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クラスごと異世界転移したモブの俺、ハズレスキル【無限収納】が覚醒したので異世界で無双します  作者: よるねこ
第一章

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第125話 浮気調査の依頼を受けたら愛の説教で解決してしまった件



 火曜日の朝は、思ったより普通に始まった。


 借家の窓から差し込む光は明るく、板張りの床には薄い影が伸びている。外では交易都市の一日がもう動き出していて、荷車の車輪が石畳を軋ませる音や、店先で戸板を上げる音が聞こえていた。魔王のケーキ屋の週末営業、日曜の重い話、月曜の酒場。その全部を越えた翌朝にしては、空気は不思議なくらい軽かった。


 いや、軽くなったというより、少しだけ息の仕方を思い出したという方が近い。


 卓の上には朝食が並び、湯気の立つ椀からは穀物と野菜のやわらかな匂いが上がっていた。レイナはパンを千切りながら、昨日よりずっと普段に近い顔をしている。マリナも落ち着いていた。完全に元通りというわけではないが、昨夜の酒場で少しだけ空気が抜けたのは確かだった。


「そろそろ普通の依頼、受けません?」


 レイナがそう言ったのは、朝食が半分ほど進んだ頃だった。


 ユウトは椀を置いて顔を上げる。


「普通の依頼ですか」


「はい。最近、店のことが多かったじゃないですか。冒険者として動く感覚も忘れないようにしないと」


 その言い方は軽いが、内容はちゃんとしている。


 マリナも頷いた。


「そうね。黒崎くんも、店の判断をする時間が増えていたし、冒険者としての動きも戻しておいた方がいいわ」


「はい」


 ユウトは素直に頷いた。


 店での成長も必要だ。師匠の下で学ぶことも、副官さんから叩き込まれることも、マリナに支えられて判断することも大事だ。だが、自分たちは冒険者でもある。森を歩き、依頼を受け、街の人の困りごとを解決する。それもまた、この世界で生きていくための仕事だった。


 その時、戸の外から足音が近づいた。


 こつ、こつ、と戸が叩かれる。


「入るぞ」


 ガルドさんの声だった。


 マリナが返事をすると、ガルドさんが戸を開けて入ってくる。隣の自宅で朝食を済ませてきたのだろう。服は整っており、外へ出る準備も出来ている。いつも通り、家族と自宅で朝を過ごしてからこちらへ来る流れだった。


「今日はギルドか」


 中の会話が少し聞こえていたらしい。


「はい。久しぶりに依頼を受けようかと」


 ユウトが答えると、ガルドは短く頷いた。


「いいだろう」


 壁際にいたダインさんも、低く言う。


「……魔物でなくてもいい」


 その一言に、レイナがぱっと顔を上げた。


「それです。最近、討伐だとちょっといつも通りになりがちですし」


「依頼を選ぶ時点で、変に狙いすぎてもよくないけどね」


 マリナが言うと、レイナは肩をすくめた。


「そこは受付嬢さんに聞けばいいんですよ。あの人、変な依頼も知ってそうですし」


「変な依頼って言い方はどうかと思うわ」


 そう言いながらも、マリナの口元は少しだけ緩んでいた。


 朝食を終え、支度を整えて、五人は冒険者ギルドへ向かった。


 交易都市の通りは、火曜日らしく落ち着いている。週末の魔王のケーキ屋へ向かう客の浮ついた熱はなく、商人や職人や荷運びの人々がそれぞれの仕事へ向かって歩いていた。石畳には朝の光が斜めに落ち、肉屋の前からは血と香草の混ざった匂いが流れてくる。布屋の軒先では色の違う布が風に揺れ、馬車の車輪がゆっくり通り過ぎていった。


 冒険者ギルドへ入ると、革と鉄と汗の匂いが一気に鼻へ来た。


 久しぶりの空気だ。


 朝のギルドは騒がしい。掲示板の前には依頼票を眺める冒険者が集まり、受付の前には報告や相談の列が出来ている。討伐帰りらしい男が大きな袋を抱え、別の一団が護衛依頼の条件について揉めている。店とは違うざわめきだった。


「やっぱり、ギルドはギルドですね」


 レイナが小さく言う。


 ユウトも頷いた。


「店とは全然違うな」


「当たり前よ。匂いも音も違うもの」


 マリナの言う通りだった。


 甘い匂いも、焼き菓子の香ばしさもない。代わりにあるのは、革鎧の擦れる音、剣の鞘がぶつかる音、依頼票を剥がす紙の音。人が生きるために危険を受ける場所の空気だった。


 掲示板には、討伐、採取、護衛、荷運び、調査と、様々な依頼が貼られている。


 レイナが討伐依頼を眺めて、少しだけ首を傾げた。


「うーん。魔物退治は、今日は違う気がしますね」


「贅沢な悩みだな」


 ガルドさんが言うと、レイナは少し笑った。


「討伐が嫌ってわけじゃないです。でも、最近ちょっと流れが重めだったので、違う種類の依頼がいいかなって」


「軽く済む依頼とは限らんぞ」


「それは分かってます」


 そんな会話をしていると、受付嬢がこちらに気づいて声をかけてきた。


「あら、今日は依頼ですか」


「はい」


 ユウトが答える。


「久しぶりに、普通の冒険者活動をしようかと」


「普通の冒険者活動ですか」


 受付嬢は少し笑った。


「それなら、少し変わった依頼がありますよ」


 レイナの目がすぐに輝く。


「変わった依頼ですか」


「ええ。討伐ではありません」


 受付嬢は棚から一枚の依頼票を取り出した。掲示板には貼られていないものだ。


 マリナが少し表情を引き締める。


「掲示板に出していない依頼ですか」


「はい。依頼者の希望で、あまり目立たせたくないものです」


 受付嬢は声を少し落とした。


「内容は、浮気調査です」


 空気が一瞬止まった。


 レイナが最初に反応した。


「浮気調査」


 ユウトも思わず聞き返す。


「冒険者ギルドに、そういう依頼も来るんですか」


「来ますよ。揉め事になる前に、第三者が事実を確認する。これも街の依頼です」


 受付嬢の声は真面目だった。


「依頼者は新婚の奥さんです。ご主人の帰りが最近不自然に遅く、持ち帰るお金も以前より減っている。ただし、生活に困るほどではなく、通常程度のお金はきちんと家へ入れているそうです」


「それで、浮気ではないかと不安になったんですね」


 マリナが言うと、受付嬢は頷き説明してくれた。


「はい。ただ、依頼者の家へ直接行くと近所に見られる恐れがあります。夫婦の問題として噂になれば、依頼者にもご主人にも傷がつきます」


「それで、別の場所で会うと」


「そうです。ギルド経由で、目立たない場所を指定されています。ああ、いつもの酒場ではありませんよ」


 ユウトは少し考えた。


 魔物退治ではない。命の危険もおそらく少ない。だが、人の気持ちが絡む依頼だ。雑に扱えば、魔物より厄介な傷を残すかもしれない。


 ガルドさんが静かに言う。


「揉め事の前に収めるなら、それも仕事だ」


 ダインさんも短く続けた。


「……話を聞くべきだ」


 マリナも頷く。


「そうね。奥さんが悪いわけではないもの。不安になる理由があるなら、きちんと確認した方がいいわ」


 ユウトは受付嬢へ向き直った。


「受けます」


 受付嬢はほっとしたように頷いた。


「では、待ち合わせ場所をお伝えします」


 指定されたのは、交易都市の端にある小さな酒場だった。


 酒場といっても、夜に大騒ぎするような店ではない。昼間は軽い食事と茶を出し、客も商談や待ち合わせに使う落ち着いた場所らしい。いつもの酒場とは違い、常連が騒ぎ、ユウトの愛の劇場が定期開催されるような空気ではない。


「いつもの酒場と全然違いますね」


 レイナが少し残念そうに言う。


 マリナがすぐに釘を刺す。


「当たり前でしょう。あそこだと別の意味で目立つわ」


「特にユウトくんが」


「俺ですか」


 ユウトが聞き返すと、レイナは当然のように頷いた。


「はい」


 マリナは何も言わなかった。


 言わなかったが、少しだけ耳が赤かった。


 指定された酒場は、昼前の光の中で静かに開いていた。


 木の扉はよく磨かれ、窓には薄い布が掛かっている。中へ入ると、酒よりも煮込みと茶の匂いが強かった。客は少なく、奥の席に一人の若い女性が座っている。


 身なりはきちんとしていた。派手ではないが、布の質も仕立ても悪くない。髪も丁寧にまとめている。けれど顔色は少し暗く、指先が膝の上で落ち着かず動いていた。嫉妬や怒りで来た人ではない。不安で眠れず、誰かに確かめてほしくて来た人だと、見ただけで分かった。


 マリナが先に穏やかな声をかける。


「ギルドから依頼を受けて来ました」


 女性は立ち上がり、丁寧に頭を下げた。


「ありがとうございます」


 その目がユウトを見た瞬間、少しだけ丸くなる。


「あら?」


 ユウトは首を傾げた。


「何か」


「あなた……愛の劇場を見たことがあります」


 場の空気が止まった。


 ユウトは本当に分からない顔をする。


「愛の劇場?」


 マリナの顔が一瞬で赤くなった。


「その話は忘れてください」


 レイナは口元を押さえ、完全に笑いを堪えている。


 ガルドさんは短く言った。


「ここでも知られているのか」


 ダインさんが低く続ける。


「……顔が広いな」


「広くなくていいです」


 マリナが小声で返す。


 女性はそのやり取りを見て、少しだけ緊張を緩めたようだった。


「すみません。少し驚いてしまって」


「いえ」


 マリナはまだ赤い顔を整えながら答える。


「依頼の話を聞かせてください」


 女性は椅子へ座り直した。


 夫は宝飾店で働いているという。


 店は交易都市でも評判がよく、貴族ほどではないが裕福な商人や職人の妻、若い女性客などがよく訪れる。夫は容姿が整っており、接客も上手い。結婚してからも夫婦仲は悪くない。食事も一緒に取るし、会話もある。けれど最近、帰りが遅い日が増えた。


「仕事が長引いた、と言うんです」


 女性は両手を握った。


「実際、忙しい店ですし、それ自体はおかしくないと思います。でも、以前よりも少し様子が違っていて」


「持ち帰るお金が減っている、という話も聞いています」


 マリナが促すと、女性は小さく頷く。


「はい。ただ、生活に困るほどではありません。いつも必要な分は持ち帰ってくれます。だから私も、強くは言えなくて」


 悪く言いたいわけではないのだと分かる。


 責めたいのではない。


 信じたい。けれど、不安になる理由がある。


 女性は唇を噛んだ。


「疑いたいわけじゃないんです。でも、考えないようにすると、余計に考えてしまって」


 その言葉に、マリナはゆっくり頷いた。


「不安になる理由はわかりました」


 女性が顔を上げる。


「責めるためではなく、確かめるための依頼ですね」


 女性の目に、少しだけ安堵が浮かんだ。


「はい」


 それから、調査の段取りを決めた。


 依頼者の家の近くで見張るのは避ける。近所に知られれば噂になるし、夫婦関係に余計な傷をつける。だから翌朝、夫が仕事へ向かう途中から尾行し、勤務後の行動まで見る。依頼者には結果だけを伝える。


 話が終わる頃には、女性の手の震えも少し収まっていた。


「よろしくお願いします」


「任せてください」


 ユウトがそう言うと、女性はまた少しだけ不思議そうにユウトを見た。


「普段は、普通なんですね」


 マリナがまた赤くなる。


「普段は普通です」


 レイナが小声で言う。


「お酒を飲まなければ」


「レイナ」


「はい」


 翌朝、調査は静かに始まった。


 夫の姿はすぐに確認できた。


 宝飾店へ向かう道を歩く男は、たしかに目立つ容姿をしていた。背は高く、髪はきちんと整えられ、服装も清潔だ。派手ではないが、見せ方がうまい。宝飾店の店員として立てば、客から好感を持たれるのも分かる。


 全員で尾行すれば目立つ。


 まずはユウトとマリナが前に出た。夫から十分な距離を取り、街の流れに紛れる。ガルド、ダイン、レイナはさらに後ろから二人を追った。


 ユウトは横を歩くマリナに小さく言う。


「先生、あの人ですね」


「ええ。距離を空けて」


「はい」


 声を落とし、歩幅を合わせる。


 尾行というだけで緊張する。だが、それとは別に、マリナと二人で街を歩いている距離感が妙に意識へ触れた。仕事だ。完全に仕事だ。それでも、最近の二人の距離が少し変わっているせいで、ただ並んでいるだけなのに、ユウトの中で何かが落ち着かない。


 マリナも同じだったのか、時折少しだけ視線を落とす。


 後ろではレイナが小声で言った。


「あの二人、尾行なのにちょっとデートっぽくないですか」


 ガルドが低く返す。


「静かにしろ」


 ダインも短く言う。


「……見失うな」


 レイナは肩をすくめたが、楽しそうだった。


 件の夫はまっすぐ宝飾店へ入った。


 店は通りに面した華やかな建物だった。大きな窓の向こうには、光を受けて輝く首飾りや指輪、髪飾りが並んでいる。朝のうちは客も少なかったが、昼へ近づくにつれ女性客が増えていった。


 ユウトとマリナは向かいの店の影から様子を見る。


 夫はよく働いていた。


 客が入るたびに笑顔で迎え、宝石や金具の説明をし、相手の服や肌の色に合わせて品を選ぶ。声は柔らかく、距離の取り方も上手い。客が少し迷えば、決して押しすぎず、けれど自然に背中を押す。


「よくお似合いですよ」


 窓越しに、夫の声がわずかに聞こえた。


「こちらの石は、あなたの肌をとてもきれいに見せます」


 女性客が頬を染める。


「まるで、あなたのためにあつらえたようです」


 マリナの眉がわずかに動いた。


 酔った誰かに似ている。


 そう思ったが、口には出さない。


 隣でユウトは素直に感心していた。


「仕事熱心ですね」


「……そうね」


「あれだけ自然に褒められるのは、すごいです」


 マリナは少しだけユウトを見る。


「黒崎くんも、お酒を飲むとかなり自然に褒めてるわよ」


「そうなんですか」


「覚えてないのね」


「はい」


 迷いなく答えるので、マリナは少しだけ疲れたように息を吐いた。


「そこはもう少し覚えていてほしいわ」


「すみません」


「謝るところでもないのだけど」


 仕事中なので大きな声は出せない。けれど、その小さなやり取りだけで、少し緊張が和らいだ。


 夫の勤務は夕方まで続いた。


 そして、店を出た夫はまっすぐ家へ向かわなかった。


 自宅とは違う方向へ歩き出す。


 人通りの多い表通りから、少しずつ狭い道へ入っていく。


 マリナが小さく言った。


「ここからは別の組の方がいいわ」


 ユウトも頷く。


 細い道で同じ二人が追い続ければ目立つ。


 後ろから来たガルドさんが視線だけで合図を出す。


「ダイン、レイナ」


 ダインさんとレイナが前に出た。


 ユウトとマリナ、ガルドは少し距離を取る。


 裏通りは、表とは空気が違った。古い石壁が近く、日陰が多い。金具を叩く音や、革を切る音、どこかの作業場から漏れる熱気が混ざっている。商売の表側ではなく、職人たちが手を動かす裏側の匂いだった。


 ダインさんは目立たない。


 大柄なのに、不思議と通りの影へ溶ける。歩幅も音も抑え、必要以上に人を見ない。レイナはその横で、普段よりずっと静かに歩いていた。


 途中で、ダインさんが足を止めかけた。


 レイナが小さく聞く。


「ん? どうしました?」


「……いや」


「なんですか?」


「だが……」


「だから、なんです?」


 ダインさんの視線は、一軒の店の看板へ向いていた。


 古びた看板だった。


 宝石加工。金具修理。装飾細工。


 派手さはないが、玄関まわりはきれいに掃かれている。中からは、硬いものを削るような細い音が聞こえていた。


 レイナも看板を見て、少し目を細める。


「え、ここって……」


 知っている者は知っている店だった。職人気質で、頑固。気に入らない仕事は受けないが、受けた仕事は見事に仕上げる。宝飾店の裏側で使われる加工職人の店として、一部では有名らしい。


 夫は迷いなくその店へ入った。


 ダインさんとレイナは、外からそっと中を覗く。


 店内では、夫が頑固そうな職人と向かい合っていた。机の上には小さな宝石、細い金具、図案の紙が置かれている。夫は仕事中の柔らかな笑顔とは違い、真剣な顔で何かを説明していた。


 レイナが息を潜める。


「……あれって」


 ダインさんが低く言う。


「……贈り物だな」


「ですよね」


 話の断片が聞こえてくる。


 妻に似合う石。


 指輪か髪飾りか。


 記念日に間に合わせたい。


 手持ちの金だけでは足りない分、新しいデザイン案を職人へ出している。宝飾店で見てきた客の好みや流行をもとに、職人が使える図案を提供し、その代わりに加工の一部を引き受けてもらっているらしい。


 帰りが遅い理由。


 持ち帰るお金が少し減った理由。


 全部、そこにあった。


 浮気ではなかった。


 妻への内緒の贈り物だった。


 レイナはしばらく黙ってから、小さく言った。


「えーっと、これは浮気じゃないですよね」


 ダインさんは深く頷く。


「……違う」


 全員が合流した後、報告を受けたユウトは心底ほっとした。


「浮気じゃなくてよかったです」


「ええ」


 マリナも頷く。


「でも問題はここからね」


 全員の視線が集まる。


 奥さんへどう報告するか。


 夫が内緒で妻への贈り物を作っている。それを話せば、不安は消える。だが、夫の気持ちも、準備も台無しになる。だからといって、何も言わなければ奥さんの不安は消えない。


 裏通りの片隅で、全員が黙り込んだ。


 レイナが最初に言う。


「旦那さんが内緒でしてることを説明したら、まずいですよね」


 ダインさんが短く頷く。


「……うむ」


 ガルドさんが腕を組む。


「どうする」


「うーん」


 ユウトも考え込む。


 マリナは顎に指を当て、しばらく考えた。


「浮気ではないことだけは伝えられるわ。でも、理由を隠したまま納得してもらえるかどうか」


「難しいですね」


 ユウトが言うと、レイナがふと顔を上げた。


「あの」


 全員が見る。


 レイナは妙に真面目な顔をしていた。


「ユウトくんにお酒飲ませて、奥さんを説得してもらいます?」


 空気が止まった。


 ユウトは自分を指差す。


「俺ですか?」


 マリナが即座に反対した。


「ダメよ。本人が覚えてないんだから、余計なことを言うかもしれないでしょう」


「でも、酔ったユウトくんって、愛についてだけは無駄に核心を突きません?」


「無駄にって何だ」


 ユウトが少し困った顔をする。


 ガルドさんは考えるように顎へ手を当てた。


「けっこういいかもしれんな」


「ガルドさんまで」


 マリナが驚く。


 ダインさんも低く言った。


「……大事なことは言わんと思う」


「なぜ信用しているんですか」


 マリナが尋ねると、ダインさんは一拍置いて答えた。


「愛しか言わん」


 それは反論しにくかった。


 ユウトはますます困惑する。


「俺、どうすればいいんですか」


 レイナが真剣な顔で言う。


「飲んでください」


「それだけ?」


「それだけです」


 マリナはしばらく悩んだ。


 そして、深く息を吐く。


「条件付きよ」


 全員がマリナを見る。


「場所は人目の少ない酒場の一角。私がすぐ止められる位置に座る。旦那さんの贈り物のことは絶対に言わない。奥さんには、浮気ではないとだけ伝える」


 レイナが頷く。


「了解です」


「それから」


 マリナはユウトを見る。


「黒崎くん、酔ったら余計なことは言わないで」


「それは俺に言われても……」


「言っておきたいの」


「はい」


 ユウトは素直に頷いた。


 再面談は、最初と同じ酒場で行われた。


 奥さんは前より少しやつれたように見えた。待っている時間が苦しかったのだろう。椅子に座っている姿勢はきちんとしているのに、膝の上の指先が落ち着かず動いている。


 マリナが向かいに座り、穏やかに切り出した。


「調べました」


 奥さんが息を呑む。


「結論から言えば、浮気ではありません」


 その瞬間、奥さんの目に明らかな安堵が浮かんだ。


 だが、すぐに不安が戻る。


「では、なぜ帰りが遅く……」


 当然の疑問だ。


 マリナは一瞬だけ言葉を選んだ。


「それは」


 言えない。


 夫が妻のために内緒で贈り物を準備しているとは言えない。けれど、ただ信じてくださいと言うだけでは弱い。


 空気が詰まる。


 その横で、レイナがそっと杯をユウトへ差し出した。


 マリナは不安げに見る。


 ユウトは覚悟を決めたように杯を受け取り、一口飲んだ。


 変化は一瞬だった。


 目の焦点が少し変わる。


 背筋が伸びる。


 そして、奥さんを見る。


「愛は疑ってはならない!」


 奥さんが完全に固まった。


「は、はい?」


 ユウトは立ち上がりかけ、マリナに袖をつかまれて座ったまま身を乗り出す。


「まずは信じるんだ!」


「は、はぁ」


「あの人はあなたを愛している!」


 声が真っ直ぐだった。


「素晴らしい愛だ!」


「あなたは愛されている!」


 奥さんは圧倒されている。だが、不思議と目を逸らさない。


 ユウトはさらに身を乗り出す。


「あなたは?」


「あなたは愛しているのか!?」


 奥さんは一瞬だけ息を止めた。


 それから、両手を握る。


「もちろん、愛しています」


「なら、愛を信じて待つんだ!」


 ユウトの声が酒場の隅に響く。


「愛は絶対にあなたを裏切らない!」


 その言葉は勢い任せだった。


 だが、嘘はなかった。


 奥さんはしばらく何も言えなかった。けれど、その表情から少しずつ強張りが取れていく。疑いで固まっていたものが、別のものへ変わっていく。


「……はい」


 奥さんは小さく頷いた。


「信じます」


 マリナが小さく息を吐く。


「なんだか、うまくいったわね」


 レイナが得意そうに頷く。


「さすが愛情至上主義者」


 ガルドさんが短く言う。


「使いどころがあるんだな」


 ダインさんも低く続ける。


「……ある」


 その時、奥さんが少し戸惑った顔でマリナを見た。


「あの……大丈夫ですか?」


 言葉の意味は一つではない。


 ユウトの勢いも、マリナの立場も、この状況全体も含めて心配しているのだろう。


 マリナは一瞬だけ困った顔をした。


 そして、すぐに整える。


「ええ、大丈夫です。慣れてますので」


 その一言に、レイナが肩を震わせた。


 次の瞬間、マリナの背後から腕が回った。


「先生」


「……黒崎くん」


 ユウトは後ろからマリナを抱きしめ、堂々と言った。


「俺は先生を愛している!」


 奥さんは固まった。


 マリナは顔を真っ赤にする。


「今それを言う場面じゃないでしょう!」


「愛はいつだって伝えるべきなんだ!」


「だからって人前で後ろから抱きつかないで!」


 レイナが小声で奥さんへ言う。


「参考例です」


「参考例……」


 奥さんは戸惑いながらも、少しだけ笑った。


 ガルドさんが腕を組む。


「説得力はあるな」


 ダインさんが短く続ける。


「……過剰だが」


 マリナは顔を赤くしたまま、ユウトの腕を軽く押さえる。


「離れなさい」


 小声で続ける。


「……人前よ」


「関係ない」


「あるわよ」


「先生を愛していることに場所は関係ない」


「あるのよ!」


 そのやり取りを見て、奥さんの表情が変わった。


 最初の不安ではない。


 少し照れたような、けれどどこか納得したような顔だった。


「……はい」


 奥さんはゆっくり頷いた。


「やっぱり、信じてみます」


 依頼は、そこで終わった。


 奥さんは詳しい事情を聞けないままだったが、浮気ではないという結果と、ユウトの勢いのある愛の説教で、何かを受け取ったようだった。


「ありがとうございます」


 奥さんは立ち上がり、深く頭を下げた。


「私、少し焦っていたのかもしれません」


 マリナはユウトをなんとか引き剥がしながらも、奥さんへ穏やかに言った。


「不安になるのは自然なことです」


「でも、信じると決めたなら、少し待ってみてください」


「はい」


 奥さんは笑った。


 その笑顔を見て、ユウトは酔ったまま満足そうに頷く。


「愛は勝つ」


 レイナがすぐに突っ込む。


「急に締めないでください」


 後日、冒険者ギルドで受付嬢が笑顔で声をかけてきた。


「そういえば、以前依頼のあった奥さん、赤ちゃんが産まれたそうですよ」


 ユウトたちは思わず足を止めた。


「赤ちゃんですか」


 マリナが少し驚いた声を出す。


「はい。旦那さん、とても嬉しそうだったそうです」


 レイナが目を丸くする。


「あの浮気調査の?」


「はい」


 受付嬢はにこやかに頷いた。


「奥さんもお元気だそうです」


 マリナは少しだけ安心したように笑った。


「よかったわね」


 ガルドさんも穏やかに頷く。


「うまくいったなら何よりだ」


 ダインさんが低く言う。


「……愛は裏切らなかったな」


 レイナがすぐに笑う。


「それ、ユウトくんが酔って言いそうです」


 ユウトは本気で首を傾げた。


「俺、そんなこと言いました?」


 全員が一瞬だけ黙った。


 マリナの顔が少し赤くなる。


「知らなくていいわ」


「そうですか」


「そうよ」


 ユウトは結局、何も覚えていなかった。


 だが依頼は解決した。


 魔物を倒すだけが冒険者の仕事ではない。時には、誰かの不安をほどき、壊れる前のものをそっと支えることも仕事になる。


 今回は、その一番大事なところで、なぜか酒に弱いユウトの愛情説教が役に立ってしまった。


 マリナはそれを思い返し、少しだけ頬を赤くしながらため息をつく。


 レイナは隣で笑っていた。


「先生、慣れてますもんね」


「レイナ」


「はい」


 返事だけは素直だった。

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