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第七章 災害救難特別群

北川詩織は、帰国し山積みになった業務を処理すると、各地の自衛隊基地を訪問した。そしてついに念願だった習志野の特殊作戦群を訪問する機会に恵まれた。整列した300名ほどの隊員を前にして詩織は込み上げるものを必死で抑えた。ようやく帰ってきた。隊員の中には見覚えのある顔がいくつも並んでいた。詩織は案内役の吉田隊長に話しかけた。若い頃から鍛えてくれた尊敬している上官だった。



「今日は、武装障害走を視察することになっていましたけど、参加することは可能でしょうか?特殊作戦群の訓練がどれほど過酷か、身を持って体験しておくことも有意義かと思うのです。先日の怪我に関しては完治していますから問題はありません。」



「いや、あの、怪我云々以前の問題として、我々の訓練は、日常的に体を鍛えていない方にとって過酷とか過酷でないとかというレベルではありません。」



「では、行けるところまでというのでは如何ですか?最初の10秒で根を上げても、それはそれで貴重な経験だと思いますが…。」



「そういう趣旨なら承知しました。10秒は持たないと思いますが、トライしてみてください。」



詩織は走った。全力で走った。この日の為に訓練し、現役時代に匹敵する体力を取り戻した自信があった。実際にこうして全力で走ると、かつて毎日経験していた苦しさが体の奥底から込み上げてきて、それと同時に言いようのない幸福感が心を満たした。



「ああ、俺は生きている。これは借り物の体じゃない。俺の体だ!」



恍惚感に支配されながら夢中で体を動かしていると、



「大臣、大臣、もう終わりました。」



何者かがそう言って詩織の体を揺さぶった。我に返ると傍で吉田隊長が詩織の顔を覗き込んでいた。



「吉田隊長、こんな格好で失礼します。もう立ち上がる体力が残っていません。本日は貴重な経験をさせていただき、大変感謝いたします。」



そういうと詩織は、満足そうな笑みを浮かべながら、その場に大の字になって寝そべった。吉田隊長はそんな詩織のキラキラとした笑顔を眺めながら、この笑顔はどこかで見覚えがあると感じていた。



しばらく経って落ち着くと、居住まいを正して詩織は吉田隊長に言った。



「吉田隊長、お話ししたいことがあります。後ほどお時間をいただけますか?」



詩織は吉田隊長と共に隊長室を訪れた。詩織が会談の前にシャワーを浴びて着替えをするものと思い込んでいた吉田隊長は少し驚いた。詩織は泥だらけで汗臭いのだが気にしないようだ。



「自衛隊の任務には国防と災害救難の大きな二つの柱がありますが、実際の活動は災害救難がほとんどです。」



「ですが、災害救難には専門部隊もなければ、陸自中心の救難部隊には空自と海自への指揮権もありません。」



「私は、陸海空の機能を全て備えた災害救難特別群を創設するつもりです。特殊作戦群はその中核となる為、発展的に解散させます。その上で人員も増強します。近々、全国の陸自から災害救難の専門家を特殊作戦群に移動させますので、災害救難特別群がどのような部隊であるべきか具体的な構想を練っていただきたい。」



「陸自以外の装備に関しては、すでに米国国防省からワスプ級強襲揚陸艦”シュワルツコフ”の寄贈が決まっています。強襲揚陸艦は被災者の収容人員1,800名、ICU14床を含む病床60床、手術室4室、さらに病室に関しては200床まで拡充可能という点で、災害救難特別群にとって理想的な艦船です。ただ、これを活用する為に、整備や訓練、これ以外の装備をどうするかという課題があります。空自、海自からの人員の移動も必要となりますので、彼らとよく話し合ってください。彼らには自衛隊の最優先事項と伝えてありますが、何か問題があればすぐに言ってください。」



「ただし、ここが最も重要な点ですが、災害救難特別群は防衛の任務を解かれることはありません。自衛隊のあらゆる文書に災害救難特別群が災害救難に専念するとか、防衛任務を遂行しないとかは書かれていません。通常は災害救難を行いながら、有事の際は、海兵隊とは言いませんが、陸海空の全ての機能を有した即応部隊として国土防衛に最前線で戦っていただきたいのです。」



「そして、有事は明日にでも起こるかも知れません。有事対応を念頭に置きつつ組織を変更すると言う極めて困難な任務をお願いすることになります。」



「良いですか、私は例え話をしているのではありません。有事は明日にでも起こるかも知れません。万全の準備をお願いします。」



吉田隊長は北川大臣との面談が終わると事態の重大さを改めて噛み締めた。強襲揚陸艦は、ヘリ空母に機能を追加した艦船だ。一千億円以上はするだろう。いくら国防長官の命を救ったからと言って、米国が単なる感謝の気持ちで寄贈するとは思えない。大臣は災害救難に最適だと言ったが、強襲揚陸艦といえば海兵隊御用達の艦船だ。大臣は有事が近いから、そのつもりで即応部隊を構築しろと言っているのだ。それも強襲揚陸艦への搭乗人員として1,800名。現在の特殊作戦群の人員300名とは比較にならない多さだ。


だが、吉田にはもう一つの懸念があった。北川大臣とは初対面ではない。それは彼女の話し振りから判った。だが、自分の人生で一度でもこの女性に会っていれば、忘れるはずがない。その答えは得られそうになかったが、吉田は北川大臣への疑念をしっかりと心に刻みつけた。



北川大臣が特殊作戦群の武装障害走に参加し、完走したというニュースは、たちまちのうちに全国の自衛隊員の間に広まった。それは大半の隊員にとっては、とても信じられる話ではなかった。なにしろ特殊作戦群に入隊できずに涙を呑んだ自衛官は星の数ほどいるのだ。



だが、ハワイでの一件の動画、とりわけ、無数の銃弾を受けながら銃口を凝視して一歩も引かずにテロリストに立ちはだかった姿は、自衛隊員の脳裏に強烈な印象を残していた。北川防衛大臣は自衛隊員を死地に送ることが自分の使命だと言ったが、彼女自身が自衛隊開設以来、初めての銃撃を受け、それを生き抜いたのだ。隊員の多くは、自分に同じことができるとはとても思えなかった。あるいは彼女なら、特殊作戦群の武装障害走を完走するような奇跡を現実のものとしたかもしれないと夢想した隊員も少なくはなかった。



そんな折、北海道を地震が襲った。全国から集められた自衛官は直ちに救難活動を開始した。北川も早速、現地の視察に赴き、救難活動の邪魔をしないように秘書官だけを連れて目立たないように災害現場を視察した。



男性の隊員に付き添われた女の子が泣いていた。4、5歳くらいだろうか。隊員は一生懸命子供をあやしていたが、子供は男性である隊員を怖がってか、一向に泣き止む気配がなかった。



「どうしたの?」



詩織は雨ガッパの前を開き、少女を抱きよせて尋ねた。



「お母さんが、お母さんが、いないの!」



詩織は聴力の感度を上げ、耳を澄ませた。近くの瓦礫の下から女性のうめき声が聞こえて来た。詩織は近くにいた隊員に瓦礫の下の捜査を命じた。隊員はその声の主が誰だか分からずしばし躊躇したが、詩織がフードを脱いで、



「防衛大臣の北川詩織です。そこの瓦礫の下を調べて下さい。被災者がいるはずですから、慎重に。」



と言うと即座に作業を開始した。



瓦礫の下からは女性が救出された。落下した瓦礫によって足を砕かれ、夥しく出血していた。詩織は直ちに二体の寄生生物を送り込んで傷の手当てに当たらせた。何とか一命を取り留めた女性に、少女は駆け寄って泣きじゃくりながら抱きついた。詩織は自分の存在が一人の命を救えたことに無上の喜びを感じ、その場に立ちすくんだ。涙が止まらなかった。そして、沖縄戦など永遠に起こらずに、自衛隊の活躍の場が災害救難だけならどんなに幸せかと思った。



災害救難特別群の設立は自衛隊内部の組織の変更に過ぎない為、自衛官の合計人数は変わらないし、装備にもほとんど影響がない。この為その予算措置はわずかな金額で事足りた。また世間的にも国防専任群を解体して災害派遣を増強するものである為、国民の反発はほとんどなかった。むしろ、北川大臣は、災害派遣時の女性の有用性を実感していたから、女性隊員の比率を増やし、このことは多くの国民に好意的に受け止められた。



司令官には特殊作戦群の吉田隊長が就任した。創立記念の式典で、北川詩織は次のように述べて士気を鼓舞した。



「いつもお話ししていますが、私は国の礎は安寧にあると思っています。安寧とは日本国民が苦しまずに穏やかに暮らしていけることです。現在の日本で、この安寧を妨げる最大の障害は自然災害です。すなわち、今日という日をもって、皆さんは日本国民の安寧を守る為の戦いの最前線に立つことになったのです。」



「つい先日も、私は北海道の被災地で瓦礫の下から女性が救出されるのを目にしました。自衛隊が国民の命を助ける現場を目にして、感動のあまり涙が出ました。皆さんにもこれからそんな経験をしていただきたいと思っています。」



「吉田司令官の指揮を得た諸君はきっと活躍できます。健闘を祈ります。」

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