15話
廊下を歩く三人の間に、奇妙なほどに静寂が流れていた。
隣を歩くアルは、先ほどルーカスと激突した際に見せた驚きや動揺を完全に消し去り、今は年相応の無邪気な子供のような笑みを浮かべて談笑している。
だが、エメラインは知っている。
アルフレッドが自分や家族以外の誰かにこれほど早く「懐く」はずがないことを。
(ねぇアル。……珍しいわね。いつもなら、見ず知らずの相手にこれほど簡単に警戒を解くなんてありえないのに。……もしかして、義理の姉になるかもしれない子の、お兄さんだから気を許しているの?)
エメラインは、ルーカスに悟られないように自らの魔力をアルフレッドの波長に完全に同調させ、極めて指向性の高い「念話」を飛ばした。
どれほど鋭いルーカスであっても、双子固有の魔力同調による念話を傍受することは不可能に近い。
(……あぁ。無邪気な子供を演じて懐いたほうが、相手に警戒されにくいし、ふとした瞬間にポロッとなにか有力な情報をこぼしてくれるかもしれないだろう? 今回は『懐くふり』をする方が、メリットが大きいと判断したからだよ。)
アルフレッドの返信は、あまりにも冷徹で合理的だった。
ルーカスの位置からは、三歳の幼子が楽しげに笑いかけているようにしか見えないだろう。
だが、エメラインの目には、その笑顔の裏側に潜む計算高い「悪魔」の姿が見えていた。
(何考えてんのよ! ねぇアル! ねぇってば! 真面目に答えなさいよ!)
エメラインが念話でいくら呼びかけても、アルフレッドからの返事は途絶えた。
彼はすでに「可愛い第二王子」という役になりきり、ルーカスとの対話に全神経を注いでいた。
「……エメライン殿下? どうかなされたのですか? お二方は非常にお体が弱く、病弱であらせられると伺っております。もしやお加減が……?」
エメラインが呆然とアルフレッドを見つめたまま無言で立ち止まっていたため、ルーカスが心配そうに覗き込んできた。
その瞳には真実の懸念が宿っている。
「あ! いえ……。今日は私、いえ私もアルも非常に体調が良いのです。ですから、どうぞご心配なく。」
一瞬、二人の間に焦りが走った。
実は、彼らが抱える体調不良の「真の原因」を知っているのは、世界中でわずか八・人・し・か・いない。
お祖母様、両親、医師のヘレナ、三大公爵家の当主たち、そして兄シリルだけだ。
それ以外の人々にとって、双子は「極めて小さく生まれ、原因不明の難病を抱えた病弱な子供。
発作が起きると急に苦しみだし、倒れてしまう危うい存在」という公式設定が刷り込まれている。
それは嘘ではない。
確かに彼らは常に魔力過多による苦痛と戦っており、一歩間違えれば命を落とす。
だが、その原因が「ステータス異常」や「神の寵愛」という名の過剰な魔力にあることは、最高位の国家機密として秘匿されていた。
なぜ、これほどの隠蔽措置が取られたのか。
一つ目は、次代を担う王族が「強大すぎる力」を持っていることが公になれば、国民や臣下を畏怖させ、国家の安定を損なう恐れがあること。
二つ目は、その力を利用しようとする野心的な貴族たちが、無理やりどちらかを王位に就かせようと画策し、凄惨な王位継承争いが勃発しかねないこと。
そして三つ目が、最悪のケース -制御不能な魔力が暴走した際、それを「王国の兵器」と見なすか「滅ぼすべき災厄」と見なすかで、国を二分する内乱が起きる可能性があることだ。
双子は、二歳の時にその「真の理由」を知ってしまった。
それは、禁書庫での研究に没頭しすぎて、気づけば真夜中になっていた日のことだ。
二歳児の夜更かしは厳禁だが、ステータスが異常な二人は眠気すら魔法で制御し、仲良く手をつないで自室へと戻っていた。
その帰り道、ふと兄であるシリルの部屋の前を通ると、まだ明かりがついていた。
(お兄様を驚かせてみようか!)
そんな遊び心から、二人は『透明化魔法』を使い、息を殺して部屋に忍び寄った。
だが、そこで目にした光景に、二人は言葉を失った。
シリルが、泣いていたのだ。
まだ五歳だった兄が、ベッドの上で一人膝を抱え、震える声で独り言を漏らしていた。
「どうしようっ! もし、もしっ……アルとエマが最強のステータスを持っているなんてことがみんなに知れ渡ってしまったら?」
二人は、なぜ兄が泣いているのか理解できず、その場で息を潜めて話を聞くことにした。
だが、それは残酷なまでの愛の告白だった。
「今は病弱ってことにして守っているけれど……もしバレたら、どうなる? 一つは、みんなを不安にさせてしまう。王族が不安定で強すぎる力を持つのは、民にとって恐怖だ。」
双子は聞いてて息を呑んだ。
「次は、王位争いだ。僕は第一王子だけれど、もしアルかエマが王になりたいって言うなら、僕は全力で二人を支える。でも、法では女王は王子がいない場合にしか即位できないからエマは大丈夫かもしれないけど、政治にアルを巻き込むなんて、あんなに優しい子を……僕は嫌だ。」
双子はとても複雑な気持ちになっていた。
これは僕たちが聞いていい話なのかと。
「 ……そして、一番最悪なのは、二人が『危険視』されることだ。魔力暴走のリスクがある以上、二人を『排除すべきだ』なんて言い出す奴が、絶対に出てくる。大人たちが公表をやめたのも、きっと二人の命を守るためなんだよね……。 でも、もし僕が王になったら、絶対にアルとエマは政治の泥沼になんか巻き込まない。二人を、一生をかけて守り抜くんだ」
その内容は双子にとってとても現実味がある話だった。
そして、6歳にしてはやたら大人びすぎている思考だった。
こういうところはアルとエマに類似しているのかもしれない。
「……あはは、なんか今の僕、ちょっとかっこいいかな?」
シリルは涙を拭いながら、力なく笑った。
その背後で透明化したまま立ち尽くしていた双子は、ただ茫然としていた。
シリルを脅かす気になど、到底なれなかった。
(……かっこいいどころじゃないよ⋯大好きだよお兄様。ありがとう⋯僕たちを守ろうとしてくれて)
双子は心の中で、そう呟いた。
兄が懸念している三つの可能性は、どれも極めて現実的で、かつ恐ろしい未来だ。
自分たちを想ってくれている人が、この王城に、この世界にこんなにもたくさんいる。
自分たちの存在が、どれほどの愛情と、どれほどの危うい均衡の上に成り立っているのかを、彼らはその夜、痛いほどに理解したのだ。
「……殿下? エメライン殿下?」
ルーカスの声が、エメラインを回想から引き戻した。
目の前には、まだ何も知らない、けれど自分たちと深く関わっていくであろう少年の金色の瞳がある。
「あ……本当に大丈夫ですわ。少し、昨日の読書の疲れが出ただけですの」
エメラインは完璧な「病弱な王女」の微笑みを作り、ルーカスに向き直った。
兄が命をかけて守ろうとしているこの平穏を、自分たちもまた、どんな嘘を重ねてでも守り抜かなければならない。
アルフレッドがルーカスに「無邪気なふり」をして近づいた理由も、今ならわかる。
彼は彼なりに、兄が危惧する「最悪のケース」を潰すために、今この瞬間から動き出しているのだ。
三人は再び、広大な謁見の間へと続く扉を目指して歩き出した。
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