序章④ 神の裁き
異端審問は、驚くほど早く終わった。
証言台には、かつてリゼリアが治療に携わった人々が次々と呼び出されていく。南部で共に患者を診ていた医師は、彼女の治癒によって病状が悪化したと証言し、母親の命を救われた商人は、禁じられた術式を使う姿を目撃したと語った。
リゼリアは、そのどちらの顔も覚えていた。
医師とは幾晩も眠らずに患者の容体を見守り、わずかな変化を見逃すまいと、互いに励まし合いながら治療を続けたことがある。商人に至っては、母親が息を吹き返したとき、涙ながらにリゼリアの手を握り、この恩は一生忘れないと何度も頭を下げてくれた。
その人々が今、彼女と目を合わせようともせず、審問官に促されるまま、用意された言葉を口にしている。
リゼリアは何度も事実と異なることを訴えたが、その声に耳を傾ける者はいなかった。証言が終わるたび、審問官は淡々と記録を確認し、次の証人を呼び入れる。彼女の言葉だけが、最初から存在しなかったかのように扱われていた。
医師が退室する際、一度だけこちらを振り返った。
その顔には、後悔とも恐怖ともつかない表情が浮かんでいる。何かを言いかけるように唇が動いたものの、結局は固く結ばれ、彼は足早に扉の向こうへ姿を消した。
リゼリアは、その背中を見つめていた。
彼らの中には、自分が無実だと知っている者もいるのだろう。それでも家族や地位を守るため、あるいは次に裁かれるのが自分になることを恐れて、彼女を差し出すことを選んだのかもしれない。
そう考えても、責める言葉は浮かんでこなかった。ただ、かつて同じ病床を囲み、救える命を一つでも増やそうと力を尽くした日々が、ひどく遠いものに感じられた。
やがて、大司教ヴァレントが罪状を読み上げた。
荘厳な声が審問の間に響き渡り、最後に死罪が宣告される。
リゼリアはもう、反論しなかった。
ただ、俯くことだけはしないと決めていた。
幼い頃から学んできた聖典には、神は人の行いだけでなく、その心に宿る願いまでも見通されると記されている。誰にも知られずに捧げた祈りも、救えなかった命を悼んで流した涙も、きっと神はご存じのはず。
人間が誤った裁きを下したとしても、神が同じ過ちを犯されることなどない。
リゼリアはその信仰を最後の支えとして、静かに判決を受け入れた。
◇
処刑の日、王都の空は憎らしいほど晴れ渡っていた。
澄みきった青空には雲一つなく、大聖堂の白い尖塔が朝日を受けて輝いている。広場へ続く大通りには早朝から人々が押し寄せ、まだ太陽が十分に昇りきらないうちから、石造りの街並みの間を幾重ものざわめきが行き交っていた。
リゼリアは両手を鎖で繋がれ、騎士たちに囲まれながら、その大通りを歩いていた。
身にまとっているのは、かつて聖女として人々の前に立つ際に着用していた白い法衣。長い裾には泥がこびりつき、袖口には、幾度洗っても落ちなかった赤黒い染みが残っている。
あの夜、腕の中で息を引き取ったマリアの血だった。
視線がそこへ落ちるたび、リゼリアの指は無意識に袖口を握り締めてしまう。まだ温もりの残っていた小さな身体も、自分の袖を掴んだ指先も、傷口へ何度魔力を注ぎ込んでも止まらなかった血も、目を閉じれば昨日のことのように思い出せた。
胸の奥を鋭いもので抉られるような痛みが走る。それでも、今のリゼリアには、その苦しみを声にする気力さえ残されていなかった。
まともに眠れない夜が続き、食事もほとんど喉を通らない。足首の枷が擦れるたびに皮膚が痛み、鎖の重みが両肩へ鈍い疲労を残していた。背中を押されれば身体がわずかに傾くほど衰弱していたが、転ばないよう足元へ意識を向けながら、ゆっくりと歩みを進めていく。
道沿いに並ぶ商店も、窓辺を花で飾った民家も、角を曲がった先にある小さな焼き菓子屋も、何度となく通り過ぎた場所だった。
あの店の前では、マリアがいつも足を止めた。
焼きたての菓子の香りが漂ってくると、話の途中でもちらりと店先へ視線を向け、リゼリアが気づいて笑えば、別に食べたいわけではないと慌てて弁解する。それでも何度か振り返るものだから、結局は二人で店へ入ることになるのだった。
店主は恰幅のよい中年の女性で、二人が訪れると決まって一つ多く菓子を包んでくれた。マリアは毎回遠慮するふりをしながら、最後には嬉しそうに受け取っていたものだ。
今、その店の扉は固く閉ざされている。
軒先に吊るされた木製の看板だけが、乾いた音を立てて風に揺れていた。普段なら甘い香りが漂うはずの通りには汗と埃の匂いが満ち、石畳の両側には、隙間もないほど大勢の人々が押し寄せている。
「この偽聖女め!」
不意に怒号が飛んだ。
「お前のせいで、何人死んだと思ってるんだ!」
「家族を返せ!」
男たちの荒々しい声に混じり、女の泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
まだ幼い子供を抱いた母親が、涙を流しながら何かを訴えていた。しかし、その言葉は周囲の怒号に掻き消され、リゼリアの耳までは届かない。
女性の腕の中で、子供は眠っていた。
母親の肩へ頬を預け、騒ぎなど知らない様子で小さな寝息を立てている。その姿を目で追っているうちに、リゼリアの脳裏には南部で診た子供たちの顔が浮かんだ。
熱が下がり、母親の名前を呼んだ少女。回復してからも施療所へ通い、白い花を届けてくれた少年。病床から起き上がれるようになった弟を連れ、何度も礼を言いに来てくれた姉。
あの子たちは、今どうしているのだろう。
再び病に倒れた者がいるという報告は受けていたが、全員の容体を確かめる前に、聖女としての活動を停止させられてしまった。無事に暮らしているのか、それとも別の苦しみに見舞われているのか、確かめる術はもう残されていない。
遠い南部の空を思い浮かべようとした、そのときだった。
すぐ近くで何かが砕ける音が響き、リゼリアは我に返った。
投げ込まれた腐った果実が足元で潰れ、石畳へ黄色い果肉を撒き散らしている。甘酸っぱい腐敗臭が立ち上る中、続いて飛んできた小石が彼女の腕を打った。
見物人を押し戻していた騎士が一度だけ群衆を睨みつけたものの、石を投げた者を捕らえようとはしない。
リゼリアも何も言わず、歩き続けた。
通りの両側には、憎悪を露わにした顔がいくつも並んでいる。その一方で、彼女が通り過ぎるまで視線を伏せている者もいた。窓辺で泣いている老女や、幼い息子の目を手で覆い、処刑囚を見せまいとする父親の姿も見える。
誰もが同じ思いで、ここに集まっているわけではないのだろう。
けれど、彼らが自分を信じているのか、それとも処刑を見ることに耐えられないだけなのか、リゼリアにはもう分からなかった。
やがて、通りの先に見覚えのある女性の姿を見つけ、思わず足を緩めた。
九年前、王都の貧民街で命を救った少年の母親だった。
以前より頬は痩せ、こめかみには白いものが混じっている。それでも、あの顔を見間違えるはずがない。
寒々とした小さな家の中で、息を吹き返した息子を抱きしめながら、何度も頭を下げてくれた女性だった。
あの少年は、今なら十六歳になっているはずだ。
きっと母親よりも背が高くなり、もう一人前に働いているかもしれない。病のためにやせ細っていた小さな身体を思い出すと、リゼリアの胸に、ほんのわずかな温もりが戻ってきた。
女性もまた、彼女に気づいたらしい。
二人の視線が重なり、リゼリアは何かを言いかけた。
息子さんは、お元気ですか。
喉元まで出かかった言葉は、しかし、声になる前に消えた。
女性が足元の石を拾い上げたからだ。
その手は震えていた。怒りなのか、恐怖なのか、それとも別の感情なのか、リゼリアには分からない。ただ、女性が迷いながらも腕を振り上げたことだけは、はっきりと見えていた。
投げられた小石が、リゼリアの肩に当たる。
大した痛みではなかった。
それなのに、彼女はその場へ立ち尽くしそうになった。
あの日、女性は泣いていた。息子の名前を何度も呼び、神に感謝し、リゼリアの手を握って、この恩は一生忘れないと誓ってくれた。
その人が、今、自分へ石を投げたのだ。
「……どうして」
思わずこぼれた声は、群衆の怒号に呑み込まれた。
女性は答えない。リゼリアを睨みつけたまま、何かを必死に堪えるように唇を引き結んでいる。
騎士に背中を押され、リゼリアはよろめきながら一歩を踏み出した。そのまま女性の前を通り過ぎ、二度と振り返ることはなかった。
もう一度目が合えば、あの冬に向けられた感謝の言葉まで、すべて嘘だったと思ってしまいそうだったから。
やがて、大通りの先に白い石造りの処刑台が見えてきた。
大聖堂の正面に設けられたその台は、広場を埋め尽くす群衆の誰からも見上げられるよう、周囲より高く造られている。四隅には神聖教会の紋章を掲げた旗が立ち、中央には、幾重もの聖句を組み合わせた巨大な魔法陣が刻まれていた。
リゼリアは階段を上り、その中央へ立たされた。
広場を取り囲む建物の窓という窓から、人々が顔を覗かせている。屋根の上に登っている者までおり、露店の主人も商売を忘れて処刑台を見上げていた。
遠くには子供を肩車した父親の姿も見える。子供が何かを尋ねるたび、父親は困ったように顔を歪めるばかりで、うまく答えられない様子だった。
かつて、リゼリアはこの場所で祝福の祈りを捧げたことがある。
広場に集まった人々が膝をつき、病に苦しむ家族の回復を願う中、彼女も共に祈り、その願いが一つでも多く叶うよう、ありったけの神聖魔力を注いだ。
あの日と同じ広場で、今度は自分が裁かれようとしている。
リゼリアは足元の魔法陣へ視線を落とした。
刻まれた聖句の一つに、見覚えがある。
神は、迷える者に等しく光を与えられる。
幼い頃、最初に暗唱できるようになった祈りの一節だった。
しばらくその文字を見つめていると、広場のざわめきが少しずつ変わり始めた。大聖堂の階段から、重厚な祭服をまとった大司教ヴァレントが姿を現したのだ。
老人は処刑台の奥へ進み、群衆に向かって両手を広げた。
長年、人々の信仰を導いてきたその所作には威厳があり、怒号に満ちていた広場も、やがて静まり返っていく。
「民よ、恐れることはない。神は我らを見捨ててはおられぬ」
魔法によって増幅された声が、広場の隅々まで響き渡った。
「神の慈悲を利用し、多くの命を苦しめた偽りの聖女には、相応の裁きが下されねばならぬ。だが、その裁きを我ら人間の手だけで行うことは、神への不敬にほかならない」
ヴァレントはゆっくりと空を仰ぐ。
「ゆえに今ここに、天より神の御使いを招こう。偽りを退け、真実を明らかにするために!」
その言葉を聞いた瞬間、リゼリアは息を呑んだ。
神の御使い。
それは、聖典の中にしか登場しない存在だった。
古い時代、神の意志を地上へ伝えるために降臨し、数多の奇跡を起こしたとされる使徒。神聖教会では、その姿を目にすることさえ最高の栄誉とされている。
そして何より、神の御使いは決して偽りを見過ごさないと教えられていた。
リゼリアは鎖に繋がれた両手を、思わず胸元へ引き寄せた。
ようやく、自分の話を聞いていただける。
そんな期待が、身体の奥から静かに湧き上がってくる。
人々の前で無実を証明できれば、再び南部へ向かうことも許されるかもしれない。そうすれば、治療を待っている患者たちのもとへ戻れる。神官たちと協力し、あの病の原因を調べることもできるだろう。
けれど、そこまで考えたところで、マリアの顔が浮かんだ。
たとえすべてが元に戻ったとしても、あの子だけはいない。
その事実が胸に重くのしかかり、リゼリアはそっと目を伏せた。
やがて、大聖堂の鐘が荘厳な音を響かせ始める。
処刑台を取り囲む神官たちが一斉に祈りを唱えると、足元に刻まれた魔法陣へ黄金の光が走った。幾重にも重なった聖句が石畳から浮かび上がり、複雑な軌跡を描きながら宙を巡っていく。
光は次第に強さを増し、やがて巨大な柱となって空へ伸びていった。
眩い輝きが広場を満たし、人々の間から感嘆の声が漏れる。
リゼリアには、その光に見覚えがあった。
神聖魔法を使うときに生まれる、柔らかな黄金の輝き。それと同じものが、今は比べものにならないほど大きな力となって、処刑台の周囲を満たしている。
いつもなら、その温もりに触れるだけで心が落ち着いた。
リゼリアは光の中へ目を凝らし、やがて現れるはずの御使いを待った。
黄金の光が空を覆い尽くした頃、その中心に人影が浮かび上がった。
六枚の白い翼が、太陽の光を受けて眩く輝いている。
人間に似た四肢を持ち、その全身は磨き上げられた白い石のように滑らかだった。背後には幾重もの光輪が浮かび、翼がわずかに動くたび、周囲の空気そのものが震えるような圧迫感が広場を満たしていく。
しかし、その顔には何もなかった。
目も、鼻も、口も存在しない。ただ凹凸のない白い面が、人間の顔であるべき場所を覆っている。
異様な姿だったが、それでもリゼリアは恐怖を感じなかった。
幼い頃から聖典で学び、いつか一度だけでもお目にかかりたいと願っていた神の使徒が、今、自分の前にいるのだから。
広場に集まった人々は一斉に膝をつき、騎士たちは剣を地面へ突き立てた。神官たちが深々と頭を垂れる中、大司教ヴァレントもまた、恭しく祈りの言葉を唱えている。
その中で、リゼリアだけが使徒を見上げていた。
白い翼を広げた存在が、ゆっくりと顔を向ける。
目などないはずなのに、身体の奥底まで見透かされているような感覚があった。自分がこれまで何を願い、何を信じ、どのように生きてきたのか。そのすべてを知られているような気がして、リゼリアはこわばっていた肩から力を抜いた。
「……神の、御使い様」
かすれた声で呼びかける。
「どうか……私の話を、お聞きください……!」
使徒は答えなかった。
ただ、ゆっくりと片腕を持ち上げる。
細く長い指が、リゼリアの額へ伸ばされた。
彼女は静かに目を閉じ、その指先を受け入れた。
触れた瞬間、身体の奥から何かを引き剥がされるような激痛が走った。
「あ……ああああっ!」
悲鳴が喉を裂く。
胸の内に宿っていた神聖魔力が、無数の光の糸となって身体から引きずり出されていく。全身を巡る力が一斉に逆流し、内側から引き裂かれるような痛みに、リゼリアは立っていることさえできず、その場へ膝をついた。
それでも、使徒の指は離れない。
白い翼をゆっくりと広げながら、彼女の中にある力を、何のためらいもなく奪い続けている。
リゼリアは必死に魔力の流れを整えようとした。
傷ついた人を癒やすため、長い年月をかけて身につけた技術だった。相手の身体へ負担をかけないよう、力の巡りを感じ取り、慎重に導いていく。その感覚を、彼女は誰よりもよく知っている。
だが、今は何一つ思い通りにならなかった。
抵抗しようとするほど痛みが増し、額に触れた指先へ、残された力が容赦なく吸い寄せられていく。
「……どう、して……っ?」
かすれた声が漏れた。
使徒は答えない。
リゼリアが歯を食いしばって顔を上げると、滲んだ視界の中に、白い姿だけが恐ろしいほど鮮明に浮かんでいた。
傷ついた人を案じる気配も、苦痛に気づいて手を緩める様子もない。まるで容器から中身を取り出すように、淡々と力を奪っている。
鎖に繋がれた腕をどうにか持ち上げ、額に触れる指を引き剥がそうとしたものの、その手が使徒に届くことはなかった。
そのとき、彼女の耳に群衆の歓声が届いた。
「神の裁きだ!」
「偽聖女の力が奪われていくぞ!」
声は次第に大きくなり、広場のあちこちから神を讃える叫びが上がる。
リゼリアは目を見開いた。
人々の目には、この光景が正しい裁きとして映っているのだろう。
違う。私は、何もしていない。
そう訴えようとしても、喉から漏れるのは小さな呻きばかりだった。
やがて使徒が手を離すと、リゼリアの身体は支えを失ったように処刑台へ崩れ落ちた。
膝を打ちつけた痛みも、擦りむいた掌から流れる血も、ほとんど感じられない。
ただ、長年自分の内側にあった温もりが失われていることだけは、恐ろしいほど鮮明だった。
リゼリアは震える手を胸元へ当て、恐る恐る魔力を巡らせようとした。
何も起こらない。
幼い頃、神聖魔法を学び始めたばかりの自分でさえ、指先に小さな光を灯すことくらいはできた。今も、ほんの少しでも力が残っていれば、同じことができるはずだった。
呼吸を整え、意識を集中し、これまで幾千回と唱えてきた祈りの言葉を思い浮かべる。
しかし、掌には何一つ現れなかった。
リゼリアはゆっくりと顔を上げた。
使徒は、すでに彼女から関心を失っているようだった。
六枚の翼が静かに広がり、その一方の掌へ黄金の光が集まり始める。足元に刻まれた魔法陣が形を変え、幾重もの聖句が複雑に組み合わさっていく。
最初は何が起きているのか分からなかった。
だが、光の中心から鋭い圧力が放たれた瞬間、リゼリアは悟った。
それは治癒のための術式ではない。
祝福でも、守護でもない。
目の前の命を絶つために編み上げられた、純粋な破壊の力だった。
「……そんな……っ」
リゼリアは唇を震わせた。
使徒を見つめても、その顔からは何も読み取れない。
自分の行いを確かめてくれたのだろうか。南部で何人の命を救い、誰を傷つけ、誰を助けようとしたのか。そんなことを、一度でも考えてくれたのだろうか。
それとも、初めから答えなど決まっていたのか。
問いかけようとして口を開いたが、言葉は出てこなかった。
祈りが届かなかったことよりも、祈りを聞こうとさえしてもらえなかったことの方が、ずっと苦しかった。
リゼリアは使徒の足元へ視線を落とした。
白く滑らかな足は処刑台からわずかに浮いており、黄金の光が絶えずその周囲を巡っている。
聖典の挿絵では、神の使徒が地上へ降り立つ場面は、決まって慈悲と祝福に満ちたものとして描かれていた。
けれど今、目の前にいる存在は違う。
リゼリアが涙を流していても、苦痛に身体を震わせていても、その動きが変わることはない。ただ決められた役目を果たそうとしているかのように、掌へ力を集め続けていた。
その無関心さが、何よりも恐ろしかった。
人々に憎まれたときは、まだ理由を探すことができた。教会から罪を着せられたときも、彼らの恐れや欲望を考えることはできた。
しかし、神の使徒を前にしては、何も理解できない。
なぜ、自分が裁かれるのか。
何を間違えたのか。
誰かを救おうとしたことが罪だというのなら、いったい何を信じて生きればよかったのだろう。
答えを求めるように見上げても、白い顔が彼女へ向けられることはなかった。
それまで胸の奥でかろうじて燃えていた希望が、静かに消えていく。
もし神が本当に自分の行いを見ていたのなら、こんな結末にはならないはずだと思っていた。
だが、使徒の掌には、彼女を殺すための光が集まり続けている。
リゼリアは、ゆっくりと目を伏せた。
涙が頬を伝い、白い石畳へ落ちる。
もう一度祈れば、何かが変わるのだろうか。言葉を選び直せば、聞き入れていただけるのだろうか。
そんな考えが一瞬だけ浮かんだものの、彼女は何も唱えなかった。
代わりに、マリアの顔が浮かんだ。
春になったら湖へ行こうと約束した、あの日の笑顔。
あの子は、きっと最後まで自分を信じてくれただろう。聖女の称号を失っても、神聖魔法が使えなくなっても、以前と変わらずお茶を淹れ、食事をしなければ叱ってくれたに違いない。
その姿を思い浮かべると、胸の奥がひどく痛んだ。
ああ、行きたかった。
白い花の咲く湖の畔を、あの子と一緒に歩きたかった。
聖女でも何でもない、ただのリゼリアとして。好きなものを食べ、くだらない話をして、日が暮れるまで笑っていたかった。
そんな小さな幸せさえ、もう二度と手に入らない。
黄金の光が、処刑台を照らした。
リゼリアは静かに目を閉じた。
もう、祈らなかった。




