陽炎の収穫、ハーブと川と理性の攻防
本日(10/12)サボった分を埋め合わせするために2話更新します。
「うあー……腰いてぇ……」
ソルは天を仰いで呻いた。
夏の太陽は暑くてふんだんな魔力を精霊に分け与えてくれる。ソルもまた、その魔力に充てられてめでたく人型に戻れた。
戻れたのだけれども。
今、ソルは鎌を片手に、麦の刈り取りの貴重な労働力として駆り出されていた。
「文句言わない! ソルだって、大麦食べるでしょ。自分の食べる分は自分で刈る!」
ほっかむりをしてアイラはサクサクとリズムよく麦を刈り取っていく。ソルはそんな彼女を恨めしげに見た。
(オレ……一応「上位精霊」なんだけど……?)
「ほれ、使い魔様も、刈るんだ」
こうして、と村人たちはどんどんソルを追い越していく。子どもたちでさえ、刈られた麦を束ねて干し場へ運んでいく。彼らの勝ち誇ったような目と言ったら!
ソルはムッとして鎌を握り直し、負けじと刈っていく。競い合うように刈り取って、一枚の畑は刈り株を残して裸になった。
「つっかれたぁ……」
草むらに大の字になってソルは倒れ込んだ。アイラは水筒を出して喉を潤す。中身はミントとハチミツを少し入れたものだ。ほんのり甘くて爽やか。
「ソルも飲む?」
はい、と手渡すと、ソルはもぞりと起き上がって受け取った。ちびちびと舐めるようにしたかと思えば、一気にあおるように飲んだ。
「あー! 全部飲まないでよ!」
「くっはー! 生き返るー!」
アイラの悲鳴が上がるのと、水筒が空になるのは同時であった。ソルは濡れた口元を袖で拭う。夏の太陽のような笑顔とチラと見える八重歯。癖っ毛は彼の動きにふわりと揺れる。
アイラは空になった水筒の中を覗き込むと、空っぽ。まだ午後の刈り取りが残ってるのに。
(ばっちゃんの水筒持ってくればよかった)
はあ、とため息をついた。
「ほら、アイラちゃん、白様。これ食べな」
村の女が黒パンに薄く切った塩漬け肉を挟んだものを分けてくれた。少し水を切った羊の乳で作ったチーズも一緒に挟まれている。
「うわあ、おばさん、ありがとう!」
「おー、さんきゅー」
ソルは村の人に「ババ様の使い魔」として認識されていたため、人型になろうがキツネの姿だろうが「そんなもの」として受け入れられていた。まあ、人型のときは「カッコいい兄ちゃん」として見られていたけれども。
カチカチに硬くなった黒パンをかじる。肉にたどり着くと強い塩気が体に染みた。チーズは少し酸っぱくて、塩気と絡んでいい感じ。村人は薄いエールを水代わりに流し込んでいる。ひとときの休憩だ。
「さーて、もうひと踏ん張りしよっか?」
休憩が終わって、アイラは立ち上がってソルを見下ろした。彼は絶望に顔を歪めている。ちょっと泣きそう。
「オレは遠慮したい……」
「はいはい、全部終わってから、遠慮してね?」
「アイラ……っ! この、鬼畜! 悪魔!」
「もうー!」
もう一回アイラに叱られ、ソルは腰を盛大に痛めながら刈り取った。なにせ冬の食料がかかっているのだ。アイラだけなら一人分。ソルが手伝えば二人分。報酬は労働に見合う分なのだ。
今日は畑二枚分刈り取って終わった。残りはまた明日。乾かした麦は村長の納屋に運ばれて、冬になったら脱穀。その時もソルが人型だといいな。
太陽が沈んだ夜。白いキツネはクッションにぐでんと溶けていた。昼間はあんなに太陽みたいに八重歯を見せて笑っていた男が、今はただの白い毛玉だ。あの尊大な精霊の態度は、太陽とともに昼間に置いてきたらしかった。
「ソルー、ご飯食べないの?」
「……よく元気だなあ……。ガキだからか?」
半眼でソルはアイラを見つめた。彼の体は筋肉痛でバッキバキに痛い。ちょっと動けない。
「えー? 何、聞こえなかったんだけど? 元気の秘訣のこと? 鍛え方?」
今日はそら豆とタマネギ、キャベツをくったくたに煮たポタージュ。お皿によそってテーブルに置いた。ソルはゆっくりとテーブルに向かう。時折、ぴきんと体が止まっていた。
「ソル、明日も人型になれるの?」
いただきまーす、とアイラはポタージュを口に運んだ。そら豆の風味が効いた、どろりとしたお腹に溜まるスープだ。栄養があって、なのに消化にいい。夏の味、最高。
「……遠慮させてくれ……」
げっそりと白いキツネは皿に顔を突っ込んだ。空腹と筋肉痛が交互に襲っているらしく、食べては止まるを繰り返している。
「……じゃあ、明日は刈らなくていいよ。干す方で」
ぐおお、とソルは涙をのんだ。
「それ、もっと重労働……!」
スープを飲んだからか、暑くなってアイラは窓を開けた。けれど、窓の外も蒸し暑くて、部屋の中へは一つも風が入ってこない。無風だ。胸元のシャツをバタバタと引っ張って体に空気を入れた。
「……ソル、嬉しいお知らせよ。明日もとってもいい天気になりそう。昼間はきっと、畑に陽炎が立つくらい、暑くなるわ」
皿に顔を突っ込んでポタージュを舐めていたソルはビクリと顔を上げた。ぽた、と彼の口からそら豆色の汁が垂れる。
「それ、全っ然嬉しくもなんともねえからな!?」
言い放って、うぐ、と体を仰け反らせていた。アイラは苦笑して、ソルの顔を布巾で拭ってあげた。
「後でばっちゃん特製マッサージしてあげるから」
「……頼むぅ……」
「だから明日もよろしくね」
ソルは無言を貫いた。
ラベンダーとミントを刻んで煮出したお湯を冷まし、布を浸してソルの背中に乗せた。部屋の中はハーブの爽やかな香りに満たされる。
「……あああー……すぅっとするー……」
「ねえ、これ、ソルごとたらいに漬けたほうが効果あったりして?」
彼は慌てたようにアイラを見上げる。
「ちょ、それはだめだ! 絶対やめろよな!? オレのアレがアレだ、あー、くそ……。絶対駄目だからな!?」
へえ、とアイラの中に悪戯心がムクムクと、まるで夏の雲のように湧き上がって、彼女は無言でソルをそっと持ち上げた。そのまま――。
じゃぼん。
ソルをハーブに満たされた水に漬ける。
「!?」
白いモフモフは一気に濡れギツネとなる。一拍置いて。
「あぎゃあぁぁぁぁ!? 染みる染みる染みるー!!」
ざぶんざぶんと彼はたらいの中で暴れはじめ、一気に床がこぼれた水一面になる。
「きゃっ!? ちょっとソル!」
「『ちょっと』はこっちのセリフだ! やめろっつっただろ! オレの、オレの……!」
ソルはたらいから這い上がって、涙目で叫んだ。ぶるる、と体を震わせて水を飛ばす。
「わああっ! ソル! もー……。怪我とかしてたの? 『染みる』って……」
ごめん、とアイラはソルの飛沫を全身に浴びながら、しょんぼりと肩を落とした。
「……や、怪我はしてねえけど、その、まあ、『筋肉』に染みたかもな……」
(言えない。オレの「大事なとこ」に染みたなんて、こんなガキに……)
蒸し暑い夜はそのまま、ソルの「染みた」部分もそのまま、一晩中続いた。
翌朝はアイラの「読み」通り、うだるような暑さと夏空が広がっていた。
「おはよう、ソル……って、大丈夫?」
ソルは人型に戻っていて、なぜかぐったりと椅子に座っている。彼の体からはまだ仄かにハーブのいい香りが漂っていた。
「ああ……。おはよ……」
(……くそ、変に強いハーブ作りやがって……)
窓枠を睨みつけるように目をやると、「イシシ」と笑っていた土のチビどもが慌てて隠れた。ソルは大股で歩いて窓をガタン! と開ける。逃げ遅れた芋虫のようなチビを指で摘まんだ。それは可哀想に、ブルブルと震えて今にも泣きそうだ。
(「普通」にしてろ。おかげでオレは死にかけたんだぞ。焼かれてえのか)
そして外に捨てる。
「ソル、どうしたの? 何かいた?」
アイラは後ろから不思議そうな顔で覗き込む。
「ん、虫。捨てた」
そう言って太陽の熱が入ってくる窓を閉めた。
今日は水筒を二つ持って刈り取りに参戦だ。
「ソル、なんか歩き方変だけど、大丈夫?」
「へっ、平気だ!(擦れて痛えなんて言えねえ……)」
ほんの少し内股で歩くソルを振り返って、アイラは心配そうに彼を見上げた。ソルはツンと顔を逸らす。
(ハーブが筋肉に染みちゃったのかな?)
そんな事あったかなあ。
「今日は夕方から雨が降るかもしれないわ! だから、早く終わらせるよう頑張ろ!」
アイラは村人たちに声をかけた。昨日からの風のない寝苦しい気温は、夜が明けても暑いまま。朝焼けは見事に真っ赤だった。今は晴れてもそのうち激しい雨が降るかも。できれば乾いているうちに麦を収穫してしまいたい。
そんな気持ちが村全体に伝わったのか、それとも作業に慣れたのか。昨日よりも早く刈り取りが進んでいく。いや、ソルがおっ立てるように麦を運んでいくのだ。太陽がギラギラと燃えるように照らし、彼の中の魔力も高まっているのだろうか。今朝よりもいくぶん回復したような顔で、汗を垂らしながら子どもたちと競い合うように運んでいく。
やがて真上に太陽が昇り、ジリジリと照りつける頃、畑の地面が熱せられて刈り株のあたりがゆらゆらと揺らめくようになった。陽炎が立っている。
昼休憩だ。
「はい、これはソルの水筒」
ばっちゃんが使っていた水筒を渡す。中は昨日と同じ、少しのハチミツを加えたミント水。
体は藁でチクチクしている。暑いから早く終わらせて川に入りたい。でも雨が降るんだっけ。雨でもいいかなあ。
アイラは水筒に口をつけながら考えた。隣でソルは息を切らせながらも水筒の水をがぶ飲みしている。
麦の刈り取りも、もう少し。アイラは腰を上げた。
「終わったぁ……!」
休憩から二時間くらいして、最後の麦が干し場へと運ばれていった。ソルはヘロヘロと座り込み、アイラもまた汗と土と藁まみれで息をついた。
「川行くぞ、川!」
村の一人が怒鳴れば、一人、また一人と涼を求めて走り出す。アイラも子どもたちの手に引かれて川へと向かう。
チクチクとドロドロと汗で湿った服。川で洗っちゃおうかな。
川へ着くと、先に来ていた男たちは上半身裸になって川に浸かっている。子どもたちも下着一枚だ。いや、もっと小さい子ははだかんぼ。
アイラも村の女たちに混ざってチクチクした服を脱ぎ、スモック一枚になる。シャツとスカートを川に浸してごしごしと擦った。泥は冷たい水に流れ、服は川の中を気持ちよさそうに泳ぐ。アイラもそのまま顔を川の水で洗う。ああ、気持ちいい。
少し離れたところではソルも子どもたちに混ざって水を掛け合いっこしている。「あっ、テメ、やりやがったな!?」「わぁー! 白さまー! あははは!」なんて声も聞こえてきた。
「アイラねーちゃーん!」
どーん! と衝撃が走って、アイラは川にザブン! と倒れ込んだ。
「わぁっ!? きゃー!」
アイラよりも年下の女の子たちがきゃらきゃらと笑いながらアイラに突進したのだ。
「もー! やったわね……!」
きゃー! と彼らは歓声を上げながら川の水をザブザブと掛けていく。アイラもまた全身ずぶ濡れだ。今日は暑いからちょうどいい。
そんなアイラの麻のスモックは水に濡れて体の線をぴったりとなぞっている。
秋になればアイラも十七歳。「年頃」だ。
アイラより年下の少年たちはチラチラと彼女を見ている。彼らの父は麦農家のもう一軒。長女は先日アイラに恋の相談をして、見事に村長の息子を射止めていた。
ソルもまた、少年たちの視線を追って目を瞠った。
生成りの麻のスモックは涼しげに濡れ、その薄い布はアイラの肌色を透かしている。水をぽたぽたと垂らしながら、肩から脚まで張り付いた布は、体の線をくっきりと浮き立たせていた。胸元まで辿ろうとしたソルの視線は強制的に自分の足元へと向かわせた。
(こっちの方が目に毒――!)
ソルは川へ頭を突っ込んだ。そしてザブっと顔を上げて、自分のチュニックを脱ぐ。そのままアイラに近づいて、チュニックを彼女に被せた。
「わあっ!? ちょっと、何……? チクチクするぅ……」
「文句言うな! ほらさっさと服着て帰るぞ!」
そう言うソルの顔は真っ赤だ。ソルのチュニックはアイラのお尻まですっぽりだ。
「まだ洗濯したてで乾いてないよ?」
「いーんだよっ! ほら、天気も崩れるだろ、洗濯物外に干しっぱなし!」
怒鳴るように言うと、アイラも思い出したのか、「あ」と口を開けた。
「そうだった! みんな、あのね、これから天気が崩れて、夕方は大雨になるの! だから、早く帰ったほうがいいわ! ほら、ソル、早く帰って洗濯物入れなきゃ! じゃあ、皆さんお疲れ様!」
わたわたとアイラはソルのチュニックを着たまま、ソルに引っ張られるように帰っていった。
アイラをチラチラと見ていた少年たちは、彼らの父親に「頑張れよ」なのか「残念だったな」なのかよくわからない、ぽんと頭をこづかれて、肩を落としたのであった。
夕暮れ時になって、ざぁざぁと激しく雨が降り始めた。川で洗った服は室内に干し、ソルのチュニックも軽く払って畳んである。今度天気の良いときに洗おう。
ソルは太陽が隠れた瞬間にキツネになってしまった。彼はどこか不貞腐れたようにクッションに丸まっている。
「ねえ、ソル、どうしたの?」
「……別にぃ?」
何でむくれてるのか分かんないけど、ソルと一緒に麦刈り、楽しかった!
大麦は夏頃刈り取りです。
チビどもが「頑張った」ハーブ、ソルの「どこ」に染みたんでしょうね? フフフ……




