第十八話 天使の涙
史料館からの帰り道、リベルタだけが沈んだ顔をしていた。リブロから送られた天使の涙を手に握り、ずっと考え事をしている。
「どうかしましたか?」
トワレ達は別の馬車で帰った為、今この馬車に乗っているのはリベルタとシャイネンだけ。向かい合って座ればいいのに、並んで座っているのはリベルタが不安そうな顔をしているからだ。
「シャイネン先生、私、一つ思い出したことがあって」
「なんだい?」
「この天使の涙……ゲームの中に出てきたんです」
魔王討伐の終盤、聖女一行が授けられるアイテム。今は絶滅したと思われているエルフ族の末裔から渡されるシーンは、幻想的でとても美しかった。
――と言うことは、リブロ先生は、エルフ?
既にゲームの世界とは遠く離れた生活をしていたリベルタにとって、突然過去に引き戻されたような感覚は、正直とても怖かった。
「まさか、こんな所で手渡されるとは思っていなかったから、思い出すのに時間がかかってしまって……。さっき気づいていたら、詳しい話を聞けたのに」
史料館への入館許可は、貴重な資料などがある為文化庁の許可が要る。今回エテレオに会う為に数週間かかったのも、そういう事情があったからだ。
「これは、どういう物なのかな?」
「本来これは、強力な結界石のような物です。四方に埋め込むことで、囲われた者は中から出られなくなるんです」
「それは、魔王とやらにも効くのかい?」
「はい。その為の道具なので」
ゲームの中でも、魔王を完全に滅ぼすことは出来なかった。弱体化させ、再び封印することで世界に平和が戻るのだ。
エテレオが見ていた悪夢は、多分、リベルタが当て馬令嬢としての役割を果たした後の話。聖女が転生者のボニートだったことで、結局魔王討伐に失敗したのだろう。
しかし、リベルタがシナリオを変えてしまったことで、魔王が目覚めること自体止めてしまったらしい。
「このまま平和が続くのなら、なんの問題もないと思いますが?」
「いえ……、その……、エテレオ様が見た夢の中で、気になったことがあって」
それは、リベルタが黒い影を踏みつけて消し去ったというもの。多分、時期的にススロット侯爵家での一件があった頃だ。
「私、全く気付いてなくて、言われて驚いたんです」
魔王の残滓と呼ばれた影は、人の負の感情によって力を増していく。それが不穏な場所に居たということは、意志をもって活動していると考えて間違いない。
「多分、魔王を封じる結界が緩んでいるんだと思います。出来たら……この石を封印場所の四方に埋め込んだ方が良いと思います」
やりたいのかと言われると、やりたくない。面倒くさい事が大嫌いなリベルタは、わざわざ遠い森まで行くことなど勘弁願いたいし、土を掘って埋めるなど他人でもできることは丸投げしたい。
ただ、黒い影が蠢く場所へ無責任に人を差し向けて、何かあった後後悔するのも嫌だった。
「それに……なんて頼めばよいかも分かりませんし」
いきなり遠い森まで行って、塚の周りに石を埋めろと言われ、理由を聞かない者はいないだろう。そして、それを説明したとして、何故魔王封印の場所を知っているのかと問い詰められれば、答えに窮することは目に見えている。
「自分で行くしかありませんよね……」
「その場所は、何処なのかな?」
それは、現在マデリンが治めている貿易都市とは反対側の国境沿い。遠くはないが、近くもない。学園で教鞭を取るシャイネンは、そろそろ仕事に戻らなければならない。なにせ学校の長期休暇はそろそろ終わりを迎えようとしている。
「私抜きで行くことは、許せませんね」
「そうですが……」
多分短くても十日は掛かる。シュクセ男爵家の高速馬車を借りたとしても、御者が居なければどうにもならない。
「念の為聞きますが、その正確な場所は何処なのですか?」
「大樹の森です」
「あぁ……」
シャイネンは、何故か納得したような表情を浮かべた。
「何か思い当たることがあるのですか?」
「あの大樹自体が、結界のような物ですからね」
長い年月を掛けて育った大木は大地のエネルギーを蓄え、澄んだ空気、休める木陰などを生み出す。そして、そこに生きる動物達も、森で育った糧を得て命を育んでいく。
そこには豊かな資源が眠っているとされているが、何故か人は、その森に入ると迷うのだ。そして、吐き出されるように森の外へと誘導される。まるで、森が生きているかのように。
「リベルタさん、明日、出発しましょう」
「え?」
「休暇も、後三日残っています。そして、私はずっと有休を取っていないんですよ」
笑うシャイネンだが、きっと学園長は困るだろう。なにせ、結界学を教えられるのは、彼しかいないのだ。
「先生、それはやはり、無理があるかと」
「リベルタさんこそ、お忘れじゃないですか?今、ナーハフォルガー公爵家には、とても頼りになる人が帰っていることを」
首を傾げたリベルタだが、次の日、シャイネンは言葉通りにベリッシモ伯爵家へやってきた。
「臨時教員、ヴォルケン・ナーハフォルガー先生は、帰ってくるまで代役を務めてくれるそうですよ」
新しく職に就いたばかりの兄に有休を取らせ、あまつさえ自分の仕事の代役をさせる末弟のなんと恐ろしい事か。
ただ、このことは、ヴォルケンの上司も諸手を上げて喜んでいる。日々彼の質問攻めに遭い続けた彼は、現在胃薬を手放せないらしい。
「多少長くなっても構いませんので」
青い顔でそういった彼は、今朝美味しいご飯を食べているものと思われる。
「それに、ちょうど姉の住む場所に近いんです。ご挨拶をしてきたいと言えば、ヴォルケン兄上に断る選択肢はありません」
ナーハフォルガー公爵家長女ステラは、隣国の王家に嫁いでおり、現在王妃として辣腕を振るっていると聞く。遠く離れてはいるが、姉の力は絶大と言うことなのだろう。
「ちょっとヴォルケンお兄様が、可哀そうに思えてきました」
「それくらいが、ちょうどあの人には良いのです。今まで、さんざん迷惑を掛けてきたのですから」
父フラッシュも笑って許可をしてくれたらしい。そして、久しぶりにステラに会えるシャイネンを羨ましそうに見ていたという。
「姉上は、正に我が家の星でしたから」
美しさもさることながら、知力、体力、気力全てにおいて、彼女は一番星だった。家族思いで優しさに溢れ、それでいて凛とした佇まいを崩さない。留学中の王太子に見初められ、他国に嫁ぐことが決まった際も、家族全員が反対して大騒ぎになったほどだ。
「私も、あの方を愛しております」
ステラの一言で暴動は治まったものの、未だに父フラッシュは彼女の夫を気に入っていない。
「それは……凄い方ですね」
会う前から気圧されるリベルタだが、遠くから馬車が駆ける音が聞こえてきて意識をそちらに向けた。振り返ると、いつものごとくシュクセ男爵家の馬車が猛スピードで走ってくるのが見える。
しかし、その御者台にトワレが乗っているのを見てポカンと口を開ける。確か、仕事が忙しくて今回の同行は無理だと言っていたはず。
「トワレ、仕事は?」
「丸投げしてきたわ!」
「誰に?」
「父に」
さも当たり前といった表情だが、男爵自身忙しくて目が回るような生活をしているはず。
「だって、貴女、ステラ王妃にご挨拶に行くんでしょ?ついていかない手はないわ!」
隣国ソーレは、小国ながら資源が豊かで国民の幸福度が高いと有名だ。そこには、王妃ステラの活躍もあると言われており、謁見できるとあれば何を置いても参加したいというのが商人としての本音だろう。
「それに、コレを譲るんだから、少しくらい利がないとね」
馬車から降りたトワレがリベルタに渡したのは、二個の天使の涙。トワレとクルーガーがリブロから譲り受けた分だ。
「何に使うか聞かないの?」
「聞いて欲しいなら聞くけど、聞いても戻ってこないなら別にいいわ」
「本当に、合理主義ね。でも、ありがとう、信じてくれて」
そう言いながらも、リベルタの目には涙が溜まっていた。親友の自分への信頼感が重すぎて嬉しい。ふと、もう一人お礼を言わねばならない相手を探したが、今のところ見当たらない。
「あれ?クルーガーは?」
「あぁ……実は、馬車の中でお引き取り願いたい方を一生懸命説得してもらっているところ」
トワレの方がそういった折衝は得意のはずだが、それをクルーガーに頼むとは、よほど苦手な相手らしい。
「誰?私が知っている人?」
「勿論よ。あ、出てきた」
馬車のドアが開き、出てきたのは、なんと子リスことクオーレ・ハート公爵令嬢、もといクオーレ・テリブル侯爵令嬢だった。




