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春一番と、新米魔女の種まき予報

本日2話目の投稿です。

「おーい、アイラー」

 甲高い子どものような声が遠くから聞こえた。空を見上げていたアイラは、その声に視線を空から地面へと動かすと、彼女の視線の先に白く小さなキツネのような生き物が、とたた……と走ってくるのが見える。

「ソル」

 アイラは膝を曲げて屈む。地面に向かって手を伸ばすと、その生き物はスルスルと彼女の腕を伝って、定位置の肩の上に落ち着いた。

「今日はなんだか暖かい日だな」

 大きさの割に驚くほど軽い体重のソルの毛並みをモフりながら、アイラは頷いた。

「そうだね。今日みたいな日は、風が強く吹くよ」


 やっと冬が明けた、春。雪も解けて、もう少しで村の農業が始まる。いや、畑はもう土起こしが始まっている。もうじき大麦の種が蒔かれることだろう。

 アイラは春の農民たちの畑作業を思い浮かべる。牛に鋤《すき》を着けて土をひっくり返して、冬の間硬くなってしまったものをふかふかに変える。そこに村人総出で麦の種をまいていくのだ。



「アイラちゃん、そろそろ、麦の種まきをしようと思うんだけど、どうかな。風は吹きそうかい?」

 そんなアイラの家に、一人の村人が訪ねてきた。農作業は天気と関わりが深すぎる。種まきの日に風が強いと綺麗に筋状にならない。種が偏ってしまったら、それは収穫まで引きずってしまうし、収穫量にも差が出てしまうだろう。

「えっとね、今日から三日くらいはやめたほうがいいかも。昨日の夜から暖かかったでしょう? 強い風が吹きますよ」

 おや、と彼は驚いたように目を大きく開き、困ったように眉をひそめた。

「今日は暖かいし、天気のいいうちに種まきしてしまいたいんだけどねえ」


 アイラはここの家の、遠い遠い親戚の子どもだ。幼い頃、両親は病気で亡くなり、孤児となったアイラを一度は引き取ったものの、空ばかり見て家の仕事を疎かにしてしまう彼女に困り果てた男は、空読みの魔女のところへ連れて行った。

「ババ様、この子、空ばっかり見てちと困っとるんだ」

 魔女はからからと笑った。

「こりゃあ、大物になるんじゃないのかい! では、このババのところへ来るかい? あんたは空を見て、この村の仕事に貢献しな!」

 アイラはそれから空読みの魔女の「孫」となった。


(私だって、ばっちゃんの言ってたこと、ちゃんと覚えてるんだから)

 ちょっと気弱な性格のせいで、強く言い返せない。けれど、拳をぎゅっと握った。肩の上にいるソルも、彼女を勇気づけるように尻尾で頭を叩いてくる。

「……冬から春の陽気に変わって来ています。今朝、マフラーいらないくらい暖かかったの。南からとっても強い風が吹く予兆だわ。この暖かくて強い風が今日吹いて、明日からまた寒くて強い風が続くから、それが止んでから種まきをお勧めするわ」

 そうなのかい、と村人は空を見上げた。

「そこまで言うなら信じてみようかねえ。全く、アイラちゃんもババ様みたいに言うようになったもんだ」



 果たして、アイラの「予言」通りに、南から窓枠をガタガタと言わせるくらい、そして遠くの景色が埃で霞むくらい、強く湿った風が村を吹き抜けていった。

 すんすん、とソルは空気の匂いを嗅ぐように鼻を動かす。

「南の海の匂いがするぜ。『春一番』てやつか」

 家の中にいれば、日差しは暖かくてポカポカとしている。アイラはソルを膝の上に乗せた。

「ね、ソル。私もばっちゃんみたいに役に立てたかな?」

「もちろんだろ。二代目空読みの魔女が言うんだ。村の奴らだって、種まきは来週って言ってたぜ」

 もふもふ。ソルの白い毛皮は撫でて気持ちいい。お日様のような、ぬくもり。

「おい、アイラ! くすぐったい!」

 ケタケタと膝の上でソルがくねる。そのままころりと膝から落ちた。

「ぐえっ」

「わっ、ソル、大丈夫?」

「うへえ、……へ、平気だ!」

 ぶるん。ソルは体を震わせた。がたん! がたがたっ! ひときわ強い風が窓枠を揺らす。アイラはハッとして立ち上がった。

「洗濯物!」


 慌てて裏戸から物干しへと走るアイラに、ソルは背後から声をかけた。

「転ぶなよ!? アイラ、ちゃんと足元見ろよ!」

 バタバタとシーツがはためいて、アイラの顔にビシビシと布が叩きつけられる。ロープに通された衣服は強風にあおられて片方に寄ってしまっていた。

「きゃー! 強い風!」

 アイラの二つに結んでいる髪も、強風に引っ張られる。エプロンもまた風にあおられてアイラは、ぐん、とたたらを踏んだ。

(わ、転んじゃう――!)

「おい、アイラ!」

 せっかく土のついてない服なのに! ソルの焦った声を聞きながら、アイラは目をぎゅっと瞑った。


 けれど、転ぶ衝撃はいつまで待っても襲ってこず、その代わりにがっしりとした腕に抱き止められた。

(あれ……)

「……アイラ、大丈夫か?」

 耳元で聞こえた低い声。アイラよりも逞しい体躯、白い毛並みでない、人の手が見える。

「ソル……?」

 アイラが後ろを振り返ると、少し癖っ毛のプラチナブロンドの髪が風でぶわりと逆立ち、青空を切り取ったような青い瞳がアイラを見下ろしている。

「あれぇ……、なんで……」

 すると彼もまた今気がついたように瞬いた。自分の手のひらとアイラを交互に見下ろしている。

「お、オレもわかんねえ! も、戻っちまった! いや、まず洗濯物だ! オレ、こっちのシーツを回収するから!」

「う、うん!」

 わたわたと二人はなんとか布の塊を回収することに成功した。


 バタン!

 ごぉごぉと鳴る風の音が止む。アイラとソルは頭を鳥の巣のように振り乱しながら、その場にへたり込んだ。

「すごい風だった……」

「ホントにな……」

 はあはあと息をつきながら洗濯物をまとめるアイラは、傍らに座り込んでいる「彼」を見た。

 ソルは、太陽の上位精霊らしい。「色々」あって、その力の大半を世界から封印されているのだという。

 くしゃくしゃの癖っ毛は毛先だけが太陽の光のように黄色が濃くて、口元にはほんの少し、八重歯が見える。背丈はアイラより頭一つ分以上大きい。服はばっちゃんが昔着ていた農作業用の男物のシャツとズボン。不思議なほどに体に合っている。そんな簡素な服なのに、ソルから滲み出る「男のひと」の気配に、アイラはドキドキした。


「何で人型に戻ったんだろうね?」

 グシャグシャになった髪の毛をまとめなおしながら、アイラはソルに尋ねた。ソルはプラチナブロンドの癖っ毛をかき上げ、その抜けるような「青空」を細めた。

「今日は冬の気配が春に押されて強い南風が吹いただろ。それで魔力がバグったんだな、きっと」

 と、その時。

「ぽしゅるるるるん……!」

 気の抜けるような音とともにソルが煙に包まれて、アイラは慌てて立ち上がった。

「わっ、ソル!?」

 そこには、青年ではなく白いキツネが目を回して倒れていた。

「ううう……。バグっただけだからすぐ戻っちまったぜ……。腹が減った……。アイラ、肉ぅ……」

「もー、びっくりしたよぉ」

 アイラは苦笑しながら目を回している白いキツネを抱き上げる。

「あ、ばっちゃんが作ってた塩漬け肉あるから、それ使った大麦のスープでも作ろっか」

「頼むぅ……」


 でも、とアイラは部屋の中を見回した。煙突から風が舞い込んで、冬の間焚いていた暖炉から煤が部屋に吹き出している。その近くをこすったソルは「うわっ」と声を上げた。

「アイラ! オレが灰色キツネに!」

「うわー……。お掃除が先かなあ」

 布を水に濡らして壁を拭き、床は軽く水を流した。もっと暖かくなってから、大掃除しなければならない。

 ソルは湿った身体にさらに煤を付けたのか、まだら模様になっている。白と灰と黒の見事なグラデーションだ。

「あはは! ソル、すごい色!」

「ぬお!? アイラ、言いやがったな! お前にも煤を付けてやる!」

 二人ともギャーギャー言いながら掃除をした結果、煤だらけになった。

 濡らした手拭いで顔を拭い、ソルも綺麗に拭いてやる(全部綺麗にはならなかった)。

 お腹もぐぅぐぅと鳴っている頃だ。


「さーて、作りますか」

 ゴソゴソと保存庫を探ると、真っ白に塩を吹いた肉の塊が出てきた。

「これこれ」

 薄く切り取り、一度下茹して塩を抜く。床下収納から萎びたカブと人参、朝見つけたネトルを刻んで鍋に放り込んだ。一緒に大麦も入れて、コトコトと煮込んでいく。

 ふくふくとした食欲をそそる香りが家の中に充満していった。

 肉の塩味と萎びて甘さが強くなった野菜、春の息吹を詰め込んだ緑。とろりとした大麦の、お腹を満たすスープの出来上がりだ。

「はい、熱いから気をつけてよ」

 ソルでも食べやすいように浅い皿によそってテーブルに出すと、ソルは「やったー!」と急に元気になって皿に顔を突っ込んだ。

「うあっちいいい!?」

 だがすぐに苦悶の表情をして顔を上げる。とろとろの出来立てスープは熱い。だから気をつけてって言ったのに、とアイラは笑った。

「うめー!」

 口周りに大麦を付けながらソルは顔を上げる。ぺろん、と舌で舐める姿はただのキツネだ。

 先ほどまでの精悍な姿はどこへやら。ふふっと笑って、アイラもスプーンを口に運んだ。そして同じく「あちち……」と呟いたのだった。



 夜中、風向きが南から北へと変わった。カタカタと日中鳴らなかった廊下の窓枠が鳴っている。

「ぅぐぇっ」

 不意にソルは首元をぎゅっと絞められて目を覚ました。北風が家の隙間から入ってきて少し肌寒い。

「……なんだよー……アイラか……」

 どうやら自分の首を絞めた犯人は、ソルを抱きしめて眠るアイラのようだ。ソルはするんと柔らかい体をくねらせてその拘束から抜け出した。そっとアイラの顔を覗き込む。

「……」

 薄暗い部屋の中、アイラの目尻が少し濡れているのが見えた。

「ばっちゃん……」

 ぽつ、と呟かれた、なんとも頼りない声はまるで幼子のよう。一度その腕から抜け出したソルはもう一度腕の中に収まって、毛布を首元まで口で引っ張った。

「……やれやれ。オレがついてんだからな。さみしくなんか、ないんだぞ」


季節的に微妙ですが、初春に吹く強風、春一番です。

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