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クラスごと異世界転移したモブの俺、ハズレスキル【無限収納】が覚醒したので異世界で無双します  作者: よるねこ
第一章

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第115話 新しい使い方を教わった翌日に仕返しされる件(本編とは少ししか関係してません)


 火曜の朝は、まだ空気の底に昨夜の冷えを少しだけ残していた。


 借家の戸を開けると、朝の光が石畳の上で薄く跳ねている。よく晴れているのに風は冷たく、吸い込むと胸の奥まできれいに通った。昨日の訓練で酷使した身体には、その冷たさがちょうどよかった。肩の裏、腕の付け根、踏み込み続けた脚の筋。どこも軽くはない。けれど嫌な痛みではなく、深く使ったあとに残る鈍い張りだった。


 ユウトは戸口で一度だけ肩を回した。右と左の感覚が、まだ妙にはっきりしている。右で通す。左で広く触る。逆もやる。足まで入れた瞬間に全部がもつれた、あの気持ち悪い感覚まで、身体のどこかに残っていた。


 その隣に立つマリナは、いつもより少しだけ静かだった。


 目が合うと、すぐに前を向く。歩き出してからも、歩幅は揃っているのに、何かひとつだけ距離の測り方を間違えているようなぎこちなさがある。昨夜の酒場の事を思い出しているのだろうと、ユウトには分からなかった。そもそも自分はほとんど覚えていない。月曜の夜の記憶は、いつも通り朝になると綺麗に抜け落ちていた。


「先生」


 呼びかけると、マリナは一瞬だけ肩を揺らした。


「何?」


「今日もありがとうございます」


 ただそれだけのつもりだった。付き添ってもらうのが当たり前ではないことぐらい、ユウトにも分かっている。


 マリナは少しだけ間を置いてから頷いた。


「昨日見たばかりだもの。今日も見ておいた方がいいわ」


 答えはあくまで落ち着いている。けれど、その声の端にだけ、昨夜の残り熱みたいなものがかすかに引っかかっていた。


 二人で街を抜ける。


 朝の交易都市はすでに動き始めていた。荷車が軋み、パン屋の前には焼けた小麦の匂いが流れ、肉屋の軒では吊された肉から脂の匂いが薄く立っている。石畳から土の道へ変わり、さらに森へ近づくにつれて、空気の中の匂いも変わっていった。湿った土の匂い。葉の青い匂い。踏まれた草の潰れる匂い。


 森へ入ると、音が一段落ちる。


 木々に囲まれた道は薄暗く、陽の光は枝葉に細かく切られて地面へ落ちていた。鳥の声は遠く、代わりに自分達の足音がはっきりと聞こえる。昨日と同じ場所へ向かっているのに、今日は空気が少し違う。昨日は師匠に何を見せられるのか分からなかった。今日は昨日の続きだと分かっているぶん、身体の方が先に身構えていた。


 開けた場所へ出ると、魔王と副官がすでに待っていた。


 魔王は何でもないように立っているのに、その立ち姿だけでここが訓練の場になる。副官はその少し後ろで腕を組み、昨日と変わらない無駄のなさでこちらを見た。


「おはようさん」


 魔王が先に笑う。


「ちゃんと来たな」


「おはようございます、師匠」


 ユウトが頭を下げると、魔王は頷き、それから足元を軽く鳴らした。


「今日は昨日の続きや」


 その一言だけで、背筋が伸びる。


「手だけやないで」


 魔王が右手を上げる。次に左手。そして最後に、つま先で軽く地面を叩く。


「足でも使い分け出来んとな」


 ユウトは小さく息を飲んだ。


 足でも使える。それ自体は、もう教わっている。驚くところではない。だが、師匠が言ったのはそこではなかった。使える、ではなく、使い分ける。


 魔王はユウトの表情を見て、口の端を上げた。


「出来るだけやと足りへん」


 そう言うと、一歩踏み込んだ。


 踏み込みは大きくない。だが接地した瞬間、地面の一部がふっと消えた。沈んだのではない。足元の土と石が、そのまま抜け落ちたように見えた。次の瞬間には右手が走る。木々の間に置かれていた太めの枝の表面が、何かに削がれたように薄く剥がれる。さらに左手が開くと、少し離れた場所の落ち葉がまとめて消えた。


 足で起点を作り、右で切り、左で面を取る。


 しかも一連だった。


 踏み込み、接触、崩し、結果。その全部が流れで繋がっていて、どこひとつ切れていない。


 ユウトは思わず見入ってしまう。


 副官が横から淡々と言った。


「いきなり詰め込みすぎです」


「かわいい愛弟子の成長に期待しただけやん」


 魔王は悪びれもせず笑う。


 それから、今見せたものをなかったことにするような気軽さで顎をしゃくった。


「やってみ」


 ユウトは深く息を吸って前へ出た。


 頭では分かる。右手と左手を分けるだけでも昨日はきつかった。その上に足まで足す。しかも使えるではなく、役割を持って使い分ける。簡単なわけがない。


 けれどやるしかない。


 木片がいくつか置かれ、少し離れた位置に石が転がされている。師匠は細かい説明をしない。ただ見て、必要な時にだけ口を出すつもりらしかった。


 ユウトは右手へ意識を寄せる。切る。通す。一点で触れる。次に左。広く、面で、削るように。そして足。踏み込みの起点にする。


 身体を動かした瞬間、全部がずれた。


 足を使おうとした途端に重心が前へ落ちすぎる。右手の意識が遅れる。左手がさらにその後ろへ置いていかれる。結果、何も綺麗に成立しないまま、踏み込みだけが大きくなって体勢を崩した。


「違う」


 マリナの声が飛ぶ。


 ユウトは足を止める。


「踏み込みを先にしすぎてる」


 マリナは一歩前へ出た。声は落ち着いているが、目は訓練の中へ入っている。


「足は始まりじゃないわ。流れの中で使うの」


「流れの中」


「右も左も決まってないのに、足だけ先に置いたら、そこで崩れるでしょう」


 言われた瞬間、さっきの失敗がそのまま頭の中でほどけた。確かにそうだ。足を主にしてしまったせいで、手の処理が全部遅れた。


 もう一度やる。


 今度は右手を先に置く。切る意識を細く通し、その流れに足を合わせる。接地と同時に足元の一部を取る。そこへ左手で広く触れる。


 少しだけ形になった。


 土が削れ、木片の端が掠れた。成功とは言えない。だが、さっきより確実に近い。


「それや」


 魔王がすぐに言う。


「足を主にすんな。起点や」


 その言葉を追うように、副官も続けた。


「右に意識を置いたまま左を使おうとすると遅れます。部位ごとに処理を分けてください」


 簡単に言うが、難しい。


 右手に集中すれば左が鈍る。左を広げれば足の感覚が薄れる。足で起点を作ろうとすれば、今度は上半身が遅れる。意識を三つに割るような感覚があって、そのどれもが中途半端に崩れそうになる。


 マリナはその横で、少しも焦らせなかった。


「黒崎くん、右」


「はい」


「今のは通りすぎた。もう少し浅く」


 次に、


「左は取りに行きすぎないで。広げるだけでいい」


 さらに、


「足は置くんじゃなくて、合わせるの」


 言い方が絶妙だった。師匠の言葉は感覚の話として入る。副官の言葉は正しさとして刺さる。先生の言葉は、その二つをユウトの中で繋げてくれる。


 何度も失敗した。


 踏み込みだけが浮く。右手だけが鋭くなりすぎる。左手だけが広がりすぎてぼやける。足を使うと、今度は全部が散る。


 それでも、少しずつ噛み合い始める。


 右手で木片の表面を薄く通し、左手でその周囲を削る。足で地面の一部を取って位置をずらす。たったそれだけでも、昨日までのユウトにはなかった動きだった。


 気づけば汗が額から首へ落ちている。呼吸も荒い。けれど止まれない。身体が熱を持つほど、逆に感覚が鋭くなっていく瞬間がたまにある。その一瞬を逃したくなかった。


 昼前、副官がようやく前へ出た。


「……最低限は出来ています」


 その一言で、張っていた空気が少しだけ緩む。


 ユウトは息を整えながら顔を上げた。


「本当ですか」


「ええ」


 副官は頷いた。だが、それで終わらない。


「ただし、実戦では使用禁止です」


 予想していたはずなのに、その言葉は思ったより重かった。


「なぜですか」


 聞いてから、自分でも少し浅はかだと思う。まだ完成していない。それは分かっている。けれど、形が見え始めるとどうしても試したくなる。


 副官はその問いに答える代わりに、木剣を拾った。


「来てください」


 それだけで十分だった。


 ユウトも構える。


 さっきまでの訓練の延長で行ける気がしていた。右手で通す。左手で広く取る。足で起点を作る。少なくとも一度ぐらいは形に出来るかもしれないと、ほんの少しだけ思った。


 その考えは、一瞬で叩き潰された。


 副官が動く。


 速いのではない。無駄がない。気づいた時には間合いが消えている。ユウトは足を使おうとした。起点を置き、右手を通し、左手を広げる。その全部をやろうとした瞬間、身体の準備が一歩分遅れた。


 木剣の先が肩口へ入る。


 次の瞬間には足元を払われ、重心が浮き、そのまま地面へ叩きつけられていた。


 背中に鈍い衝撃が走る。


 息が一度止まり、肺が空になったみたいに苦しい。


 視界の上で、副官が木剣を下ろしていた。


「これが理由です」


 声は静かだ。だから余計に痛い。


「同時処理が遅れています」


 副官は続ける。


「形になっていても、発動前に潰されるなら意味がありません」


 ユウトは歯を食いしばりながら起き上がった。悔しい。悔しいが、反論はひとつも浮かばない。今のはきれいにやられた。やろうとした事が全部見えていたように崩された。


「……はい」


 それしか言えなかった。


 魔王はその様子を見て、ふっと笑う。


「今日はここまでや」


 空を見上げる。まだ日は高い。だが昨日に続いての高度な訓練だ。ここで切るのが正しいのだろう。


「明日は来んでええ」


 ユウトは思わず顔を上げた。


「え?」


「二日続けてやっとるやろ」


 魔王は肩をすくめる。


「頭も体も追いついてへん」


 その言い方は軽い。だが目は真面目だった。


「今日教えたもん、二、三日で出来るもんやない」


 少しだけ間を置く。


「一回止めろ」


 それから笑う。


「休んでる間に勝手に繋がる。そういうもんや」


 副官もすぐに続けた。


「整理が追いついていません」


「これ以上詰めても精度が落ちるだけです」


「明日は休んでください」


 水曜は休める。その事実にほっとしたのか、悔しさのせいで素直に喜べないのか、自分でもよく分からなかった。けれど、今の自分に必要なのが休息だというのは身体がよく分かっていた。


「……はい」


 訓練はそこで終わった。


 森を出る帰り道、空気は少しだけやわらいでいた。さっきまでの張り詰めた時間がほどけたせいか、葉擦れの音や鳥の声がまた耳へ戻ってくる。


 四人で並んで歩く中、先に口を開いたのはマリナだった。


「魔王さんって、討伐とか大丈夫なんですか?」


 副官は少しも考え込まなかった。


「正面から倒すのはほぼ不可能です」


 その断言に、マリナが一瞬だけ目を細める。


「大軍でもですか?」


「無意味です」


 副官の答えは短い。


「軍でも都市でも国家でも、収納してしまえば終わりです」


 言い方は淡々としているのに、その中身はぞっとするほど重い。マリナもそれを分かっているのだろう。少しだけ視線が揺れる。


「……黒崎くんも」


 その先を言うまでに、ほんのわずかな間がある。


「そうなるんでしょうか?」


 副官はそこで初めて、ユウトへ視線を向けた。


「努力次第では可能です」


 その答えに、ユウト自身の方が息を呑みそうになった。遠すぎる話に聞こえる。けれど副官は冗談を言う顔ではない。


 その空気を少しだけ崩すように、副官が続ける。


「あの方は」


 一拍。


「大軍を相手に圧勝して」


「帰り道で転ぶ方です」


 マリナが目を瞬く。


「……なるほど」


 その返しがあまりにも真面目で、ユウトは思わず笑いそうになった。


 副官はそこでほんの少しだけ口元をゆるめる。


「だから私は離れません」


 その言葉に、マリナも小さく笑った。


 強さを知っているからこそ離れないのではなく、強くてもそういうところがあるから離れない。その関係が、少し羨ましく見えた。


 森を抜け、街道へ出たところで、魔王と副官は立ち止まる。


「また来るのは明後日や」


 魔王が軽く手を振る。


「はい」


 ユウトとマリナは頭を下げ、そのまま街へ向かった。


 並んで歩く帰り道は、行きよりもずっと静かだった。


 人通りは少ない。昼を過ぎたばかりで、通りのざわめきもまだ薄い。日が高い分、影だけがくっきり足元へ落ちている。


 マリナは少しだけ黙っていた。


 昨夜の酒場の事が、たぶんまだどこかに残っているのだろう。ユウトは覚えていないから、いつも通りに歩いている。だからこそ、並んでいるだけで妙に意識してしまうのかもしれない。


 その温度差が、マリナには少しだけずるく感じられた。


「黒崎くん」


「はい、先生」


 ユウトが普通に返す。その普通さが、ますますずるい。


 人目がないのを確かめるように、マリナは一瞬だけ周囲を見た。それから、ほとんど勢いのまま腕を伸ばす。


 ユウトの腰へ腕を回し、そのまま軽く抱きついた。


 ユウトの身体が、文字通り止まる。


「……先生?」


 声がひっくり返りかけている。


 それが可笑しくて、マリナは少しだけ唇を噛んだ。昨夜、自分がどれだけ振り回されたかを思えば、ほんの少し仕返ししてもいいはずだ。


「ちょっとだけよ」


 そう言って、わざともう少し強く抱く。


 胸元がユウトの腕に触れる距離まで密着する。身体の硬直がさらに深くなるのが分かった。肩も背中も完全に固まっている。訓練の後に副官へ叩き潰された時より、今の方が明らかに動けていない。


「どうしたの?」


 わざと聞いてみる。


 返事がない。


 面白い。


 マリナの中で、昨夜の恥ずかしさが少しだけ別の熱へ変わる。さらに一歩詰める。胸を押し付けるように距離を詰めると、ユウトの耳まで赤くなった。


「せ、先生」


「何?」


「近いです」


「そう」


 それだけ返して、マリナは少しだけ笑う。昨夜はあれだけ人前で情熱的に抱きしめてきたくせに、昼の街道でこうされるとここまで止まるのか。ずるいと思っていた気持ちが、少しだけ報われる。


 その時だった。


「お?」


 背後から聞き覚えのある声がした。


 二人とも同時に振り向く。


 酒場の常連だった。


 目が合った瞬間、その男は何とも言えない顔になり、それから妙に納得したように頷く。


「普段は先生の方が積極的なんだなあ」


 その一言で、マリナの顔が一気に熱くなる。


「ち、違うの!」


 思わずユウトから離れて叫ぶ。


「ちょっとからかってみただけなの!」


 常連は苦笑しながら手を振る。


「大丈夫、大丈夫。分かってるって」


「若いんだから、そういう時もあるよな」


「違うのに!」


 マリナが言い募る間もなく、常連は気を遣ったつもりなのだろう、足早にその場を去っていった。


「違うのに……」


 半ば本気で肩を落とす。


 その横でユウトは、まだ硬直したままだった。


 さっきより少しだけ呼吸が浅い。顔も赤い。完全に思考が止まっているのが見て分かる。


 それを見て、マリナは困るべきなのに、なぜか少しだけ勝った気分になってしまった。


「……もう」


 小さく呟いて、歩き出す。


 ユウトは一拍遅れてようやく動き出した。まだぎこちない。そのぎこちなさが可笑しくて、マリナは前を向いたまま、口元だけ少しだけ緩めていた。

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