2.牧野えりの誕生
名前の誕生の瞬間とその動機はよく覚えている。
まだ二十一歳の学生だった私は、なぜか結婚していた。
結婚していながら、自分が結婚していることが信じられなかった。
確かに付き合っている男の子はいて、結婚を申し込まれた。
私は子供だったが、子供なりの知恵はあって、結婚もしたくないけど、働きたくもない。
結婚する予定の男の子がいて、親に養ってもらうというのは、いい境遇だと思っていたので、つい、軽い気持ちで、「結婚を申し込まれた(笑)」と母親に言ったものだった。
そこからの母親の行動は素早かった。
家事もせずに、毎日ぐうたら昼寝と買い物ばかりしている同じ人物とは思えなかった。
あれよあれよ、という間に、私の父親を抱き込み、相手の両親にまで話をつけ、格安で箪笥類を買い、相手の両親の提供した家賃500円という格安の公務員住宅に家具類を送り、ついでに私も送られて、私は予想外の結婚生活を送ることとなった。いわゆる学生結婚というやつだ。
私の姓は、自動的に相手の姓になってしまった。いやも応もない。そういうことになってますんで、という感じだ。
もともとの自分の姓も馴染めないものだったが、(言いにくかったし、聞き返されると、もっと言いにくくなった……歴史的に有名な名前なのに、学校の先生にも、病院の受付でも、まともに読んでもらえたことが無かった)自分の姓にも馴染んでいないうちに、別の姓になってしまっていた。
もともとコミュニケーション能力に劣る私、電話がかかってくると、あたふたして、自分の旧姓を思わず言ってしまったりした。
勝手に自分の姓が変わるなんて、納得がいかなかった。しかも、何で女の方だけ?
結婚して、二人とも新しい姓になるというなら納得もしただろうが、女だけが変わる?
それって、離婚したり、結婚したりする度に、女だけが姓が変わるってこと?
魚を買ってきて焼いたり、お肉や野菜を炒めたりしながら、私は考えた。
頭は斬新だけれど、身近に斬新なお手本のいない私の動作は保守的だった。
納得もしていないのに、言われるままに結婚して、家からも大学からも遠い、公務員住宅で魚を焼いていたりする。
それなら、一生涯変わることのない、私の名前を作ろう。
ああでない、こうでないと紙に色々書いて行った結果、「槙野絵理」と言う名が最終的に残り、簡略化されて、「牧野えり」となった。
私は、私の本当の名前は、牧野えり。
この名前だけは、一生涯、変わることはない。
何が起ころうと。
と、誰もいない和室で、固く天に誓ったのだった。




