男の正体と異世界で挑む者の話⑫
「――――えっ……?」
ほんの一瞬だけ視界が眩んだかと思うと、レフィリアはいつの間にか尻もちをついた状態で地面に倒れてしまっていた。
かといって特に衝撃波や魔力の放出で吹き飛ばされた訳ではなく、あくまで気が付くとその場に座り込んでいただけ――しかし目の前には以前として、胡散臭い笑みを湛えたスレイアが立っている。
「いけない! こうしちゃいられな――」
呆けて隙を晒している場合ではないと、レフィリアが慌てて立ち上がろうとしたところで、彼女はさっきまでしっかり握っていた筈の剣が手元から無くなっている事態に気づく。
「あれ、剣が――ていうか、あれ……っ?!」
そこでレフィリアは、急にとてつもない違和感を認識することとなった。
――自分の手に籠手が装着されていない。
それどころか鎧の装甲だけでなく、その下に着ていた外套の袖すら無くなってしまっている。
(まさか、武装を強制解除させられた……!? ……いいや、違う。これってもしかして……ッ!)
レフィリアが腕だけでなく咄嗟に身体中を見回すと、淡い金色に輝く甲冑鎧も、純白に閃くマントも、同じく真っ白な外套も、その全てが跡形もなく消え去っていた。
代わりに視界へ映っているのは、白と黒のツートンカラーなスニーカーにグレーのジーパン、薄いピンクのシャツの上からベージュのジップパーカーを羽織った、何の変哲も無い“普段着”の格好――
「嘘っ……そんな……えっ、ええっ……?!」
これ以上無い動揺に満ちた声を上げながら、レフィリアは無意識に目元へそっと指先を近づける。
するとそこには、この世界にいる間ずっとかけていなかった筈の、眼鏡のフレームの確かな感触があった。
つまり、これらの情報から導き出される答えとは――
「ハハハハハハハッ!! 久しぶりに元の身体へ戻った気分はどうですか!? 聖騎士レフィリア――いや、如月 綾美さん!」
すると、目の前に立っている白髪褐色の優男がその細い目をはっきりと大きく見開いては、これ見よがしに貶すような哄笑を上げ始めた。
ところが当のレフィリアは甲高く馬鹿笑いをされても余計狼狽えるばかりで、とてもじゃないが眼前の相手に腹を立てて言い返せるような精神状態ではない。
「ちょっ、戻ったって……でも……だけど……」
「おや、混乱し過ぎて自分がどんな状況に陥ってしまったのか理解できませんか? でしたらこれで、今のご自身の姿をよーくご覧下さい」
そう言うと、スレイアはノーモーションで綺麗な円形をした鏡面上の魔力障壁を彼女の真正面に出現させる。
直径一メートルちょっとの、姿見と全く変わらない反射面には否応なしに現状のレフィリアの上半身が映し出されたのであるが――そこには金髪碧眼の見目麗しい女性剣士ではなく、肩までの茶色がかった黒髪に細い銀縁の眼鏡をかけた、これといって珍しい特徴もない普通な女子大生の顔があった。
「…………ッ?!!! いやっ、これって……そんな、ホントに……ッ!?」
魔力障壁の丸鏡に映る、久方ぶりに見る自分の本当の顔にレフィリアは――否、如月綾美は自分が英雄や超人なんかじゃなく、ただの平凡な――いや、この世界だととにかく無力な人間に成り下がってしまった事態を嫌でも強制的に認識することとなった。
あまりの驚きのせいで少しも思考を纏めることが叶わず、もはや泣き出しそうになりながらも鏡の中の自分の素顔から一切目を離せないでいる。
……なんて、弱々しくてみっともない顔をしているのだろう。しかしこれこそが“本当の私”の姿なのだ。
「アッハハハハハハ!!!! ……いや、失礼。しかしこれをやると、異世界転移者や転生者どもの晒す間抜け顔に毎回笑いが込み上げてきてですねえ……ダッハハハハハッ!!!!!!」
綾美が何も返せずに黙っていることしか出来ない中、一頻り腹を抱えて笑ったスレイアは何とか自分を落ち着かせ、佇まいを直しては息をついた。
「――ふう、いけないいけない。落ち着け、私。しかしこれで貴方は高潔で端麗な女剣士から、単なる一般人の女子大生に戻ってしまいました。こうなってしまっては、もはや私と戦おうなんて気も失せてしまったでしょう?」
「……ッ!!」
スレイアに邪悪な笑みで見つめられ、綾美はゾワッとした怖気に声すら出せず、ただ怯えて竦むことしか出来なかった。
――怖い。どうしようもなく、怖い。
聖騎士だった頃はちょっと気を張っていれば、相手がどんな怪物でもひとまず平気だったのに、今ではとにかく怖くて怖くて声を出すどころか身動き一つ取ることが出来ない。
目の前には人の見た目こそしているが、音速を軽く凌ぐ速度で動けるような正真正銘の化け物がいる。
彼はその気になれば指先で蟻を潰すよりも容易く一瞬で、こちらの命を惨たらしく奪ってしまえるのだ。
視界の先にいるのは紛れもない死の具現。それが私だけを見つめては、厭らしく嗤っている。
怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い――ッ!!!!
「ああ、心配せずとも大丈夫。その血の気が引いた表情から察するに、今の貴方はとにかく恐ろしくて仕方がないのでしょうが、さっきも言った通り、今日の私は貴方を殺したりなんてしませんよ」
何かの拍子で今にも泣き出しそうになっている綾美に対し、スレイアはわざとらしく紳士的な口調と振る舞いでそのように告げた。
「更に言うと、もう帰りますので……貴方は現代人にとって過酷でしかない、剣と魔法のファンタジー世界をどうぞ心行くまで楽しんでいって下さいませ」
それでは、と最後に一言残しては爽やかな笑みを浮かべて一礼すると、細目の男は本当に何かをする訳でも無く、ほんの一瞬で幻の如く視界から掻き消えてはいなくなってしまった。
途端に、怖気のような感覚が急速に薄れていくのが分かったものの、それでも綾美は腰が抜けてしまったかのように、その場から立ち上がって動くことは出来なかった。
そのまま黙って固まっていると、不意に頭上高くをバサッと鳥が羽ばたいたような音が聞こえてきた為、彼女は反射的にその方向を見上げては目を向ける。
それは北国の寒空に似つかわしくない一匹の烏――否、賢者妹が遠隔透視用に放った、黒曜石から錬成した使い魔であった。
(あっ……! そういえば、みんなにも見られ――)
監視用の傀儡が目に入ったことで綾美は、別に悪事を働いた訳でもないのに、まるでそれを目撃されてしまったかのようにビクッとなっては、オドオドとした表情で居ても立ってもいられず慌てふためき出す。
スレイアへ仕掛けるにあたってレフィリアは正面切って前線に出て来たものの、仲間達だって彼女をサポートする為に潜伏先から外へ出ては各々が行動を開始していた筈なのだから、そこまで離れてはいない位置からレフィリアに起こった状況を見ていた筈なのだ。
もはやどうしていいのか判らず、それこそ逃げ出してしまいそうな様子で綾美は思わず半身を捻り、背後を振り向くと――
「――レフィリア……?」
「あ……」
その視界の先には、ちょうどルヴィスとサフィアの二人が、何か信じられないものを視たかのような顔をして立っていた。




