カレン
「……何か進展はあったかね?」
全体的に小洒落た、身なりのいい男が筆を止めて顔を上げた。
「いいえ。本人が言っていた通り、元世ではベッドから出ることもほとんどない生活をおくっていたようで専門的な知識はないようです」
「……そうか。残念だがSランク級の冒険者とツテが得られただけでも幸運と言うべきか。実際火焔龍の襲撃という緊急事態に際し、この街を捨てる選択をした商会からは捨て値同然で商品を仕入れられた。この街でも我らマーシェン商会の地位は不動となった」
男は満足そうに頷く。
「しかし、“キルレア“の名を継ぐ者がまさか子守上手とは意外だったな。おっと今は“カレン“君だったね」
男の前で報告をしていたのはカレンであった。
本名、いやそれも継ぎ名である。本当の名などとっくに忘れてしまった。
「しかしカレン君、君の話を聞く限りそのユーリという少女はそれなりに学がありそうに思える」
「彼女の元世では一定の年齢までは教育を受けられる施設に入るのが普通のようです。こちらとは違い、魔物などもおらず、争いの少ない世界だそうです」
「羨ましい、とは言いがたいな。外からの脅威がないなら内から脅威が生じるのが人間。人間と魔物、敵にするなら魔物の方が楽でいい。だが、子供のうちからの教育機関か……。仕立てるなら子供の内からの方が都合がいいしな。マーシェン商会主導の孤児院でもつくるか」
カレンのことを忘れて思索に耽ってしまうのはこの男の癖であった。
「おっとすまない。彼女のことは何でも聞かせてくれ。ユーリ君は元世でのことは普通だと思っているだろうが、この世界では斬新なことも多い」
「はっ」
にこやかに話していた男の目が細められると、雰囲気もガラッと変わった。
「今のところ、君に頼むほどの仕事は来ていない。ユーリ君を頼むよ」
「はっ」
短く返事をしてカレンは姿を消す。扉を開けたりはせず、窓から屋根を伝って出て行ったのだ。
一人になった後、男は呟く。
「これまでの転生者は無理矢理話させたり軟禁していたが、やり方を改めた方が良さそうだな。まずは専用の世話係を教育するところから始めるべきかな」
マーシェン商会、それは世界各地に広がるトップクラスの商会である。その理由は初代会長にある。
かつて魔物たちを統べる魔王という存在が現れ、世界は危機に陥った。各国は手を取り合ったが魔王軍は強大であった。
人間たちは追い詰められ、とある国は異世界から勇者の召喚を試みた。
召喚は成功したものの、呼び出されたのは普通の少年にしか見えず、落胆した国王は、桐の剣と旅人の服、わずかなゴールドだけを持たせて旅に出させたのだ。
要するに放逐したのである。
絶望した勇者の前に現れたのが初代会長であった。
道端で出会った若者を連れて酒場へ行き、食事をさせながら話を聞いて驚いた。あまりの無法ぶりに呆気に取られた。
「よし、俺が力となってやろう」
この当時まだ駆け出し、よりもちょっとだけ先んでていた程度だったが自身の資産を投げだし、それまでに得たツテを使って勇者をバックアップしたのだ。
そして8年の歳月を費やし、勇者は魔王を倒したのだった。
コロッと態度を変えて勇者を迎えようとした、召喚を行った国王など無視し、真っ先に伝えに行ったのは初代会長だった。
だが、その頃勇者の支援のために無理をしていた初代会長は病に臥していた。それを知った勇者は世界樹の雫を使い病を治した後、自分を招きたいと言う各国へと訪問しては、自分を召喚した王と商人の話をし、自分のため世界のために資産を投げ出した商人に褒美を代わりに与えて欲しいと伝え回った。
多くの国は勇者を召喚した国を批判し関係を絶った。それにより国力が衰退しまもなく滅亡。
初代会長はあまりある報奨金と各国の都の一等地に敷地を得たのだった。
ぶっちゃけ過程を飛ばしすぎて困った初代会長だった。
そして何よりの報酬となったのは……周知度と人気である。資産を投げ売って勇者を支えた商人と、恩返しのために駆けずり回った勇者の美談は吟遊詩人によって各国中に伝わり、本にもなったのだ。
初代会長がうまくやっていけたのは才能だけでなく、各地の人たちからの支援もあったのだろう。
後に各国連名で商会に姓が与えられる。姓は貴族にしか与えられないものであるから、名誉貴族待遇のようなものである。
その際、会長は勇者に尋ねたのだ。勇者の世界で商人のことはなんと言うのかと。そしてマーシェン(なぜか少し歪んで伝わった)を商会の名として扱うことにしたのだという。
初代会長が亡くなったとき彼の手記に異国の言葉で
「情けは人のためならず」
と書かれており、言葉の意味は伝えられず、形だけが石碑として刻まれ商会本部に飾られている。




