嵐の強襲、精霊守る魔女の家
空は、色々なことを教えてくれる。今の天気だけでなく、未来のことだって、教えてくれるのだ。
アイラは、空を見上げた。視界いっぱいに、うろこ雲が広がっている。
(あーあ、明日……明後日くらいかな、天気が悪くなりそう)
やっと長雨が抜けたと思ったのに。畑仕事も進まない。やるなら今のうちかな。
ソルはぱたぱたと飛んでいる蝶を追いかけている。こうして見るとただの白いキツネだ。
「ソル。キャベツに芋虫いたら潰しちゃって」
「はあー? 面倒くせえな」
軽く舌打ちをするソルを無視して、アイラは畑の草をむしった。
(……だとよ、いいか?)
ソルは畑の土でまどろんでいた芋虫のようなチビをちらりと見ると、彼らは「ぴぎゃっ」と飛び起きた。そしてとんでもない勢いで首を振る。ソルはけけけ、と笑った。
(だよな、悪い悪い、冗談)
キイキイ文句を聞き流しながら、ソルはキャベツについた害虫の方の芋虫を足でぺいっと捨てた。
(あれ……)
数時間経って、また空を見上げると今度はうろこ雲からひつじ雲に変わっている。
(……早くない……?)
もくもくとした雲が広がっている。そして気がつくと、厚く暗い雲がひつじ雲をゆっくりと飲み込んでいった。
アイラは遠くの景色へと目を向ける。なぜか色が濃く、はっきりと見える。分厚い雲のずっと向こう、西の方でモクモクと夏によく見たような、かなとこ雲のような片鱗が見えた。
(えっ……)
これは、嵐が来る。生易しいものではない、猛烈な嵐が。
「アイラ? どうした?」
ソルは空を睨みつけるような「魔女」の顔をしたアイラを見上げ、首を傾げた。
「ソル。来る。すごく、荒れる嵐が。皆に知らせなきゃ……!」
そう言ってアイラは走っていってしまった。
「あっ、おい! アイラ!?」
残されたソルもまた、空を見上げた。少し暗い雲が空を覆ってきているくらい。明日は雨かなあ、とヒクヒク匂いを嗅いだ。
「ええ? 嵐?」
村人たちは怪訝そうに空を見上げた。どんよりとした雲が広がっている。
「今朝はいい天気だったじゃない。それに、薄雲が出てるくらいだった。でも、ぽこっとした羊みたいな雲が出てから、この黒い雲に変わるまで早かったの。嵐がこの辺の空まで引きずり込んでいるんだわ!」
だから、とアイラは必死の形相で村人たちを見た。
「家の補修、するなら今日の夕方まで。夜から風が荒れて、雨がすごく降る! 大荒れよ! 雨戸も締めて、飛ばされるものは仕舞って!」
真剣な顔のアイラに、彼らもまたおずおずと頷いた。
「まあ……、アイラちゃんがそう言うなら……」
彼女は一軒一軒回って説明した。なにせ村は総勢三十二人。全部で六軒しかないのだ。ぶどう農家は枝が折れないか顔を青ざめさせたし、麦農家は小麦をまく前でよかったと息をついた。
軒数は少ないと言っても、広大な畑が広がる村だ、全部回り終わる頃には何となく嫌な風が出てきた。
(風が生暖かい……。これが冷たくなったら本格的に荒れる!)
アイラも急がなければ。一番遠いぶどう農家の家に来たから、道を下らなきゃ。走りながら空を見上げた。どんよりとした雲は変わらない。けれど、どこか上空の風が強い気がする。まだ家の雨戸も、見回りもしてないのに!
「あっ!?」
留守にしていた足が石につまずいて、アイラはべしゃっと転んだ。エプロンから顔の前半分、土だらけだ。
「……」
無言で土を払う。いい年になって転ぶとは、恥ずかしい。一応誰もいないことをちょっと確認した。
「おい、アイラ! こんなとこにいたか!」
下から白い影が飛び出してきた。ソルだ。
「……はあ? 何お前、まーた転んだのか。早く帰るぞ、空がやべえ」
ケタケタと笑うソルをじとりと見下ろした。だって、空が気になったんだもの!
「『また』じゃない! そんな転んでないんだから!」
「昔は転んでばっかだったろーが」
ほら、行くぞ、とソルは走り出した。アイラは少し口を尖らせ、同じく走り出した。
バン! 雨戸を次々に閉めていく。風は冷たく、近づいてくる嵐の足音は、びゅうびゅうと強まってきた。
一応井戸から水を新たに汲んできて、樽に補充する。夏の間にソルに屋根を直してもらっておいてよかった。
ソルは畑を見ている。何をしているのか、ハーブのあたりをじっと見て、顎で家の中を指した。そして興味を失ったように背を向ける。
「ソル、どうしたの?」
「んー、避難できたかなぁと思ってよ」
「ふうん?」
雨戸を閉めたから家の中は暗くなった。アイラは小さいろうそくを出して灯す。ほのかな明かりが部屋の中に揺れた。
ソルの視界には、部屋いっぱいにチビどもがひしめき合っている。ろうそくの火の揺れに合わせて、火のチビはわらわらと踊っているし、足元には土のチビが踏まれまいと靴を避けて「イシシ」と笑っている。水のチビは樽の方に行って、腐らないように「おまじない」を振りかけている。風のチビは嵐の風にウキウキとしながら、雨戸が外れないように「おまじない」をふうっとしていた。
そんな様子を見て、ソルは小さくため息をついた。
(狭いんだよ! 火と土のはともかく、水と風は外に出ろ!)
お前らの好きな嵐だろうが、と話しかけると、チビどもはキイキイ喚く。要約すると、「アイラを守るぞ、オー!」と団結しているようだ。いや、何から!?
チビどもはじっとソルに視線を集中させた。まるでソルが「お前が何かやらかすだろう」と言わんばかりだ。
(……オレが何やるっていうんだ、ああ!? 散れ! 出てけ! くそ、中に入れるんじゃなかったぜ!)
踏み潰そうと足をだん! と前に出すと、チビどもは「きゃー」と散り散りになる。あろうことか、アイラに避難するチビもいる。
「……ソル? どうしたの?」
アイラがソルの奇行に気がついて声をかけた。
「いや、虫がな……」
「え、虫? 暗いのによく見えるね。ムカデじゃないよね?」
「……大丈夫だっ。くそ、逃げやがった……」
ガタガタ……と風が強まってきた。東の雨戸に激しい雨風が叩きつけられている音がする。ピィ、と隙間から風が入ってきて、笛のように鳴らした。
「……今日はもう寝ちゃおっかなー……。見えないし、火も危なそうだし……」
言いながらアイラは干しぶどうを出して、ソルの皿にあけた。もう一度、隙間風がピィ! と高らかに鳴り、アイラは肩をビクリと跳ねさせた。
「今日はこれで我慢して! 私、もう寝るね!」
ピィピィ、ガタガタ。叩きつける雨はざんざん。その音に慌てて立ち上がり、アイラはエプロンを脱ぎながら自室に入っていった。
皿の上にある干しぶどうには、チビどもが群がり、一つ、また一つと消えていっている。
(コイツら……。部屋が暗くてアイラがいないのを良いことに……好き勝手すんじゃねえ!)
チビどもは素知らぬ顔で干しぶどうを貪っていた。
ソルは一つ息をつき、チビごと干しぶどうを口に含む。口の中で分けてプッと吹き出すと、「ぴっ」と小さな悲鳴が聞こえた。
(これはオレのもんだ。ったく、だいぶ食いやがって……)
ぶつぶつ文句を言いながらチビどもを前足で器用に払き、残った干しぶどうを平らげた。
外はものすごい荒れ模様だ。風で雨戸だけでなく、家全体も揺れている気がする。
(やれやれ)
ソルもまたアイラの部屋に向かった。彼の目の前には、閉められた扉、という名の衝立。
(よい、しょっ、と)
下の隙間をくぐり抜ける。するん、とキツネの柔らかい体は狭い隙間でも簡単に抜けた。
アイラはベッドの上で布団を被っている。多分これは寝てない。
ガタン! ひときわ強い風が雨戸を大きく揺らした。びく、と布団の塊が動く。
「……眠れないのか? 腹減って?」
「ち、違うよ! 少し早いから眠れないだけだもの」
はっ、とソルは鼻で笑う。
「……ガキが」
布団に潜り込んで、アイラの首に尻尾を巻き付けた。「わ、ソル、くすぐったい!」なんて声は無視する。
(ほら、眠れよ。チビどもも、オレもついてんだから)
首が温まったからか、少しして静かな寝息が聞こえてきた。
ガタガタガタ……! 夜中に雨戸の音でアイラは目を覚ます。夕方と同じ方向から風が吹き付けていた。
(あれ、風が強まっただけ? これは「目」に入りそう)
ソルはアイラの腕の中でくうくうと寝ている。その温かさに強張っていた体の力を抜いた。
これは、メディケーン。温帯低気圧から、途中で熱帯低気圧に変わる特性を持つ。夏の間に温められた海の大量の水蒸気が、北からやってきた寒気流とぶつかって、大気を猛烈に猛烈に不安定化させて巻き起こす嵐。
秋に積乱雲が乱立する、異形の嵐である。
不意に風の音が消えた。ガタガタと唸っていた雨戸や、ピィピィ歌っていた隙間風がいきなり静かになる。
(「目」に入った)
アイラは靴を履いてベッドから降りる。そのまま窓を開けて雨戸を引いた。
霧雨がふわふわと漂っている。静かな静かな、嵐のあとが畑に散乱していた。上空には月が出ているのだろうか。霧雨の中、ぼんやりと光だけが降り注いでいた。
「おー、今、目ぇん中? 静かだな」
「ソル、起きたの?」
窓枠にひょいと飛び上がって、ソルも外を見た。ふるりと体を震わせる。
「寒かったから、起きた」
上空には淡い月光。目を細めて見上げている。少しの間そうしていたが、やがて諦めたように首を振った。
「ダメだ、月じゃあ全然力が足りねえわ。アイラ、雨戸閉めろよ。『目』を通過したら、もっと風が強くなるぞ」
メディケーンは大嵐ではあるが、そこまで巨大化せず、未発達な低気圧である。だからこの低気圧の「目」も完全には晴れず、静かな中に雨が降ったりする。そして、この目はそこまで停滞せず、数十分ほどですぐに通り過ぎてしまう。まさに、ひとときの休憩なのだ。さらに、目を通り過ぎれば今度は逆方向からまた、猛烈な風が吹く。まだ嵐は終わっていないのだ。
うん、と頷いてアイラは雨戸を閉めた。今度はしっかり、隙間なく。
西の雨戸が今度はガタガタ言い始めた。目を通り抜けたのだ。先ほどまでの静けさは一変し、また激しい雨風が叩きつけてくる。
アイラはソルを抱きかかえた。村の中でも意外としっかりとした造りの家は、多少の雨風では壊れない。だけど、不安なものは不安なのだ。
すっかり目が覚めてしまった。眠れそうにない。
「あ、アイラ、苦し……」
「あ」
無意識にソルを抱き潰していたようだ。首が締まって息も絶え絶えなソルから必死の声が上がり、慌ててアイラは腕の力を緩めた。
はあはあ、と肺に空気を入れて深呼吸したソルは、その腕の中からじっとアイラを見上げた。
「大丈夫だ。ここは、『魔女の家』なんだからな」
「魔女の……家?」
暗闇の中、にやりとソルが笑った気配がした。
「そ。まじないに溢れ、オレという大精霊様がついてる、最高の家だ」
今はキツネだけどな、と続ける彼に、アイラはぷっと吹き出した。
「今だけじゃなくない? もう、ずっと前からでしょ?」
まあな、と不貞腐れたような声。
翌日、昼ころになってようやく嵐は過ぎ去った。晴れた空の下、アイラは畑の惨状を見て、ため息を一つ。
「……まあ、無事だったから、いっか」
後ろに立つ人型のソルを見上げて、にこりと声をかけた。
「じゃ、片付けよっか!」
クシャ、と髪を掻き上げて、ソルもため息をつく。
「……結局、オレも労働力かよ!」
メディケーンはかなり大きく、周辺領に被害を与えた。山崩れで道を塞いだところもあったという。
「あの嵐の進路はここから、こう来た……が、こんな辺鄙なところは被害が無かった?」
ふむ、と腕を組む。
「もしかしたら、精霊がいるのかもしれねえな」
「だとすれば、会ってみたいものだな。なあ、プルヴィ」
口元が弧を描く。彼の隣には、ふわふわとした中型の犬のような大きさの、馬のようなものが宙に浮いていた。
ヨーロッパの方では、台風でもハリケーンでもなく、メディケームとかメディケーンとか言うそうです。




