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家の内側、女中の気配が変わるころ  作者: てきてき@tekiteki


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9/22

第9話 金平糖

 祭りの夜は、更けるのが早い。


提灯の明かりが一つ、また一つと消え、

笛や太鼓の音も遠ざかっていく。


女中が家へ戻った頃には、

門の外はすっかり静かになっていた。


「ただいま戻りました」


玄関の戸を静かに開けると、妻が出迎えた。


「お帰りなさい。楽しめた?」


「はい。久しぶりに祭りを見ました」


女中はどこか照れくさそうに笑った。

その表情を見て、妻は少し安心する。


年頃の娘なのだ。

祭りくらい、楽しんで帰ってきてほしい。

それが自然というものだった。


「奥様」


女中は懐から小さな紙袋を取り出した。


「つまらない物ですが……」


「私に?」


「金平糖です」


妻は思わず微笑んだ。


「まあ、ありがとう」


紙袋を受け取る。

軽い音がした。


色とりどりの、小さな金平糖。

子どもの頃、祭りの日だけ買ってもらえた懐かしい甘味だった。


「旦那様にも……」


そこまで言って、女中は言葉を止める。


「……いえ」


妻はその間を聞き逃さなかった。


「そうね、一緒にいただきましょう」


そう言って微笑む。

女中はほっとしたように頷いた。


その頃、主人は縁側にいた。

庭の木々は夜露をまとい、虫の声だけが静かに響いている。


「あなた」


妻が声を掛ける。


「あの子のお土産ですって」


主人は振り返る。

卓の上には、小さな紙袋。


「祭りへ行ったついでに買ってきてくれたの」


主人は少し驚いたような顔をした。


「そうか」


妻は紙袋を開ける。


「ほら」


白、桃色、薄緑。

小さな金平糖が掌へ転がる。


主人は一粒つまんだ。

口へ入れる。

静かな甘さが広がった。


「懐かしい味だ」


妻も一粒口へ運ぶ。


「昔は、これだけで嬉しかったものですね」


二人は小さく笑った。


その様子を、少し離れた場所から女中が見ていた。

主人も妻も笑っている。

その姿を見ているだけで、不思議と胸が温かくなる。


これでよかった。

祭りで買った金平糖は、この家のためのものだった。


そう思う。

そう思おうとする。


翌朝。


主人はいつものように仕事へ向かう支度をしていた。


玄関で草履を履こうとしたとき、足が止まる。

草履が、きれいに揃えられていた。

鼻緒まで丁寧に整えられている。


いつものことだ。


女中は毎朝そうしている。

だが、その日は違って見えた。


祭りの帰り道。

女中もまた、自分たちのことを思い出したのだろうか。

そんなことを考える自分がおかしくて、主人は苦笑する。


「旦那様」


女中が羽織を持ってくる。


「ありがとうございます」


主人は受け取る。

昨日までなら、それだけだった。

今日は違う。


「祭りはどうだった」


自然に言葉が出た。

女中は少しだけ目を丸くする。


「……賑やかでございました」


「そうか」


「村の祭りとは、ずいぶん違いました」


主人は頷く。


「都会は人が多いからな」


それだけの会話。

それだけなのに、二人とも少しだけ笑っていた。


廊下の奥で、その様子を妻が見ている。

笑顔。

ほんの少し。

それだけだった。


それでも妻は思う。

昨日まで避けていた距離が、祭りを境に少しだけ戻っている。

戻ったのか。


それとも——

慣れてしまったのか。

その違いは、大きかった。


昼過ぎ。


妻は縫い物をしながら、ふと女中へ尋ねる。


「祭りは、誰か知った人に会った?」


「いいえ」


「そう」


「飴細工を勧められましたが、お断りしました」


妻は針を止める。


「若い人に?」


「はい」


「どうして断ったの」


女中は少し考えてから答えた。


「……必要ないと思いましたので」


妻は静かに頷く。

その返事に嘘はない。

だが、それだけでもない。


女中自身も、理由を言葉にできていない。

妻には、それが分かった。


年頃の娘なら、祭りで声を掛けられることもある。

それは自然なこと。

けれど、この子は、それを自然として受け止めていない。

心が、どこか別の場所に留まっている。


その「別の場所」がどこなのか。

妻は考えないようにした。


夕暮れ。


主人は仕事を終え、書斎で帳面を閉じる。


窓の外では、祭りの名残の提灯が、まだ何本か揺れていた。

祭りは終わる。


だが、人の心は祭りのようには終わらない。

賑わいが去ったあとほど、静けさは深く残る。

その静けさの中で、人は初めて、自分の心の音を聞く。


主人は目を閉じる。


女中は洗い場で水を流している。

妻は縫い物を続けている。

何も変わらない家。


それでも、

夏祭りの一夜は、三人の胸に、

それぞれ違うものを残していた。

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