第三部 プロポーズ編序章 母フローラの独り言
春から夏へと変わる季節、真っ青な青空が広がり、そよぐ風はまだ爽やかさを保っていた。
その日は、ベリッシモ伯爵家ではニューイヤーとクリスマスと収穫祭など祝い事の全てを集めたような賑わいになっていた。
何故なら、念願の子供が誕生したからだ。
妻のフローラは、生まれたばかりの娘に乳をやっている。
横には、だらしがない顔で妻と娘を見守る夫のカバロがいた。
フローラは、緑の手と呼ばれる植物を上手に育てられる土魔法の使い手。
カバロは、雨の降りにくい領地でも地面に慈雨をもたらすことのできる程の水魔法の使い手だ。
相性の良い二人は、学園で出会って恋愛結婚をした珍しいカップルだった。
伯爵家の息子に伯爵家の娘が嫁ぐことは家格的にも問題はなく、すんなりと周りに認められた幸せなスタートだった。
しかし、なかなか子宝に恵まれず数年間悩んだ挙句に養子を取ろうかという話まで出ていた。
そんな時、フローラが夢を見た。
暗い空間の中で丸まって泣いている赤子。
助けて、助けてと言っているように聞こえた。
思わず駆け寄り抱きしめたら、光の粉となって自分に降りかかってきた。
その話を神父にすると、きっと良いことが起こるでしょうと言われた。
それから数日後、吐き気に見舞われ医師に診てもらうと懐妊したという嬉しい言葉を聞くことになったのだ。
「貴女の名前は、リベルタ。『自由』を意味する言葉よ」
貴族社会はしがらみが多く、思うようにならないことも多い。
だからこそ、フローラもカバロも、リベルタには自由に生きてほしかった。
その言葉が分かったのか、眠っていたはずの赤子はヘニャリと気の抜けた笑顔を浮かべる。
「まぁ、この子ったら、大人の言葉が分かってるみたい」
「ふふふふふ、そんな天才がうちに生まれたら、ベリッシモ伯爵家も安泰だな」
フローラとカバロは、この時娘が本物の天才であり、常人の理解を超えた存在であることなど知るはずもなかった。
「いんいちがいち、いんにがに、いんさんがさん」
おはようの挨拶も上手く言えない娘が、変な呪文だけは繰り返し口にするのをフローラは不思議に思っていた。
なにせ、他にも山のように訳の分からないことをしでかすのだ。
ハイハイではなく、地に伏した状態で器用に手足を使って前に進む。
それが『匍匐前進』と呼ばれるものであることなど知ろうはずもないフローラは、どこか悪いのかと心配して夜も眠れなかった。
それでも大事な一人娘で、世界一可愛い笑顔を両親に振りまいてくれる子供。
気味悪く思うどころか、
「うちの子、面白くて最高に可愛い! 」
と夫婦そろって親バカ全開に褒めて育て続けていた。
そんなある日、リベルタは執事のセバスを後追いし、
「おし!」
と叫ぶようになった。
仕事はできるが特に愛想のある男でもなく、自分からリベルタに近寄ったこともない。
そんな彼が気づけば足元に小さな当主の娘がいる状況を直ぐに受け入れられるはずもない。
しかも、自分をじっと見つめては、
「へっへっへ」
と笑うのだ。
そこで、何がそこまで彼女を惹きつけているのかを考え、あることに気づいた。
眼鏡だ。
試しに眼鏡を取ってみると、少し不満そうな顔で首を傾げた。
『何故、取る?』
と聞かれている気分になり、渋々もう一度眼鏡をかけさせると満面の笑みに戻った。
『どうやら眼鏡をかけた人間が特に好きらしい』
そう聞いたカバロが、慌てて伊達眼鏡を購入してリベルタの前で掛けてみた。
「へっくちゅん」
クシャミを一つしただけで、見向きもしてもらえなかった。
この一つ以ても、娘はやや難しい美意識を持っているのではないかと、なんとなく感じられた。
そんなリベルタにフローラは、
「貴女の旦那様は、どんな方になるのかしら」
と笑っていた。
少し大きくなると、リベルタは、不思議な頭の良さを発揮するようになった。
見たことも聞いたこともない公式を使い、大人でも難しい数学の問題を次々と解いていく。
どれ程の天才に育つのか、逆に心配になってしまうフローラとカバロだったが、ある日突然リベルタは普通の子以下に成り下がった。
特にそれは、幼馴染であるフレルトの前で顕著に現れる。
彼が何かする度に自分も軽々できることでも、異様に褒めるのだ。
そして、私には無理、ダメ、フレルトには敵わないと自分を卑下するようになっていく。
心配で仕方なかったフローラも、それが幼いリベルタの初恋なのだと気付くと無理に直さなくなった。
こういった現象は一過性のものであり、大きくなるにつれて自然と改善されるものだと悠長に構えていた。
それが、まさか十二歳まで続くとは思わず、フレルトに邪険に扱われているのに必死に付きまとう娘に昔の明るさはない。
「もう、諦めなさい」
何度言ったか覚えていないくらい、リベルタを説得したが聞き入れてはもらえなかった。
そんな中でも、リベルタは、料理長に聞いたこともない料理を作って欲しいとねだり、ベリッシモ伯爵家には、
『トンカツ』
というフリットに似た食べ物が出来上がる。
他にも、
『オムレツ、ナポリタン、オコノミヤキ』
と共通性のない料理が次々に生まれ、領地での名物料理となっていく。
そして運命の入学式の日、懐かしい娘が帰ってきたとフローラは思った。
式を途中退場したと聞き心配で医務室まで迎えに行くと、初潮を迎えて苦しそうにはしていたが表情は明るい。
そして助けてくれた先輩である男爵令嬢を一生懸命我が家に誘う姿は、幼少期の不思議ちゃんな雰囲気をまとっている。
正直ありがた迷惑だとばかりに断ろうとするトワレという少女には申し訳ないが、フローラも一緒になって彼女を誘う。
この時フローラは、リベルタが生まれた時に吹いていた爽やかな風が再び吹き始めるのを感じたのだ。
あれから4年。
1年生の時に学生寮に入ると言って家を出て行ってしまったけれど、突然帰ってきて、
「研究所を作りたい!」
と自分がコスメブランド『リベトワ』で築いたお金を全て持ってきた。
後々女伯爵となるのだから、領地にも役立つ研究をすると目を輝かせて夢を語る。
その言葉に賛同するものの、余りにも巨大な建物を要求するので三分の一以下に縮小させた。
そうしないと、伯爵家自体が破綻する。
「もっと大きいのが良かったのに」
と不貞腐れるリベルタの頭をコツンと叩いて、
「それは、自分が女伯爵になってからしなさい」
とフローラは珍しく怒った。
そして、
「寮を追い出されたのなら、我が家に帰ってくればいいのに」
とちょっとだけ嫌味を言ってやった。
その後、フレルトとボニートとの裁判という大きな試練があったが、シャイネンのお陰でなんとか事なきを得た。
リベルタが自身の前世について語った際は、その秘密の大きさに、彼は自らの秘密を打ち明けてくれた。
まさかこの赤髪の好青年が王弟とは思ってもみなかったフローラとカバロが、
「お願いですから、他言無用の魔法契約させてください」
と土下座せんばかりの勢いで揃ってお願いした記憶は新しい。
「あなた、もう直ぐリベルタが帰ってきますよ」
「まだ、あと数ヶ月あるだろう?」
「そんなの、あっという間ですわ」
親友トワレは結婚と共に、夫のクルーガーと店舗の二階に住むことになる。
追い出されたリベルタの帰る場所は、伯爵家だけだ。
「待ち遠しいですわ」
夢見るように呟くフローラに、カバロはポツリと、
「あの子、結婚も早そうだけどね」
と合いの手を打つ。
「まぁ、素敵。孫に早く会えますね」
盛り上がるフローラが、
「孫の髪色は、やはり赤かしら?」
と呟くのを夫は華麗にスルーした。
完




