羊毛は糸へ、本音は雲の彼方へ
だんだん現実も寒くなってきましたね。
しとしと、しとしと。この間までのからりとした天気とは正反対に、ダラダラと雨が続いている。農作業、できなくはないけれど、この冷たい霧雨の中では全身しっとりと濡れそう。
引き抜いてもらったはずのハーブは、なんだか光が根元まで入るようになったからか、また元気になっているし、まいたパセリはピコピコと伸びてきて「俺雑草!」という顔をして、雑草と肩を組んでいる。
畑の方は。長雨で人参はへろりと元気がない。逆に「これも食べたい」とソルに言われて植えたカブのほうが元気かも。
(外でやること、なくはないけど。まあ、今日も中で色々やるかぁ)
ばっちゃんが遺してくれた羊毛があったっけ。ハーブと一緒に箱に入れてたから、多分虫に喰われてはないはず。冬になれば機織りして、来年の服用の布を織らなくちゃ。小さくなって着られなくなった服をほどいて布に戻して、それでもいいかな。
(やっぱり糸紡ぎ、練習しないとなあ)
苦手なものは苦手なのだ。
羊毛を毛糸にするには、機械なんてない。ふわふわにした羊毛の塊を棒に巻き付け、コマのようなスピンドルに羊毛を引っ掛けて回して。落としながら撚っていく。くるくるとスピンドルの重さで伸ばされて撚られ、丈夫な糸になるのだ。
トン、トン……と規則的な音が床に響く。撚られる糸を、ソルは目で追った。
「……太くねぇ?」
「う、うるさいなあ」
ばっちゃんはもっと規則的にスピンドルを落として、細くて均一な糸を紡いでいた。やだこれ、やっぱり難しいや。はあー、とアイラはため息をつく。手は止めないけれど。
「糸紡ぎうまくないから、羊農家にはお嫁に行けないねえ」
冗談半分、前にばっちゃんに言われていた言葉をそのまま口に出した。けれど、その言葉を言った瞬間、部屋の空気が外よりも下がった気がする。
(あれ、寒い)
アイラは手を止めた。窓、開けてたっけ? いや、閉まってる。クッションに丸まるのは、さっきまでスピンドルを見ていたのに、不機嫌そうに顔を体に埋めた白キツネ。
「あれ、ソル。寝るの? っていうか、寒くない? え、気のせい?」
「ヘッタクソな糸紡ぎ見てたら眠くなった。寝るわ」
「さっき起きたばっかりだよね!?」
トン、トン。太かったり切れたり、スピンドルはくるくると回りながら床に音を立てて糸を紡ぐ。
「……」
アイラは集中してスピンドルを回す。慣れている人は、おしゃべりしながら、歩きながら紡ぐ。ばっちゃんに任せていたから、上達しない。これでも昔、実親の村にいたときはしていたんだけど。
(そんなの、忘れちゃったよ)
ソルは本格的に寝てしまったのか、瞳を閉じてクッションに丸まっている。
しとしと、トントン。たまに、ぷちり。
どんどん、と誰か来た合図がする。ソルの耳がぴくりと立った。
「アーイラ! 来たわよ!」
そう言って訪ねてきたのは、ぶどう農家のもう一軒、十六歳と十四歳の姉妹の長女。誰か、彼女の腕にしっかりと捕まえられている。
「おい! 離せって!」
迷惑そうに顔を赤らめているのは、麦農家の十五歳の長男だ。あ、十六になったか。彼の姉はもう一軒のぶどう農家に来春嫁に行くことに決まった。いい感じになったのは夏前だったか。早いな!
「何、アイラ、今頃糸紡ぎ?」
少女は不思議そうに首を傾げ、思い出したかのようにソルを見た。
「今日は白さま、人じゃないの? ええー、つまんない」
「もう秋だもの。雨だし」
スピンドルを回しながらアイラは苦笑する。この姉妹は人型のソルを狙っている。十六にもなれば婿探しに勤しみたい頃だろう。
「はん、ヘッタクソだな、アイラは」
少年はアイラの紡いだ糸を見て鼻で笑った。コツがいるんだよ、と続けると、アイラは口を尖らせた。
「じゃあ教えてよ」
「は!?」
少年の顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。お構いなしにスピンドルを渡した。ソルの耳は微かにぴくぴくと動いている。
「い、いいか? 一度回したらそのままぶら下げろ。でないと回るのが止まるだろ? あと、こっちの手で羊毛を引き出して……一定にだぞ? 捻れを手で止めんだよ」
「ええ……」
にやにやと少女は二人を見ている。
トンッ、トンッ。くるくるとスピンドルは回り、するすると羊毛が紡がれて綺麗な糸になっていく。
「ほ、ほら。やってみろよ」
スピンドルを戻された。アイラも挑戦。くるくる、糸が撚れて行く中、撚り切る前に羊毛を引き出して――。
「あー、ほら、そこだよ。慌てないでさあ、ゆっくりでいいんだよ」
「ええー」
少年がアイラに教えようと、彼女の手を取ろうとした時。
「アイラ。まずお前はゆっくり練習しろ。経験が足りねえんだよ、経験が。どうせお前の服になんだろ。不格好でもいいから全部自分でやってみろ」
ソルが口を開いた。視線は少年に向いている。その冷たい瞳に、彼はそろりとアイラから距離を取った。
「えー。ちょっとコツ掴めそうだったのに! もう一回!」
「え、やだよ。白さまもそう言ってんじゃん。穴あき服でも作ればいいだろ」
「意地悪!」
「あっ、そうそう、なんにも用なんてないけどさあー、アイラが寂しがってるかと思ってコイツも連れてきた!」
「なっ!? 俺は行きたくなんかなかったし!?」
忙しいんだよ、と少年は吐き捨てる。
「あ、なんかごめんね? じゃあ、帰ったほうが」
「すす少しならっ、時間あるしっ!?」
「素直じゃーないねー?」
アイラがすまなさそうに帰りを促すと、少年は顔を真っ赤にして天井を向いた。それを少女はにやにやと笑う。うるせ、と少年は少女をこづいた。
「アイラ、これ! 今年の干しぶどうよ! あんまり乾かしてないから、まだ柔らかいわよ」
「ほんと? いただきまーす」
ぷちりとした皮の中に、やわやわとした果肉。まだ凝縮しきってない甘みのなかにちょっぴりの渋み。
「んんー! 美味しい!」
少女は頬杖をついてアイラを見た。ちょっと呆れ気味にため息をつく。
「アンタってさあ、なんか変なところで上品だよねぇ。普通気にするところは気にしないくせにさあ……」
「へ? 私はばっちゃんに言われたことしてるだけなんだけど」
上品ってどこが? この、田舎の娘のどこが?
「そこよ、そこ。お貴族様ならともかくさあ、普通、『いただきます』とか言う? 家族で争って食ってんだし……」
そこまで言って、彼女は言葉を切った。アイラは今、ソルがいると言っても一人暮らしの部類に入る。「人間の家族」は、アイラにはもういない。
「んー、そうかなあ? ソルだって、めちゃくちゃ食べるし……。食べる前の挨拶はちゃんとしなさいって、ばっちゃんに言われたし」
それこそ叱られた。ばっちゃんのしつけは厳しかった。
ぴくぴく。ソルの耳は微かに動いて会話を聞いている。
(……あの魔女はなあ……)
いい。アイラは知らなくていい。ただの、しつけに厳しいババァだ。そう、ただの、精霊が見えた、空読みの魔女だ。
「ま、アイラが変なのは昔からだもんね」
今は空読みの魔女だもんねーと笑ってその話は終わった。
話のネタは尽きない。
「……でさあ、私も来年は十七でしょ? アンタんとこの姉さん、嫁に行くでしょ? あーあ、いいなあー」
少女はぶどうを口に放り込んだ。
「その辺に婿落ちてない? 同じ村はやだなー。やっぱりカッコいい人がいい」
「なにそれ、ふふっ」
だからさあ、と少女はソルを見た。
「白さまくらいカッコよかったらさぁ、いいんだけどー。白さま、私んとこに婿に来ない? 干しぶどうならたくさんあるよ?」
ソルは無視を決め込んだ。けれど、その言葉に反応したのはアイラだ。がた、と立ち上がった。
「そっ! ……そ、んな、えと……ソルはほら、白キツネだけど?」
分かってる分かってる、と少女は手を振る。
「冗談に決まってるでしょ? あー、でもあのぶどう踏みは惚れるわ。いつもより早く終わったし、あの時は白さまありがとね。来年一緒に踏まない? ぶどう」
ふい。ソルは顔も逸らしている。彼の耳はぺたんとしている。
「あ、俺も来年十七。俺もぶどう踏める。いいな、アイラ。お前新酒飲むんだろ」
えへへぇ、とアイラは笑った。
「んー、楽しみ」
けっ、と少年は頭に手を組んだ。
「いいなー。来年一緒に踏まねえ?」
すん。と室内が変に涼しくなった。
まただ。アイラは腕をさする。二人も不思議そうに部屋を見回している。少年は何か気づいたように固まった。
「今日、寒いわね。アイラ、窓開いてんじゃない?」
「何でだろ。ちゃんと閉めてるんだけど」
「あー、んんん、嘘! 俺のほうがうまく踏めるから、アイラ、お前はぶどう運びな! うん!」
少女二人は首を傾げたが、少年だけは焦ったように言い直した。
で、と少女はアイラを見る。
「アンタはどうすんの」
キョトンとアイラは彼女を見返した。
「ほら、嫁に行くのか、婿を取るのかってことよ」
「ええ!?」
なぜか少年も同じく声が上がった。ぴくん。ソルの耳が立ち上がった。
「わ、私は、ほら、まだ空読みの魔女として……!」
「そんなん、結婚してもできるでしょーよ」
だって、とアイラは俯いた。
「まだ……そんなのわかんないよ……」
ふうーん、と少女はアイラを見返す。
「アンタさあ、一応『優良物件』ってこと、覚えときなさいよ?」
「なにそれ」
「引く手数多ってこと。はあー。帰るわ」
付き合ってらんない、と彼女は首を振って、少年を引きずって家を出ていった。彼は帰り際、「お、俺、まだ……」「さっさと行くわよ」なんて掛け合いをしていたようだった。
騒がしさが去って、外のしとしとという雨の音だけが小さく響いている。
のそり、とソルはクッションから立ち上がって、アイラの膝の上に飛び乗った。そして、干しぶどうを一つ、前足で器用に転がして口に含んだ。咀嚼して顔をしかめる。
「……渋くねえ?」
「そう?」
ふわふわの毛並みを撫でる。そのまま、アイラはソルを抱きかかえた。
「……なんか、皆早いよね……」
色々さ、とぽつりと呟く。ソルはじっとアイラを見つめた。
結婚かぁ。色々考えなくもないけど、考えたくない。
何を思ったのか、ソルはアイラの首筋に頭をこすりつけた。くすぐったい。アイラの口元が綻んだ。
「ふふ、ソル、くすぐったい」
「いいんだよ。アイラはアイラだろ。人は人。比べんな。それに――」
何か言おうとしてソルは口を噤んだ。アイラは首からソルを引き剥がしながら首を傾げる。
「それに?」
「なっ、なんでもない! ほら、練習しろよ、糸紡ぎ! 下手くそなままだと、誰もお前を貰ってなんかくれねえぞ!」
「ええー!? ひどい!」
どこか、秋のような寂しさを含んで、家の中からはトントン……と規則的な音が日が暮れるまで続いた。長雨もそろそろ上がる頃だろう。
この話、需要あるんですかね?
少女とキツネの話(違う)なんて




