、どうすればいいんですか」

私が訊いた。

ガースさんは少し考えて、答えた。

「お前が、見つけてくれ」

「え?」

「探される側でいるのを諦めろ。お前が人を見つける側に回れ。そのほうが早い」

それから彼は、手を一度上げて、歩いていった。 足の置き方が静かで、速い。見えなくなるのが早かった。

          ─────

その夜も、挨拶をした。

井戸。荷車。木。石。鍬。父の剣。

「こんばんは」

いつもと同じだ。 誰も応えない。

いつもと同じなのに、少し違って聞こえた。

          ─────

私は、探されても見つからない。

それは三ヶ月前からそうだったし、たぶん、死ぬ前からそうだった。 いまさら悲しくはない。慣れている。

でも、見つける側に回れとは、言われたことがなかった。

誰にも見えなかったころ、私は見てほしかった。 ずっと、見てほしかっただけだった。

見つける側に回るという考え方を、私は持っていなかった。

          ─────

井戸を覗いた。

水が見えた。水だけだった。

それでも、三ヶ月分の水位の上がり下がりは、私が覚えている。 たぶん、村の誰も覚えていない。

「また明日」

父の元仲間が来た回でした。 魔法はやっぱり出ませんでした。

次回、母が本をやめます。

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