11話
あの幸福な読み聞かせの夜から、3日が過ぎた。
王宮の窓から差し込む陽光は、今日という日を祝福するように一段と輝きを増している。
いよいよ待ちに待ったピクニックの日がやってきたのだ。
誰よりもこの日を心待ちにし、昨夜は興奮で寝付けなかったであろうシリルが、着替えを終えるなり双子の部屋へ飛び込んできた。
「アル、エマ!!! 準備できた〜!」
部屋に響き渡るシリルの声は、期待に満ちて弾んでいる。
今日のアルフレッドとシリルは、王族が領地での狩りに赴く際のような、機能美に優れた茶色の狩猟服に身を包んでいた。
まだ3歳と幼いアルは丸腰だが、七歳になったシリルは、その腰に儀礼用を兼ねた実戦用の細剣を誇らしげに下げている。
一方のエメラインは、湖畔の風にふわりと舞うような、動きやすさを重視した簡素なデザインのワンピースを纏っていた。
装飾を排したその姿は、かえって彼女の持つ神秘的な美しさを際立たせている。
ちなみに、両親であるオフィーリアとヴァルドも、今日は王冠を脱ぎ捨て、騎士や令嬢のようなカジュアルで軽やかな装いを選んでいた。
『うん!できたよ!』
双子の声が、一糸乱れぬタイミングで重なる。
その愛らしい返事に、シリルの顔は一瞬でとろけるような笑みに支配された。
「じゃあ、行こう〜!」
シリルは二人の小さな手を、宝物を扱うように、けれど元気よく引き、意気揚々と部屋を飛び出した。
廊下を駆け抜け、家族が待つ集合場所へとたどり着く。
「お母様、お父様! 二人を連れてきました! あぁ……見てください、天使だ! 天使がここにいます! この姿を見てください、可愛すぎます! もう、僕は……あ、私はどうにかなってしまいそうです!」
集合するなり、シリルは公の場での一人称「私」を辛うじて保ちつつも、中身は完全に理性を失った兄バカへと退行していた。
「……もう、とっくにどうにかなっているでしょうに⋯」
エメラインが、ジト目で兄を見上げながら小さく呟いた。
その声には、呆れを通り越した諦念が混じっている。
「気持ちはわかるけど、お兄様、だめだよ。しっかりして!」
アルフレッドも苦笑しながら諫めるが、シリルの耳には届いていないようだった。
「ふふ。そうね。今日は三人とも本当にかわいいわ。いつも可愛いのだけれど、こうして外行きの格好をすると、もっと可愛くなってしまって……」
シリルに続きオフィーリアの親ばかが発動してしまった。
「あぁ、誰かに誘拐されてしまったらどうしましょう。やはり、今からでも護衛の数をさらに増やそうかしらね⋯」
そして、オフィーリアが、真剣な顔でそんな物騒なことを口にし始める。
「そうだな、確かに可愛すぎる。……だがなリカ、護衛を増やす必要はないだろう。だって、下手したら俺達の息子と娘は、現役の俺よりも強いかもしれないんだからな。物理的にも魔力的にも、大丈夫だろう」
ヴァルドが腕を組み、確信に満ちた声で言った。
それは親バカゆえの過信ではなく、戦士としての冷静な分析に基づいた事実であった。
だが、親バカであることに変わりはない。
(お兄様もだけど、お母様とお父様も大概でしょう……)
(全くそのとおりだ。この家族に常識を求めるのが間違いだったね)
双子は視線だけで密かに頷き合い、深く溜息をついた。
「ところで、お母様。提案があるの。今日はいち早く湖に着くために、転送魔法で荷物だけを先に現地へ届けて、私達は転移魔法で直接行かない? 地図で座標は確認したから、座標指定も完璧だよ」
エメラインが提案したのは、一流の魔導師でも躊躇するような長距離の「転移魔法」による移動だった。
「まぁ、そうなの。では、エマちゃんにお願いしようかしら。ねぇリアム、行きましょう。……あなた達は下がってちょうだい」
オフィーリアは優雅に微笑むと、周囲に控えていた侍女や執事たちに素早く指示を出し、彼らを下がらせた。家族水入らずの時間を守るための配慮だ。
「わかったよ。じゃあエマ、お願いするよ」
ヴァルドが頷き、家族五人が輪になる。
「アル。わかってるよね」
「あぁ、エマ。もちろんだ。……お先にどうぞ」
双子の間で、大人たちには理解できない短い言葉が交わされた。
シリルたちは首を傾げたが、次の瞬間には術式が発動していた。
「じゃあみんな、行こうか。『転移魔法』!」
視界がぐにゃりと歪み、次の瞬間には鼻腔をくすぐる清涼な水の香りと、緑の匂いが飛び込んできた。
一瞬にして、あの透明な湖のほとりへと到着したのだ。
「さすがね。エマ、ありがとう。」
オフィーリアが感心したようにエマの頭を優しく撫でた。
しかし、その直後、周囲を見渡したシリルが悲鳴のような声を上げた。
「アルは!? アルがいない! アル、どこにいったんだい!?」
シリルの取り乱しぶりに、周囲の鳥たちが驚いて飛び立つ。
だが、エメラインは動じることなく、涼しい顔で答えた。
「大丈夫よ。すぐ来るわ。……荷物と一緒にね。」
「……どういうことなの?」
家族全員がきょとんとした顔で顔を見合わせた、その時だった。
しゅっっっっっん! どっっっさ!
空中に亀裂が走ったかと思うと、大量のピクニック用バスケットや敷物、そしてその山の上にちょこんと座ったアルフレッドが姿を現した。
「おまたせ。荷物を『転送魔法』でまとめて持ってきたよ。重かったから少し座標がズレるかと思ったけど、完璧だね。」
「そうだったのね! ありがとう、アル。もちろん、先に私達を送ってくれたエマもね。」
母に褒められ、アルフレッドは照れくさそうに鼻を擦った。
どれほど知能が高くとも、やはり母の賞賛は格別なのだ。
「あぁ⋯そうだ!アルにエマ。2人にはまだ伝えてなかったね。お祖母様は今離宮生活を楽しんでおられるので、本日は来れないそうだよ。」
シリルに言われた。
「だからいらっしゃらないのね!」
「そっか!」
アルとエマは納得した様子だった。
「お母様、お父様。実は私達、今日ここで試してみたいことがあるんです。あのおとぎ話があるでしょう? 不思議な少女が、海の上で楽器を演奏して奇跡を起こすっていう、あの神秘的なお話」
アルフレッドが切り出すと、エメラインが荷物の中から銀色に輝くフルートを2つ取り出した。
「それが、今の私達なら再現できるかもしれないの。試しにやってみてもいいかしら? フルート、持ってきたもの」
自信満々に胸を張る双子に、オフィーリアは少しだけ心配そうな顔を見せた。
「いいけれど……本当にできるの?」
『もちろん!』
二人の返事は、湖面に響き渡るほど力強かった。
「行くよ、アル。」
「うん!」
二人が湖の波打ち際に立つと、周囲の空気が一変した。
三歳児の小さな体から溢れ出すのは、王宮の魔導師団長すら戦慄するほどの緻密で膨大な魔力の奔流。
「『浮遊魔法』『水操作』『想像魔法・音・二重』『結界・強』」
アルフレッドとエメラインが瞬時に四つの高度な魔法を多重起動させる。
二人の足元で水面が盛り上がり、水晶のような舞台を作り上げた。
双子はその周囲に、音の反響を完璧に制御するための透明な結界を張り巡らせる。
「アル、演奏しようか。」
「そうだね。」
二人が水上の舞台へと歩みを進める。
太陽の光を浴びて黄金に輝く髪と、神秘的な紫の瞳。
そのコントラストが、湖の青に溶け込んで、この世のものとは思えない神々しさを放っていた。
通常、一流の魔導師と呼ばれる基準は「二つの魔法を同時に操る」か「術式を二重に重ねる」ことだ。
だが、双子はその基準を嘲笑うかのように、四つの魔法を維持しながら、さらに「想像魔法」という神域の力を二重に発動させている。
アルフレッドの手には、想像魔法によって具現化した黄金のハープが握られていた。
エメラインがフルートを構え、最初の一音を奏でる。
その瞬間、湖面が共鳴するように細かく震え、アルフレッドの奏でるハープの音が、風に乗って世界を満たしていった。
「あぁ……凄い。思わず見とれてしまうね⋯」
シリルが呟く。
その隣で、オフィーリアとヴァルドも言葉を失い、ただただ愛しい我が子たちが作り出す、光と音の幻想に目を細めていた。
おとぎ話の少女は一人だったが、ここには二人いる。
一人が旋律を、一人が和音を。
一人が風を、一人が水を。
互いの魔力を補完し合い、高め合うその姿は、まさしくこの地を祝福するために遣わされた神の写し鏡のようだった。
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