白銀の井戸端、「青」との交差
ぬくぬく。ソルは温かい布団の中でホカホカとまどろんでいた。
(あったけぇし柔らけぇ……)
心地のよいぬくもりと、気持ちのよい弾力。いつものベッドよりも柔らかい。
(……ん? 「柔らけぇ」?)
ソルの意識は急浮上した。彼は今、アイラの腕の中に包まれている。
外は雪が降り出して、窓の外は白銀が広がっていた。
(「何」が、「どこ」が?)
ソルは自分がいる状況を正しく理解した途端、大混乱に陥った。
(え……、は? 待っ、待て待て。アイラ春より「デカく」なってねえ?)
感触が違う。早くこの拘束を出なければ。いや、出たくないかも。
(ダメだろ! くそっ)
脳内の囁く声から何とか抜け出した。
「んんん……あれぇ……、ソル?」
毛が顔を触ったからか、アイラが目を覚ました。声が聞こえた瞬間、ソルがギクッと体を強張らせる。
「お、おう! アイラ、起きたのか!」
「んー、おはよう……。冷えたね……。今、暖炉つけるから……」
スモック一枚でアイラはベッドから降りようとする。それをソルは全力で止めた。
「待て、待て待て待て! 寒いからちゃんと上を着てからにしろ! 寒いから、な!?」
目を擦りながらアイラは首を傾げた。
「珍し……。いつも暖炉つけろってうるさいのに……」
もぞもぞと厚手のワンピースを重ねる。体の線が消えて、ソルはほっと息をついた。
基本、農村民は裸か下着一枚で寝る。それは夏でも冬でも変わらない。理由は簡単、寝間着などという高級なものは無いし、布同士の擦れ合いによる衣服の損傷を避けるためだ。布だって自分たちで織るし、服だって自分たちで仕立てる。麻や羊毛から作られる布は、かなりの手間をかけて作られるから、いくらでも長持ちさせたいのだ。
暖炉に火がともり、じわりと熱が染み出してきた。ソルは暖炉の前にクッションを持ってきて陣取る。温かさに目を細めた。
アイラはタマネギとちぎってきた硬くなったキャベツを刻んで鍋に放り込み、豆を少しと屠殺で出たラードの搾りかすを散らした。仕上げに乾燥させていたハーブと塩をぱらり。
「できたよ、ソル」
「おー」
本当は大麦も入れられればお腹に溜まるのだけど、去年の貯蔵は尽きてしまった。新麦、早く食べたいな。
今、麦は男たちの手によって脱穀されている。バチンバチン! と紐のついた棒、からさおを手に、リズミカルに打ち付けて実と藁とに分けるのだ。
どうしても小麦の種まき準備と重なってしまうから、この村では晩秋から初冬に行われる仕事になる。今年は収穫が多かった。ソルも手伝ってくれたし、太陽をいっぱい浴びて育った麦はさぞおいしいことだろう。
ダンダン、と戸を叩く音がした。誰か来たのだろうか。
「アイラー! あーけーろー!」
この声は、麦農家の長男(十六)。もしかして。
「はいはーい! おはよー!」
少年はアイラを見て眩しそうに目をすがめたあと、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「ほらよ、今年の麦だ。白さまも手伝ったからな……。二人分!」
「わ、こんなに!? 嬉しい! ありがとう!」
どん、と大きな袋をアイラの足元に置く。彼は寒いからか、少し頬を赤くした。
「っ、あとこれ! 母ちゃんから! パン! もらっとけ!」
この間、村の女たちが隣村にパンを焼きに行ってたっけ。豆の粉を練り込んだ黒パンは、まだ少し柔らかい。
「いいの? ありがとう! おじさんおばさんにもよろしく言っといて!」
「おー。じゃな。俺、まだ配んなきゃだから」
家の中にいるソルをちらりと見て、少年はそそくさと去っていった。
「青いねえ」
暖炉に温まったまま、ソルはぽつりと呟いた。
(ま、あいつじゃ務まんねえな)
「なにー? う、重っ! よい、しょっ! ……動かないや。ま、いっか。ソル、朝ごはんにしよ」
麦はぎっしりと袋に詰まっていて、ちょっとの力では動きそうにない。それを担いできたあの幼馴染は力持ちだ。
「腹減ったー。お、パンか。浸してくれ」
はいはい、と苦笑しながらアイラは黒パンをナイフで削った。そしてスープをよそってソルの分はパンも浸す。
「いただきまーす」
食べる前に祈りを捧げてから黒パンをかじる。うん、まだ歯が立つ。豆の濃い味がした。
びゅう、と風が吹き抜けていく。今年は冬が来るのが早い。あっという間に外は雪で白くなってしまった。薪は足りるだろうか、少し心配になった。
(今日は、追加で薪を割って……ああ、水も汲んでこなくちゃ。機織りは時間があるときでいいや)
家の中に蜘蛛が多くいるから、アイツらを追い出して、と今日の仕事を挙げていく。なかなかやることが多い。蜘蛛はソルに追い出してもらおうかな。そう決めたところでスープを流し込んだ。
「じゃ、ソル、蜘蛛追い出しておいてね。私水汲んでくるから!」
「へーい……待て、蜘蛛追い出せって!?」
おいアイラ! という声を無視して、アイラはさっさと食器を片付ける。
残されたソルは、口からぽたりとスープをこぼした。
「……出てくか?」
つい、一緒にスープのおこぼれをもらっていた土の小精霊を見下ろした。チビどもは「ぴゃっ」と跳ね跳んでさっさと彼の視界から消えた。
「寒……」
びゅうびゅうと冷たい風が吹き抜ける中、アイラはバケツを手に井戸へと向かった。ざくざくと雪に足跡を残し、井戸の蓋を開ける。バケツに紐をくくりつけ、からんと落とすと、深い井戸に落とされたバケツはやがて水にたどり着き、手応えを感じた。
「よいしょ……」
かじかむ手と重い水。当たり前のことなんだけど、冬はやっぱり重労働。道が凍れば滑って転んで、せっかく汲んだ水を台無しにしたことだってある。その時アイラもずぶ濡れになったのはいい思い出だ。
「はあー、重ー」
まだ井戸があるだけマシだ。ない村だってあるとばっちゃんから聞いたことがある。ここはまだ恵まれてるのさ。声が聞こえた気がした。
「……すまない、この辺に、『空読みの魔女』殿の家があると聞いたのだが」
アイラの背後から知らない男の声が掛けられる。雪がちらついてきた。
「……え?」
「おらあ! 出てけこらあ!」
ソルは蜘蛛を追いかけ回していた。もちろん、火のチビも一緒になって追いかけ回している。太い足に大きな体。少し毛むくじゃらの蜘蛛が、焦ったように逃げ惑っていた。
五匹は追いかけ回した。やつらはどこから入ってきたのか、そこそこデカい図体の蜘蛛が、暖を求めて住み着いている。
「くそ、多いな! さすがに!」
あとはチビどもに任せちまおうか。そんな事を考えてチラと火のチビを見ると、「報酬は?」と言わんばかりのキラキラとした瞳と目が合った。
「……」
無言で目を逸らす。自力で頑張るしかない。
冬は太陽が一番遠い季節だ。多分人型に戻れない。力も出ないし上位精霊としての威厳もない。そして恐らく人間は自分のことは悟られない。
ソルの「縄張り」に何かが入ってきたのは感じられた。村以外の、別の人間と他の存在。雪で閉ざされる季節はペドラーも来ない。
(なんか、大きい気配の、嫌ーな感じだぜ)
上位精霊としての勘が、心をざわつかせた。
「空読みの魔女は、私、ですけど……」
「は?」
男はフードを被った頭のまま、その緑色の瞳を大きく見開いた。
男の着ている外套はとても上質なものだ。農民ではない。そして、連れている馬は上等なもの。そもそも一人が馬を連れているなんて、ペドラー以外見たことがない。これは、とんでもなく偉い人?
「魔女と聞いたから、つい、もっと老婆かと思ったのだが……」
ボソリと呟いて、彼は困ったように頭に手を当てた。
「何か、私に御用でしょうか」
すると彼は「あー」とか、「ええと」とか言い淀んでいる。
アイラの手に持っているバケツは金属が熱を奪って冷たいし重い。アイラの鼻は寒くて真っ赤だし、男の鼻も少し赤くなってきた。
「あの、寒いので、とりあえずうちに来ますか?」
「あ、ああ……」
アイラの控えめな提案に、男は戸惑いながらも頷いた。そして彼は重そうなバケツに気がついて、手を伸ばす。
「私が持とう。道案内を頼む」
「えっ、いいえ! 大丈夫です! お手を煩わせるわけには……!」
ちょっとした応酬。無理やりに引かれたバケツの手を離しきれなくて、アイラは足元を滑らせる。
「わあっ!?」
「あっ!」
ガコッ、バシャン! バケツは転がって、中の水がぶちまけられた。
転がったのはバケツだけ。アイラは、男の腕に抱きとめられていた。ぶちまけられた水は、積もった雪をじわじわと溶かす。二人の時は少しの間止まった。
先に動いたのはアイラだった。
「ああっ! ごめんなさい! 足元が濡れちゃった……!」
「あ……いや、大丈夫、だ……」
一方、男の脳内は真っ白に停止していた。
(柔らかい……!? な、ど、どういう……!?)
この男は貴族である。彼の知っている「女性」とは、ウエストをコルセットでガチガチに固めた、とんでもなく硬い身体であった。けれど、目の前の少女は、柔らかな身体とともすれば熱を感じる、どこか頼りないもの。
「あ、足! 足が冷えます! ……から、どうか!」
アイラが急いで先を促すと、彼はのろのろとその腕を離し、どこか呆けた様子で顔を上げた。雪はやがて細かい粒となり、気温はさらに冷えていく。
アイラは水を諦めて空のバケツを拾い上げる。また後で汲みに来よう。
「こ、こちらです!」
「……おい、アイラ! 遅ぇ……」
扉が開いたことに気がついたソルが、頭を蜘蛛の巣だらけにして振り返って文句を口にした。けれど、彼はすぐに口をつぐむ。家に入ってきたのは、焦ったようなアイラと、感じていた気配。それは上等な外套に身を包んだ、背の高い男であった。
チビたちはわらわらと怯えたように散り散りになる。ソルは目を細めた。
(精霊、か。しかも中位。面倒だな)
男はこの家の「異様さ」に目を瞠り、ようやく脳内の再起動に成功した。
(な……んだ、この家。精霊が、低位だがこんなに……!?)
わらわらと家の中を埋め尽くすほどの精霊がひしめき合っていて、プルヴィの気配を感じたのか、怯えている。そして目の前には人語を話す白いキツネ。いや、なんだかホコリまみれで、薄汚れているものの、多分白いはず。
(魔女の家だからか……?)
「ま、魔女殿……? この家、は……」
「あっ、ごめんなさい! 早く、暖炉のそばに! 狭くて、汚くてごめんなさい!」
アイラは足元の精霊をまるで踏み潰すかのようにどんどん歩いていく。ぴゃー! と小さな精霊たちは踏まれないようにうまく逃げていた。
(見えていない、のか……?)
彼女は薄汚れたキツネを見下ろし、驚いたように声を上げる。
「わ、ソル、ホコリだらけ!」
「ばっかやろう、これは労働の証だ! 大変だったんだからな!」
プンプンと怒る彼を手で制し、アイラは椅子を持ち上げて暖炉のそばまで持っていった。
「こ、この椅子にお座りください! だ、暖炉のそばに!」
そして男は自己紹介をしていないことを思い出し、同時に忘れていた相棒も思い出した。
「あー、私の相棒も中に入れてもいいだろうか。プルヴィ!」
ぷるる、と青黒い毛の馬が家の中に入ってきた。ソルは毛を逆立てる。慌ててアイラはソルを抱きかかえた。――と、馬は怯えたように姿を小さく変える。
「えっ!?」
アイラが驚いて声を上げると、男もまた、「おや」と言うように片眉を上げた。
「……いや、失礼。この子は精霊。私はセオドア・ネーベル。王都で魔道士をしている」
ひゅ、とアイラは絶句した。ペドラーから聞いた話。王都の、精霊を連れた、魔道士。
「ま、魔道士、さま……?」
彼は威嚇するソルから隠すように小さな馬をその腕に抱えた。白いキツネは「グルル……」と牙を見せている。
「そのキツネ君は魔女殿の使い魔だろうか。悪いが、もう少し抑えてもらってもいいかな? プルヴィが怯えている」
あっ、とアイラはソルの口元を手でがしりと抑えた。「ソル! やめて!」と囁いている。やがて白いキツネは小さく舌打ちをして、牙を引っ込めた。恐らく「やめて」と言う前に、使い魔の名を呼んだのだろうが、なぜか聞き取れなかった。そういう魔術でも掛かっているのだろうとセオドアは自身を納得させた。
「それはそうと。アイラ、水は?」
ようやく口元を解放された白いキツネが不機嫌そうに言葉を発し、アイラはあっと我に返った。彼の足元が濡れていたのだった!
「魔道士様、こちらに……!」
なぜこんな辺鄙な村に、こんなすごい人が。アイラの頭には疑問符がいっぱい。
セオドアは礼を言うと穏やかに暖炉のそばの椅子にゆったりと座った。けれど、彼の瞳も懐疑的な色に染まっている。
ソルはソルでセオドアとプルヴィを睨みつけていた。
それぞれがそれぞれの思惑を抱えて、交わることのなかった三者が、今ここで交差したのであった。
昔寝間着なんて農民は本当になかったらしくて、服を長持ちさせるために肌着とかだけで寝てたらしいです。パジャマがある今はありがてえ……。
いや、ついにこの人が出てきてしまった。




