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クラスごと異世界転移したモブの俺、ハズレスキル【無限収納】が覚醒したので異世界で無双します  作者: よるねこ
第一章

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第89話 酒場と物流と盗賊の件(七)

酒場と物流と盗賊の件(七)


 街へ戻る道は、行きよりも足元が重かった。


 谷沿いの湿った土は靴裏へまとわりつき、踏み出すたびにじわりと抵抗が残る。捕らえた連中を縄で繋ぎ、その端を持って歩けばなおさらだ。朝のうちには冷たかった風も、昼へ近づくにつれて少しずつ温度を上げている。けれど谷を抜ける時に服へ染みついた湿気は簡単には消えず、肌に薄く張りついたままだった。


 縄の先で男が一人、足をもつれさせる。


 倒れはしない。だが踏ん張りが遅れ、その分だけ列が乱れる。


 ユウトの手がそこでわずかに動いた。強く引くのではなく、縄が跳ねる前に重みを吸い、足の遅れた男へ歩調を合わせる。逃がさず、無駄に痛めもせず、列だけを崩さない扱い方だった。


 マリナはその動きを横目に見て、小さく息を吐いた。


 今日の戦闘で分かったことは多い。相手の数、配置、昨日より明らかに上がった質、揃いの札。だが今、目の前で見えていることも同じくらい大きい。ユウトが、戦った直後でも、こういう細かいところで手を止めないことだ。


「先生」


 その視線に気づいたのか、ユウトが顔を上げる。


「何ですか」


「このままの速さで大丈夫です」


「そうですか」


 返しながらも、マリナは自分の声が少し硬いと気づいていた。疲れているせいもある。だがそれだけではない。今日の現場を見て、明日が空くとはもう思えなくなっていた。


 水曜日。


 そこが頭の中で重く光る。


 今日が水曜なら、明日は木曜だ。木曜は魔王のケーキ屋の準備日。金曜から営業がある以上、そちらへ一言も入れずに冒険者依頼を優先するわけにはいかない。


 戦闘の余韻と同じくらい、その現実がじわりと胸にのしかかってくる。


 レイナも同じことを考えたのだろう。しばらく黙って歩いていたあとで、少しだけ声を落として言った。


「先生」


「ええ」


「これ、明日で終わるか微妙ですね」


 それだけで十分だった。


 ガルドも聞いていたらしい。前を見たまま、低く返す。


「微妙じゃなく、もう一件二件は出てもおかしくない」


 ダインが短く続ける。


「今日の配置で終わりなら、逆に軽すぎる」


 その通りだ。


 昨日より一段深くなっている。谷での待ち伏せは、昨日の街道より明らかに考えられていた。あれで打ち止めとは考えにくい。


 マリナは歩きながら、一度だけ大きく息を吸った。湿った空気が肺へ入り、そのあとゆっくり抜ける。


「街へ戻ったら、まずギルドです」


 声を整えて言う。


「報告と、追加の確認。それと、明日も動く可能性が高いなら、先に魔王さんのところへ話を通します」


 言葉にしたことで、自分の中でも段取りが固まる。


 ユウトが頷く。


「はい」


「黒崎くんは、明日も依頼が続くと言われたら、その場で勝手に受けるとかしないでください」


「しません」


「本当に?」


「先生が決める前にはしません」


「その言い方だと、私が決めたらするんですね」


「先生が必要だと言ったら、やります」


 真顔だった。


 横でレイナが小さく肩を揺らす。


「そこだけは揺れないですね」


「揺れても困ります」


 マリナが返すと、レイナは「まあそうですけど」と笑う。


 街門が見えてきた頃には、太陽はかなり高く上がっていた。


 石壁の白さが目に硬い。門の影に入ると、それまで背に受けていた熱がふっと薄れ、代わりに昼前の街の匂いが鼻へ入る。乾いた埃、焼かれたパン、荷車の木、家々の煮炊きの匂い。いつもの街だ。だが縄で繋いだ男たちを連れているせいで、そのいつも通りの中へ異物のように食い込んでいく感覚がある。


 門番は昨日と同じ顔ぶれではなかったが、こちらを見た瞬間の反応は似ていた。


「またか」


 思わず漏れたような声だった。


「南寄りの街道です」


 マリナが答える。


「昨日とは別です。待ち伏せの質が上がっていました」


 門番は眉を寄せる。軽く聞き流せる内容ではないと、顔の動きだけで分かる。


「ギルドへ直接行ってくれ。こっちからも話は回す」


「お願いします」


 街の中を歩く途中、昨日以上に視線が集まる。


 それも当然だった。二日続けて盗賊を引きずって戻ってくるパーティなど、そう多くはない。だが、誰も軽々しく声をかけてはこなかった。気安く触れていい話ではないと、街全体がもう薄く理解し始めているのかもしれない。


 ギルドの扉を開けると、中のざわめきが一瞬だけ途切れた。


 依頼板の前にいた冒険者たちが振り向き、受付で話していた者たちが口を閉じる。その一拍の沈黙の中で、縄の擦れる音と、盗賊の荒い呼吸だけがやけに大きく聞こえた。


「戻りました」


 マリナの声が、昨日よりもさらにまっすぐに響く。


「南側の街道でも同様の待ち伏せです。昨日より配置が良く、数も質も上でした」


 受付嬢が立ち上がり、奥から年嵩の職員もすぐに出てきた。


「こちらへ」


 手際よく捕縛の引き継ぎが始まる。今日の連中は昨日の者たちよりも黙っていた。呻きはしても、余計なことは言わない。その沈黙がかえって不気味だ。


 奥の部屋へ通され、改めて報告が始まる。


 谷の位置、弓手の数、斜面の使い方、伏せていた一人、揃いの札。言葉にするごとに、紙の上に状況が増えていく。羽ペンが走る音が、部屋の静けさの中で細く続く。


「札もあったのか」


 年嵩の職員が顔を上げる。


「はい」


 マリナは袋から取り出して机の上へ置いた。


 革の小札は、明るい部屋で見るとさらに揃いが目立つ。切り口、穴の位置、紐の通し方。量産の癖は隠せない。


 受付嬢がそれを見て、息を詰める。


「……同じところですね」


「そう見えます」


 マリナが答える。


「少なくとも、ばらばらの盗賊が勝手に集まった感じではありません」


 年嵩の職員はしばらく札を見つめたあと、ゆっくりと机へ置いた。


「分かった」


 低い声だった。


「これで、かなり濃くなったな」


 その言葉に、部屋の空気がまた一段沈む。


 そして、当然のように次の話が出た。


「おそらく、明日も動くことになる」


 年嵩の職員がそう言った時、マリナはすでに息を整えていた。


「ただし、その前に確認があります」


 すぐに返す。


 職員が目を上げる。


「明日は木曜です。こちらの都合で申し訳ありませんが、私たちは金曜から別の長期契約があります。木曜の時点で継続対応が必要なら、先にそちらへ一言入れないと動けません」


 嘘も曖昧さもない言い方だった。


 魔王のケーキ屋との契約は、もうパーティの生活の一部だ。それを軽く扱うわけにはいかない。


 年嵩の職員は一瞬だけ意外そうな顔をしたが、すぐに頷いた。


「当然だな。そこは配慮する」


「ありがとうございます」


「明日の依頼そのものは、今の時点で出すつもりだ。ただし、昼までに状況を見て、木曜のうちに切り上げられるか、金曜以降まで食い込むかをこちらでも判断する」


 そこまで言われれば十分だった。


 マリナも頷く。


「では、こちらからも先に話を通します。金曜以降まで引く可能性があることだけでも、今日のうちに伝えておきます」


 ユウトは黙って聞いていたが、その言葉に少しだけ表情を引き締めた。


 金曜からの仕事が、自分にとってどれだけ大きいかを、彼は誰より知っている。魔王の下でのケーキ作り、営業、修行。その流れを止めることの意味も。


 報告が終わると、すぐには外へ出ず、部屋の中で短く相談が続いた。


 明日の依頼票は正式にはまだだが、南側よりさらに先、川に近い分岐で不審な引き返しが出ているらしい。今日と同じく、現地確認と必要なら排除。そう聞けば、もはや偶然ではない。


 ギルドを出た時、昼の光はかなり強くなっていた。


 石畳の照り返しが目に痛い。風はあるがぬるく、動いた体にはむしろありがたい。通りには人が多い。昼前の街は忙しい。店の前では呼び込みが声を張り、荷運びの男たちが肩をぶつけ合うように通りを横切っていく。


「先に魔王さんのところへ行きましょう」


 マリナが言うと、誰も反対しなかった。


 魔王のケーキ屋は、まだ準備日より前の静けさを残している時間帯だった。金曜から日曜までの営業に向けて、木曜は本格的な仕込みと準備が入る。その前の水曜昼に訪れる店先は、営業日の喧騒とは違う落ち着きがある。


 扉を開けると、甘い匂いがまず来た。


 焼き菓子ではない。砂糖を炊いた気配と、乳の温かい匂い、それに果物の酸味が薄く混じっている。厨房の奥では何か下準備が進んでいるのだろう。営業日ではないのに、店の中にはもうこの店特有の空気がある。


「おう、来たか」


 奥から魔王の声が飛ぶ。


 関西弁の軽さはあるが、仕事の最中の声だ。副官さんも帳面を手にしたままこちらを見る。その目はすぐに、全員の服についた土と、顔の疲れを拾った。


「依頼帰りですか」


 副官さんが言う。


「はい」


 マリナは一歩進み、頭を下げた。


「水曜と木曜の冒険者依頼が続いています。今日も街道で盗賊を排除して戻ってきたところです」


 魔王の眉が少しだけ動く。


「ほう」


「それで」


 マリナは言葉を切らずに続ける。


「明日の木曜も、もう一件入る可能性が高いです。金曜以降に食い込むかどうかは、明日にならないと判断できません。先にそのことだけ、お伝えしておきたくて来ました」


 魔王は腕を組んだまま、少しだけ視線を上へ流した。それから、ふっと息を吐く。


「ちゃんと先に言いに来たんはえらいな」


 声音は軽い。だが、その軽さに救われる。


「ありがとうございます」


「木曜までなら、こっちもまだ準備日や。そっちの依頼が優先でええ」


 はっきり言い切った。


「ただし、金曜に食い込むならその時点でまた顔出せ。仕込みと売り場の回し方、ちょい変えなあかんかもしれへん」


「はい」


 マリナは深く頷いた。


 副官さんも続ける。


「事情は分かりました。明日の時点で判断できたら、すぐに知らせてください」


「承知しました」


 ユウトがその横で、ほんの少しだけ肩の力を抜く気配がある。金曜の仕事を軽視されたわけではない。その上で、今の依頼を受けていいと言われた。その二つが揃ったことで、ようやく呼吸が落ちたのだろう。


 魔王がそこで、ユウトを見た。


「お前もちゃんと聞いとけよ」


「はい」


「依頼が長引くんはしゃあない。でも、こっちの仕事をほっといてええわけちゃう」


「分かってます」


 ユウトの返事は真面目だった。


「分かってるならええ」


 魔王はそこで少しだけ口元を緩める。


「まあ、木曜までに片づくならそれが一番や。街道のゴタゴタは早めに潰しとけ」


「はい」


 副官さんが帳面を閉じた。


「無理はしないでください、と言っても皆さんは動くでしょうから、せめて怪我だけは増やさないでください」


「気をつけます」


 マリナが答える。


 そのあと少しだけ、店の空気が和らいだ。甘い匂いの中で話をすると、不思議と気持ちが整う。戦闘帰りの土臭さが、少しずつ別の場所へ押しやられていくようだった。


「先生」


 不意にユウトが小さく言う。


 魔王と副官さんの前だ。さすがに妙なことは言わないだろうと、マリナは半分だけ油断して顔を向けた。


「何ですか」


「金曜、ちゃんと来ます」


「そうですね。来てください」


「はい」


 それだけだった。


 それだけなのに、副官さんの目がほんの少しだけ柔らかくなり、魔王は何か言いかけてやめたような顔になる。


 マリナは、その空気をこれ以上変えないうちに話を締めた。


「では、明日の依頼が終わったらまた報告に来ます」


「おう」


 魔王が頷く。


「待っとるで」


 店を出ると、外の光が急に白く感じられた。


 さっきまで甘い匂いと落ち着いた声の中にいたせいだろう。通りの熱と人の声が、今は少しだけ強い。


 それでも、胸の中の重さは一つ軽くなっていた。


 木曜のことは伝えた。金曜以降へ食い込むならまた連絡する。それが決まっただけで、明日の依頼へ向ける意識がずいぶん整う。


「良かったですね」


 レイナが言う。


「ちゃんと話せて」


「ええ」


 マリナは頷く。


「先に言っておかないと、こっちも落ち着きませんから」


「魔王さんも副官さんも、普通に通してくれましたね」


「当然や」


 ガルドではなく、今の言葉は頭の中に残った魔王の声音で響いた気がして、マリナは少しだけ笑いそうになる。


 その横で、ダインが言う。


「これで明日は動ける」


「そうですね」


 その通りだ。


 段取りが済めば、迷いは減る。


 借家へ戻る道の途中で、ガルドは自然な足取りで自宅の方へ別れた。


「じゃあ、俺は一回戻る」


 その言葉も、今ではもう日常の一部のように収まっている。


「明日の朝、またギルド前で」


「はい」


 マリナが答える。


「お願いします」


「おう」


 短く頷き、ガルドは自宅の方へ向かう。隣にある自分の家へ戻るその背中を見送りながら、マリナはまた一つ、当たり前の形が守られていることに小さく安堵した。


 借家へ入る頃には、昼は少しずつ傾き始めていた。


 明日の依頼はまだ始まっていない。けれど、今日のうちにやるべきことはほぼ終わった。あとは休み、明日の朝に備えるだけだ。


 そう思いながら戸を閉めた時、胸の奥に残っていた緊張が、ようやく少しだけほどけた。



(続く)

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