畑とチビと、一瞬の緑
よろしくお願いします。
雨上がりの、よく晴れた日。今日は畑日和だ。
アイラは村人から分けてもらった苗を隅に置き、小さな畑を耕す。冬の間、雪に押されてカチカチになっていた土は、鍬で掘り起こすとほこほこと崩れていく。
――アイラの畝は綺麗だねえ。
不意にばっちゃんの声が聞こえた気がして、アイラは首に巻きつけた手拭いで汗を拭った。見上げた空は春なのに青く澄んでいる。
(……)
ふう、と一つ息をついた。
そんなアイラの足元、土の塊がゴロゴロしている所に、ぴこり、と土を押しのけて顔を出す、芋虫のような小さなモノ。それらをソルは見つけ、ふっと息を吹きかける。すると、芋虫のようなものは焦ったように土の中に引っ込んだ。
(……ったく、小精霊どもが)
この世には、ソルのような大精霊から、ゴマ粒のような小さな精霊まで存在している。けれど、この辺の人間にはその姿は見えないし聞こえない。だからソルも何も言わない。言ったところで何も役に立たないし変わらないからだ。
「ソル、どうしたの? お腹すいた?」
地面を睨みつけるソルに気がついたアイラは、屈み込んでソルを見下ろした。ソルの頭上の太陽は、ちょうど真上にある。昼だ。
「そうだな。腹減ったな。……アイラ、昼飯!」
はいはい、とアイラは笑った。
お昼ご飯兼おやつは冬の間に焼いた堅焼きビスケットだ。冬が明けて畑もまだ整っていないこの時期は食べ物が少ない。芽吹いていた小さな草の芽を散らしたスープとともに食べる。
「これ食べたら、畑終わらせちゃおっか」
なにせまだ畝を作っただけなのだ。リーキとタマネギ、キャベツ。これらは貴重な食料になる。あとはハーブ畑の草むしりをして……と考えた。今日でできるかは置いておいて、やることはたくさんある。
窓から見える畑はまだ土しか見えない。
アイラの手元、ビスケットが置いてある皿の上。ピコピコと真っ赤なろうそくの火みたいな揺らぐ「チビ」がアイラのビスケットをほんの少しかじっていく。
「……」
ソルはじとりと「チビ」を睨みつけた。すると、それらは慌てて消える。はあ、とソルはため息をついた。
「なあに? もっと欲しいの?」
アイラは自分のビスケットを半分に折って、「はい」と小さい方をソルに渡した。
「おい! そこは『大きい方』だろ!」
「やだよ! 私だってお腹すくもの!」
抗議するソルに、アイラは反論する。しばらく二人でギャーギャー言い合った。
ざく、ざく。鍬で畝を整えていく。数日前まで肌寒かった気温は、体を動かすことで暑さへと変わる。ぽた、とアイラの首筋から汗が垂れて、土の色を一滴分変えた。
苗を植えて、種をまいて。穴を開けて種をまいた場所にソルは土を前足で掛けていく。ふみふみと踏むと、微かに足跡をつけてしっかりと「布団」が出来上がっていく。
(しばし、眠れ。目が覚めたら、ここから大きくなれ)
ソルは尊大に声を掛けていく。効くかは分からないけれど、精霊の「まじない」だ。アイラが飢えないように、ソルが美味しいものを腹一杯食べられるように。
「ふうー……、だいぶ出来てきたね!」
珍しく今日は空を(あんまり)見ていない。アイラもまた、やらなければならないことを意識しているようだ。
「珍しいな、今日空をそんな見ないなんて」
えへへ、とアイラは照れたように頬を掻く。指についた土が頬に移り、泥で落書きしたように線を引っ張った。
「あのね、畑仕事も、ばっちゃんと一緒にやったなあって思って。『アイラの作る畝は綺麗だ』って、よく言ってたなあ……って」
不自然に言葉が途切れた。ソルは視線をアイラから畝へと移す。素知らぬ顔で苗の根元に土を掛けていく。
「……ちゃんと畑も世話しろよ。畝が綺麗だけじゃ、育たねえからな」
ぐし、と手の甲で目元を拭ったアイラは、その土まみれになった顔で頷いた。
綺麗な畝にちょっと不格好に並んだ苗と、土がこんもりと盛られた種まきの後に水を掛け、アイラはエプロンの土を払った。水を飲んで少し休憩だ。
空は澄み渡って、青が目に染みる。
(今日はすごく空が綺麗。昨日の雨が全部流してくれたのかな)
アイラの二つに結ばれたくすんだ金髪がそよそよと風に揺れる。もぞ、と指先ほどの鳥のような、空を切り取ってくしゃくしゃにしたような「チビ」がアイラの髪の毛で遊んでいる。
ソルは無言でアイラの肩に飛び乗った。チビたちは驚いて遊んでいたアイラの髪の毛から手を離して消える。
(……やれやれ)
「ちょっとソル! 泥だらけの足で乗らないでよ! あー! 肩まで泥まみれ!」
泥まみれになった肩を見てアイラは嘆いた。そんな彼女にソルは「ちぇっ」と呟く。
こんなに世界に精霊が溢れていても、小さな彼らはアイラには見えないし聞こえない。
でも。
(お前、こんなに精霊に愛されてるんだぞ)
神様もケチなものだ。空を愛し、空の神様に愛されている彼女に、加護の一つもつけないなんて。
放っておけばそのうち空に「溶けて」しまいそうになるアイラをこの世に繋ぎ止めるのに、ソルがどれだけ苦労してるか知らないで。
次はハーブ畑の草むしり。
ハーブは薬にも虫よけにもなるし、お茶にも料理にも使える万能植物だ。ちなみにお茶の出がらしは布袋に入れれば清拭のお湯がいい匂いになる。アイラはセージとローズマリーを混ぜた香りがお気に入りだ。
「見て見てソル! もうハーブが芽を出してる!」
彼女が指さした先には、ちっちゃな双葉がぴろ、と顔を出していた。ソルも覗き込む。
「どれどれ。……これ、雑草だぞ?」
「えっ!」
ミントとセージ、ローズマリーとフェンネル。こっちは確かラベンダーだったはず。
「もー……。ばっちゃんてば、植え過ぎなんだから……」
そう言いながらもアイラの口元は嬉しそうに弧を描いている。畝作りも、ハーブも、空読みも、魔女の残した「遺産」だ。知識や技術はアイラの中に詰め込まれて、ハーブは土の中にしぶとく生き残る。決して無くならない。
そこかしこに「魔女」は生きている。
「えい!」
アイラは枯れた雑草を引っ張る。ブチブチ、と秋の間に張られた根が土から出てきた。ここはハーブの家なのだ。雑草はいらない。まあ、ハーブも生い茂れば「間引き」するのに大変なんだけど。
ソルは夏のある日の食卓がハーブで溢れた日のことを思い出して遠い目をした。
「ほどほどにしとけよ。どうせまた雑草はいくらでも生えてくるんだ。あんまり手をかけすぎるとハーブのほうが元気になりすぎるぞ」
「そうなんだけど……」
気になっちゃって、とアイラは笑う。ハーブ畑の世話は魔女の生前もアイラの仕事だった。
アイラの手元、ちょうど雑草が抜かれた辺り。ぴこん、とまた芋虫みたいな「チビ」が顔を出し、「イシシ」と笑ってまた頭を引っ込めた。
(アイツら……!)
だから去年のハーブは元気だったのか、とソルは合点がいった。恐らく小精霊どもがまじないでも掛けたのだろう。
けれどもソルは黙っている。
世の中には知らなくていいこともたくさんあるのだ。
そのうち日が傾いてきた。この日は不思議なほどに空が澄んでいて、夕焼けが、赤、オレンジ、黄色、そして青と美しいグラデーションを描いている。
ソルは傾いてきた太陽を目を細めて見た。それは強烈に黄金色になっている。
(魔力が高まってきたな……)
そしてまだ草むしりをしているアイラを振り返った。
「おい、アイラ、見てみろよ。おもしれーもん、見れるかもしれないぜ」
「え……?」
途端、ソルの視点が地面付近からぐん、と伸び上がる。
白い毛並みは柔らかなプラチナブロンドの癖っ毛へ。魔女がかつて農作業で着ていた簡素な服に身を包み、青い瞳をきろりと開いた。彼の視界から、尊大な上位精霊の気配を感じた小精霊どもが慌てて姿を消したのが見えた。
見下ろす先には、ぽかん、と口を開けるアイラの間抜けな顔。
「……ソル、戻ったの?」
面白いものって、それ? とソルを指さした。人型になったソルは、顔を赤くする。
「ちげーよっ! 太陽見てみろよ!」
「太陽? ……わあ、すごい綺麗な夕焼け!」
立ち上がったアイラは歓声を上げた。空を真っ赤に染めて、日が沈んでいく。そして地平へと吸い込まれて――。
「あっ!」
完全に太陽が沈み切るその瞬間、ほんの少しだけ残っていた太陽の頭の一部が、赤から緑に光った。
「グリーンフラッシュ!」
アイラは眩しそうに目を細めつつ、嬉しそうに声を上げた。
――あれは、本当に綺麗な空の時だけ、見られる奇跡だよ。太陽の緑色の光だけ、私らの目に届くのさ。ちょっとでも条件が悪いと見れないんだよ。
ばっちゃんの声がアイラの頭に響く。
「……な? おもしれーもん見れたろ?」
「うん! ソル、ありがとう!」
ポンとソルはアイラの頭に手を置いて、グリグリと乱暴に撫でた。その手の下で「わっ、ちょっと、ソル!」と声が上がったけれども無視する。ああ、もう本当にちっさいな、アイラ。
「……よく頑張ってるよ。たまには『大人』が褒めてやらねーとな」
アイラは抗議の声を上げるのを止め、両手を頭の横に上げたまま、無言で小さく、本当に小さく頷いた。
次の瞬間には、ソルはまた小さなキツネに戻ってしまったけれど。彼の不器用な優しさにアイラが救われたことも事実。
「……太陽、沈んじゃったね。中入ってご飯の支度でもしよっか」
ぽつ、と呟いたアイラの声は、少し嬉しそうで、そしてどことなく誇らしげだった。
「働いたから腹減ったぜ……」
「確か豆が少し残ってたはず。豆のスープでも作るね」
ピコピコとアイラの言葉に反応している小精霊どもが期待の眼差しをして窓枠にぶら下がっている。
(やれやれ。……やらねーからな!)
懲りないチビどもを睨みつけ、ソルは尻尾を立てて中へと入った。
ソルの視界は、賑やかで騒がしくて、それでいて大変だ。
(アイラをほっとくとすぐ転ぶし、いなくなりそうだし、チビどもはイタズラし始めるし……)
太陽の上位精霊は、今や、たった一人の少女のために、その力を奮っている。
やっと出てきたチビどもです。




