かなとこ雲と太陽の回収者
よろしくお願いします。
その日もまた、寝苦しい夜中を経て、朝から太陽がぎんぎんとギラつく、暑い日であった。
子どもたちは川で水遊びをし、大人たちもまた農作業の合間に川で涼を取っている。洗濯物はあっという間にバリっと乾き、作物は大きく葉を伸ばしていた。
そんなアイラもまた、ぶどうの草むしりが終わって、川で顔を洗っていた。本当は川に入りたいのに、この間ソルに叱られたから我慢する。いや、知られなければよいのでは? 入っちゃおうかな。
スカートをたくし上げて、ざぶんと足を漬ける。はあ、冷たくて気持ちいい。
「……」
ちびっこは素っ裸だし、おじさんたちも下着一枚だし、おばさんたちだって全身濡らしてるし。
「おい」
よし、とシャツの首元に手をかけたアイラに、低く不機嫌な声がかけられた。びく、とアイラの手は止まる。
「そ、ソル……? は、早かったね、ぶどう終わったんだ……?」
後ろを振り返ると裸足になって川に足を浸しているソルと目が合った。彼の目は据わっている。
「アイラ、その手はなんだ? まさか、川に浸かろうとしてたんじゃねえだろうな?」
「だって……みんな水浴びしてるし……」
だってじゃねえ、と彼はがしがしと頭を掻いた。
「そこは年長者とガキどもの特権だ。お前は止めとけ」
「なにそれー!? あ、私のことこないだガキって言ってたよね!? じゃあ私も権利ありますー!」
なっ、と彼は慌てて川から足を揚げて立ち上がった。
「そっ、そういうことじゃねえ! が、ガキなのはそうだけどっ、その……っ、と、とにかくお前はダメだ!」
「意味わかんない!」
ギャーギャー言い合う二人を微笑ましげに見る村の大人たち。
(ん……?)
言い合うソルよりもずっと上空。西の空に、大きな大きな雲が湧き上がっているのが見えた。肉厚の夏雲。でも、それはいつもの雲よりもずぅっと大きくて、てっぺんが平らになっている。
(あれ、は……)
アイラの背中を冷たいものが這っていった。夏の膨大な熱をため込めるだけため込んだ、危険な雲。
(かなとこ雲……!)
金属を打ちつける「金床」の形に似ていることから名付けられた、積乱雲がめいっぱい成長しきった最終形態。てっぺんが平らなのは、それ以上雲が大きくなれない高さまで湧き上がったから。
(あれが来たら、この村の作物は……!)
急に空を見上げて「魔女」の顔になったアイラを、ソルは怪訝そうに見下ろした。彼女は川の中に突っ立って、怯えたような顔をしている。
「おい、アイラ……?」
「ソル。かなとこ雲だ。もう少ししたら冷たい風が吹いて、天気がものすごく荒れる。あれは、あれは……!」
ソルも振り返ってアイラの視線の向こうを見上げた。もくもくとした、巨大な雲が、空を舐めるように横へ横へと広がっている。雨と風の強大な魔力が雲からビリビリと肌を刺した。
ぬるい風がひゅう……と吹き始めた。まだ雲は遠い。
「みんな! 早く家に戻って! 大荒れの天気が来る!」
突然吹き始めたぬるい風に村人は戸惑っている。そんな彼らにアイラは鋭い声を上げた。突風と、大雨と、雹。
「雹が降る……!」
あの、上空まで湧き上がった雲の中は冷えた水がたくさん。大きく、大きく成長した雲から耐えきれず落ちてくる「水」は冷えて固まった氷の塊に違いない。
(この時期に、雹が降るなんて……! せっかく、ぶどうが……!)
今はまだ小さいぶどうの実。たくさん日の光を浴びようと広がった葉。くるくると巻きついた、来年はそこから実がつく蔓。
それらがすべて、たった一回の降雹によって、ずたずたに壊されようとしていた。
「ソル! どうしよう、雹が、雹が降る! ぶどうが、ぶどうが……!」
春の遅霜はみんなでなんとかできた。だけど、雹ばかりはどうもできない。麦だけでも刈り終わったのがせめてもの救いだろうか。その他の農作物も、動物たちも、雹に降られたらたまったものではない。
ソルは少し考える素振りを見せた。そして、彼はニヤッと笑う。
「……なるほどなあ。アイラ、お前は他の人たちに非難するよう伝えとけ。まだ時間あるんだろ?」
「えっ、う、うん。あと、少しくらいなら……。ソルは? ソルはどうするの?」
「オレはここに残って、あの雲を何とかできねえかやってみるわ。任せとけ。オレは、『精霊』様だぜ?」
でも、と渋るアイラの背中を押しやった。
「ほれ、さっさと行け。ありゃあ、かなりデカい雹が降りそうだぜ。伝えたらお前も家にいろ」
アイラは後ろ髪を引かれるようにして、けれど走って行った。「みんなー! 大荒れの天気になるー!」と叫ぶ声。その声が遠ざかって、聞こえなくなった頃、ソルは頭を掻いた。
「……とは言ったものの、さーて、どうすっかなー」
分厚い雲が空を覆えば、太陽も必然的に隠れてしまう。それはつまり、ソルの人型も保てないということ。考えがないわけではないけれど、時間との勝負になるか。
(要は、雹が当たる前にこの範囲の雹を蒸発させちまえばいいってことなんだけど)
さて、魔力が足りるだろうか。
ぬるい風が急激に冷たくなって、徐々に、太陽は隠れていく。
(あ、やべ)
試しにソルは「太陽の力」を上空に向けて雲を熱してみた。ぼこ、と雲は何かに食いちぎられたように少しへこんだ。その面積の小ささに思わず舌打ちをする。
(たったアレだけかよ)
神様、今度はほんの思いつきでもなんでもない。小さなぶどうを守るためだけに力を振るいたいんだ。世界を危機になんて陥らせないから、どうかもう少しだけ、力をください――。
(ソル、大丈夫かなあ……)
アイラは羊を小屋に追いやる手伝いをしながら空を見上げた。太陽が隠れちゃえば、彼はまたもふもふとした白いキツネになっちゃうのに。
雹は作物を傷つけ、切り裂いていく。これは天災だ。仕方のないことなのだ。歯がゆい思いを抱えながら、人々は傷ついていく作物をこれまでも見てきた。ぶどうを今年と、来年諦めて、別の作物にしようか、なんて声も村人から聞こえてきた。
(でも、ソルならなんとかしてくれるかも、なんて、甘い考えはだめだよね)
アイラは反省する。不遜な態度の上位精霊。王都の魔道士様の水の中位精霊は川の氾濫を食い止めた。太陽の精霊なんて、どんな力かも分からない。
やっぱり、ソルを呼び戻そう。アイラは羊小屋からぶどう畑に向かって走り出した。
びゅうう、と冷たい風が強く吹き始めた。辺りは太陽も隠れて薄暗い。ぽつ、とアイラの頬に大粒の雨が落ちてきた。
「ソルー!」
天井に遮るものがないこの場所で、雹に降られでもしたら痛いだけでは済まない。早く、早くお家に入ろう?
「ソルー!!」
ぶどう畑の真ん中あたりに、彼は立っていた。良かった、まだ人型だ。ぼんやりと淡く光っているように見える。ふわふわとした癖っ毛は強風にあおられてあちこちに跳ねまくっている。彼はアイラの声が聞こえたのか、こちらを向いて驚いたように目を瞠った。
「アイラ!? このバカ! 家にいろって言っただろ!」
ぽつ、ぽつ、ぽ……ざ、ざ、ざあああ! たらいをひっくり返したような雨が降ってきた。
「だって、ソルに何でもかんでも頼むのは、違うって思って……!」
土砂降りの中、アイラも雨音に負けじと怒鳴り返す。この雨の中、もうすぐ雹が落ちてくるはず。アイラはソルの服を引っ張った。
アイラの姿を見つけてソルは焦った。
(こんなところにいたら、雹でアイラが……!)
氷の塊をバカにしてはいけない。打ち所が悪ければ、下手をすれば死ぬことだってあるのだ。家にいると思ったから安心していたのに、このバカが!
(やべー。カッコつけた手前、なんとかしなきゃいけねえのに。どうする、どうする……!?)
カンッ、と硬質な、何かを叩きつける音。ついに雹が落ちてきたのだ。とりあえずソルはアイラの頭を守るように腕で抱え込んだ。
「わっ、ソル!?」
「黙ってろ!」
かなとこ雲は成長しきった積乱雲。長時間は滞在しない。雨と風と、冷えて固まった氷の塊が落ちきれば静かになる。そこまで考えて、ソルの脳裏に何かが引っかかった。
(「成長しきった」……? 待てよ、この雲は、「何」で成長した?)
暑い夏の、熱い空気。この熱は、どこからやってきた?
(太陽……!)
この思考、わずか数秒。は、とソルは肩の力を抜いたように笑う。
(あのデカい雲全部、「オレ」の力じゃねえか……!)
だから、太陽が隠れても人型を保てている。ソルはアイラの頭を片腕で抱えたまま、もう片方の腕を伸ばした。
「……返してもらうぜ。オレの力をな」
降りしきる雨と、風と、雹。その暴れる音の中、ソルの静かな声がアイラにも聞こえた。
ヒュ……ゴ、パァァァァッ! と雲から、雨から、風から、ソルへ力が吸い込まれていく。ヒュルルル、と雲はどんどん小さくなって、消えた。残ったのは、落ちてくる氷の塊。
「……ふん」
ソルは鼻を鳴らして手を軽く振ったかと思うと、瞬時に雹は霧散した。空は静かな、静かな青空が広がっている。
(……何が起こったのか、さっぱり分かんない!)
アイラはソルの腕の中で絶賛混乱中だ。ソルを呼び戻しに来たはずなのに、なんで自分は彼の腕の中にいて、しかも雹が降ってきたかと思えば急に晴れてるの!?
「そ、ソル……?」
がっちりとした腕の中でもぞもぞと動けば、「あ、悪い」と頭上から声がして拘束を解かれる。お互いずぶ濡れでしばし見つめ合った。
「ソル? 何、したの……?」
彼はにやっと笑う。八重歯がちらと見えた。
「あの雲はな、太陽で成長したやつだろ? つまり、全部オレの力ってこと。返してもらったら消えた」
「は、ああああああ!?」
なにそれ!?
ずぶ濡れで帰る道。ぶどうは少し雹が当たったけれど、傷は少しで済んだ。傷ついた実も少しだ。よかった。
はー、とソルはため息をついた。
「何で戻ってきたんだよ。危ねえだろ」
「だって、いつもソルに頼っちゃってるの、悪いと思ったんだもの」
はっ、と彼は鼻で笑った。
「今さらだろー?」
村は奇跡が起こったと持ちきりだ。アイラも何が起こったのか、いまいち理解していない。奇跡は奇跡として、説明は不要だと思ったこの頃である。
入道雲はよく見るんですが、かなとこ雲まで成長したのは見たことないんですよね。
この話を書いている時、空をよく見てました。




