第三十話 後編
その場にいた全員に懐妊の事実を知られてしまったトワレは、いたたまれない様子だった。
「お騒がせして申しありません」
ペコペコと頭を下げるお下げの女と、その横で同じように頭を下げる白髪の青年に、ステラ女王は首を傾げた。
「とてもおめでたい事なのに、何故謝るのかしら?まさかとは思うけれども、嬉しくないのかしら?」
その質問に、トワレは泣きそうな顔をした。
「嬉しくない母親が何処にいるでしょう。しかし、私が気づくのが遅くなったせいで、この子には今日まで大変な思いをさせてしまいました。もしもの事があったらと思うと……」
ここ数か月、リベルタ絡みで他国まで馬車を走らせ続けたトワレは、自分の体の変化に全く気付いていなかった。医師に月の物が来ていないのではないかと聞かれ、顔面蒼白になってしまった事だけ見ても、どれだけ自分に無頓着だったのか分かる。
母を早くに亡くしたことで、こういった女性特有の問題を相談できる相手が傍に居なかったことも関係するのかもしれない。今も、いくら医師に胎児に影響はありませんよと言われても、ずっと不安が付きまとっているのだ。
「なるほど、そういう事ですか。ならば、心配はいりません。私は八人の子を産んだ母ですが、出産直前まで執務室に居ましたし、毎日運動は欠かしませんでした。逆に大事を取り過ぎて動かないのも良くないのです。いつもと同じ、普通を貫きましょう」
百戦錬磨なステラは豪快な持論を披露するが、隣にいる夫ジェンナイオは、
「君は規格外だと私は思うけどね」
と呆れたように言う。
初産の時は、流石に彼も慌てふためいたのだが、子沢山一家のナーハフォルガー公爵家では普通に過ごすのが一番だと妻は言ってきかない。その普通が社畜張りに働く事なのだから、彼女の普通を普通と思ってはいけないのだ。
「旦那様は黙っていてください」
ピシャリと叱られ、ジェンナイオは口を閉ざす。そして、同情の視線をクルーガーに向けた。何せ、ステラの言葉を神の啓示のように受け取ったトワレが、鼻息も荒く、
「そうですよね。普通が大事ですよね」
と、拳を握っているからだ。このまま放置すれば、トワレもステラと同じように走り続けてしまうだろう。
そこに、思いもよらない救世主が現れた。
「ステラお義姉様、それは、少し違うと思います」
右手を挙げて異論を唱えるのは、なんとリベルタだった。シャイネンの婚約者となったことで、リベルタはステラから『お義姉様』と呼べと強要されている。普通なら恐れ多くも一国の女王に、こんな気軽な呼び方はしないだろうが、強引にマイウェイな彼女は、グイグイと持論で攻め入っていく。
「大切な命がお腹にいるのです。人にやって貰えることは、全部任せてしまいましょう」
キャンセル界隈至上主義者であるリベルタにすれば、折角他人が肩代わりして仕事をしてくれるというのに、何故無理に自分で背負い込むのか分からない。仕事人女子二人と考え方の両極を行くリベルタは、腰に手を当てて真っ向から対立姿勢を表す。
「それに、子育ては一人でするものではありません。出産前から夫を、妻のフォローが出来るように躾なければなりません」
これは、前世の叔母が良く口にしていた言葉だ。
「夫の教育は、最初が肝心」
一見亭主関白に見えた関係が、叔母の一言でガラガラと崩れ去った記憶は今も鮮明に覚えている。その叔母は、自分で持てなくもない荷物でも、ニッコリ微笑み、
「あなた、ありがとう」
と言って手渡していた。決して自分から持つと言ったわけでもないのに、思わず受け取ってしまったご主人は、
「あ、あぁ……しかたないな」
と結局全ての荷物を持たされていた。思わず彼女の事を師匠と呼びたくなったのは、致し方ない事だろう。
ただ、これはリベルタがものぐさな資質だからで、全部任せるというのは極端すぎる考えだ。
そこで、唯一中立な立場でものが言えるシャイネンが重い腰を上げた。
「リベルタさん、君の考えも悪くはないけれど、出来れば互いに協力出来たら嬉しいな」
シャイネンは、リベルタの手を持つと、彼女の顔を覗き込みながらほほ笑んだ。
「いつの日か、私達にもこんな日が来るとは思いますが、女性にしかできないこともあれば男性にしか出来ないこともある。どちらかが全部引き受けるのは無理がありますよ」
その言葉に、自分とシャイネンの子供を想像したリベルタは、真っ赤になって下を向いてしまった。子供を育てるためには、先ず、子供が出来るような行為をしなければならないという事に思い至ったからだ。
一番厄介な問題児を黙らせたシャイネンは、次に姉ステラに顔を向けた。
「姉上は、逆に少しジェンナイオ義兄上を頼った方がいい。愛している人からこそ、ここぞという時に頼られないのは、男とか女とか関係なく寂しいものですよ」
思ったらすぐ行動に移してしまうステラは、時々相談すら忘れて突き進んでしまう事がある。今までは、それが運よく全て良い方に向かったから良かったが、失敗をすれば国民に迷惑を掛けてしまう事もありうるのだ。
「トワレさんもです。クルーガー君は、そんなに頼りにならない夫ですか?見て下さい。今も貴女を心配して、彼の顔色も悪いではないですか」
自分と赤ん坊の事で頭が一杯になっていたトワレは、自分を支えてくれているクルーガーを見るのをすっかり忘れていた。改めて夫の目を見ると、今にも泣きだしそうに潤んでおり、我が子の誕生への喜びと、トワレが暴走しないかという不安に揺れていた。
「……ごめんなさいクルーガー。相談する相手を間違えていたわ」
「そうだな。先ずは、二人で一杯考えよう」
こうして、トワレとクルーガーの新米パパママ道は、ここから始まるのだった。




