第2話(2/2)
「こんな写生会、何年ぶりだろう」
横にいた同じ学科の小山がぽつりと言う。
彼は弘明と同郷で一見年下にも見えたが、京都の大学を退学して工大に入り直し、二つは年長だという。シャガールが好きで、確かに描く絵もシュールな物が多かった。
「小山、気に入った子がいた?」
女の子が屯する方に目をやりながら、弘明が聞いた。
「いや」
と、小山は手を振って否定する。
だが童顔には似合わぬ照れ方だった。
弘明は、別に答えを期待していた訳ではない。
だが、いかにも奥手に見える小山の否定の仕方が、どこか不可思議だった。
(こいつ童貞か)
と疑いつつ、それでも目は倫子を探していた。
確かに京都で学生生活を経験している小山と、田舎の高校で最後の一線さえ越えられなかった弘明では、自ずと女の見方は違う。
昼食後、誰が持ち込んだのかバレーボールでトスが始まった。
弘明は離れた所のベンチで小山と座っていた。だが片山は違った。
口から洩れたお茶を手で拭い、トスの輪へ走った。そのニヤけた顔にずり落ちそうな眼鏡、細いチェックのズボンが気障だった。
「あいつ、まともな絵も描けんくせに」
と、独り言を言う弘明に、小山が言う。
「彼の絵は怖いよ――。僕なんか、圧倒されそうで、とても真似できない」
思いがけない言葉に小山を見返すと、外連味のない笑顔があった。
弘明は面食らった。
「なんで?」
と、思わず尋ねてしまった。
「彼、時々下宿へ来るけど、自分の実力を良く知っている。それだけに強い……」
二人が時間を共有すると聞いて、驚きだった。
そのマジな物言いに、弘明は反駁した。
「しかしあいつの絵は、ルノワール擬きで、出来損ないも良いとこやないか」
「でもね、美大へ行っても、最初はみんな先生の模写から始めるからね……」
その小山の言葉は、初手から片山憎しの弘明には厳しかった。
(それを嫌って、俺は美大を諦めたのに⋯⋯)
高三のトラウマが、弘明の胸に蘇った。
やせ型の弘明と腹の突き出た片山。
JUNを好む弘明に、BANの好きな片山。
それに片山は、刈り上げに銀縁眼鏡――
それは牛乳ビンの底の様なレンズだった。
だが、小山に見えて、自分には見えないものがあると思うと、弘明は複雑だった。
「美大を出で、デパートの窓でも飾るの――」
その母の一言で、弘明は自らその道を断った。
だた、あくまで造船の道を選んだのは弘明自身なのだが、どこかで理屈が捩れていた。
大学へ入ってしばらくした時、下宿の先輩から近所に住む美術部の部長を紹介された。部屋で独り絵を描く弘明を見かねたのか、空手部の先輩が紹介してくれた。
その部長に事前連絡もせず、弘明は一戸建ての二階の部屋を訪ねた。
玄関横の別階段から、二階の窓まで登った時だった。
すりガラスの向こうが透けて見えた。
ノックすると、奥で肌色が動いた。
それと同時に、別の人影が入り口に近づいた。
「なんだ――」
奥の人影が、ドスの効いた声を上げた。
「すみません、山岡と言いますが⋯⋯」
そう答えながら、眼は肌色を追っていた。
「今は駄目だ、明日にでも出直せ――」
そう冷たくつき離され、追い返された。
(あれは、裸の女だ――)
それは確実だった。
まさかと思ったが、ドア越しにテレピン油の匂いがしていた。
翌日弘明は美術部へ入り、油絵用のイーゼルセットを買った。
弘明は風景画が嫌いだった。
だから自分で写真の模写を描いていた。
(美術部へ入れば、きっと裸婦が描ける)
その一念だった。
だが裸婦を雇う金などはない。
ならば彼女を作る以外、他に手はなかった。
そんな不純な動機を思い出しながら、やはり目は女子の方へ行く。
そして倫子の姿を追う自分に、忸怩たる思いを抱く弘明だった。
だが、少し離れた所にボールをトスする倫子がいた。運動神経が良いのか、足の運びもボールへの対応も抜きんでている。
そんな姿に弘明は、まんじりともせずに見つめていた。
(第2話おわり)
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