第二十六話 後編
クルーガーが借りてきた馬車は、年老いてやせ細った馬が引いており、荷台もボロボロの物だった。
「これは……乗り物なのですよね?」
不安げに聞くクオーレに、クルーガーはため息をついた。
「乗り物以外の何に見えているのか聞いていいだろうか?」
「すみません、そういうつもりでは……」
クオーレに悪意はないのだろうが、余計それが辛い。彼自身、この老馬が四人も載った馬車を牽けるのかさえ不安に思っている。
しかし、村中を聞いて回ったが、使っていない馬車はこれしかなく、馬も役目を終えて余生を過ごしていたのを、無理を言って譲ってもらったのだ。
「まぁまぁ、何はともあれ、乗って乗って」
少し険悪な空気になってしまったが、リベルタが率先して乗ったことで慌ててクオーレも後に続いた。
御者台には無論トワレとクルーガーが並んで座り、手綱はしっかり者の嫁が握った。
「リベルタも、クオーレも、揺れるから、気を付けてね」
トワレが振り返って一言声を掛けた後、馬車はゆっくりと進み始めた。
「あのリベルタ……貴女は、こういう事に慣れているの?」
「こういうこと?」
「その……」
クオーレが言いよどむのは、多分馬車が馬糞臭いからだ。こちらにお尻を向けている老馬からも強い獣臭が匂っている。
「クオーレは、乗馬はしないの?」
「お義父様が、どうしてもそれだけは許してくれなくて」
テリブル侯爵は、落馬したら危ないと馬に近寄らせてもくれないらしい。クオーレにあれだけ戦う術は授けたくせに、本末転倒である。
そして、リベルタの方は、ベリッシモ伯爵領が馬の名産地という事もあり、戦いは苦手だが乗馬は得意だ。
「それは、残念。実は、私は小さい頃から厩舎でお手伝いをするくらい馬が好きなの」
「厩舎で?」
「うん。特に仔馬は、とってもかわいいのよ。そうだ、いつかクオーレも私の故郷に招待するわ」
満面の笑顔で誘ったリベルタだったが、それ対してクオーレは答えに困ったように微妙な笑みを浮かべた。多分、馬糞の臭いに相当参っているのだろう。
人間には向き不向きがあることはリベルタも承知の上だが、大好きなものに嫌な顔をされれば人間腹も立つ。馬は、自分にとって馬は家族のような存在。しかも今馬車を必死に引っ張ってくれているのは仕事を引退した老馬。四人も乗った馬車を無理に牽かせているのは、こちらのほうだ。乗せてくれてありがとうと感謝しこそすれ、匂いに顔をしかめるなどありえない。
ただ、クオーレを責めることも出来ないことは分かっている。彼女は元王太子妃候補。現在養女に入ったテリブル侯爵家で戦闘訓練を受けるようになったといえども、馬に近づいたこと自体が生まれて初めてで、これほど強烈なにおいがするものだとは思ってもいなかったのだから。
「トワレ、ちょっと停めてくれる?」
リベルタは、馬車を道路脇に寄せてもらうと馬車を降りて馬の方へと歩いて行った。そして、鬣を撫でてやりながら、優しく声を掛けた。
「急にお仕事をお願いしてしまって、本当にごめんなさい。少しでも癒せたらいいんだけど、ちょっとだけじっとしていてね」
そういって、リベルタは治癒魔法を馬に掛けてやった。
――この子が、少しでも元気になりますように。
純粋な願いは馬にも伝わったのか、嬉しそうに嘶くと、自分の鼻の頭をリベルタの頬に擦り付けた。しっとりと濡れた感触は、クオーレなら悲鳴を上げていたかもしれない。
ただ、臆病な馬に取れば、これは最大級の親愛の表現。リベルタは馬の首に手を回すと、自分からも頬を押し付けて言った。
「ありがとう。うれしいわ」
この時、クオーレは、たかが臭い程度で不快感を表してしまった自分の浅はかさを知った。
「ごめんなさい……」
自然と口から言葉が零れ落ち、クオーレの目から涙が零れ落ちる。その気配を背中で感じていたトワレとクルーガーは、前を向いたまま知らぬふりをしてあげることにした。




