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家の内側、女中の気配が変わるころ  作者: てきてき@tekiteki


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10/22

第10話 秋の気配

 祭りが終わると、町は驚くほど静かになった。

賑わいの名残は、

軒先へ吊るされた提灯がまだ片付けられていないことくらいで、

人々はまた普段の暮らしへ戻っていく。


朝夕の風にも、わずかな変化があった。


真夏には肌へまとわりついていた湿気が少しずつ薄れ、

朝の井戸水は思わず息を呑むほど冷たく感じられる。


季節は、誰にも気づかれぬまま動いていた。


女中は井戸で水を汲みながら、

桶の水面へ映る自分の顔を見つめた。

髪を結い直し、袖をまくる。

毎朝繰り返す仕度。


何も変わってはいない。

そう思おうとする。


だが、鏡の代わりになる水面の中には、幼い頃とは違う自分がいた。

いつからだろう。

子ども扱いされなくなったのは。


いつからだろう。

奥様が、あんな話をするようになったのは。


そして、旦那様が──。

女中は小さく首を振った。


考える必要はない。

今日も仕事がある。

それだけで十分だった。


朝餉を終えると、主人は珍しく庭へ出た。


庭師が剪定を終えた松を眺め、

季節外れに咲いた朝顔へ目を留める。


女中は濡れ縁を雑巾で拭いていた。


二人の間には、五、六歩ほどの距離がある。


以前なら、その距離を意識することはなかった。


今は違う。

近づくこともなく。

離れ過ぎることもなく。

互いが互いの位置を測るように動いている。


主人は、それが滑稽だと思った。


こんなにも広い庭なのに。

なぜ、たった一人との距離ばかり気にしているのだろう。


「朝は涼しくなったな」


思わず口を開く。


女中は雑巾を絞る手を止めた。


「はい。蝉の声も少し減りました」


「そうだな」


それだけの会話。

だが、以前のような自然さが少しだけ戻っていた。


気を遣い続けることにも、人は疲れる。

互いに、そうだった。


その様子を、妻は座敷から見ていた。

会話は短い。

表情も穏やかだ。

何もおかしなところはない。


それでも、妻は思う。


人は「平気なふり」が上手くなる。

心が落ち着いたから笑うのではない。

笑って見せることで、自分を安心させようとすることもある。


それを、妻は知っていた。


昼前。


主人は書斎で筆を走らせていた。

障子の向こうを、女中が静かに通り過ぎる。

足音はしない。


それでも分かる。

この家へ来て十年。

気配だけで、誰が歩いているか分かるようになっていた。


主人は筆を止める。


いつからだろう。

その気配を探すようになったのは。


以前は気にも留めなかった。

家人が歩く音など、暮らしの一部に過ぎない。


今は違う。

近くを通るだけで分かる。

立ち止まれば分かる。


主人は苦く笑う。

「気配が変わる」とは、こういうことなのかもしれない。


変わったのは女中だけではない。

自分のほうだった。


午後、妻は納戸の片付けを始めた。

古い着物や道具を整理していると、小さな箱が出てくる。

中には、主人と結婚した頃の写真が一枚入っていた。


まだ若い二人。

緊張した面持ちで並んでいる。

妻は思わず笑った。


「あの頃は、私も若かったわね」


独り言だった。


そこへ、女中が顔を出す。


「何かお手伝いすることはございますか」


「じゃあ、この箱を押し入れへお願い」


「かしこまりました」


女中が箱を受け取る。

ふと、写真が目に入る。


「旦那様……お若いですね」


妻は微笑んだ。


「そうでしょう」


「奥様も、とてもお綺麗です」


「ありがとう」


その言葉に偽りはなかった。

女中は写真を見つめながら、静かに箱へ戻す。


主人にも、若い頃があった。

妻にも。

二人にも、自分の知らない時間がある。

当たり前のことなのに、その事実が妙に胸へ残った。


夕方。


主人が縁側へ出ると、妻がその写真を持っていた。


「懐かしいものが出てきましたよ」


主人は写真を受け取る。


「ずいぶん昔だな」


「ええ」


二人は笑う。


 女中は少し離れた場所で、その様子を見ていた。

穏やかな夫婦だった。


自分が入り込む余地など、どこにもない。

そんなことは、最初から分かっている。


それなのに。

胸の奥に、小さな痛みが残る。

その痛みの名前を、女中はまだ知らなかった。


秋の風が、庭木を静かに揺らす。

季節は確かに進んでいる。

家の内側でもまた、誰にも見えない何かが、

少しずつ形を変え始めていた。

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