第1話(2/3)
弘明は長崎駅前の高架広場に立って、
――酷い黄砂やなあ――
と、春霞の中に浮かぶ稲佐山を見上げていた。
大陸から偏西風に乗って飛来する黄砂は、有史以来、黄海を越えて長崎に降り注ぐ。山も川も人も、街を走る市電も車も、みんな白く覆われるのだった。
弘明は、美術部の合ハイに参加するため、高架広場に来ていた。ゴールデンウイーク最初の日曜日だった。合ハイの行き先は、西へバスで約一時間の野母崎。相手は、長崎県立女子大学、通称「県女」の美術部だった。
工大が企画した、新入生歓迎の合同写生会だが、両校としては初めての催しだった。
弘明は駅舎の壁の大時計を見ていた。いつか雪の中で見た時計である。
(あれから一年、続いているのは絵だけか)
そう考えると、いったい俺はなにをやっているのだと、今更ながら反省するのだった。
高校時代、学期末の試験で赤点が続き、顔を合わす度に、母親は受験のことをうるさく言う。そんな生活に辟易していたことを思えば、今は恐ろしいほど平穏な日々だった。
呼び名が講義に変わっても、大学の授業は高校の時と変わらない。どちらかと言えば、受験を目指していた頃に比べれば楽だった。
なにしろ単位を落としても、また来年取れば良いんだという。
そのぬるま湯のような環境は、いかにも弘明の性にあっていた。
それでも弘明は、一回生の秋にはもう大学生活に倦み始めていた。自ずと講義をサボることが増え、下宿で油絵を描くか、さもなければ下宿仲間と麻雀三昧の毎日が続いた。
そんな時、二回生になった以上、怠惰な生活から抜け出そうとして、
「女子大と合ハイをやろう」
となったのは、弘明の発案だった。
本当は、「女の子と出会いたい」の一念で言い出したことだった。
造船科の講義に女子はいない。
たまに構内で他の学科の女子大生に出会うと、もうそれだけで鼻血が出そうになっていた。
弘明の下宿は、宿町という町にある。
大学から歩いて十分ほど。
古くからの地主が建てた、木造二階建ての学生専門アパートに二十人程が住んでいる。
宿町は、その名の通り長崎街道の宿場町。かつては長崎へ至る街道で、最後の宿場町として、多くの旅人が立ち寄ったことだろう。維新の立役者や明治の大立者が、逸る気持ちを抑えて幾人も泊まったに違いない。
今はバスがあると言っても、長崎の街とは距離がある。
宿町に住む者に取って、街へ出ることが青春に違いない。
だが金欠病の学生が、ちょっと遊びにという訳にはいかない。
弘明は、二十歳までに童貞を捨てようと決めた。もう時間がない。
だから女子大との合ハイを思い付き、実行に移したのだった。
(つづく)




