第3話(3/3)
「もしもし」
堪らず弘明が聞くと、慌てて相手が答える。
「ああ――倫子さんね、ちょっと待って」
その瞬間、つないでくれる――と、弘明は喜んだ。
と、すぐさま同じ声が聞く。
「えっと――、あなたは?」
「はっ?」
「あなたの。お名前は?」
「ああ――、はい山岡です、山岡弘明です」
「あっそう――」
そう言うと彼女は、受話器を置いたのだろう、
ガチャと音がして、立ち去る音が続く。
弘明は相手が誰だか知らない。
だが倫子いると思うと、それだけでもう有頂天だった。
ただ、電話帳には保育科と看護科の二つだけ。弘明は彼女の学部さえ知らない。初手から駄目元の一か八かだった。
それでもしばらくすると、電話の向こうで笑い声がする。
そして足音が近づき、
ガチャガチャと受話器を動かす音がすると、
やがて相手が出た。
「はい、池田です――」
それはリンコ、彼女の元気な声だった。
元より弘明は駅前で二言三言話しただけ。
だが彼女の声を聞き違えるはずはない。
ただ電話するのは初めてで、その応答は彼女らしくもあり、らしくもないような気がした。
なにしろ弘明は行き当たりばったり。何も先のことを考えていない。
言葉に詰まって焦るばかり。
そんな弘明に彼女が声を掛けた。
「山岡さん――、お元気ですか?」
「えっ、僕を覚えていますか?」
「野母崎の合ハイでご一緒した方ですよね」
「そうです。高架でお話をした、山岡です」
「それで、今日はどうされたとですか?」
そんな事務的な問い掛けに、弘明は医者の診断を受けるような気がした。
だが嫌な気はしない。安心して病状を訴えられる、そんな安堵感が湧いてくる、リンコの声だった。
「突然学校へ電話して、すみません」
「よく、わかりましたね」
「ええっ、いや電話帳で調べて……」
「この電話、教授が受けて下さったとよ」
「えっ、さっきの人は、教授ですか」
「そう、ちょうどこれから授業なので」
「あっそうですか。すみません」
「それで、どうされたとですか?」
「はい、一度、会えないかと思ってですね」
「えっ、会うって?」
「休みの日に、ですね、どこかで……」
「それって、デートですか?」
彼女のはっきりした物言いに、まだ部屋に誰かいるのだろう。
後でクスクスと笑い声が聞こえた。
どうも学部の事務室へ掛ったようで、彼女が他の人のいる中で話をしているのかと思うと、弘明は急に気が引けた。
だが、彼女は物怖じしなかった。
「はい、良かですよ、いつですか?」
彼女は簡単にそう言うではないか。
弘明は天にも昇る気持ちだった。
(でも、なぜこんなに容易く)
と、一瞬浮かんだ疑問を自ら押し殺して、即座に返事を返した。
「ありがとうございます」
(第3話おわり)




