第2話「野母崎という岬」(1/2)
弘明は、ひとり高架広場でウロウロしていた。
だがそれは、あくまで彼女のことを意識してのこと。
片山らが来なければ、
(俺も副部長だ)
と、先に出発したかも知れない。
弘明は、ブルージーンズに白のスニカー、シャツは臙脂でその上に濃紺のVネックのセーターを着ていた。シャツは新品だがあとは着古したもの。
左手をジーンズの後ポケットに差込み、もう一方の手で髪をかき上げながら、探す振りは堂に入っていた。
待ち人来たらずで時間が流れ、弘明は県女の輪に近づき、倫子に声を掛けた。
「すみません、遅れそうで……」
「ええ、でもバスの時間までは、まだ……」
倫子は、首をかしげて腕時計を見る。
その仕草が堪らない。見上げる目の動き、愛らしかった。
光が眩しいのだろう、日を遮るために片手を翳した。
そのしなやかな指、手首の肌の白さに、思わず眼を瞬かせてしまった。
「どうかしました?」
彼女が立ち位置を変えて、向きなおった。
「えっ、あっ、いや……」
弘明は不意をくらい、彼女の瞳の前で何も言えない。
挙動不審気味に元居た場所へ、階下を見下ろせるところまで移動した。彼女があとからついてきて、横に立った。
「あっ、やっと来ました――」
弘明は倫子に声を掛けた。
ちょうど遅れていた三人が、階段を登ってくる所だった。
「これで、出発出来ますね――」と、倫子は明るく答えた。
「はい」と、弘明は応じたものの、顔は笑っていない。
(もう来たのか)と、心では真逆のことを思っていた。
バスは定刻に発車。連休のせいか混んでいて、そこへ二十数名の学生が加わり、バスは満員だった。挨拶する間もなく、両校それぞれに乗り込んでいた。
バスは長崎駅前から南西へ幅広の国道499号線を走る。中央に走る市電の軌道は、途中の大浦海岸通りまで並走すると、そこから左へ折れて出島から大浦天主堂へ向かう。
十九世紀初め、フランスに占領されたオランダに取って出島は、唯一自国の国旗が旗めく場所であり、輝かしい歴史の象徴だった。原爆で破壊された街を復活させるのは困難を極めた。それを思えば、蘇った出島は長崎の戦後復興を象徴するシンボルでもあった。
バスはその出島の一角から、南山手を左に、大浦海岸通りを真っ直ぐ抜けて行った。
三十分程走った時、突然ガタンとバスが揺れ、外を見ていた弘明は吊革を握り直した。
どうもバスの幅が道に合っていない。
崖下は絶壁で、樹木の間から砕け散る波の飛沫が見える。
満員だけに気が気ではなかった。
海岸沿いから辺鄙な村へ入ると、そこが終点だった。
皆でバスを降りて村へ入った。
一行は魚臭い路地から坂道を登っていく。
先頭を歩く片山が、なにかと女子に声を掛けるので、いつしか相互の会話が始まった。
やがて切立った崖に差し掛かり、それを登りきると、それこそ見渡す限り玄海灘の荒波が打ち寄せるリアス式海岸が広がっていた。
午前十時半、権現山展望台に到着した。
遥か沖合に軍艦島が見えていた。
それまで巧みな片山の話術で皆は打解けていた。
だが展望台に立つと、誰もが寡黙になっていた。
荒れた玄海灘の空――
それを覆う雲が割れたかと思うと、幾つもの光の柱が降り注ぐ。
それはまるで白波の立つ水面に突き刺さるように、幾つもの柱が降り注ぐのであった。
「あれは⋯⋯天使の階段⋯⋯」
少し離れた場所にいた弘明は、女子の方から聞こえたような気がした。
誰が言ったのか分からない。ただ聞き覚えのある声だった。
(あれは、確か⋯⋯)
そう思う弘明だが、彼女の姿は見えない。
それにしても、初めて目にする「天使の階段」は不可思議だった。伊勢の海で育った弘明だが、その神々しさには目を奪われた。
(しかし、こんなん絵にならんで――)
絵を描く気など、サラサラない弘明だが、社交的な片山の手前、意固地になっていた。
ただ、一応片山が写生会の幹事なのだが、もうその必要はなかった。
それぞれで気に入った場所が決まると、群れは散っていった。
断崖絶壁、沖の島、玄海灘など、絵の対象には事欠かない。
そんな中で片山だけは、まだ筆も持たず、キョロキョロと落ち着きがなかった。弘明は無言で舌打ちをしたものの、そういう自分もまだ何も手がつかなかった。
(つづく)
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