魔狼の再来
聖アルフ歴1872年
気が付けば少年は一人だった。
南西大陸北部のスラム街を一人歩いていると、見るからにガラの悪そうな男が銀髪の髪と犬耳をした少年に話しかけてくる。何時もの事であった。
「おう糞ガキ。てめぇ獣人族か。一昔前まで奴隷だった奴が何を偉そうに人間様の前を歩いてるんだ?」
ガラの悪そうな男は下種な笑みを浮かべながら続ける。
「おい。有り金全部だしな。そうすれば命だけは――」
男が話を続けるのを無視して銀色の髪と犬耳をした少年は、相手の顔面を殴り飛ばした。
「てめぇ。何しやがる!」
男は腰に差していた短剣を抜き取ると、短剣を振りかざす。しかし、それを見越していたかのように獣人族の少年は相手の顔面をわしづかみにすると、そのまま膝を相手の顔面にめりこませた。
「ゴフッ!」
男は苦悶の表情を浮かべながらその場に蹲る。それを見ていた銀髪の獣人族の少年は相手の手から滑り落ちた短剣を脇に蹴り飛ばした。
「待ってくれ! 銀色の髪をした狼の獣人族ってことはてめぇ白銀の魔狼だろ? 俺が悪かったから命だけは助けてくれ!」
男の懇願を聞いた銀髪の少年は相手の顔面を掴むと、そのまま何度も近くの廃屋の壁に相手の頭部を叩きつけ続ける。
「死ねよ、ドブネズミが」
今まで一度も言葉を発さなかった少年はそれだけ言うと、虫の息同然の男の胸板を僅かに青白い光が宿った拳で殴りつけた。そしてそのまま男は廃屋に叩きつけられ絶命する。
「雑魚が……」
吐き捨てるように獣人族の少年はそういうと、絶命した男の死体から金目になりそうなものを漁りその場を立ち去った。
獣人族の少年が物頃をついた時には既に一人だった。彼は獣人族というかつてまでの被差別種族であったと同時に。かつての差別体制を打破した立役者の血統を引くという来歴からゴロツキによく狙われることが多い。
しかし、そんな中でも戦闘を通して少年は徒手空拳主体の格闘術の技量を練り上げていき、南西大陸の脱出を中央大陸で名を上げることを目指していった。
それからも少年は北へと向かいながらも自らに歯向かう勢力を何度もなぶり続け、そんな生活が4年続いたころには、獰猛な格闘家として成長した獣人族の青年は中央大陸の北部の雪に覆われた大国にまで足を踏み入れていった。
聖アルフ歴1876年
ある日、路地裏の広い袋小路で自らに因縁をつけてきたゴロツキ数人をなぶり殺しにした青いジャケットを纏った少年は、自らの至近距離にまで近づいて来ていた気配を察知し側面に跳躍する。
「外したか。やはりやるな」
青年が声のする方に振り向くと、雪国にはよく見られ白い皮で出来たコートを着こんだ、やや小柄な男が立っていた。
小柄な体格に一瞬少年は油断したが、先ほどまで自らが立っていた場所に大きなクレーターが出来ていることに気が付くと、すぐさま意識を戦闘態勢へと移行させる。
「なるほどいい判断力だ。それに先ほどの戦いを見せてもらっていたが拳の一撃ごとに魔力を込めることで破壊力を増すその体術。悪くないな」
小柄な男は飄々とした態度でそう言うと構えを取った。
「まだ無自覚なようだが、精霊の加護を受けることや大気からの魔力供給が困難な獣人族でそれほどの魔力を練り上げること出来るということは大した素質だ。気に入った」
小柄な男は不敵な笑みを浮かべながら続ける。
「小僧、私が勝てば貴様には私直轄の暗殺部隊に入ってもらうぞ。断ればその命をここで粉砕させてもらう」
小柄な男は拳を構えたままそう言った。獣人族の少年は苛立ちを隠せないように拳を構える。
「勝手に決めるな。どっちしろ、ここでアンタは死ぬ」
少年はそれだけ言うと、後ろに束ねた長い銀色の髪をたなびかせながら小柄な男にめがけて飛び掛かった。
「大きい言葉はあまり使うな。弱く見えるぞ」
小柄な男は低く構えを取ると、自らに飛び掛かりながら拳を構える獣人族の少年に向けて深く構え拳を打ち込む。 男の拳が青年の拳にぶつかった瞬間凄まじい圧縮されていた魔力が破裂した。
拳と同時に発生した風圧に怯んだ少年に向けてすかさず左手の拳を向ける。
「ちっ」
少年は舌打ちをしながら後方へと凄まじい勢いで跳躍した。
「いい反応速度だ。獣人族特有の身体能力は伊達ではないな」
フックを回避された小柄な男は冷静にそう呟く。
(白銀の髪と、種族の特徴たる同色の耳に尻尾。やはり南方大陸独立の折に活躍したという白銀の魔狼の末裔だけはあるな。可能ならばなんとしてでも我が部下にしなければ)
男は再度魔力を大気中から取り込みながら構えを取り直した。
「うっとうしい奴だ」
少年は苛立ち交じりに拳を構えると、そのまま小柄な男へと距離を詰める。
男は避けることなく魔力を集中させた右腕で獣人族の少年に拳を受け止める。男が少年の拳を受け止めると、彼を中心にクレーターのような地割れが起きた。
「受け止めたのか!?」
獣人族の少年は驚きを隠せない様子で後ろに飛び退くと、跳躍した先に存在した廃屋の壁を蹴ることで再度男に向かって飛び上がり蹴ろうとする。
男は自らに向けられたとび蹴りを右に跳躍し回避すると、そのまま少年の隙を伺おうと先ほど立っていた場所を確認すると、少年がすでに構えを取り直していた。
「加えて、反射神経も素晴らしいものだな。だが……これはどうかな?」
不敵な笑みを浮かべた小柄な男は無詠唱で組み込める魔術式を繰り始める。
「小賢しい奴だ!」
獣人族の少年は苛立ち交じりに踏み込む。少年が拳を振るった次の瞬間、小柄な男は体制をほとんど変えることなくそのまま拳を蹴り飛ばした。
「踏み込みが甘いぞ!」
空中に浮きあがった少年に追い打ちをかけるかのように、男は右手で彼の顎を殴り上げようとする。
しかし、アッパーカットが青年の顎にめり込む直前に、少年は男の拳に牙を使って噛みついた。
「!?」
男が驚愕した次の瞬間には、獣人族の少年は拳を噛み千切り、そのまま右手の爪を利用して構えようとする。
しかし、少年が右手を構えようとした時には、拳をかみ砕いていた筈の男は土塊で出来た人形に代わっていた。
「囮か!?」
少年が慌てて遠ざかろうとした次の瞬間、足元の雪原から男が飛び出してくる。
「ちっ!」
獣人族の少年が咄嗟に腕で庇った。しかし小柄な男の冷気を帯びた拳が当たった次の瞬間、少年の腕は拳が当たった部分から凍り付いて行く。
「ぐあああぁぁ」
少年が凍り付いた腕を抱えたままその場に倒れこむと、男はそのまま彼に歩み寄りながら口を開いた。
「ここまでだ。約束通り私の部下になってもらうぞ。ちょうど私の後釜が欲しい所だったからな」
男の言葉を受けた獣人族の青年は、男を睨みつけながら口を開く。
「ふざけるな……俺がなんでお前の言うことを聞かなきゃいけない!?」
少年の殺意が込められた眼光を受けている男は、少年の頭を踏みつけた。
「貴様の命は私が握っているも同然だ。私をあまり怒らせない方がいい。これ以上騒ぐならば殺すぞ」
男は少年の頭を踏みつけまま続ける。
「本来は獣人族には困難な魔力を練り上げ圧縮した魔力の奔流を手足の一撃に合わせて破裂させる技を、お前は使えている」
「だが、魔力を練り上げられるならば、本来は魔拳士ならば魔術式そのものを圧縮し手足の一撃と同時に解放することが出来る。お前も例外ではないはずだ」
頭を踏まれた上に腕を氷づけにされた少年は、今はそのまま男の話を聞くしかなかった。
「私ならばお前の力を磨き上げ、一人前の魔拳士として鍛え上げることが出来る」
「お前はより強い敵との戦いを望んでいるのだろう? かつての私と同じ目をしている。自分自身の力の限界を試したくてウズウズしている外道の目だ」
小柄な男の問いを受けた少年は歯ぎしりしながら睨みつける目の力を強めると、そのまま凍り付いていた、右手を無理やり動かして男の足を掴む。
「……お前が俺より強いのは確からしいな。だが、このまま負けるわけには行かない」
少年は、凍傷に覆われた右手で少年の頭を踏みつけている男の足を掴みながら振り絞るように口を開いた。
「ハハハ。意外と根性はあるようだな。こうでなくては鍛えがいがない」
男は感心したように笑いながら、少年の頭を踏みつけていた足を自ら退けた。
「アンタとの約束は守ろう。お前の部下にはなろう。だがその前にお前は誰だ? 誰かも分からないような奴の部下にはなれない」
少年の言葉を受けた男は意外そうな顔をして口を開いた。
「今まで野良犬同然の生活を続けていたお前からそんな言葉が出るとは意外だな。まあいい。今後のお前は私の部下だ。お前も街角で下種を屠るだけの生活には飽きていただろう?」
相手の心を見透かすようにそう口にした小柄な男は獣人族の少年が立ち上がったことを確認すると、彼が問いかけた内容について答え始める。
「私は裏でこの国のために活動する暗殺部隊の部隊長を務めている。お前でも知っていると思うがこの国の先代皇帝を失脚させたのも私の組織の活躍も含めたものだ」
「お前には後に近々政治家として表で活動する私の後釜を務めてもらう。お前には、まず私がある程度修行を付けた後にありとあらゆる国でスパイを行ってもらうぞ」
男が淡々とそう言うと、獣人族の少年はぶっきらぼうに答えた。
「暗殺や工作は気に入らないがいいだろう。お前の言う魔術式を各党に合わせて打ち込む技術。確かに教えてもらうぞ」
聖アルフ歴1886年
少年が男に拾われてから10年経過した。雪が降り積もる城下町を成長したかつての少年が眺める。身長も伸び、腰のあたりまで伸びた銀色の髪が一本に結ばれていた。
「珍しいのね。あなたが外を静かに眺めるなんて」
部屋に入ってきた赤毛の長髪にローブをまとった20代前半ほどの女性が口を開く。
「どうしようが俺の勝手だろう。そもそも俺も当然のことだが、お前も力が無ければ唯の災厄だろう」
成長した獣人族の男が言った言葉を受けた赤毛の女性は淡々と口を開く。
「そうね。私は力を制御できなければ魔物を呼び寄せ、周りに不幸をまき散らす災厄そのもの。貴方は自らの衝動のままに人を殺し続けた殺人鬼。人材を使うことに手段を選ぶ国なら私達は最低でも隔離されているんじゃないかしら?」
赤毛の女性の皮肉交じりの言葉を受けた獣人族の男は、不敵に口元を歪めながら答えた。
「確かにそうだな。俺もお前もこの国に力を認められなければ何時かは駆逐されていた日陰者だ。普段は面白味のない女だが、たまには面白いこと言うじゃないか」
獣人族の男は自らをあざ笑うかのようにそう言うと、再度口を開く。
「要件は何だ? 普段のお前がわざわざ俺に話しかけてくるとは思えないんだがな」
獣人族の男の言葉を受けた赤毛の女性は、淡々と話し始めた。
「私たちのような裏で暗躍していた部隊を表でも使うそうよ。大したことじゃないわ」
赤毛の女の言葉を受けた獣人族の男は僅かに目を見開きながら口を開く。
「陛下やアイツはこんな小規模の有象無象としかまともに殺し合えない腐った時代に何処かの国にでも攻め込むつもりか?」
獣人族の男の驚きが混ざった問いを受けた赤毛の女性は冷淡に返答した。
「いいえ。最近世界各地であらゆる勢力を無差別に襲う魔物とは異なる蛸のような生命体の発見例が増えていることはあなたもとっくに知っているでしょ?」
獣人族の男は平然と頷く。
「ああ。むしろ極秘情報に関して言えば俺の専門だ」
10年の前に出合った小柄な男に魔拳士、及び暗殺者として鍛えられた後に、彼の暗殺部隊をそのまま引き継いだ獣人族の男も、世界各地で人類のありとあらゆる勢力を襲っている蛸のような知性を持った怪物の存在は知っていた。
「そういう存在を私たちのような存在が他国よりも先に駆逐することによって、南で勢力を拡大させようとしている他の大国の影響力を落としたうえで小国からの体面上の信用を得る」
「それが陛下達の考えた計画よ。対象が変わるだけでやることは変わらないわ」
赤毛の女の言葉を無感情にそう言うと、獣人族の男は納得したように口を開く。
「なるほど。国と国が裏で殺し合いをするのよりはある意味楽そうだな」
赤毛の女は、獣人族の男の言葉に意外そうな様子で口を開いた。
「意外ね。【ヒト】との殺し合いにしか関心が無いと思っていたけれど、あなたが興味を示すと思わなかったわ」
「まさか。蛸モドキ相手で拳に酔う訳がない。それよりも蛸狩りの折に他国の優れた戦士や冒険者と殺し合うことの方が俺は楽しみだ」
男の答えを聞いた赤毛の女は納得したように口を開く。
「なるほど。流石は怪僧の再来にその資質を見初められてわずか四年で暗殺部隊次期頭首の後継者になったうえで、反対勢力を三日でなぶり殺した【白銀の魔狼】の二つ名は伊達では無いようね」
「その様子だとその牙はさぞかしヒトの血を欲しているみたいね」
赤毛の女はそういうと、そのまま部屋から立ち去ろうと立ち上がった。
「まさか、炎を扱わせればこの国で一番の魔導師だと言われているほどのお前が、まさか人殺しに抵抗感があったとは思わなかったぞ。精々後ろを取られないようにするんだな」
獣人族の男は今までとは少し異なる殺気が混じった口調で口を開く。殺気混じりの言葉に赤毛の女性は冷静に返答した。
「ええ。あなたこそまさか裏切ろとはしないわよね?」
獣人族の男は「心外だ」とでも言うかのような冷めた口調で答える。
「犬は忠誠心が強くてな。生憎、よほどの役立たずを切り捨てること以外で味方を殺す気はない」
赤毛の女性は、不愉快そうに口を開いた。
「あなたがそんなに義理堅いなんて知らなかったわ。でも、いつ裏切るかもわからない暗殺者はやはり信頼できないわね」
「それと、人殺しに抵抗感があるわけじゃないわ。ただ慣れただけであなたみたいに楽しんでいないだけよ」
二人の国の裏で暗躍し続けていた男女は、敵を観察するように見つめ合う。
「それじゃあ失礼するわ。精々お互い死なないようにしましょうね」
元々部屋から出ようとしていた赤毛の女は、そう言うと部屋から出て行った。
「やはりつまらん女だな。一度手を血に染めれば同じことだろうに、自分は楽しんでいないから真面だとでも思っているのか」
赤毛の女が出て行った扉を睨みながら、白銀の髪をした男は口を開く。その口調には明らかな苛立ちと嫌悪が混じっていた。
「楽しみだな。つまらない蛸に惑っている馬鹿を今度は混乱に乗じて何人殺せるかな」
獣人族の男は白銀の髪を掻き揚げながら独り言をつぶやく。そして、やがて訪れる人類にとっては三度目である大きな戦争に胸を躍らせるように笑った。
終わり
こんにちはドルジです。今回の小説は、現実で受けた「素手格闘の戦い書いたらいいんじゃないか」というヒントと、以前から構想のあった、北国の獣耳(だが男だ)魔拳士(魔法を体術と同時に叩き込むものです)を題材にしました。
主人公の性格は、私のお話ではよくある戦闘狂ですね。彼は、「いかに効率よく強い戦士をより多く狩れるか?」ということにこだわりを持っています。また、一度手を血に染めれば獣と人は自分も含めて同類になると考えています。
私個人としては、世界は綺麗事だけでは回せないから、こういう頭のネジが外れたような人物や、自己犠牲の精神の元に自分の所属する集団に尽くすような人物が書きたいと思っています。特に後者は、恐らく私がこうありたいと思っている生き方だと思います。
後半の赤毛の女魔導師と、成長した主人公の会話は、同じ国の影で暗躍する人物であるという共通点は持ちながらも、人間性的に合わない二人の事務的かつ雰囲気が殺伐とした会話をイメージしています。
作品の内容的なイメージは、あとがき序盤に書いてある「素手格闘」を重視しようとしたのですが、戦闘よりも会話が中心になり、物語の序章みたいな形になってしまい戦闘描写が薄くなってしまったことが反省点です。
少し長くなりましたが、私の小説を手に取ってくださりありがとうございます。