第八章 カリム
カリムは目覚めた。暗闇の中を彷徨ううちに、ここがジョルジュと言う男の中だと言うことがわかってきた。ジョルジュは配管工で、女房と二人の子供の四人暮らし。たまたま銃撃戦に巻き込まれた善良なパリ市民だった。
カリムはジョルジュをコントロールできなかった。ただ彼の意識に同居して、しがない配管工の日々を見守った。ジョルジュは豚肉を食べれば酒も飲む。カリムは食事時になるとジョルジュの意識の奥底に潜んでやり過ごした。
カリムは冴子への復讐だけが願いだった。兄であるアシュカンをリーダーとしたハイジャック事件を冴子によって阻止され、パリ支部までも壊滅させられた。その上、迂闊に冴子の意識に侵入した自分を魔女の悪知恵により地獄に落とし、三体の寄生生物を奪ったのだ。冴子は自分の意識を瀕死の重傷を負ったジョルジュに放出し、拳銃で撃った。そのジョルジュがまだ生きているということは、神が自分を赦す為にチャンスを与えてくれたのだ、カリムはそう信じていた。
カリムは、毎日あてどもなくジョルジュの意識の中を彷徨った。どこかにヒントがあるはずだ。そしてある日、ジョルジュの意識が、奥底から伸びる強固な岩盤とその上に構築された異質の構造物からなることを発見した。カリムはこの二つを切り離せないかと思案した。切り離したところでどうなる物かも判らなかったが、他にできることはなかった。
カリムは二つの層の間に精神を集中し楔を打ち込んだ。一日中、来る日もくる日も楔を打ち込み続けた。カリムの意識が疲れ果て、朦朧としてきた時、カリムは二つの層の継ぎ目に僅かな変化が生じたことに気づいた。以前はまるで一枚の岩を二色に塗り分けただけのように見えた一様な表面に僅かな亀裂が生じたのだ。
かつてカリムの意識の中に同居し、彼と同時にジョルジュの中に放出された人々はまだ眠ったままだった。だが、今こそ彼らを覚醒させる時だ。カリムは皆を起こし、事情を説明した。そして力を合わせて一心不乱に亀裂に楔を打ち込み続けた。
ジョルジュの意識の中では時間の感覚はなかった。気の遠くなるような時を経て、やがて仲間たちは一人また一人と姿を消した。あまりに過酷な作業に精神が擦り切れてしまったのだ。そして、永劫とも思える時が過ぎ、カリムは再び一人きりになった。カリムの精神も擦り切れようとしていた。朦朧とした意識の中でカリムは思った。
”これこそが神が自分に与えた試練だ。一度は魔女の誘惑に身を委ねてしまった自分だが、神はもう一度だけチャンスをくれたに違いない。この俺の精神が擦り切れるか、この岩が真っ二つに割れるのか、どちらが先かもう一度神に身を委ねるのだ。“
ブリュッセルのアジトにたどり着くと、入り口に見張り役の男が立っていた。見張りは典型的な白人であるジョルジュの風貌を疑わしげに眺めながら、
「何の用だ?」
と無愛想に尋ねた。
「ハッサンに会いたい」
「ここにはそんな奴はいない」
「まて、俺は見た目はこんなだが、ムスリムだ。疑うなら、クルアーンの一節を詠唱して見せよう。どこでも良いから言ってみろ。」
カリムは男が指定したクルアーンの一節を詠唱した。それは見事な詠唱だった。カリムの詠唱は信者たちの中でもとても評価が高いのだ。見張りの男は目を閉じてその見事な歌声に酔いしれた。奥から男が姿を表し、カリムを抱擁した。ベルギー支部のリーダー、ハッサンだ。寄生生物を何体か宿していると噂されている。
「カリム、カリムじゃないか!お前は助かったのか?良く来てくれた。さあ中に入って話を聞かせてくれ。どうしてそんな姿になったんだ?」
カリムの、もはや神話と言っても良いほどの物語を聞くと、ハッサンは感嘆の声を上げた。
「さすがはカリムだ!寄生生物なしで、他人の意識を乗っ取るなど聞いたことがない!」
「すべては同志の協力と神のご加護あってこそだ。」
「同志たちはどうした?」
「皆、擦り切れてしまった。生き残ったのは俺だけだ。」
そう言ってカリムは首を垂れ、同志たちに思いを馳せた。
「それでお前はこれから、どうしたいのだ?」
「冴子を知っているか?兄が実行したハイジャックを阻止した日本人の売女だ。パリの仲間たちもあの女に滅ぼされた。俺はあの女を捕らえたい。」
「私怨では組織は動かせんぞ。」
「私怨ではない。あの女は、六体の寄生生物を保有する正真正銘の魔女だ。しかも、数十億ドルの資産を持っている。あの女を捕らえられれば、今後、組織が資金に不自由することはない。」
「お前の計画を聞かせてもらおう。」




