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クラスごと異世界転移したモブの俺、ハズレスキル【無限収納】が覚醒したので異世界で無双します  作者: よるねこ
第一章

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第88話 酒場と物流と盗賊の件(六)


 戸を閉めると、夕方の光が一枚ぶんだけ切り取られた。


 外の通りにはまだ人の声が残っている。荷を片づける店の音、戸板を動かす木の擦れる音、少し早い夕餉の支度らしい匂い。それらが薄く壁を通って届くたび、街はいつも通りに一日を終えようとしているのだと分かる。


 だが借家の中の空気は、もう次の朝へ向いていた。


 マリナは戸口のすぐ内側で一度だけ深く息を吸い、肩の力を落とした。ギルドで受け取った新しい依頼票は、まだ手の中にある。羊皮紙の端が指先に少し硬い。持っているだけで、明日の早さと、街道の冷たい空気が先に胸へ入ってくるようだった。


「とりあえず、今のうちに確認しておきましょう」


 卓へ向かいながら言うと、全員が自然にその流れに乗った。


 ユウトはランプに火を入れ、レイナは水差しを卓へ置く。ダインはいつもの位置に腰を下ろし、ガルドは扉の近くで腕を組んだ。夕方の窓から入る光はまだ残っているが、文字を追うにはランプの明かりがあった方がいい。


 依頼票を卓へ広げる。


 羊皮紙の上には、南寄りの街道、引き返した商隊、森沿いの浅い谷、荷車が足を取られやすいぬかるみ、そういった単語が並んでいる。紙の上の情報だけなら多くはない。だが少ないからこそ、明日の現地で拾うべきものは増える。


「今日とは地形が違いますね」


 レイナが紙を覗き込みながら言う。


「こっちは坂でしたけど、明日は谷です」


「谷沿いなら音が残る」


 ダインが短く言う。


「気配も抜けにくい」


「隠れる場所も多いな」


 ガルドが続けた。


「木立だけじゃなく、土の高低も使える」


 マリナは頷く。


「ええ。今日みたいに正面だけ見ていればいい相手ではないかもしれません」


 視線を上げると、ユウトが黙ってこちらを見ていた。


「黒崎くん」


「はい」


「明日は、もっと周囲を広く見てください。谷の向こう側や、土手の上もです」


「分かりました」


 返事は早い。


 そのまっすぐさに安心する一方で、安心しすぎてはいけないとも思う。今日の一戦でうまくいったからこそ、次はそれを見られた上で動かれる可能性がある。相手が複数の小集団で動いているなら、同じ失敗を繰り返すほど甘くはないはずだ。


「先生」


 ユウトが少しだけ首を傾ける。


「明日も前に出ていいですか」


「状況次第です」


 マリナは即答した。


「今日みたいに前へ出た方がいい形になるなら出てもらいます。でも、相手の狙いがこっちを引き込むことなら、追いすぎないでください」


「はい」


 そこでレイナが小さく笑った。


「先生、もう完全に黒崎くんを前提で話してますね」


「戦力ですから」


 返しながら、マリナは自分の声が思ったより自然だったことに気づく。


 そうだ。もうそこは迷わない。


 今日の街道で見たものは十分だった。前へ出て、崩して、押し切る。その一つ一つに無駄がなく、しかもこちらの指示を切らない。あれを戦力として数えない方が不自然だ。


 ガルドがそのやり取りを聞いて、低く笑う。


「まあ、明日も前で働いてもらうことにはなるだろうな」


「そうですね」


 マリナは紙の上の地形を指でなぞる。


「ただ、今日の連中より統制がある相手かもしれません。なら、最初の一手で崩せるかどうかが大きいです」


 その言葉で、借家の中の空気が少し締まった。


 夕方の柔らかさはまだ窓辺に残っている。だが卓の上だけは、もう明日の街道だった。


 しばらくのあいだ段取りを詰めたあと、外の光がさらに傾いた。


 ランプの火が机の上を丸く照らし、窓の向こうの空は薄い金色から群青へ移り始めている。話を切り上げるにはちょうどいい頃合いだった。


 ガルドが壁から背を離す。


「じゃあ、俺は一度戻る」


 その一言で、マリナも顔を上げた。


「はい。明日は朝、ギルドの前で」


「分かってる」


 ガルドは短く頷く。


「朝は早めに出る。向こうも起きる前には戻ってくるつもりだが、遅れたら先に行け」


 向こう、という言い方だけで家族のことだと分かる。借家の外、隣にある自宅だ。夕方を過ぎれば、ガルドが自分の家へ戻るのは当たり前の流れとして、もう誰の中にも根づいている。


「遅れませんよ」


 レイナが言う。


「ガルドさん、そういうところきっちりしてるし」


「どうだろうな」


 口ではそう言うが、緩んだ声音だった。


 マリナは小さく笑ってから、改めて頭を下げる。


「今日はありがとうございました。明日もお願いします」


「おう」


 荒くない、いつもの低い返事だった。


 ダインも立ち上がる。


「俺も部屋へ戻る」


 同じ借家の中で、ユウトと同室だ。だから別れの挨拶というほどではない。だが、もう今日の相談は終わりだという区切りにはなる。


 戸が開き、ガルドが外へ出る。


 その背中は夕方の名残を浴びて少しだけ暗く見えた。隣家へ続く短い道を歩いていく靴音が、石を軽く打って止まる。扉が開く音までは聞こえなかったが、すぐ近くだ。家族の待つ家へ帰る、その当たり前の流れが、夜へ向かう街の中へ静かに溶けていく。


 借家の中に戻ると、空気はまた少しだけ変わった。


 人数が一人減るだけで、部屋の広さが少し違って感じられる。ランプの明かりも、卓の周りの空きも、何か一つ分だけ余る。


「先生」


 レイナが椅子から立ちながら言う。


「今日はもう早めに寝た方がいいですね」


「そうですね」


 素直に頷けるくらいには、疲れがもう表面へ出ていた。


 肩が重い。瞼もわずかに熱い。だが頭の奥はまだ回っている。その半端さが一番厄介だ。横になればすぐ眠れるのに、横になるまでが妙に長く感じるやつだと、自分でも分かる。


 簡単に片づけを済ませ、夜の支度を整える。


 マリナとレイナが使う部屋へ入ると、日中の空気より少しだけ冷えた静けさが待っていた。窓は閉じているが、壁の向こうから夜の街の気配が薄く伝わる。どこか遠くで犬が鳴き、さらに遠くで酔客の笑いが短く切れて、また静かになる。


 レイナが寝台へ腰を下ろし、肩を回した。


「先生、さっきのギルドの話ですけど」


「ええ」


「やっぱり、一つだけじゃなかったですね」


 その声には、いつもの軽さが少しだけ薄い。


 マリナは外衣を畳みながら頷く。


「ええ。今日ので終わりだとは思っていませんでしたけど、やっぱりそうでした」


「王都の名前が出ると、一気に嫌な感じになりますね」


「そうですね」


 短く返してから、マリナは寝台の縁へ腰を下ろした。布が体重を受けて沈み、今日一日の疲れをやっと受け止めてくれる。


「でも、だからこそ、私たちは目の前の依頼をきちんとやるしかありません」


「ですね」


 レイナはそこで少しだけ笑う。


「黒崎くんもいるし」


「そうですね」


 今度の頷きは、昼よりずっと素直だった。


 レイナが目を丸くする。


「そこ、今日は否定しないんですね」


「戦力としての話です」


「はいはい」


「本当にその話です」


「分かってますよ」


 分かっている顔ではなかったが、それでもその軽さに少しだけ救われる。


 しばらくして、灯りを落とす。


 暗くなった部屋の中で、布団へ入ると体の重さが一気に下へ落ちた。肩も、背中も、足も、今日一日ぶんの疲れをやっと認める。隣の寝台では、レイナがもう小さく息を吐いている。


 目を閉じる。


 すると、昼の街道がすぐ裏に浮かぶ。乾いた土、斜めから来る刃、踏み込みの音、倒れる体の重さ、盗賊の掠れた声。そこへ、酒場の笑いと、相沢の静かな顔と、借家での夕食の匂いまで重なる。


 長い一日だった。


 その一日が、まだ終わっていない話の途中なのだと思いながら、マリナは呼吸を整えた。


 眠りは思ったより早く来た。


 次に意識が浮いた時には、窓の外がまだ薄暗かった。


 夜明け前の空気は冷たい。寝台から体を起こすと、肌に触れる空気がひやりとして、寝起きの重さを一気に引き締める。遠くで鳥が一度鳴き、隣の部屋からも物音がする。ユウトとダインも、もう起きているのだろう。


 支度は静かに進んだ。


 水で顔を洗うと、冷たさが額から頬へ走って、頭の奥まで澄んでいく。簡単な朝食を胃に入れ、装備を確かめる。昨日より迷いがない。明確な目的がある朝は、動きが自然に揃う。


 借家の戸を開けると、朝の空気が胸へ刺さるように入ってきた。


 空はまだ淡い。屋根の端に薄い光が乗り始めたばかりで、通りを行く人影もまばらだ。石畳は夜の冷たさを残していて、足の裏に硬く返る。


 ギルドの前には、すでにガルドがいた。


 壁にもたれるでもなく、ただ立っている。弓を背負い、いつものように落ち着いた顔だ。夜を家で過ごしてきた空気が、そのまま服に馴染んでいる。


「おはようございます」


 レイナが先に声をかける。


「早いですね」


「いつも通りだ」


 ガルドが返す。


「そっちも遅くない」


「ガルドさんが遅れたら先に行けって言うからですよ」


「言ったな」


 それだけで十分だった。


 隣の自宅からここまで来る、その短い距離の当たり前が、朝の冷たい空気の中にきちんと収まっている。


 マリナは依頼票を一度だけ見直してから、顔を上げた。


「行きましょう」


 誰も異を唱えない。


 五人はそのまま朝の街を抜け、南寄りの街道へ向かった。


 今日の道は、昨日より湿っていた。


 街を離れてしばらく進むと、土の色が少し重くなる。夜露だけではない。谷沿いの空気が水気を含んでいるのだろう。道の端には浅いぬかるみが点々とあり、荷車の轍がそこへ沈んだまま固まりきっていない。踏みしめるたび、土が靴底にわずかに粘る。


「昨日より足が取られますね」


 レイナが言う。


「荷車はもっとだろうな」


 ガルドが周囲を見る。


 谷は浅いが、そのぶん起伏がいやらしい。道の片側が少し低く、もう片側は木立へ向かってなだらかに上がっている。見通しは悪くない。だが、悪くないからこそ、隠れる側が位置を選べば気づきにくい。


 ユウトが前方を見ながら小さく言った。


「轍、新しいです」


 マリナも目を落とす。


 確かにある。だが途中で乱れている。何台分かが重なり、引き返した跡も混じっていた。


「ここで止められたか」


 ダインが低く言う。


 その直後だった。


 谷の向こうから、短く鋭い音が飛んだ。


 弓だ。


「伏せて!」


 マリナの声と同時に、矢が道の真ん中へ突き立つ。


 乾いた土が跳ねた。着弾の衝撃が足元から返り、半歩遅れで風切り音が耳を打つ。昨日より早い。しかも警告ではない。最初から足を止める位置へ撃ってきている。


「上だ!」


 ガルドが叫ぶ。


 谷の斜面、その中ほどの木陰に人影がある。見えたのは一つではない。左右にも、さらに上にも動くものがある。


 マリナはすぐに声を飛ばした。


「黒崎くん、正面じゃなく左の上! ダインさん、右を止めて! ガルドさん、弓を抑えて! レイナ、足元を!」


 返事が重なるより先に、全員が動いていた。


 ユウトは前へではなく、左斜面へ切り上がるように踏み込んだ。ぬかるみを避けるのではなく、むしろその手前へ強く足を入れる。湿った土は滑る。だから膝を固めず、足首と腰で沈みを吸い、次の一歩を短くする。そうすれば足裏の接地が消えず、斜面でも重心が流れない。


 上から短剣の男が飛び込んでくる。


 斜面を下る勢いに乗せた突きだ。平地なら悪くない。だが斜面では、下る側の重心は前へ落ちすぎる。そこへ正面からぶつかる必要はない。


 ユウトは半歩だけ外へずれ、相手の手首ではなく肘の上へ左手を当てる。下りの勢いで前へ残っていた腕を、そのままさらに前へ送り出す形だ。支えを失った上体が突っ込み、短剣の切っ先は空を裂く。そこへユウトの右肩が相手の脇の下へ入り、下から持ち上げるように当たる。斜面を下ってきた体は、下から軸をずらされると踏ん張る足がない。男の胸が上を向き、腰が浮く。


 その浮いた腰に、ユウトの右足が内側から絡む。


 払うのではない。逃げる足の置き場を消すように脛を当て、傾いた体をそのまま横へ転がす。男は斜面へ背中から落ち、二度、三度と土を削って転がった。最後に木の根へ肩を打ちつけ、息を吐いて止まる。


 右側では、斜面を駆け下りた二人をダインが受けていた。


 一人は剣、一人は棍棒。挟むつもりで角度を分けて来たのだろう。だが斜面では足場の高低があるぶん、同時に入るには呼吸を合わせる必要がある。そこにわずかなずれがあると、先に来た側が盾へ吸われる。


 ダインは剣の男へ正対せず、半身のまま盾を斜めに出した。斬り下ろしの刃は盾の面を滑り、下へ流れる。剣の男は斜面を下る勢いのまま片足へ重さが乗り切っていたから、刃が止まらない。その流れた腕の外へ、ダインの体重が乗った盾の縁が肩口から鎖骨へ押し込まれる。押すだけではない。踏み込んだ足で地面を捉え、腰から前へ通した力を面で当てるから、相手の上体だけが大きく揺れる。剣の男は踏み直そうとするが、後ろ足が斜面の土に沈み、体勢を立て直せない。そのまま棍棒の男とぶつかり、二人まとめて足元を崩した。


 ガルドの矢がその上を通る。


 谷の上側で弓を引いていた男の手首へ矢が刺さり、弦が鳴る前に腕が下がる。さらにもう一本。今度は別の木陰へ。枝を払うように抜けた矢が、隠れていた男の頬を裂き、顔を出させる。


 その隙へ、レイナの水が走った。


 昨日と同じようで、少し違う。今日は斜面だ。薄く走らせた水はぬかるみとつながり、土の表面だけをさらに緩くする。駆け下りようとした男の靴裏がずれ、踏み込んだ膝が外へ逃げる。支える足が滑れば、腰は立たない。体勢を立て直そうとしたところへ、ガルドの矢が肩を抜いた。


 マリナはその全体を見ながら、次の気配を拾っていた。


 昨日より数が多い。


 しかも引き際を見ていない。なら、最初から足止めだけではない。


「黒崎くん、上!」


 声を飛ばした瞬間、谷の上から長剣の男が飛び降りた。


 昨日の連中より装備が良い。革の上に金具を重ね、剣も手入れされている。振り方も荒くない。飛び降りた勢いをそのまま使って袈裟に斬り込む角度は、受ければ押し負け、避ければ斜面へ流される位置だった。


 ユウトは下がらない。


 斜面の下側へ退けば足を取られる。だから逆に一歩だけ上へ入る。飛び降りた相手は着地の衝撃を脚で受けた直後だ。そこへ踏み込まれると、剣の威力が乗る前に体勢だけが縛られる。


 ユウトは左前腕で相手の手首の少し先、剣の柄に近い部分を押さえ、刃の軌道を自分の外へ逃がす。同時に右手で相手の胸元を掴む。掴む場所は服ではない。革鎧の縁だ。硬いところを持てば、相手の上体全体を動かせる。飛び降りた勢いでまだ前へ残っている体を、そのまま斜め下へ引き落とす。男は着地の足場を固める前に胸を持っていかれ、前傾が深くなる。


 そこでユウトの膝が腹へ入る。


 蹴りではない。引き寄せた体へ、自分の膝を差し込む形だ。だから距離が短くても逃げない。腹を潰された男の息が漏れ、剣を握る手に力が残る前に、ユウトは柄を押さえた左手をそのまま回して手首を返す。肘が伸びきらない角度で捻られると、握力は簡単に抜ける。剣が土へ落ちる。続けて右肘が顎へ突き上がり、男の頭が跳ねた。


 まだ終わらない。


 倒れきる前に、男はもう片方の手で腰の短剣へ伸びた。


 その動きを見て、ユウトは下へ沈む。腰を落とし、相手の懐へさらに入る。短剣は近いほど危ない。だからこそ、刃が振られる前に肩口から体を当て、胸と腕をまとめて押し潰す。上体を折られた男の腰は短剣へ届かない。そこへ足首を払うのではなく、膝の外を自分の膝で押し切る。支点を失った脚が折れ、男は横倒しに地面へ落ちた。落ちる勢いのまま、ユウトの拳が側頭部へ沈む。土と肉の鈍い音がして、男の体が完全に止まった。


「まだいる!」


 ガルドの声が飛ぶ。


 谷の奥、木の陰からさらに二人。今度は引く気だ。見切ったのだろう。ここで押し切れないと分かった顔だった。


 マリナは即座に言う。


「追わないで! 位置を見て!」


 そこまで言ってから、もう一つの気配に気づく。


 前ではない。後ろでもない。斜面の途中、ぬかるみの脇に伏せていた一人が、今まさに立ち上がるところだった。最初から隠れていた。逃げる味方に気を取らせ、その間に近づくつもりだったのだろう。


 だが、レイナの水がその足元に残っている。


 男が踏み出した瞬間、土が靴裏ごと外へ逃げた。膝が内へ入り、上体が前へ落ちる。そこへダインが一歩で詰める。盾を振り回さない。落ちる頭の先へ面を差し込み、そのまま地面へ押しつける。斜面で体が起きない角度を作られると、人は手足をばたつかせても立てない。男は盾の下で呻くだけだった。


 逃げた二人には、ガルドの矢が一本ずつ飛んだ。


 一人は肩、もう一人は腿。致命ではないが、走り切れる傷でもない。斜面の奥で転げ、木にぶつかって止まる。


 静かになった。


 風が、遅れて谷を抜ける。


 湿った土の匂いに、血の鉄臭さが混じる。さっきまで激しく動いていたせいで、肺の中の空気が少し熱い。マリナはその熱い空気をゆっくり吐き出し、ようやく自分の肩が上がっていたことに気づいた。


「……大丈夫ですか」


 自分へではなく、皆へ向けて言う。


「問題ない」


 ダインが盾を押しつけたまま答える。


「こっちも大丈夫です」


 レイナも息を整えながら言った。


「今日は昨日より嫌ですね。足場が」


「そうだな」


 ガルドが周囲を見たまま返す。


「しかも隠し方が露骨じゃない」


 その言葉通りだった。


 今日は昨日より確実に質が上がっている。配置も、引き方も、斜面の使い方も。


 ユウトが斜面の途中から下りてくる。服の裾に湿った土が少しついているが、呼吸はもう整っていた。


「先生」


「はい」


「終わりました」


「ええ、見てました」


 返した瞬間、ユウトの顔が少しだけ明るくなる。


 その変化が分かるくらいには、マリナももう昨日までより慣れてしまっているのが少し悔しい。


 倒れた連中を確認し、武器を集め、意識のある者を縛る。手順は昨日より早かった。全員が迷わず動けるからだ。


 その最中、ガルドが低く言った。


「こいつら、昨日の連中より口が固そうだな」


「顔が違いますね」


 レイナが縛った男の口元を見る。


「怯えてるっていうより、決めてる感じです」


「だな」


 マリナは一人の腰帯から下がった小さな札に気づいた。飾りではない。印でもない。だが、ただの街道荒らしが身につけるには揃いすぎている。


 指先で摘み上げると、革の縁が汗で少し湿っていた。


「……黒崎くん」


「はい」


「見えますか」


 周囲に他人はいない。捕らえた者はいるが、今さら隠す段階でもない。マリナは声を落とした。


 ユウトは札を覗き込み、すぐに答える。


「同じところで作られてます」


「やっぱり」


 量産の跡だ。細工の癖が同じ。ばらばらの盗賊が寄せ集まったのではなく、誰かがまとめて持たせたものだと分かる。


 マリナは札を袋へしまった。


「持ち帰ります」


「そうだな」


 ガルドが頷く。


「今度は物も証拠になる」


 谷を渡る風が、また一度強く吹いた。


 草が揺れ、木の葉が擦れ、さっきまで人が潜んでいた場所の気配を少しずつ薄めていく。だが、ここで何が起きていたかはもう十分すぎるほど残っていた。


 昨日より深い。


 その実感が、湿った土の匂いと一緒に胸へ沈む。


 マリナは谷の上を見た。


 光はもう高い。だが、谷の底にはまだ朝の冷たさが少し残っている。今日も一つ潰した。だが、これで終わりではない。むしろ、相手の輪郭が少しずつ見え始めただけだ。


「戻りましょう」


 そう言うと、誰も異を唱えなかった。


 縄の端を握り、五人はまた街へ向けて歩き出す。


 湿った土が靴の裏に重くつく。その重さを一歩ごとに確かめながら、マリナは次の報告と、その先の動きをもう考え始めていた。



(続く)

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