「赤」に見る、豚とワインと大人の階段
ちょっと血の表現がありますので、苦手な方はご注意ください。
冬になる前、増えた家畜は肉へと姿を変える。それは、全てを生かして冬を越せるほどの餌がないことと、冬の間、餓死して全滅を防ぐための「間引き」の意味でもあった。
ほとんどは豚。あとは年老いて動けなくなった羊。豚は、来年のつがいを残して、屠殺し、人間の命を繋ぐ食糧となる。人間は彼らの命をありがたくいただくのだ。
山のドングリを食べて、丸々と太った豚。村の人々は皆一様に祈りを捧げた。これから行われるのは、命を繋ぐための「儀式」である。人々は「可哀想」などとは思わない。自らが生きるために必死であるし、そうしなければ生きられないからだ。アイラもまた、祈りを捧げる。
男たちが豚を捌き、女たちは保存食を作り上げる。血の一滴も無駄にしないために、急いでそれらは行われる、村総出の仕事である。
「なー、アイラ。出来上がったらオレに一つくれよ」
ブラッドソーセージ、好きなんだよな、と白キツネ姿のソルは舌でぺろりと口の周りを舐め、アイラにソーセージを催促した。
「いいけど、食べ過ぎないでよ? 夜皆で食べるんだから」
「あははっ! 白さま、去年食べ過ぎてねぇ!」
自分の分が無かったことを思い出し、アイラはソルをじっと見つめた。ソルはその視線に一歩、後ろに下がる。
「い、一個だけ! ならいいだろ?」
「いいよ。一個だけ、ね?」
一年間、一生懸命貯めたお金で、この間村の人が買ってきた塩。アイラは乾燥させたハーブを大量に持ってきた。それぞれが材料をめいめい持ち寄って、「祭り」が始まる。
アイラはハーブやタマネギを刻む。隣では麦農家の三軒目、一人娘が赤ん坊を背負って大麦を茹でていた。
豚は、それこそ「鳴き声以外は全て使われる」と言われている。
豚は頸動脈を切られ、出てきた血はたらいに貯められる。どんどん解体され、肉と毛皮と内臓、骨へと姿を変えた。
たらいに貯められた血、刻んだ香味野菜とハーブ、肉と塩。スパイスとよく混ぜ合わせたタネ《ファルス》はよく練り込まれ、綺麗に洗った腸にどんどん入れられた。
手際よくちょうどよい長さに縛られて、クツクツと熱い湯が張ってある鍋に放り込まれた。広場は豚臭さから血の臭いに変わり、やがてハーブとタマネギの、食欲のそそる香りへと変わっていった。
脂は刻まれてじっくりとラードを抽出される。これは貴重な栄養源となるほか、ランプ用の脂となったり軟膏の材料となったり。ラードを搾り取った後のカスは、日々のスープにコクを出す美味しい具材へと変わる。
内蔵もまた長期保存が効かないから、今日の祭りで食べられるごちそうとなる。別の鍋に放り込まれ、グツグツと煮込まれていった。
肉の塊は樽に塩と交互に漬け込まれ塩漬け肉となったり、精製した脂の中に入れられたり、塩とスパイスとを混ぜたひき肉を腸に詰め、薫製したソーセージとなって、村人に配られる。
残った毛はブラシや針の代わりに、骨は砕かれて肥料にしたり、服のボタンや、冬の遊び、そりの足となったりするのだ。子どもたちは今日のごちそうや冬の遊びに思いを馳せた。
クンクンとソルの鼻がひっきりなしに動く。カリカリとアイラのスカートを引っ張った。
「なー、アイラぁ……」
命の輝きととごちそうの匂いが交互にやってきて、ソルのお腹は先ほどからぐうぐうと主張している。
「はい、白さま」
ぶどう農家の十二歳の次女がブラッドソーセージの切れ端をソルの口元に差し出した。はぐ! と彼は勢いよくかぶりつく。じゅわっと脂と肉の汁が口の中に広がり、スパイスと香草の香りが追いかけてきた。
「んんんめえええ!」
くねくねとソルは踊る。尻尾も大きくぶんと揺れた。
血と、火と、煙と、香草の、香ばしい香り。広場を充満させていたその香りはやがて静かになった。日が少し傾いた頃、今度は別の祭りで村人たちはそわそわし始める。
「はい! 今年の新酒だよ!」
運ばれてきたのは、秋のはじめに仕込んだワイン。それはシュワシュワと発酵し、芳醇な香りと、少し甘くぴりりとしたむき出しの酒の味がする。
領主さまへワインをお納めした時、たくさんのごちそうをいただいた。それらはどうせ日持ちしないから、ここで皆に振る舞われる。大きな作業台だった板は、今や豪華なごちそうを載せるテーブルへと変わった。
「ほら、アイラちゃんも!」
樽へコップを突っ込んで、なみなみと入ったワインを手渡される。
「わっ、ありがとうございます!」
子どもたちは思い切り薄めたものだ。原酒は初めて。
「今年を無事に、全員で送れたこと、また新たに生まれた命を祝って、乾杯!」
村長が高らかに宣言した。皆一様にワインをあおる。アイラもまた、コクリと口に含んだ。
シュワリ、と舌に発酵している刺激を感じ、ぶどうのほのかな甘みが広がった。柔らかな香りが鼻に抜け、最後に酒特有のカッとなる喉越し。
「……おいしーい!」
皆も「くあー!」とか、「うんめぇ!」とかごちそうとともに流し込んでいる。
コップが空になれば樽へと足を運び、ごちそうを食べては語り合う。
ソルもまた、口の広いコップにワインを注いでもらって(樽の近く、特等席だ)、皿に盛られたごちそうを平らげていた。
「いいなー、アイラ。俺も飲みてえ」
そう言うのは子ども枠の年長、十六歳の麦農家の長男。頬を少し赤くして、アイラは胸を張る。
「羨ましいでしょぉ。すごくおいしくって、たくさん飲めそう!」
「甘くてシュワっとしてるからねえ! でも、アイラちゃん、結構飲んだんじゃないかい? 酔いが回るのは早いからね!」
「ほえ?」
隣りにいたおばさんに笑われ、アイラは首を傾げる。だって皆も同じくらい飲んでるもの。私だけ酔いが回るの早いとか、ないんじゃない?
「おい、アイラ?」
ソルが特等席から慌てて走ってきた。口の周りはワインで赤紫色に染まっている。
「あー、ソルぅ、口が赤いよぉ?」
手ぬぐいで擦るが、取れない。ソルは嫌そうに顔を振った。
「やめろよ、お前、酔ってんぞ。そろそろ止めとけ。食う方に重きを置け」
「だってぇ、おいしいーんだもの。ごちそうもぉ? おいしいけどお、ソルとお酒一緒に飲めたねぇー」
は、とソルが今度は固まった。えへへぇ、とにこにこととろけそうな笑みをうかべ、アイラはソルを見下ろす。
「なっ、何言って、こ、この、バカが!」
アイラは笑ったままソルをひょいと抱き上げる。そしてモフモフと顔を埋めた。
「お日様の香りぃ……はあ、いい匂い……」
バタバタとソルはもがくが、酔っ払いの力は意外と強かった。抜け出せない。何でだ。
「んん……すき……」
小さく呟いた声をソルの大きな耳は拾い上げた。
「!?」
やめろオレを殺す気か。
結局、アイラは広場の真ん中で寝落ちした。両腕にソルを抱きしめ、村の人々からはにこにこと「仕方ないねえ」と言われる始末。
「誰か! 助けてくれ!」
ソルの必死の声に、一応名乗りを上げたのは麦農家の長男(十六歳)。ソルのひと睨みで撃沈した。
仕方がないので、彼の父親にアイラは背負われて家へと帰されたのであった。
「アイラちゃんも大きくなったねえ……」
ゆさゆさと運ばれる帰り道。ソルはもう彼女のぬいぐるみのごとく、腕の中に収まっている。
「十七歳ねえ……。『そろそろ』なんだろうけど、白さまがいるからねえ」
「はっ!? おいおっさん何言って」
分かってる分かってる、と彼は頷いている。いや、何が!?
「……でもよぉ、白さま。この子は、人間だからなあ。勘弁、してやってくれや……」
「……」
ソルは、無言を貫いた。
(ちっ。何が「勘弁」だ。こっちの方が「勘弁」だっつうの)
ベッドに寝かされて、男はアイラの頭をぽんぽんと軽く撫でてから家を出ていった。彼から見ても、アイラは九歳の頃から知っている、娘同然の存在だ。村の人々は今年大人の仲間入りをしたアイラと新酒を飲めて嬉しかっただろうし、アイラもまた嬉しかっただろう。
(まだ、ほんのチビだと思ってたんだけどなあ)
月明かりに照らされる寝顔を見て、ソルはぼんやり思った。
「うう……。あたまいたい……きもちわるい……」
朝と言っても随分日が高く昇った頃、アイラは呻きながら起き上がった。昨日は楽しくおいしくワインとごちそうを飲み食いしたのは覚えている。けれど、どうやって帰ってきたのかは分からない。
服をそのまま着ているから、脱がずに寝たんだろうけど、どうしたんだっけ。
「おう、起きたか、アイラ。腹減ったわ」
「……ソルは元気だね……」
はんっ、とソルは鼻で笑う。
「オレがあんな酒で酔うとでも? ガッキだなあ!」
「うるさい……、あたまにひびく……」
ゲラゲラと笑うソルと、顔をしかめるアイラ。そしてアイラはもう一度ベッドに潜り込み、朝ごはんは放棄し、ソルは空腹のまま過ごすことになったのであった。
ソーセージ美味しそうですよね。




