第十四話 第三部隊ハンナ・ブルジョワ子爵令嬢
「オラオラ、どうした新人。強いのは口だけか?」
周りに囃し立てられ、ライトは唇を噛んだ。テーブルを挟んで前に座る女性は、どこ吹く風でテーブルの上に置いてあった菓子に手を伸ばしている。それどころか、クリクリとした愛らしい瞳で見上げてくるのだ。そう、下から上目遣いで。
身長百五十センチの彼女は、この隊の誰よりも身長が低い。その名は、ハンナ・ブルジョワ。子爵令嬢の次女で、結界石監視隊第三部隊の紅一点だ。
見た目は、下手をしたら十代前半。実年齢はその倍の二十八歳なのだが、あまりに幼く見えるものだから、ライトは自分より年上とは未だに信じられないでいる。
第三部隊の平均身長は高く、皆百八十三センチのライトよりも良い体格をしているのだが、入隊当日、そんな彼らに取り囲まれるようにして立っていたのが、ハンナだった。周りの男達は彼女に敬意を払い、下にも置かない丁重な扱いをしていた。その為、最初はよほど身分の高い者なのかと勘繰っていた。
しかし、蓋を開けて見れば彼女は莫大な量の魔力を超繊細な操作で自由自在に操る天才だった。そして類まれなる運動神経の持ち主でもあり、身体強化をすれば大男を片手で捻り倒すくらいはやってのける。今もライトは、腕相撲で何度立ち向かっても瞬殺されていた。
「も、もう一度お願いします」
ライトは再び右腕をテーブルの上に出した。彼とて学園では神童と呼ばれた天才だったのだ。ここで尾っぽを撒いて逃げたとあっては、今後も侮られ続けることになるだろう。
そんなライトに対して、ハンナはあくまでも冷めている。
「もう、飽きたんだけど」
「そこを、なんとか」
既に十戦十敗のライトは、現時点で彼女に勝てないことは悟っている。それでも、挑まずにはいられない。彼の中で、女に負けるなどあってはならないことなのだ。
「その、女とか、男とか、そんなに重要なの?」
氷を背中に当てられたような冷たい声の響きに、ライトは思わずハンナの顔を見下ろす。その瞳に失望の色が見えて、ライトは、心臓がバクバクと脈打つのを感じる。相手が誰であれ、話す価値もないといった視線を向けられるのは辛いものなのだ。
「それは……どういう意味ですか?」
「私、憧れる人が二人いるわ。一人は、うちの隊長。そして、もう一人が、この世になかったものを生み出したリベルタ・ベリッシモ伯爵令嬢。お二人が素晴らしいから尊敬するの。貴方が尊敬する人は、誰?いるの?」
改めて聞かれ、ライトは返事に困った。自分が尊敬する人間の名前を直ぐに言えない時点で、彼は誰も尊敬していないのだ。王太子という立場があったことで、彼は常に自分は高みに居ると勘違いしていた。
しかし、周りを見ても誰も自分に尊敬の眼差しを向ける者はいない。それどころか、明らかに侮蔑の表情を浮かべる者が多い。第三部隊は、貴族も居るが、殆どが平民、もしくは移民だ。何処に居ても居心地の悪かった人間の寄せ集め。そんな奴らに見下げられることにライトは震えるほど羞恥を感じる。
「お坊ちゃん、ハンナの姉さんの質問聞こえてたか?」
「止めろ、止めろ、どうせ自分が一番だとでも思てるんだろ?」
「けぇ~~、ここに来てもまだ根性治らないのかよ」
「三つ子の魂百までていうだろ」
「こんな奴に国任せるの、俺やだなぁ」
口々に言いたい放題だが、それに反論できるものがライトには何もない。
「貴方、もうお家に帰ったら?邪魔なんだけど」
ハンナの言葉は、グサリとライトの心を抉る。そして、ガツンと頭も殴られたような気がした。求められることが当たり前で、求められることにうんざりしていたはずの彼が、ここではゴミ以下の扱いなのだ。
しかし、こうも思う。ここに居るメンバーに、一矢報いたい。ここを出ていくときは、全員に行かないでくれと言わせたい。どうしようもなくしょうもない夢だが、それでも彼が前を向けるなら、ここに来た意味はあったのだろう。
「絶対、帰りません!」
腹の底から声を出したライトに、皆が黙った。そして、場が白けたように静かになり、そして一人また一人と去っていく。残ったのは、ハンナとライトだけ。
「貴方、そんな声も出せたのね」
「え?」
「まぁ、悪くないんじゃないの」
それだけ言ってハンナは去っていった。まだ認められたわけじゃないが、見捨てられたわけでもない。どうなるかはお前次第だと言われた気がした。
■
次の日、ライトはいつも以上に早起きした。ここに来てから午前七時には点呼がある為、昔に比べれば随分と早起きになったと思っていた。
しかし、朝の鍛錬をしようと午前六時に起きてみれば、既に他の隊員は起きていた。しかも、ハンナだけはびっしょりと汗をかき既に長い時間剣を振っていたのが見ただけで分かった。
「どうした坊主、急にやる気出して体壊すなよ」
横を茶化しながら通った隊員は、それでも無視はしなかった。そして、その後も、あちらこちらから揶揄いの声がかかる。それに返事をするだけの余裕はライトにはない。ただ、闇雲に走った。せめて体力ぐらいは上回らねば、スタートラインにすら立てない。そんな思いがクタクタになる体を突き動かした。
「俺が居ない間、なんかあったか?」
短い帰省を終えたリヒトが戻ってくると、隊の雰囲気が少し変わっていた。ライトが来た時に、一気に場が荒れた感じはあった。皆大人なだけに、直接的にライトに手出しする者はいなかったが、良い雰囲気とは言い難かった。
しかし、たった数日居なかっただけで、第三部隊の面々の表情が柔らかくなっていた。元から強面の奴が多いが、中でもハンナのピリピリとした感じが消えていた。女の敵と目の敵にしていたはずのライトに対しても、剣の持ち方などを指導してやり、走り方の無駄を指摘してやっている。
「あ~、ハンナの姉さんが久しぶりにぶちかましてて。そんで、お坊ちゃんが手下になった感じですかね」
「うん。何言ってるのか良く分からないけど、まぁ、いいや」
リヒトは、理屈より肌で感じるタイプだ。そして、それは頭で考えるよりも正しく状況を把握する。
「きっと、ライトも、もう少しすれば第三部隊の名に恥じない筋肉バカになることだけは分かったよ」
魔石調査隊は、本来魔石の不具合がないかを調査するための部隊だ。そこには、直接的戦闘をするような場面は訪れない。それなのに、何故か第三部隊に入ったものは、騎士団より体が大きくなると言われている。その一因は、ハンナだ。彼女が毎朝続ける鍛錬に追随する者が現れたのは、いつのころだろうか?小さな体を精いっぱい大きく見せようとする彼女の努力は、生半可なものではないのだ。それを知ると誰も強制などされていないのに、早起きして体を鍛え始めた。
「ハンナは、生きる教本みたいな性格をしてるからなぁ」
真面目で、真摯で、一直線。決して人を裏切らず、仲間は命がけでも助ける。自分がされて嫌だったことは、絶対にしない。それは、敵味方関係なくだ。そんな彼女に対して、この隊の男達は人間として惚れ込んでしまう。色恋でないだけに、質が悪いと誰も気づいていない。
「アレが基準になっちゃうと、他の女性じゃ満足いかないだろうねぇ」
腕組みをして遠くに居るハンナを眺めるリヒトも、その一人である自覚がある。だからと言って、彼女と結婚したいのかと言われると、それも違う気がする。
「ずっと眺めていたい……って言ったら、きっと嫌がるだろうな」
独り言を言ったリヒトは、自嘲した後、大きく腕を上げて体を伸ばした。
「あ~、今日から仕事か。やだなぁ~」
ナーハフォルガー公爵家での休暇が楽しすぎて、仕事に戻りたくなかったリヒトだが、リベルタがくれた色眼鏡を外して着替えるために自分の部屋へと戻っていった。




