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クラスごと異世界転移したモブの俺、ハズレスキル【無限収納】が覚醒したので異世界で無双します  作者: よるねこ
第一章

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第122話 師匠たちがいない二日間で少しだけ自分たちのやり方が見えてくる件


 水曜の朝、借家の空気はいつもより少しだけ静かだった。


 窓から差し込む光は明るく、板張りの床の上に薄い影を落としている。交易都市の外では、もう人の動く音がしていた。荷車の車輪が石畳を軋ませる音、遠くの店先で誰かが戸板を上げる音、朝の市場へ向かう人々の声。街はいつも通り動いている。


 だが、借家の中だけは、昨日までと少し違った。


 魔王と副官がいない。


 その事実が、朝食の匂いや湯気の向こうに、重くはないが確かに沈んでいた。


 ユウトは椀を置き、卓の上に広げた小さなメモへ目を落とした。副官さんが残していった帳面の写しだ。材料の残量、仕込みの優先順位、金曜から日曜までの最低限の回し方。文字は整っていて、無駄がない。見るだけで副官さんらしいと思える。


 だが、そこに書かれているのはあくまで最低限だ。


 細かい判断までは書かれていない。


 どこで多めに作るか。どこで抑えるか。材料の値段が変わった時にどうするか。山本さんへどこまで任せるか。そういう部分は、自分たちで考えなければならない。


 レイナが椀を両手で包みながら言った。


「今日は冒険者活動って感じじゃないですね」


 マリナが頷く。


「ええ。無理に討伐へ出るより、店の方を見た方がいいわ」


 ダインが短く言う。


「……今は店だ」


 それだけで空気が決まった。


 ガルドは隣の自宅で朝食を済ませた後、借家の戸口に顔を出した。今日は娘に見送られてきたのだろう。表情は穏やかだが、すでに仕事の目をしている。


「行くか」


「はい」


 ユウトは立ち上がる。


 今日は戦いに行くわけではない。だが、気持ちは討伐前に近かった。相手が魔物ではなく、店の段取りと判断になっただけだ。


 五人で魔王のケーキ屋へ向かう道は、いつもより少し長く感じた。


 店の前には、すでに山本さんがいた。


 昨日より早く来たのだろう。髪をきちんとまとめ、少し緊張した顔で戸口の前に立っている。こちらに気づくと、ぱっと姿勢を正した。


「おはようございます!」


「おはようございます、山本さん」


 ユウトが返すと、山本さんは胸の前で軽く拳を握った。


「今日は昨日より動けるように頑張ります」


「助かります。でも、無理はしないでください」


「はい!」


 元気な返事だ。


 その明るさに、店の前の空気が少しだけ軽くなった。


 戸を開けると、店内は静かだった。


 作業台も棚も、昨日と同じ場所にある。けれど、やはり違う。奥に師匠がいない。会計台の横に副官さんがいない。それだけで店の広さが少し変わって見える。


 ユウトは一度だけ深く息を吸った。


 甘い残り香、粉の匂い、木の棚の乾いた匂い。全部がいつもの店の匂いだ。


「まず材料確認をします」


 自然と、全員の視線が集まる。


 昨日よりは少しだけ慣れた。けれど、慣れたからといって簡単になるわけではない。


 棚を開き、箱を出す。粉、卵、乳、干した果実、砂糖。山本さんが横でメモを持ち、レイナが箱を開ける手伝いをする。マリナはその少し後ろで全体を見ていた。


 粉は足りる。


 乳も足りる。


 卵は少し不安がある。


 果実は、思ったより減っていた。


「果実が少ないですね」


 レイナが箱の中を覗き込む。


「持ち帰りの甘味、結構出てますからね」


 山本さんが言った。


「火を使う下準備も少し増えますけど、最近はお客さんがかなり聞いてきます」


 ユウトは箱の中を見たまま考え込む。


 持ち帰りの甘味を増やせば、確かに売れるだろう。だが、材料も火も手間も使う。金曜から日曜まで考えると、ここで作りすぎるのは危ない。かといって少なすぎれば、せっかく定着してきた流れを逃す。


 迷いが顔に出たのか、マリナがすぐに声をかけた。


「黒崎くん、一度、売る順番じゃなくて必要な理由で分けましょう」


「理由、ですか」


「ええ」


 マリナは卓の上に箱を並べながら言う。


「金曜に絶対必要なもの」


「土曜まで見ておくもの」


「日曜まで考えるもの」


「今、買い足すべきもの」


 言葉にされると、頭の中の絡まりが少しほどける。


 ユウトは頷いた。


「先生が整理してくれると、決めやすいです」


 言ってから、少しだけ照れた。


 マリナも一瞬だけ目を伏せる。


「決めるのは黒崎くんよ」


「はい」


 そのやり取りを、レイナが横で楽しそうに見ていた。


「今の、ちょっといい感じでしたね」


「レイナ」


「はいはい、今は仕事ですね」


 そう言って、ちゃんと手は動かす。


 そこから水曜は、一気に店の確認日になった。


 果実の箱を見直し、卵の残りを数え、乳の量を確認する。市場へ向かう頃には、買うものと抑えるものがはっきりしていた。


 市場は水曜らしく普通に賑わっていた。


 日曜のような浮ついた混雑ではないが、商人の声は大きく、荷を運ぶ人の流れも途切れない。果実の店先には色とりどりの実が並び、熟した甘い匂いが風に乗って流れてくる。


 だが、いつもの果実屋の値札を見た瞬間、ユウトは眉を寄せた。


「少し高いですね」


 店主が苦笑する。


「近くの村からの荷が遅れててな。悪いが今日はこの値だ」


 大事件ではない。


 けれど、店を回す側からすると小さくない問題だった。


 ユウトは並んだ果実を見る。無限収納があれば運ぶのは簡単だ。だが、だからといって買いすぎればいいわけではない。新鮮な果実は使い切れる量が大事だ。値段が高い時に無理に仕入れれば、利益にも響く。


 マリナが横で小さく言った。


「黒崎くん、必要な分だけでいいわ」


 山本さんも少し考えながら言う。


「痛みやすいものは、使い切れる量がいいと思います」


 ユウトは頷く。


「新鮮な果実は金曜分を少し多め。土曜以降は様子を見ます」


「干し果実を少し足しましょう。持ち帰り用はそっちで調整します」


 口に出した瞬間、自分の中でも決まった。


 マリナが静かに頷く。


「悪くない判断だと思うわ」


 その一言だけで、少し肩の力が抜ける。


 買い物を終えて店へ戻ると、ガルドが荷を見て言った。


「悪くない量だ」


 ダインも荷の積み方を一瞥する。


「……余らない」


 短い評価だが、確かに見てくれているのが分かる。


 レイナは帳面を覗き込みながら言った。


「ちゃんと考えて買ってきた感じですね」


「考えないと怖いからな」


 ユウトが苦笑すると、山本さんが隣で少しだけ胸を張った。


「私も少し意見出せました」


「助かりました」


 ユウトがそう返すと、山本さんは嬉しそうに笑った。


 水曜は、そのまま日が傾くまで材料の整理と確認に使われた。


 作ったものは少ない。だが、決めたことは多かった。


 そして木曜の朝。


 本格的な準備日が始まった。


 昨日の確認があったおかげで、朝の動きは前よりずっと滑らかだった。店に入ると、山本さんはすぐに火の準備へ向かう。レイナは包み紙と皿を確認し、マリナは帳面の写しと材料の配置を見比べる。ガルドは入口と外の通りを確認し、ダインは店内の棚と動線を見る。


 ユウトは作業台の前に立った。


 目の前には、粉、卵、乳、果実、干し果実。


 昨日と同じ店。だが、今日は少しだけ違う。


「始めます」


 声に出すと、全員が動き始めた。


 最初の流れは悪くなかった。


 山本さんは昨日よりも火を強くしすぎない。鍋の位置を自分で少しずらし、焦げつかないように早めに気づく。レイナもそれを見て、必要な時だけ声をかける。


「山本さん、そこはもう少し弱くていいです」


「はい!」


「今の反応早いです」


「ありがとうございます!」


 山本さんはすぐに顔を明るくするが、手は止めない。昨日より明らかに落ち着いている。


 ユウトも、すぐに全部自分で抱え込まないように意識した。


「山本さん、そっちはお願いします」


「レイナ、包み紙の数を見てくれ」


「先生、果実の量、これで足りますか」


 言葉にして振る。


 そのたびに少しずつ店の中の流れが繋がる。


 だが、順調なままでは終わらなかった。


 昼前、火を入れる順番が一つずれた。


 原因は小さなものだった。干し果実の下準備を少し早く進めすぎたせいで、鍋が一つ足りなくなったのだ。大きな失敗ではない。だが、一度詰まると、その後ろに並んでいた作業も止まりかける。


 山本さんが焦った顔になる。


「すみません、私、先にこっちを進めてしまって」


「大丈夫です」


 ユウトはそう言ったが、自分でも一瞬判断が遅れた。


 今ある鍋を空けるか。作業を止めるか。順番を変えるか。


 その迷いを、マリナがすぐに拾った。


「黒崎くん、止めるのは一つだけにしましょう」


 声が静かに通る。


「火を止めるもの、続けるもの、後に回すもの。三つに分けて」


 ユウトは息を吐く。


 頭の中で絡まっていたものが、またほどける。


「続けるのはこっち」


 鍋を指す。


「止めるのは干し果実の方」


「後に回すのは包み用の仕上げ」


 レイナが即座に動く。


「包みは私が後で合わせます」


 山本さんも顔を上げる。


「火、落とします」


 ダインが無言で棚を少しずらし、空いた場所に熱い鍋を置けるようにする。ガルドは外の方へ一度目をやり、誰も入ってこないことを確認してから言った。


「焦るな」


 短いが、それだけで十分だった。


 流れは戻った。


 失敗は完全には消えない。だが、そこから崩れることはなかった。


 昼を過ぎる頃には、店の中の空気は熱を帯びていた。火の熱、甘い匂い、粉の乾いた香り。木曜の準備日らしい忙しさが戻っている。ただ、そこにいるのはもう、師匠と副官に回されるだけの自分たちではなかった。


 夕方が近づく頃、ようやく仕込みの大きな山が終わった。


 作業台には整えられた材料が並び、明日へ回すものはきちんと分けられている。完璧ではない。少し粗い。手順もまだ遅い。だが、形にはなっていた。


 ユウトは作業台へ手をつき、深く息を吐いた。


「……なんとか形にはなりましたね」


 マリナが横から見て、少しだけ笑う。


「ええ。でもまだ粗いわね」


「分かってます」


「でも、昨日よりずっといい」


 その言葉に、ユウトは少しだけ顔を上げた。


 マリナの声は厳しさを含んでいる。けれど、その奥にちゃんと温かさがある。


 山本さんは椅子に座り込みたいのを我慢しているような顔で、額の汗を拭いていた。


「思ったより、二日目の方が疲れました」


 レイナが笑う。


「昨日は何が大変かも分からなかったですからね」


「今日は分かった上で大変でした」


「それ、成長ですね」


「成長なんですかね……」


 そんなやり取りに、店の空気が少しだけ緩む。


 その時だった。


 戸が開いた。


 からん、と木の音が鳴る。


 全員が反射的にそちらを見る。


 立っていたのは、魔王と副官だった。


「お」


 魔王が店内を見回し、少しだけ目を細める。


「ちゃんとやっとるやん」


 声はいつも通り軽い。


 だが、その一言だけで、店の中の空気が一気に変わった。


「師匠!」


 ユウトが思わず声を上げる。


 魔王は軽く手を振った。


「なんとか戻れたわ」


 副官も店内へ入り、すぐに作業台、材料の位置、火の状態、帳面の置き方を確認する。帰ってきたばかりだというのに、もう目は仕事をしていた。


 しばらく、二人は何も言わなかった。


 魔王は作業台を見る。棚を見る。床に置かれた箱を見る。山本さんが使っていた火口を見る。副官は帳面を開き、数字を追い、材料の分け方を確かめていく。


 その沈黙が妙に長く感じられた。


 やがて魔王が言った。


「……上出来や」


 短い言葉だった。


 けれど、その一言でユウトの胸の奥が熱くなる。


 副官は帳面を閉じる。


「最低限は維持できています」


 相変わらず厳しい。だが、その声に失望はない。


 魔王はユウトを見る。


「判断、ちゃんと出来とる」


「まだ全然です」


 ユウトはすぐにそう返した。


 本心だった。二日間で出来たことより、出来なかったことの方がずっと多い。迷った。詰まった。先生に助けてもらった。レイナにも、山本さんにも、ガルドさんにも、ダインさんにも支えてもらった。


 魔王は笑った。


「当たり前や」


「二日で完成するかいな」


 その言い方に、肩の力が抜ける。


「でもな」


 魔王は作業台を軽く叩いた。


「ちゃんと前には進んどる」


 副官はマリナの方へ目を向ける。


「整理が機能しています」


 マリナは静かに頭を下げた。


「ありがとうございます」


 魔王は今度は山本さんを見る。


「山本さんも、ちゃんと戦力になっとるな」


「えっ」


 山本さんが目を丸くする。


「私、ですか」


「せや」


 魔王は笑う。


「見習いでも、動ける見習いは戦力や」


 山本さんの顔が一気に明るくなる。


「ありがとうございます!」


 ガルドが腕を組んで短く言った。


「悪くない」


 ダインも店内を見回す。


「……回っている」


 その一言に、全員が少しだけ笑った。


 レイナは胸を張る。


「私も頑張りましたよ」


 魔王がすぐに返す。


「分かっとる。レイナは空気を軽くするのがうまい」


「珍しくちゃんと褒められました」


「いつも褒めとるやろ」


「雑ですけどね」


 そのやり取りで、ようやく店の中にいつもの空気が戻ってきた。


 けれど、完全に元通りではない。


 師匠と副官が戻ってきたことで安心した。だが、この二日間で自分たちが少しだけ前へ進んだ事実も、もう消えない。


 夕方の光が店の床へ斜めに差し込んでいた。


 作業台には、明日へ向けて整えられた材料が並んでいる。少し粗い。少し遅い。だが、自分たちで考えて、自分たちで繋いだ結果だ。


 ユウトはその光景を見ながら、静かに息を吸った。


 任される側から、少しだけ進んだ。


 まだ遠い。


 けれど、昨日よりは確かに前にいる。


 その実感だけは、甘い匂いの残る店の中で、はっきりと胸に残っていた。

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