13話
あの日、エマの温かな抱擁によって「死への絶望」という呪縛から解き放たれたアルフレッドは、自室の窓から暮れゆく王都を眺め、深い自省の海に沈んでいた。
(……どうして僕は、あんなにもエマや家族を傷つけかねない極端な発言をしてしまったのだろうか。感情に流され、何の利益もない拒絶を口にするなんて。僕としたことが、あまりに非論理的だったし感情的だったな)
冷徹な「神童」としての理性が、数日前の自分を客観的に分析する。
しかし、そのすぐ後に、隣で同じように夕焼けを見つめていたエマの横顔を見て、彼は思うのだ。
(だがしかし、客観視すればするほど、エマの言う『幸せな最後のために今を全力で生きる』という考えの方が、正解に近い気がしないでもないな……)
双子が互いの絆を再確認し、静かな夜を過ごしていたのも束の間。
王宮の静寂を豪快に切り裂く音が廊下から響き、その思考は物理的に中断された。
バァァァン!!!
「アル! エマ! 聞いて! ついに、僕の婚約者が正式に決まったよ!」
勢いよく扉を蹴破らんばかりの勢いで現れたのは、シリルだ。その顔は、まるで一生分の幸運を使い果たしたかのような輝きに満ちている。
『えっっ? えー!!!!』
二人は同時に叫んだ。
三歳児の愛らしい声が重なり、部屋の空気が震える。
「聞いて驚け! 我が愛しき弟妹よ!」
シリルの態度が、一瞬にして仰々しく、どこか偉そうなものに変わる。それを見た双子は、
(なんだか急に権威を振りかざし始めたな……)
冷ややかな視線を送った。
「三大公爵家が一角! 魔導の血筋として名高い『フランメイル家のご令嬢』だ!」
二人は聞いた瞬間、驚きで目が点になった。
フランメイル家といえば、王家に次ぐ強大な魔力を持ち、代々宮廷魔導師長を輩出する名門中の名門だ。
「僕達はまだ会ったことがないけれど、お名前なんて言うの?」
アルが、情報の整理を開始すべくシリルに問いかけた。
「スカーレット嬢だよ! 御年五歳で、フランメイル家当主の第二子だ。君たちにとっては二つ上のお姉さんになるね。ちなみに、スカーレット嬢の兄にあたるのは、ルカ......ルーカス。僕の親友さ! 」
どうやら双子に義姉ができるらしい。
「君たちはまだ会ったことがないね。今度一緒に遊ばない? とりあえず五人で! 他にも僕の親友は何人かいるけれど、まずはあの兄妹でいいでしょ」
シリルは息もつかせぬ勢いで喋り続けた。
「婚約者」それは王族にとって逃れられない宿命だが、まだ7歳のシリルにとっては「大切な弟妹を紹介できる相手が増える」という喜びの方が勝っているようだった。
「あー。お兄様、それさ……お母様とお父様にはちゃんと言っているの? 今までだって、私達が『お友達』と言われて何人かの令息や令嬢に会ったことあるけれど、普通に話しているだけでみんな離れていって、最終的に私達二人で孤立しちゃったじゃない?」
エメラインが、少しだけ陰のある、それでいて呆れたような顔で言った。
双子にとっての「普通の話」とは、古代魔導言語の解析や、既存の物理法則と術式の矛盾点についての考察を指してしまうのだ。
シリルという「一級品の天才」であっても、双子の思考スピードについていくのが精一杯なのだ。
並の貴族の子弟が、彼らの言葉を理解できずに恐怖を感じ、去っていくのは当然の結果だった。
「大丈夫だ! すでに許可は取り済みだ! 君たちがそう言うと思って、完璧に先回りしておいたよ! それにだ、これを見てもまだ疑うかい?」
シリルが懐から取り出したのは、王家の紋章たる深紅の蝋で封印された、重厚な羊皮紙だった。
そこには女王オフィーリアしか押すことを許されない「真実の印章」が輝き、女王の直筆で、フランメイル家との交流を許可する旨が記されていた。
双子は無意識のうちに「真実眼(鑑定)」を走らせたが、そこに偽造の痕跡は一切ない。シリルの言葉に嘘偽りはないようだ。
「本気なのね!? ただの冗談かと思っていましたわ!」
エメラインが溜息混じりに言った。
「でも、そのスカーレット嬢とルーカス様? だっけ。どうせその二人も、僕達の話にはついてこれないでしょ」
アルフレッドも肩をすくめて追従する。
彼らにとって「他者」とは、理解し合えない存在になりつつあった。
「心配するな! 君たちほどではないにしろ、僕と同等の知識と才覚はあるよ、ルーカスは。スカーレット嬢については、まだ公式な場で数回しか会ったことがないから詳しくはわからないけれど、ルカいやルーカスに聞いたら『同年代の中ではずば抜けて賢い方だ』と言っていたよ。……まあ、ルーカスの基準がどの程度のものかはわからないけれどね。」
シリルは満面の笑みで、希望的観測を交えて答えた。
「お兄様。その『ルーカス様』のことは、もう『ルカ』で大丈夫ですわ」
エメラインが、シリルの親しげな態度を汲み取って言った。
背後ではアルフレッドも、さりげなく、けれど確かに頷いている。
「ほ、本当に!? アルとエマがそれでいいのなら……! ぼ、わ、私はこれからそう呼ばせていただくね!」
シリルは一瞬、公私の切り替えに戸惑いながらも、双子が兄の親友を受け入れようとしている事実に、顔を輝かせて喜んだ。
「で、いつですの? その五人で遊ぶ日は?」
エメラインが、現実的なスケジュールの確認に入る。
「え? 言っていなかったっけ? ……明日だよ?」
シリルの顔に、無邪気な「?」が浮かぶ。
『あ、明日……ですか!?』
二人は目をパチクリさせ、同時にシリルの顔を凝視した。
「一週間前から両親やフランメイル家に、それこそルカとか色んな人に打診して、正式な許可が降りたのが一昨日だったんだ。そこから公式な許可証を発行してもらったり、君たちを納得させるための説得材料を揃えていたら、今日になっちゃって……。で、現在に至ります。本当にごめんね。」
シリルは、自分の見通しの甘さを自覚しているのか、見るからに申し訳なさそうに身体を縮こまらせた。
『ハァ〜……』
双子の溜息が、重くシンクロする。
「なるほど。で、それが明日になったわけね、お兄様?」
エメラインの声から、これまでのような愛らしさが消えた。
低く、静かな、けれど圧倒的な威圧感を孕んだその声。
無意識のうちに彼女の膨大な魔力が言葉に乗り、部屋の温度が数度下がったかのような錯覚を周囲に与える。
控えていた侍女や執事たちは、その重圧に息を呑み、動くことすらできなくなった。
「明日は、二人で初めて城下町を極秘にお散歩する予定だったのですよ?それを全て取りやめにしろと? 全く、無茶振りにも程があります。」
アルフレッドも同様に、黄金の瞳に冷徹な光を宿し、妹と同調するように魔力を放射した。
一歳半の時に禁書庫を震わせたあの魔圧は、三歳になった今、より洗練され、鋭い刃となってシリルの前に立ちはだかる。
「反論の余地もありません。……本当に、すみませんでした。」
シリルは、弟妹の放つ本気のプレッシャーに冷や汗を流しながら、今度こそ心から反省しているようだった。
だが、そんな兄の姿を見た双子は、すぐに魔力の放出を止めた。
「明日ね……なんとかするわ。せっかくお兄様が、私達のためにこれほど頑張ってくださったのだもの。ねぇ、アル?」
「ああ、そうだな。……なんとかしよう。エマ、善は急げだ!」
「了解! アル!」
言うが早いか、二人は短い脚で床を蹴り、自室を飛び出した。
残されたのは、呆然と立ち尽くすシリルと、あまりの出来事に魂が抜けかけたようになった侍女や執事たちだけだった。
双子は、明日の予定を「力技」で調整するために奮闘を開始したのだ。
研究の進捗を前倒しにし、城下町への視察計画を練り直し、そして何より、たった一人の愛すべき兄を悲しませないために。
夜の王宮を、三歳の神童たちが嵐のように駆け抜けていく。
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