第三章 選挙
おりしも参議院選挙が近づいていた。冴子にも議員や秘書の知り合いがいないわけではなかったが、むしろ、自民党が実施する参院選の候補者の公募に応募する方が話が早そうに思えた。早速、党のサイトで必要書類を確認し、本部に郵送した。
北川詩織は、一流大学を卒業して、若くして外資系投資銀行の経営幹部を務め、最後はあの有名なIT企業のCFOを任されていた。タカシの会社は、企業規模で言えばまだそれほど大きいわけではなかったが、その技術の先進性では他の日本のIT企業を圧倒していた。世界に通用する技術を持ったIT企業は日本にはタカシの会社しかなく、莫大な時価総額と共に日本で知らぬ者のない有名企業となっていたのだ。しかも北川詩織はすらりとした長身に美貌を備えている。通常であれば、自民党関係者が日参して口説き落とすほどの大物が、自ら候補者に応募して来た。党にとっては千載一遇のチャンスだった。
程なくして一次選考を通過し二次選考である面接の日時の通知があった
応接室に通されると、テレビで良く見かける幹事長が出迎えた。
「あなたのような優秀な方が、CFOの地位を投げ打ってまで我が党から立候補していただけて、大変光栄です。比例代表の名簿の上位にさせて頂くことになると思います。」
「でもまあ、折角ですから政界への転身を決意なさった理由をお聞かせいただけますか?」
自民党にとって北川詩織はどうでも良い存在だった。その美貌で笑顔を振り撒き、比例代表への票の獲得に貢献してくれればそれで良いのだ。シンジを幹事長の脳内に送り込むまでもなかった。北川詩織はそのことを良く判っていた。
だが、北川詩織は防衛大臣を目指していた。最終的には寄生生物の力で自民党総裁の意識を支配して、組閣名簿にその名前を書かせることになるだろうが、自民党幹部に一目置かれることは防衛大臣としての地位の安定の為には是非とも必要だった。
「投資銀行時代も含めて、長年ビジネスの世界に身を置いてきました。いわゆるビッグビジネスをいくつも経験しました。しかし、ビッグビジネスって、小さいんです。所詮は世界の片隅でお金のやり取りをしているだけですから、一兆円クラスの取引だって、国家予算に比べれば微々たる物ですよね。そこで人生を賭けるべき世界はもっと他にあると考えるようになりました。」
「安全保障に特に関心があるようですが?」
「入党するからには、もちろん雑巾がけからやらせていただきたいと存じますが、政策分野で言えば安全保障に関心があります。安全保障、特に国防の基本は経済力だと思っています。今日では中国のGDPは米国に迫ろうかという勢いです。当然軍事力も拡大の一途です。このような中国の国家主席の世界観が日米欧の政治家のそれとは全く異なっている可能性が否定できないと考えています。
そもそも、近年、中国は復活したと言うのが世界の見方ですが、中国人はそうは思っていません。中国は有史以来世界の頂点に君臨し続けていたと思っています。国家主席が世界の皇帝になりたがっていても不思議ではありません。このような環境下では我が国の国防は早急に強化する必要があると考えています。」
藤村が現役の自衛官だった頃から、中国の野心については一般国民に知られているよりもはるかに警戒が必要だというのが政府内の認識だった。幹事長は詩織の発言に大きく頷いた。
「ただし、戦後一貫して自衛隊の増強は極めて困難でした。自衛隊が唯一国民世論の支持を集めるのは災害救難だけでした。ですから私は、現在の特殊作戦群を中心に航空、海上の機能も備えた災害救難専門部隊を組織し、普段は災害救難活動を行いつつ、有事の際には即応部隊として外敵に当たらせるのが、現実的ではないかと考えています。」
参議院選挙が始まると北川詩織は、寄生生物の力でその容姿を少しだけ若返らせて街頭演説に立った。オリヴィエは当初のうちはフランス人と日本人のメンタリティーの違いに戸惑ったが、聴衆の反応をみながら微調整を行い、次第にジョークを交えたその演説は好評を博すようになっていった。
選挙運動が始まると、オリヴィエは詩織にカトリーヌをキャラクターに加えるよう提案した。詩織の中には藤村、シンジ、オリヴィエと男性しかいなかったが、女性有権者の共感を得たり、党の男性議員を適当にあしらうのにカトリーヌのお上品でおっとりした人格が好都合だったのだ。実際にカトリーヌのキャラは男性議員に対しては絶大な効果を発揮した。男性議員が何を言っても、詩織がカトリーヌのキャラで微笑みながらおっとりと応えると議員たちはそれ以上何も言えなくなってしまうのだった。
また、オリヴィエのIT関連知識には、詩織も冴子も舌を巻いた。折に触れて、詩織からレクチャーを受けてはいるのだが、マスコミなどから質問を受けると、まるでその道の専門家のように受け答えするのだ。
日本で最も注目されるIT企業のCFOからの転身はマスコミの注目を集めたし、その演説が面白いとあって、北川詩織は選挙の目玉として他の候補の応援演説に駆り出されるまでになった。まだ当選すらしていない新人候補としては極めて異例だったが、詩織の行く先々で大きな人垣ができた。
北川詩織は参議院議員選挙に当選した。党本部で開催された新人議員の集会では、自民党総裁からも直接声をかけられるチャンスがあった。北川詩織は、すかさずシンジと二体の寄生生物を総裁に送り込んだ。
参議院選挙が終わって以来、総理の頭の中は、組閣のことでいっぱいだった。内閣として当面の課題を乗り切れるだけの実力を備えた議員は限られていた。その上、各派閥からは当選回数だけは一人前の無能な政治家たちの入閣を要請されていた。無難にまとめなければならないが、組閣はこれで3回目だ。何も目玉を用意できなければ、組閣直後にもかかわらず、支持率は低迷するだろう。
総理はその日も夜遅くまで万年筆を握りしめて組閣名簿と格闘していた。
北川詩織のことは選挙中から気になってはいた。その美貌は人目を引くが、立ち居振る舞いが落ち着いている。この手の若手議員にありがちな、ウケ狙いの発言がみられない点にも好感を抱いていた。応募時の小論文にも目を通した。何の期待もしていなかったが、安全保障に関する骨太な主張には見るべきものがあった。当選回数を重ね、誰かの地盤を引き継いで衆議院議員になれれば、将来は実力者になるかもしれないと思っていた。
組閣名簿に候補者の名前を書き連ねながら、万年筆を持つ総理の手がピタリと止まった。財務大臣、外務大臣と言った要職は簡単だった。適任者が極めて限られているのだ。逆に派閥から押し付けられた間抜け達の処遇も簡単だった。その為に歴代の総理が、名前だけは立派な閑職を沢山用意してくれているのだ。
だが、経産大臣、文科大臣、厚労大臣、防衛大臣は難関だった。閑職ではないので誰でも良いと言うわけにはいかない。仕事は官僚がやるからできなくても良いが、記者会見の受け答えぐらいはできてもらわないと困る。何とか無難そうな者の名前で埋めていったが、新鮮味がなく地味な印象だ。
“内容にもよるだろうが、大臣の辞任は二人ぐらいまでなら致命傷にはならない。いやむしろ場合によっては私の引き立て役だ。辞任覚悟で目玉を入れてみるのも私の腹ひとつだ。“
総理がそう思った瞬間、北川詩織の名前が浮かんだ。担当するなら防衛大臣だろう。北川詩織の透明感のある美貌は防衛省には好都合だ。また、防衛省には当面は余り大きな政治課題もなかった。
“ダメだ、ダメだ。気でも狂ったのか。一年生議員を大臣に抜擢するなど、例えいくら本人が優秀でも許されるはずがない。”
シンジはそんな総理の意識の動きを固唾を呑んで見守っていた。総理は防衛大臣に詩織以外の者を指名するだろう。その瞬間に、総理の意識を乗っ取って北川詩織の名前を書かせるのがシンジの役目なのだ。本人にも何が起こったのか判らないうちに、素早く総理の意識を操れれば、組閣名簿にはそのまま北川詩織の名前が残るかもしれない。もしダメなら、組閣の発表が終わるまで、総理の意識を乗っ取るまでだった。
組閣について考えを巡らすうちに、総理の脳裏では北川詩織の存在がますます大きくなっていった。彼女の如才のない受け応えをもってすれば、少なくとも当面の間は大臣としての地位を維持できるだろう。組閣当初の大きな目玉として注目を集めてくれさえすれば、最終的に何か問題を起こして辞任に追い込まれたとしても、自分へのダメージは許容範囲に留まりそうだ。
総理は心の中で、そんな言い訳をあれこれと並べ立ててはいたが、北川詩織にはすでに一流の政治家としての風格が備わっていた。何より、腹の座り方が尋常ではない。要するに、総理自身も彼女の魅力に惹きつけられてしまっていた。
総理はもう一度組閣名簿に目を走らせた。そして、あまりにも地味なその名簿では、組閣直後の支持率に大きな期待ができないと感じた。何より、総理自身が魅力的だと感じられる大臣が殆どいないのだ。
総理は組閣名簿に北川詩織の名前を書き加えた。




