男の正体と異世界で挑む者の話⑩
「おや、これはロズェリエ様ではありませんか」
立場的にカリストロスの同行人もとい相棒であった彼女の登場に、スレイアは貴婦人を相手にする紳士の如く恭しい態度で微笑みながら話しかける。
剣は既に降ろしていて構えるようなことはなく、形の上で言えば殺気や敵意などは全く見せていない。いや、そもそも敵とさえ認識していないといった方が正しいか。
「ご覧の通り、勝負の結果はこのような有様で終わりました」
「…………」
「まさかとは思いますが、聡明と一目で判る顔立ちの貴女様に限って、元相方の敵討ちをしよう――なーんて、考えたりはしていらっしゃいませんよね?」
実に厭らしさの籠ったスレイアの問いかけに、ロズェリエは小さく息をつくとゆっくり首を横に振った。
「いいえ。全力の彼が駄目でしたのに、ワタクシなんかが敵う筈もないでしょう。――ワタクシはせめて、彼に最期の言葉を掛けようと思って来たのです。もう既に息絶えてしまったみたいですが」
「なるほど。でしたら、ご自由になさって下さい。私は直接攻撃されない限り、貴女様の邪魔をするつもりは御座いませんので。……ああ、先ほどの遠隔魔法による拘束はカウントしていませんから、ご心配なさらず」
「そうですか、それはまたお優しいことで」
「いえいえ、たとえ家出されている身であっても一応は雇い主のご息女でいらっしゃいますから、このくらいは当然ですとも。――あ、何だったらそこの彼に蘇生魔法とか掛けられても全然構いませんよ? まあ、まず無駄でしょうけど……百億分の一くらいの確率で軌跡が起こるかもしれませんし」
冗談めかした口調でにこやかに喋りかけるスレイアとは対照的に、ロズェリエは感情の感じられない鉄面皮なすまし顔で冷たく受け答える。
「奇跡……ですか。正直、ワタクシの好きな言葉ではありませんね」
「はは、これは失敬。ですがそれに関しましては私も同感です。意外と私たち、話してみると気が合うのかもしれませんねえ」
「何をくだらない、その発言こそ失礼千万。とりあえず邪魔する気が無いのでしたら、しばらくそのお喋りな口を閉じていなさい」
高潔な令嬢らしく気丈かつドライに言ってのけたロズェリエの言葉に、スレイアはやれやれと肩を竦めながら数歩後ろへと下がる。
そうしたところでロズェリエはカリストロスの傍に屈むと、見開かれたままで光の失われた彼の瞼をそっと閉じさせ、そして両手で彼の右手を優しく包んだ。
「カリストロス……あれだけ息巻いていたのに死んでしまうなんて……本当に情けない」
そう呟いたロズェリエの顔は、まるで人形か仮面のように無表情で声色もまた冷淡なものであった。
端から見れば使えない部下に失望し、見放しているような光景にすら思えなくもない。
「思えば、貴方は出会ってから今まで、とにかく酷い性格の人物でした。このワタクシを奴隷か道具同然に扱うだなんて、たとえ死しても許される行為ではありません」
しかしそんな口調や話している内容とは異なり、カリストロスの手を握る彼女の手つきはどうにも親しみや悲しみが込められているものであった。
「――ですが、それでもどういう訳か、ワタクシは貴方のことを嫌いになれませんでした。そもそもワタクシは貴方に出会うまで“誰かを好きになったことは無かった”ので」
今はもう動かなくなって冷たくなりつつある彼の手を少しだけ強く握り、ロズェリエは淡々と目の前のカリストロスを見つめながら語り続ける。
「近しき者への親愛や友情も形だけのもので、恋だとか愛なんて感情はそれこそ理解も認識も出来なかった。きっとワタクシには他人に好意を抱く“機能”が欠落していたのでしょう」
聞かせる相手がもう息絶えていると解っていながら、静かに呟くように彼女の吐露は続いていく。カリストロスへと告白しながら、それでいて自分自身ににも認めさせるが如く。
「そんなワタクシが仮初とはいえ、まるで病にでも罹ったかのように激しい恋慕と愛情を抱けたのは、何とも得難い経験でした。それこそ、価値観や人生観に影響を及ぼすくらいには。……今まで自分のことしか考えてこなかったというのに、誰かの為に何かをしてあげる喜びを知ってしまったのですからね」
そこでロズェリエは、ほんのちょっとではあったものの親しき者へ、愛しい人へ送るような柔らかい笑みをふっと浮かべた。
「ワタクシが貴方に感じていた愛が紛い物であった事は理解しています。そしてその呪いは既に取り払われた。――でも、あえて今更白状すると、いくらどうしようもない男である貴方でも、放ってはおけないワタクシがいるのです」
そう告げた直後、カリストロスの手を握り続けているロズェリエの身体から魔力反応の光と奔流が淡く漂い始める。
「まだ呪いの名残でも残っているのでしょうか……いえ、そんな事はどうでもいい。最後まで自らの意地を張り通し、そして命を散らした貴方へ、私からせめてもの祈りを捧げます」
両目を瞑り、彼の手を取ったまま拝むかのように――それこそ教会で神に祈る修道女のような清廉かつ厳かな佇まいで、ロズェリエは自身の気持ちを形にする為の一言を口にした。
「――ウィッシュ・アポン・ア・スター」
途端、ロズェリエを中心にして地面に五角の星型をした青白い光を放つ方陣が出現し、パッと一瞬だけ閃光を発してはまた消えていった。
瞬間的に膨大な量の魔力が発生しては消費されたように見えたものの、その後にこれといって何かが起こった訳でも無く、ただただ静寂の時が数秒ほど流れる。
その間もロズェリエはずっとカリストロスの手を離さず包んでいた。
(……何、今の? 何かの魔法を使ったように見えたけれど、もしかして蘇生とか回復系の魔法……?)
その光景を遠くから見届けていたレフィリアは魔法知識に乏しいこともあって理解が及ばずに眉を顰めていたが、すぐ近くにいたスレイアもそれとはまた違った理由で不可解とばかりに怪訝そうな表情を浮かべては、ロズェリエへと話しかけた。
「ロズェリエ様……貴女、もしやそうとう愚かしい選択をしたのではありませんか? 見たところ、身体を構成している元素がマナ化による強制乖離を起こしていますが……」
スレイアの指摘した通り、ロズェリエの身体は輪郭がぼやけてはまるでドライアイスが蒸発するかのように、靄となって宙に溶け始めていた。
その姿は彼の父である魔王が、自らの形状を変容させる際に霧と化していたのによく似ている状態だったが、どうにも理屈は異なるように思われる。
「ええ、何せ禁呪を使いましたからね」
ところがロズェリエは、全然何ということはないような口調でスレイアへと返答する。
カリストロスの手を取って地に跪いたまま、身体のあちこちを散らしつつも平然とした様子で彼女は話を続けた。
「今、発動させた魔法は《ウィッシュ・アポン・ア・スター》。その効果は、ワタクシの嫌いな“奇跡を起こす”というもの。――とはいっても、何が起きるかは完全にランダムなので、出来る限り良い結果になるよう最大限の掛け金を支払ったまでです」
淡々と説明したロズェリエに、スレイアは心底呆れたような顔を隠しもせずにこれ見よがしなため息をついた。
「はあ……実に嘆かわしい。自分の命を代価に彼の復活を願うとは……貴方がカリストロスに焦がれていた感情は、私が与えただけの偽物ですよ?」
「そんな事、わざわざ貴方から言われなくても知っています。そもそもな話、ワタクシはカリストロスへの気持ちがどうこうとか以前に、貴方に惨たらしくくたばってほしいのです」
一瞬だけ冷たく鋭い殺気の籠った視線をスレイアに向けると、ロズェリエは再びカリストロスの方へと向き直った。
「ですからワタクシは、この命を含めた全てをカリストロスに賭けます。彼の勝利と、貴方の敗北を願って――」
そこまで言ったところで、ロズェリエは風に吹き散らされた煙の如く、遂にその場から消え去ってしまった。
そしてスレイアの目の前には、横たわったままのカリストロスの遺体だけが残される。
それから数秒後、急にカリストロスの全身が青い光を放って輝き始めた。
(あっ、これってまさか……! 彼女の祈りが通じて……!?)
事態の変化にレフィリアは注意を疎かにはしていないものの、それでも視界に映った状況につい見入ってしまっていた。
ロズェリエが身を呈した犠牲が、運良くカリストロスの復活に繋がったのだ、と。
――ところが、身体中を青い光に包まれたカリストロスは立ち上がるどころか、まるで炭酸の泡が弾けるかのようにその身を即座に粒子化させると、まるでロズェリエの後を追うかの如く、あっという間に虚空へと溶けていってしまった。
それは、ドライグ王国にてカリストロスがメルティカを屠り、彼女が消滅した時の光景によく似ていた。というか、レフィリアの見た限りではほぼ一緒だった。
カリストロスの義体を構成していた魔力が解けて宙へと霧散していった、その様子はつまり――紛れもなく彼の死滅を意味していた。




