第十三話 三男 リヒト・ナーハフォルガー
「ただいま~」
間延びした喋り方が特徴的な彼の名は、リヒト・ナーハフォルガー。魔石監視隊第三部隊のリーダーであり、ナーハフォルガー公爵家の三男だ。一時期あの問題児王太子が預けられた先として有名になったが、本人も隊員達も全く気にしていないため今ではその話も聞かなくなった。
今日は、久々にヴォルケンが帰宅し、しかもシャイネンの婚約者が来るとあって無理に休日を取って帰ってきたらしい。
「お帰りなさい、リヒト」
迎えに出たスペランツァの元気そうな姿を見て、感激屋の三男は既に泣いている。
「母上! 体調が良くなられたんですね!」
「えぇ、無理は禁物ですがね。えぇえぇ、無理は禁物……禁物……」
帰宅以来ホーレンの監視の元、お散歩くらいしかさせてもらえていないスペランツァは、花祭りで市街を歩いて食べ歩きした日のことが忘れられないらしい。物足りない日々に、ちょいちょい不満が見え隠れする。
「リヒト兄上、お久しぶりです」
声を聞きつけて飛び出してきたシャイネンは、幼い頃からこの兄が大好きだった。八歳違いだが、一番遊んでくれた人だった。それは、シャイネンが引き取られた時に玩具の入った袋を引きずって赤子に近づいてきた事でも分かる。彼は根っから人を世話するのが好きなのだ。それは、末っ子のエテレオとは違う男同士の友情のようなもの。だからこそ、普段あまり感情を爆発させないシャイネンが、子供の様に走り出てくるのだ。
「よぉ~シャイネン、デカくなったな」
「何を言っているんですか。学園で教鞭を執るようになった時、一度ご挨拶に行ったじゃないですか。四年しか経っていません。それに成長期は終わっています」
「違う違う、男としての器がデカくなったっていってるんだよ」
リヒトは、こんな風に相手を手放しで褒める。しかも、その指摘が的確なのだ。憧れの人に自分が成長したと認められることは誰でも嬉しい。滅多に見られないシャイネンのはにかむ様な笑顔に、後ろを付いてきたリベルタは、胸をキュンとさせる。
――やだ、シャイネン先生、可愛い。
ちょっと前世を思い出してお姉さん気分を味わってみたが、リヒトの視線に気づいて慌てて背筋を伸ばした。
「そちらが、シャイネンの可愛い婚約者さんかな?初めまして、兄のリヒトだ」
「初めまして、リベルタ・ベリッシモと申します。今後ともよろしくお願いいたします」
体を直角に折り曲げて挨拶をするリベルタに、リヒトは目を見開く。彼は、リベルタをどこかで見た気がしたのだ。
「え~と、君は、確か……」
それは、魔石監視隊の紅一点、ハンナ・ブルジョワが持っていたものだ。身分は子爵家の次女で、生まれながらに膨大な魔力を持つことで学園でもトップクラスで卒業を果たした才女だ。
しかし、両親との折り合いが悪く、卒業後は家との関わりを断ち、魔石監視隊へ自主的に入隊した異色の女性だった。
リヒトが見たのは、リベトアが大口の顧客にだけ送る新商品のお知らせだった。その時は、新色のチークを塗ったリベルタが子犬を抱いて海を見ている絵だった。
「私の憧れなんです」
嬉しそうに絵を眺めているハンナが思い出された。本当なら、きっと可愛く着飾りたい年頃の彼女は、常に上下が繋がった作業着のようなものを着ている。唯一の楽しみは、休日にほんのりと色づいたリップをつけること。常連とは言い難い彼女はリベルタの絵姿など手に入れられるはずもなく、多分、金持ちの友達に頼み込んで一枚だけ譲ってもらったのだろう。
「どうかされましたか?」
「いや……まぁ、大したことじゃない」
ここでハンナの名を出して、一度会ってくれと言うのは容易いことだろう。
しかし、それを彼女が喜ぶとは思えなかった。それ以上に、そんなことをしたリヒトを叱り、あまつさえリベルタへの申し訳なさで泣いてしまうかもしれない。
「それより、シャイネン、凄いじゃないか。こんな美人を伴侶に迎えるとは。兄として鼻が高いぞ」
「兄上、はしゃぎ過ぎです」
リヒトはシャイネンを抱きしめると、グイッと持ち上げた。身長差は余りない二人だが、常に力仕事をしているリヒトの二の腕はシャイネンよりも更に太い。数センチ体が浮いたシャイネンは、足をバタバタさせて抵抗した。
しかし、嬉しさが押さえきれないリヒトは、そのままクルクルと回った。仲の良い兄弟のなんとも可愛いやり取りに、リベルタは心のシャッターを何度も押す。
――やだ、この二人推せる。
良く分からない煩悩に、自分でも混乱するリベルタだが、流石にこのままというわけにもいかない。
「リヒトお兄様、実はお土産があるのです。あちらでお渡ししたいのですが、宜しいですか?」
リベルタの呼びかけに、リヒトはシャイネンを床の上にそっと降ろして、
「それはうれしいな」
と歯を見せて笑った。その少年のような表情は、シャイネンが子供の頃から見慣れているものだ。
だが、リヒトが一人苦悩した時期があったのを知らないわけではない。ナーハフォルガー公爵家の中で、一番魔力の弱いリヒトは、結界術を得意とする家系の中では優秀とは言い難い学生生活を送っている。振るわない成績に泣いたのは一度や二度ではないだろう。そんな彼に、母スペランツァが言った言葉がある。
「貴方は、誰になりたいの?ホーレン?ヴォルケン?それとも、シャイネン?私は、貴方にはリヒトであって欲しいわ」
他の優秀な兄弟と比べるあまり、自分自身を認められなかったリヒトは、その言葉で自分を見つめ直す決心がついた。そして、誰にもない資質を見出す。それは、人を見る目だ。彼には、人に見えないものが見える。霊的なものではない。彼の目には、魔力の色が見えるのだ。そこには、属性だけでない多種多様な情報が含まれていた。
そのことに気づいたリヒトは、人と人を繋ぐことに重点を置くようになる。学園で行われる団体戦のような戦いでは負けなし。リヒトをリーダーにすれば、学年順位下位の者達でも適材適所で力を発揮して勝ちを得るのだ。
シャイネンがあまりにも嬉しそうにリヒトの自慢をするものだから、リベルタは、会う前から彼に好感を持っていた。そして、過酷な状況で仕事を行う彼のために、何かしてあげられないかと思っていた。
応接室に辿り着き、ソファーに着いたリベルタは、前に座るリヒトに小さな箱を渡す。
「これは、何かな?」
リヒトが封を開けて中を見ると、そこには眼鏡が入っていた。
しかし、レンズは真っ黒で前が見えそうにはない。
「色眼鏡です」
前世なら意味が全く違って捉えられそうなネーミングだが、これは、正しく黒い色の眼鏡だった。
「何をするものかな?」
「魔力を遮断します」
「これはこれは……凄い代物だな」
リヒトが頭を下げたことにシャイネンは首を傾げた。魔力を遮断してしまっては、何も見えないではないか。
しかし、リヒトにはリベルタの思いが分かっていた。常に周りの人間の魔力を見続けていると、普通では考えられない程目を酷使するのだ。時々医務室へ行って目にヒールを掛けてもらうが、ずっと心が休まらないことには変わりない。
「魔力は遮断しますが、視界を遮るものではありません」
「重ね重ねありがたいが、何故、こんな発想を?」
「少しだけ、同じような経験をしたことがありまして……」
前世で研究員をしていた際、常に電子機器に囲まれる生活をしていた。酷使された目は疲れ果て、目薬ぐらいではどうにもならない。目を閉じてもなにかチラチラと光が動いているように見えて眠りも浅くなった。
リヒトの場合は、癖アリの部下たちをまとめ上げるために、思った以上のストレスを抱えている。それを他人には言えない立場なだけに、リベルタの眼鏡は、最高の贈り物だった。
「こんな素敵なものを頂いては、俺も、何かお返しをしないといけないな」
「いえ、あの問題児を引き受けていただいただけで感謝してもしきれません」
誰とは言わないが、皆分かっている。王太子ライトだ。親の育て方が間違っていたとはいえ、彼の嗜虐的な一面は生まれ持ったものだろう。それを抑えつつ成長させるなど至難の業。今の彼がどうなっているのか興味もないが、まともに育ってもらわないと国の存続に関わってくる。
リベルタがライトを思い出して苦虫を嚙み潰したような顔になるのをシャイネンも申し訳ない気持ちで見つめる。なにせ、実の兄の子供なのだ。
しかし、リヒトは大口を開けて笑いながら、手を叩いた。
「あぁ、あんなの大丈夫大丈夫。今頃、うちの隊員に揉まれてるころだろ」
隊長が不在とあっては、止める人間が居ない。身分関係なく実力者のみ集まった第三部隊では、王太子でも関係なく力と力のぶつかり合いで上下が決められる。特に、先述のハンナは、女性の敵は私の敵とばかりにライトに対して敵対心丸出しだ。
「うちには恐ろしい女子隊員が居てね。今ごろ一ひねりされてると思うよ」
ケラケラと笑うリヒトの予想通り、丁度その頃、ライトはハンナによって心までバキバキに折られていた。
31日、夜7時に、三話完結の短編「ですから、噓ではありません」を投稿します。
以前別サイトで書いていた物を加筆修正しております。訂正前の分は既に引き上げていますので、読めるのはここだけになります。
感想へのお返事などが書けず、申し訳ございません。楽しんでいただけると嬉しいです。




