手仕事に見る面影、お日様と近づく冬の気配
すん、と鼻を動かすと、薪を燃やす煙の香りと、肺を冷やす冷たい冬の香りがした。はあー、と息を吐けば、この間まで透明だった呼気は白く染まる。
パコン! アイラは斧を太い薪に差し込み、トントンと何度も叩きつけて薪を割っていく。パコン! ちょうどよい太さになったらまとめて家の中へと運ぶ。
ふう、と息をついてアイラは空を見上げた。雲に覆われた空は、じとりと重く垂れ下がり、乾いた冷たい風が鼻先をかすめていく。
(雨が降りそう)
上空では雪となって降ってきた水は、気温がまだ暖かい地上付近では冷たい雨となる。これがもっと寒くなればみぞれ、そして雪へと変わる。
「ソル、お待たせ」
「さみぃよ、アイラ……」
家の中ではソルが毛布の中で震えていた。先ほどまで薪割りをしていたアイラは汗ばんでいるというのに、この差はなんだ。
「今、暖炉つけるから」
手早く薪を暖炉に組んで、アイラは火をつけた。ついでに水の入った鍋を近くに置く。
ぱちぱちと音を立てて、薪はちろちろと燃え、じわりと赤が広がっていった。
ソルは素早く暖炉の前に陣取り、ほこほことした顔で火にあたっている。
「ソル、退いてよ。お湯が沸いたんだから」
「嫌だね。オレは今ぬくってるところだ」
「もー」
仕方がない。アイラはお湯を諦めて、壁に立て掛けてある壁掛け織り機へと向かった。秋の間に紡いだ羊毛を一枚の布にする。これが冬の仕事である。
かち、かち。不格好な羊毛を縦糸に通し、専用の櫛で整えていく。太く紡がれた糸は、ぽこりと布から飛び出している。
「……」
綺麗な一枚にならなくて、なんだか悔しい。去年まではばっちゃんが紡いだ糸で織っていたのに。冬の隙間風のように、心にじわりと一抹の寂しさが吹き抜けた。ばっちゃんがいなくなって、初めての冬。アイラはぐっと歯を噛み締めた。
すん、と鼻をすする音を聞きつけて、ソルは顔を上げた。アイラは後ろを向いているから顔は分からない。
(やれやれ)
十分温まったし、今度はアイツを温めてやるか。
「ほら、もっと力入れて叩けば出っ張ったとこもへこむはずだ。……まあ、いい味出てんじゃねえ?」
ソルはアイラの肩に飛び乗った。そのままくるんと首に巻き付く。顔は見ない。ほんの少し鼻を赤くして、口をへの字にしたアイラが無言で手を動かしているのが容易に想像できるから。
「……ばっちゃんの糸なら、もっと綺麗に織れた」
「ま、そこは経験の差だ」
すん。鼻をすする。かちんかちん。先ほどより強めに叩く音。
「去年まで、ばっちゃんがあそこに座って、糸を紡いでた。私がここに立って、機織りして」
暖炉のそばで、ばっちゃんがトントンと規則的に糸を紡ぐ音が好きだった。時折混ざる、空の話。次々に変わる空をほどいて、未来を読み取る。そんな魔法を使う魔女の話が好きだった。
ソルは会話に混ざらず、暖炉の前で丸まってその会話を聞いていた。たまにアイラが話を振って、聞いていないようで聞いているこの毛玉に二人して笑ったのだ。
「……さみしいね」
ふん、とソルは呟いただけ。
何も考えないように、がむしゃらに動いて生きてきたけれど、ほんの少し静かな時が来るとふとした瞬間に思い出してしまう。アイラは、魔女の死をまだ乗り越えられていなかった。
「寂しかったら泣けばいい。空は、雨が降った分だけ雲は軽くなるだろ。それと同じだ。溜め込んでたら、嵐が来ちまうぞ」
「……うん」
アイラは、首に巻かれたソルをそっと抱きしめた。
ひとしきり「雨」を降らせて、アイラは顔を上げた。
「お茶でも飲む? 羊のおじさんが、この間グリーンチーズ持ってきてくれたよ」
「食う!」
アイラの声は少ししわがれていたけれど、しっかりとしたその声音にソルは安堵した。
夏の間に羊の乳で作られた、水分の抜けたかちかちのチーズ。ナイフで削って、少しずつ食べていく。貴重な冬の栄養源だ。スープに入れてもいいけれど、口の中で転がしながら、濃厚なチーズの風味を味わってもいい。
思いついてソーセージを少し、暖炉の火で炙った。熱々のままチーズをつけると、その熱で少し柔らかくなる。お昼のちょっとした軽食だ。
「はい、ソル」
濃厚な豚の味と、羊のチーズ。燻製された煙と、炙られて香ばしくなった味。
「アチいけど、うめえ!」
夢中で食べるソルを見て、アイラはふふ、と微笑んだ。
空っぽな心を埋めてくれたのは、始めはばっちゃんだった。そして、彼女の隣にはいつもこの憎たらしい口を利く白いキツネがいた。アイラを繋ぎ止めてくれたのは、確かにこの精霊だったのだ。
初めて人型のソルを見た時は、おっかなくて、神々しくて、動けなかった。九歳の少女には、村の男たちよりも背が高く、見たことのないプラチナブロンドで青空のような瞳のソルは、「神様」か何かに見えたのだ。
彼がアイラにしたことと言えば、ぶっきらぼうに頭をクシャクシャと撫でることであったり、ふとした瞬間に手を繋いだりすることであった。空ばかり見てよく転ぶアイラを見ては、わざと馬鹿にするような事を言い、アイラの感情を発露させた。
そのくせに太陽の力が少しでも遠くなれば、すぐにキツネの姿に変わってしまう。さみしくてさみしくて鼻をすする夜は、必ずと言っていいほど布団に潜り込んできた。
そんな彼に甘やかされてきたのだと、今になって思う。
「……ソルは、どうしてその姿になったの?」
ソーセージをもう一つかぶりつこうとして、ソルは口を閉じた。少し考える素振り。
「……昔な、ちっとやらかした。それで神様から、罰を与えられた。ただ、それだけだ」
力が出なくて倒れてたところを、魔女に拾われた。それだけ言って、彼はソーセージを口に入れた。
「ふうん」
何をやらかしたのかは、いまだに分からない。
ただ分かるのは、口が悪くて優しい、キツネになってしまう太陽の精霊ということ。
「……おいしいね」
「アイラ、おかわり!」
「もー、あんまり食べ過ぎると、冬越せないよ?」
苦笑して、アイラは自分の分を半分、分けてあげた。
「……本当に、行っちゃうのかよ? ネーベル」
青黒い毛並みの馬にまたがった男は、防寒のための外套に包まった。けれど、それは厚手の上質なもの。真っ直ぐな硬い栗色の髪をフードで隠し、彼は微笑んだ。
「少し、見てくるだけだよ。プルヴィならすぐ帰ってこれるさ」
「王都はまだ秋だが、あの辺境ではもう冬だろ。しかも今年は大雪と予報が出てる。行くなら、冬を越してからにすれば?」
心配そうに眉をひそめる同僚に、笑って答えた。
「今年が大雪ならば、余計に確認しなければね」
メディケーンの被害が無かったのなら、大雪もあの周辺は変わるのではなかろうか。そんな期待と予感を彼は持っていた。跨った馬の背を撫でる。馬は「プルル……」と鳴いた。
「強大な精霊がいるならば、この目で見てみたいものだよ」
王都から目標の辺境まで一月ほど。雨の少ないこの時期しか、彼と彼の精霊には暇がない。
「行こうか、プルヴィ」
馬は、駆け出した。
「へぇっくし!」
ソルは大きなくしゃみをして、口の中に入っていたものをぶちまけた。
「わっ、せっかくの!」
「悪ぃ」
もー、とアイラはテーブルを拭こうと立ち上がった。ソルはしょんぼりと耳を垂らしている。
外はしとしと雨が降りはじめ、そしてやがてみぞれへと冷えてきた。
本格的な冬の入り口に、今、入ろうとしている。
冬が来ますね(ガタブル)




